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1巻
1-2
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「じゃあモモ、今日から二人……えっと一人と一匹になるけど、改めてよろしくね」
「こちらこそだよ、アメ。ボクは君の眷属みたいなもの、どこまでも君についていくだけさ。アメは可愛いし、器量もいいし、世界一の料理人になれる素質もあるしね」
「それは褒めすぎよ。私はちょっと料理が好きなだけ」
「いいや、嘘は一つも言ってないよ。これまでさんざん耐えてきたんだ、アメは幸せになるべきさ」
モモは私の肩に前脚をかけ、後ろ脚を上手いこと折って、ふわりと乗る。
鼻を寄せられたので、信頼の証かしらと嬉しくなり、頬ずりを返した。
まるで綿毛のように、ふわっふわの毛だ。お手軽に幸せ気分になれる。
しばらく肉球をフニフニさせてもらったり、戯れたりした。
満足したのち、家に入った私は荷ほどきをはじめた。そして、ある物を引っ張り出し、扉の外に吊り下げにいく。
店の目印であり、象徴となる看板だ。
そこには、大きな字で店の名前『ごはんどころ・ベリーハウス』と記されている。そして、その横に、『安くておいしい超お得料理、ご用意しています』と書いた。
節約により値段を抑えた料理。これが、この店の要だ。
張り切ってお洒落な店にするより、慣れているものを売りにしたほうがうまくいくだろうという考えだった。
嵩を増したり、材料を安いもので代用したり、裏技を使ったり――実家の厳しい財布事情もあって、『節約ごはん』はお手の物なのだ。
そうして安価で提供することで、たくさんの人に来てもらいたい――そんな思いもあった。
さらに、珍しいコンセプトで話題になりやすいのではという戦略的な思惑もある。
看板を色々な角度から見つめたあと、私は両方の拳を握りしめた。
「あー、盛り上がってきたかも! 早くごはん作りたいっ」
「アメったら。まだ開店日じゃないのに、気が早いよ」
「いいのよ。それだけやる気になっているってことなんだから」
さて、ここからが始まりだ。
新しい街で、新しい私として、誰もが羨むような素敵な生活を送ってやる!
◇
それから私は、くる日もくる日も開店準備に励んだ。
といっても、調理器具や家具などは既に届けてもらっていたし、下見の際にある程度の配置も決めてあったので、一週間ほどで、用意は終わった。
一人だけの生活にも慣れてきて、いよいよ大詰め。
開店を明日に控えた夜のことであった。
「わっ、綺麗な顔…………」
つい、呟いてから慌てて口を押さえる。
店の外観を再度確認しようと外に出たとき、一人の男性に出会ったのだ。
よくできた彫刻みたいだ――そう思った。それもたぶん貴族の家の保管庫に大事に仕舞われる、一級品。公開されようものなら、たちまちみんなの話題をさらうだろう彫刻だ。
それくらい、揺るぎない美しさだった。
地味な黒の服を着ていても、それは決して褪せない。
神様が描いたとしか思えないほど絶妙な輪郭と、そこに収まるキリリとした相貌、青みがかった海のような色の髪。若干、強面にも見えるが、そこを含めて完成されている。
さらに、細身ながらも高身長だ。私より、頭二つ分くらいは高い。
彼ほどの美形には、これまで幾度となく参加してきた貴族たちの社交の場でも、出会ったことがない。
そんな美しい男の人が、なぜか私の店の前で立ち尽くしている。
どうしたんだろう、と首を傾げた瞬間、がさりという音を立てて、彼は視界から消えた。
「……え?」
慌ててあたりを見回すと、なんと彼が地面に崩れ落ちているではないか。
意表をつかれた私は、遅れて腰を下ろし彼の肩を揺する。
その際、つい彼の顔をまじまじとのぞき込んでしまって、ちょっと息が止まった。
間近で見た顔が、あまりに綺麗すぎたのだ。
いや、今は見惚れている場合じゃない。
「あの、大丈夫でしょうか。お熱?」
声をかけて、額に手を当てる。
体温を測ろうとしたとき、それは鳴り響いた。
ぐぅ~ぐぅ~、と緊迫感とは無縁の音が――
……どうやらお腹の減りすぎで、倒れたらしい。
拍子抜けするが、とりあえずは一安心だ。
そして思わず、笑みを零してしまった。空腹ならば、いくらでも力になってあげられる。むしろ私の本分だ。
どうやら意識はあるらしいその殿方が起き上がるのを待って、私は声をかける。
「よっぽどお腹が空いてるみたいですわね」
「……君は、俺のことが怖くないのか」
「ええ、全然怖くないですけど」
よくわからないことを言うものだ。空腹で倒れている人のなにに恐怖を感じろと? ただただ心配なだけである。
「ごはんをお出ししますわ。とりあえず、中へどうぞ」
私はなかば強引に、彼を店に押し込んだ。
内部は、明日の開店に備えてバッチリ清掃済み。
とはいえ、店内を他の人に見せるのは初めてだ。若干こそばゆい気持ちになるけれど、すぐに、そんな場合じゃなかったと気を引き締める。
男性をカウンター席に通し、私は厨房へ急ぐ。
仕込みを済ませていた材料の中からいくつかを選び、早速調理を始めた。
極限までお腹を空かせた人がそこにいる。
ならば、できるだけ簡単に、そして素早くできるものがいい。
魔石を使って作ってもらった魔導コンロに、火をつける。
その上でスキレットを熱したら、まずはごま油。次いで玉ねぎ、にんにくと入れて、強火で炒めていく。それがあめ色に染まったところで、燻製鶏肉などの具材を追加した。
今回の節約は、ここが要だ。これらの具材、実は他の料理に使った材料の切れ端なのだ。残った切れ端をみじん切りにして使うことで、無駄な廃棄を減らし、かつ原価を抑えるわけである。
準備が整ったところで、主役のお米を投入。
炊いて、お夜食用に取っておいた分が、まだ残っていたのだ。
さらに、足元の箱を開ける。中からひんやりとした空気が溢れて、足首を撫でた。
魔石の力によって、内部を一定の温度に保つ便利道具、冷却箱だ。多少値は張るが、これも必需品である。
取り出したのは、鶏卵だ。
卵をホイッパーで軽く溶いてスキレットに流し入れれば、そこからは速さ勝負。煙とともに厨房に立ち込める香りを堪能しながら、スキレットを何度も揺する。
全体が黄金色に輝き出したら、仕上げは万能調味料のお醤油で。個人的な好みで、甘めのものを使う。
スキレットの縁からかければ、じゅうっと快感さえ覚える音と一緒に香ばしい匂いが立った。心が満たされていくのを感じつつ、料理をおたまの上にかき集め、平皿に返す。
付け合わせのスープ、サラダと一緒にお盆にのせ、差し出した。
「どうぞ、お上がりくださいな!」
「こ、これは一体? 見たこともない料理だが……」
美丈夫は首を傾げる姿さえ絵になる。
そんな彼には不釣り合いな料理かもしれないが、空腹にはもってこいのはずだ。
この料理も、昔モモに教わった。それ以来、もっとも繰り返し作ってきた料理かもしれない。私の大好物でもある、一品だ。
「チャーハンです。ニンニクを炒めて香りの移ったごま油が、卵とお米を包んで……。なんといってもこの食欲をそそる香りが絶品で、具材を変えても面白いんですけど、やっぱり基本は――」
あら、いけない。おしゃべりがすぎてしまった。
料理にも、お客様にも失礼にあたるわ!
それに、チャーハンなんて言ったって、異世界の料理名なのだから、たぶん呪文にしか聞こえない。
「食べれば、きっとわかります。どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」
「だ、だが! 俺はまだ料金も払っていないし、細かな身銭は別の者に持たせているのだが……」
困惑した顔になる、美丈夫。
お腹が空いて倒れるくらいだから、普段の暮らしも苦しいだろうに、この礼儀正しさだ。
うん、同じ貧乏人として、ますます放ってはおけない。
「お金なら心配いりません。無料で結構ですから」
「……しかし民からこのような施しを、受けるわけには」
「施しではありません。このお店、実は明日オープンなんですけど、事前に仮開店をしたほうがよかったかしら、なんて思っていたところなんです。おかげで明日のシミュレーションができましたわ」
本当の話である。
モモがいるとはいえ、一人で調理、提供、会計までをこなすことができるのか。直前になって、不安を感じていたから、いい予行演習になった。
「親切にしていただいたことは、大変ありがたいのだが……。やはり受け取れない」
「あ、もしかして毒とか心配していらっしゃる? それなら、私も同じものを食べますわ。お隣、失礼しても?」
彼が戸惑いつつも頷くので、自分の分もよそって、席に座る。
安全だと示すためにも、先に一すくい。
「うん、美味しいわね、我ながら!」
空腹というわけでもなかったのに、もっともっとと身体が求め出す。これが、チャーハンの持つ不思議な力だ。
醤油以外に目立った調味料は使わなかったが、燻製肉の塩気がいい仕事をしてくれていた。
また、お腹の鳴る音がする。
私じゃなく、隣の席からだ。彼は、かたくなに手をつけていなかった。
「どうぞ、遠慮なさらず!」
さぁさぁ、もう我慢ならないでしょ? 勝手につばが湧いてくるでしょ?
私がうずうずしていると、美麗な男性は、ためらいつつもスプーンを手にする。
「……では、お言葉に甘えて、いただこう」
恐る恐るといった風に口に運んだが、それは一口目だけだった。
「こんな美味しいもの、食べたことがない……」
目を輝かせて、呟くように言う。
「ありがとうございます。ちょっと調味料は凝ってますけど、あとは材料の掛け合わせを少し変えただけですよ」
「掛け合わせ、か。たしかに、米と炒めた卵の料理は目にしたことがない……が、不思議とあとを引く」
そう話す間も、山となっていたチャーハンをみるみるうちに崩していく。
「喉に詰まらせないよう気をつけてくださいね。スープもサラダもありますから」
そう声をかけるが、もう夢中になっているのか反応は返ってこなかった。
大きな男の人が、ごはんを豪快に食らう。
それだけでも素敵な絵なのに、この寡黙そうな美丈夫が自分の料理の虜になってくれているというのだから、まさに眼福だ。
にこーっと、にやにやっと、頬がゆるんでくる。
「そう見られると……食べにくいのだが」
はっ! つい見つめすぎてしまった……
幸福すぎて、時間の感覚を失っていたようだ。
「し、失礼いたしました! 他のものも食べてくださいね」
「すまない。普段、野菜はあまり食べないのだ」
「む、偏食ですか。ちゃんと取ったほうがいいですよ、お野菜は身体を整えてくれるんですから。それにお肉の旨みを引き立てる役割も――」
って! ああ、またやってしまった! これじゃあまるで、子供を諭す母じゃないのっ。
撤回しようとしたのだが、もう彼の口にはレタスが入っている。
素直に聞いてくれるとは、なんていい人なんでしょう。
しみじみしつつ、私も食べ進める。二人同時に、目の前の皿が空になった。
「こんなに美味しいものを食べたのは、初めてだ……」
「あら、さっきからそれしか言ってませんよ?」
好評なのは嬉しいけれど、いくらなんでも褒めすぎだ。
空腹すぎて、正確な評価ができていない可能性もある。
この街の人にどんな味付けが合うのか、引き続き調査がいりそうだ。
「あなたは……店主さんのお名前は?」
「あ。私は、アメリア・ベリーって言います」
万が一知られていたら困るので、苗字は一部伏せておく。
「アメリアは、ここの出身じゃないだろう。こんな料理、見たこともない。俺は仕事柄、他の地域にもよく行くが、このようなものはどこにも……」
やっぱり、そこは突っ込まれるか。
私はできるだけ平静を装って、用意していた言い訳を返す。
「私、とっても田舎の街の出身なんです。そこでは普通に食べられているんですよ」
これ以上を聞かれたら、記憶にございません、で通す予定だ。つまり、設定がガバガバなのだけど……
「そうか。いや、すまなかった、踏み込んだことを聞いてしまったこと、お詫びする」
こう素直に謝られると、なんだか胸が痛むが仕方ない。
貴族の出で、妙な精霊獣を召喚できるということは、どうしても伏せておきたかった。
そもそも調味料――特に香辛料は、物によってはかなり高額で取引される。それを生成できると知られれば、変な貴族に目をつけられて商売道具にされないとも限らない。
私は、フツーの庶民として人生をやり直したいのだ。
あくまで一般人、ただの料理屋の店主でいたい。
「アメリア、と言ったな。お詫びと礼を兼ねて、ぜひとも今度、なにか返させていただきたい」
「いえいえ、結構ですよ、これぐらい。ありあわせですし」
「……いや、しかし。そういうわけにはいくまい。与えてもらったら返すのが当然だろう」
そんな理想論を言えるなんて、なんて誠実な人なのだろう。
だが、私としては与えたというほどの感覚もない。
なおも固辞するが、まだ食い下がられる。
「せめて皿だけでも洗わせてくれないだろうか」
「それも大丈夫です。そこまで含めて、明日のための練習ですから! 店主の務めですよ」
それに、魔法を使えば皿洗いくらい、さくっと終わる。もともと不要な手間で、お客人の手を煩わせるわけにはいかない。
しばらく同じような問答が続く。
両者変な意地を張り合っての結果は、私の寄り切り、粘り勝ちに終わった。
「また、いらしてください。えっと」
「オスカーだ。また必ず来る」
「ええ、お待ちしています、オスカーさん。あ! 今度はお金をもらいますよ?」
退店の際、私は冗談まじりに言う。
「もちろんだ。金でも、土地でも、好きなものをなんでも取らせよう。この家を建て替えるのだって構わない。本当に助かった。そしてなによりとても美味しかった」
オスカーさんは、真顔で言っていたが、建て替えなんておおげさだ。
その表情からはまったく読み取れなかったけれど、どうやら冗談を返してくれたらしい。
お腹を空かせて倒れるような貧乏人でも、心は豊か。
なんと素敵なことでしょう! 私も見習わなくては。
私は、彼の後ろ姿を、店の前で見送る。
そこでやっと、お店を開くんだ、という実感が湧いた。充実感たっぷりだ。記念すべき最初のお客様が、彼でよかった。
◇
心待ちにしていた朝のはずだった。
けれど、鏡の前に立つ私は目の下にクマを作ったうえに髪もぼさぼさ、魂が四分の三ぐらい抜けていそうな有様だ。
昨夜はなかなか眠れなかった。
この一週間、いや、長い間ずっと夢に見続けて、ようやくこぎ着けた開店日だ。
緊張も、興奮もしないわけがない。
「アメに付き合ってボクまで寝不足だよ」
「ごめんね、モモ。でも、いてくれてありがとう。おかげで変に悩まずに済んだわ」
随分遅くに寝て、かなりの早起きをしてしまった。
まだ開店まで時間はあるが、二度寝など到底できそうにない。
私は、モモへのお詫びも兼ねて、とびきりの朝ごはんを用意することにした。
どんなメニューにしようかしら。
考えを巡らせながら、朝支度を済ませていく。
着替えて顔を洗ったら、すぐに一階に下りた。
基本的に、二階が居住用で、一階が店舗用と用途は分けてある。
けれど、厨房だけは話が別だ。なんでも揃っているのに、利用しない手はない。
冷却箱の中から野菜を見繕って、頭の中でレシピを組み上げていく。
「……さすがだね、アメ。これを今考えついたのかい?」
「まぁね、でもちょっとしたアレンジよ」
完成させたのは、じゃがいもサンドだ。
マッシュしたポテト、茹で卵、チーズを和えた具をたっぷりパンに挟んで、軽くオーブンで焼いたものである。
もちろん、切り落としたパンの耳を捨てるなんてことはしない。カリカリの揚げ焼きにすれば、コーンスープに浸して食べるディップスティックに大変身だ。
あとは、簡単なサラダでも作って添えれば、立派な朝食になる。
「うん、胡椒もよくきいてて美味しいね。これで全回復だよ~!」
モモは、小さな身体と比べて、かなり大きいパンをあっという間に胃に収める。
調味料生成が特技だけあって、彼は食に目がないのだ。
「あっ、髭に少しついてるわよ」
「嘘、ボクとしたことが……! どこ? わからないよ」
そしてドジでもある。
そんなところも、犬のような姿のせいか、とても愛らしく感じる。
私はふきんを手にして、彼の顔をぬぐう。
ついでに、朝のふかふか時間を堪能させてもらった。
精霊獣召喚は、なごみたいときにも有用な魔法だ。まだまだ時間は余っていたので、膝に乗せて櫛で毛並みを整える。
そのうちに、私も元気が出てきた。
鏡でよくなった顔色を確認してから、開店準備に取りかかる。
開店時刻の少し前、私はもう堪えきれなくなった。昼用の『本日のお品書き』を記した板を、持って外に出る。
店の前に置いた椅子に立て掛けると、ついにその瞬間がきた。
「ごはんどころ・ベリーハウス、開店です!」
が――
腰に手を当て堂々宣言した私の声に、誰も応えなかった。
正確に言うと、店の前の路地には人っ子一人おらず、しーんとしている。
……初日なのに、お客さんが一人もいない?
よくよく考えれば、ありえない話じゃない。
ここは街の奥まったところにあるし、店が認知されていない可能性だって大いにありえる!
一応、予めビラ配りもしたのだけれど、辺鄙な場所だから見向きもされなかったのかもしれない。
一度、作戦を立て直す必要があるのかも……
しょぼんとして引き返そうとしたとき、建物の陰に隠れるようにして立っている男の人が目に入った。
その手には、私の作ったチラシがある。
なかば反射的に、私はその人にずいずい近寄っていった。
「もしかして、私のお店に来てくれたんですか?」
「あ、はい、このあたりのお店を巡ってまして……」
「じゃあ、ぜひ! 怪しいお店では、決してないので!」
私は、笑顔を作って、腕で店を示す。
こういった勧誘や接客は、社交界での経験が生きそうだ。
しかし、その男の人はまだ躊躇っているようだ。
「かなりお若いですけど、店主さんですよね。あ、あの、一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、店主ですよ。なんなりと、どうぞ!」
「……超お得料理って、いったいどんなものが……?」
あー、その段階から?
思わず、おでこをぺしっと叩きたくなる。
たしかに、あまり『お得』を売りにすると、逆に質素なごはんが出てくるんじゃないかと不安になるかも。
「そのあたりは、食べていただければわかりますよ。お代が安くとも、きっとご満足いただけます。お昼はなんと五百エリンからです」
「五百⁉ そ、それはたしかに格安ですね」
そうでしょうとも。
このあたりのお昼の相場が八百エリン程度であることは、調べ済みだ。
五百エリンは、この国・ベルク王国の通貨にしたらワンコイン。それでもお客さんがある程度来れば、十分に利益は出せるはずだ。損得勘定は、得意中の得意と胸を張れる。
どうせ夢の料理屋をやるのなら、できるだけ多くの人に食べてもらいたい。
その思いから、かなり安めの設定にしたのだ。
「さ、さ! 中へどうぞ。色々なものを取り揃えてますよ。あっさりなら、卵と香味豚のおろしパスタ! お洒落にいくなら、バジルピザもあります。あ。がっつりいきたいなら、ローストチキンなんてものも……」
色々とレパートリーはあるから、メニューは日替わりでやるつもりだ。
今日は初日ということで、この国の人なら誰にとっても馴染み深いだろうものを選んだ。
「は、入りますから! 顔がち、近いです、店主さん、ひぃっ」
「……あ」
私ったら、また失態である。
売り込みたい気持ちから、つい先走ってしまった。
なぜか顔を赤くしつつも、その人は私のあとについて入店してくれる。
注文されたのは、卵と香味豚のおろしパスタだった。聞けば、一家全員、卵料理には目がないのだとか。
このメニューも、もちろん原価は抑えて作ってある。
豚は、安い部分を仕入れた細切れ肉だし、全体の嵩を増やすのは、キャベツだ。パスタを茹でている鍋に時間差で投入することで行程を減らす工夫も凝らした。
茹で汁も無駄にはせず、それをもとにパスタソースを作る。
味の決め手は、最後にかける香味だれだ。
味見をしたモモが自慢げに鼻を鳴らす。
「うん、お酢の悪いところが出てない。いい塩梅になったよ。さすがボクだね」
「も、モモ! 話すのはいいけど、少し控えめに喋ってよね」
お客様に見つかったら犬が話していると驚かれるばかりか、精霊を召喚していることから私の身分が貴族とばれてしまう可能性もある。
私はモモを背中に隠しつつ、野菜のみじん切りをオリーブオイルでじっくり炒めていく。最後に調味料と混ぜ合わせれば、もう完成!
色味も鮮やかで、香辛料がかぐわしい一品である。
付け合わせは、ポテトのポタージュと、キャベツの酢漬け。朝、私が食べたジャガイモは、このスープを作った際の余りだ。
やっぱり節約の基本は、残り物を無駄にしないことよね!
さて、反応のほどは…………
「えっ、あの、どうされました?」
お客様は一口食べると、雷に打たれたかのようにびくっと身体を震わせ、その後フォークをくわえたまま、固まってしまった。長い沈黙のあと、ぎゅうっと目を瞑り――
「革命的に美味いっ‼」
野生動物さえ逃げ出しそうな魂の叫び。
「こちらこそだよ、アメ。ボクは君の眷属みたいなもの、どこまでも君についていくだけさ。アメは可愛いし、器量もいいし、世界一の料理人になれる素質もあるしね」
「それは褒めすぎよ。私はちょっと料理が好きなだけ」
「いいや、嘘は一つも言ってないよ。これまでさんざん耐えてきたんだ、アメは幸せになるべきさ」
モモは私の肩に前脚をかけ、後ろ脚を上手いこと折って、ふわりと乗る。
鼻を寄せられたので、信頼の証かしらと嬉しくなり、頬ずりを返した。
まるで綿毛のように、ふわっふわの毛だ。お手軽に幸せ気分になれる。
しばらく肉球をフニフニさせてもらったり、戯れたりした。
満足したのち、家に入った私は荷ほどきをはじめた。そして、ある物を引っ張り出し、扉の外に吊り下げにいく。
店の目印であり、象徴となる看板だ。
そこには、大きな字で店の名前『ごはんどころ・ベリーハウス』と記されている。そして、その横に、『安くておいしい超お得料理、ご用意しています』と書いた。
節約により値段を抑えた料理。これが、この店の要だ。
張り切ってお洒落な店にするより、慣れているものを売りにしたほうがうまくいくだろうという考えだった。
嵩を増したり、材料を安いもので代用したり、裏技を使ったり――実家の厳しい財布事情もあって、『節約ごはん』はお手の物なのだ。
そうして安価で提供することで、たくさんの人に来てもらいたい――そんな思いもあった。
さらに、珍しいコンセプトで話題になりやすいのではという戦略的な思惑もある。
看板を色々な角度から見つめたあと、私は両方の拳を握りしめた。
「あー、盛り上がってきたかも! 早くごはん作りたいっ」
「アメったら。まだ開店日じゃないのに、気が早いよ」
「いいのよ。それだけやる気になっているってことなんだから」
さて、ここからが始まりだ。
新しい街で、新しい私として、誰もが羨むような素敵な生活を送ってやる!
◇
それから私は、くる日もくる日も開店準備に励んだ。
といっても、調理器具や家具などは既に届けてもらっていたし、下見の際にある程度の配置も決めてあったので、一週間ほどで、用意は終わった。
一人だけの生活にも慣れてきて、いよいよ大詰め。
開店を明日に控えた夜のことであった。
「わっ、綺麗な顔…………」
つい、呟いてから慌てて口を押さえる。
店の外観を再度確認しようと外に出たとき、一人の男性に出会ったのだ。
よくできた彫刻みたいだ――そう思った。それもたぶん貴族の家の保管庫に大事に仕舞われる、一級品。公開されようものなら、たちまちみんなの話題をさらうだろう彫刻だ。
それくらい、揺るぎない美しさだった。
地味な黒の服を着ていても、それは決して褪せない。
神様が描いたとしか思えないほど絶妙な輪郭と、そこに収まるキリリとした相貌、青みがかった海のような色の髪。若干、強面にも見えるが、そこを含めて完成されている。
さらに、細身ながらも高身長だ。私より、頭二つ分くらいは高い。
彼ほどの美形には、これまで幾度となく参加してきた貴族たちの社交の場でも、出会ったことがない。
そんな美しい男の人が、なぜか私の店の前で立ち尽くしている。
どうしたんだろう、と首を傾げた瞬間、がさりという音を立てて、彼は視界から消えた。
「……え?」
慌ててあたりを見回すと、なんと彼が地面に崩れ落ちているではないか。
意表をつかれた私は、遅れて腰を下ろし彼の肩を揺する。
その際、つい彼の顔をまじまじとのぞき込んでしまって、ちょっと息が止まった。
間近で見た顔が、あまりに綺麗すぎたのだ。
いや、今は見惚れている場合じゃない。
「あの、大丈夫でしょうか。お熱?」
声をかけて、額に手を当てる。
体温を測ろうとしたとき、それは鳴り響いた。
ぐぅ~ぐぅ~、と緊迫感とは無縁の音が――
……どうやらお腹の減りすぎで、倒れたらしい。
拍子抜けするが、とりあえずは一安心だ。
そして思わず、笑みを零してしまった。空腹ならば、いくらでも力になってあげられる。むしろ私の本分だ。
どうやら意識はあるらしいその殿方が起き上がるのを待って、私は声をかける。
「よっぽどお腹が空いてるみたいですわね」
「……君は、俺のことが怖くないのか」
「ええ、全然怖くないですけど」
よくわからないことを言うものだ。空腹で倒れている人のなにに恐怖を感じろと? ただただ心配なだけである。
「ごはんをお出ししますわ。とりあえず、中へどうぞ」
私はなかば強引に、彼を店に押し込んだ。
内部は、明日の開店に備えてバッチリ清掃済み。
とはいえ、店内を他の人に見せるのは初めてだ。若干こそばゆい気持ちになるけれど、すぐに、そんな場合じゃなかったと気を引き締める。
男性をカウンター席に通し、私は厨房へ急ぐ。
仕込みを済ませていた材料の中からいくつかを選び、早速調理を始めた。
極限までお腹を空かせた人がそこにいる。
ならば、できるだけ簡単に、そして素早くできるものがいい。
魔石を使って作ってもらった魔導コンロに、火をつける。
その上でスキレットを熱したら、まずはごま油。次いで玉ねぎ、にんにくと入れて、強火で炒めていく。それがあめ色に染まったところで、燻製鶏肉などの具材を追加した。
今回の節約は、ここが要だ。これらの具材、実は他の料理に使った材料の切れ端なのだ。残った切れ端をみじん切りにして使うことで、無駄な廃棄を減らし、かつ原価を抑えるわけである。
準備が整ったところで、主役のお米を投入。
炊いて、お夜食用に取っておいた分が、まだ残っていたのだ。
さらに、足元の箱を開ける。中からひんやりとした空気が溢れて、足首を撫でた。
魔石の力によって、内部を一定の温度に保つ便利道具、冷却箱だ。多少値は張るが、これも必需品である。
取り出したのは、鶏卵だ。
卵をホイッパーで軽く溶いてスキレットに流し入れれば、そこからは速さ勝負。煙とともに厨房に立ち込める香りを堪能しながら、スキレットを何度も揺する。
全体が黄金色に輝き出したら、仕上げは万能調味料のお醤油で。個人的な好みで、甘めのものを使う。
スキレットの縁からかければ、じゅうっと快感さえ覚える音と一緒に香ばしい匂いが立った。心が満たされていくのを感じつつ、料理をおたまの上にかき集め、平皿に返す。
付け合わせのスープ、サラダと一緒にお盆にのせ、差し出した。
「どうぞ、お上がりくださいな!」
「こ、これは一体? 見たこともない料理だが……」
美丈夫は首を傾げる姿さえ絵になる。
そんな彼には不釣り合いな料理かもしれないが、空腹にはもってこいのはずだ。
この料理も、昔モモに教わった。それ以来、もっとも繰り返し作ってきた料理かもしれない。私の大好物でもある、一品だ。
「チャーハンです。ニンニクを炒めて香りの移ったごま油が、卵とお米を包んで……。なんといってもこの食欲をそそる香りが絶品で、具材を変えても面白いんですけど、やっぱり基本は――」
あら、いけない。おしゃべりがすぎてしまった。
料理にも、お客様にも失礼にあたるわ!
それに、チャーハンなんて言ったって、異世界の料理名なのだから、たぶん呪文にしか聞こえない。
「食べれば、きっとわかります。どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」
「だ、だが! 俺はまだ料金も払っていないし、細かな身銭は別の者に持たせているのだが……」
困惑した顔になる、美丈夫。
お腹が空いて倒れるくらいだから、普段の暮らしも苦しいだろうに、この礼儀正しさだ。
うん、同じ貧乏人として、ますます放ってはおけない。
「お金なら心配いりません。無料で結構ですから」
「……しかし民からこのような施しを、受けるわけには」
「施しではありません。このお店、実は明日オープンなんですけど、事前に仮開店をしたほうがよかったかしら、なんて思っていたところなんです。おかげで明日のシミュレーションができましたわ」
本当の話である。
モモがいるとはいえ、一人で調理、提供、会計までをこなすことができるのか。直前になって、不安を感じていたから、いい予行演習になった。
「親切にしていただいたことは、大変ありがたいのだが……。やはり受け取れない」
「あ、もしかして毒とか心配していらっしゃる? それなら、私も同じものを食べますわ。お隣、失礼しても?」
彼が戸惑いつつも頷くので、自分の分もよそって、席に座る。
安全だと示すためにも、先に一すくい。
「うん、美味しいわね、我ながら!」
空腹というわけでもなかったのに、もっともっとと身体が求め出す。これが、チャーハンの持つ不思議な力だ。
醤油以外に目立った調味料は使わなかったが、燻製肉の塩気がいい仕事をしてくれていた。
また、お腹の鳴る音がする。
私じゃなく、隣の席からだ。彼は、かたくなに手をつけていなかった。
「どうぞ、遠慮なさらず!」
さぁさぁ、もう我慢ならないでしょ? 勝手につばが湧いてくるでしょ?
私がうずうずしていると、美麗な男性は、ためらいつつもスプーンを手にする。
「……では、お言葉に甘えて、いただこう」
恐る恐るといった風に口に運んだが、それは一口目だけだった。
「こんな美味しいもの、食べたことがない……」
目を輝かせて、呟くように言う。
「ありがとうございます。ちょっと調味料は凝ってますけど、あとは材料の掛け合わせを少し変えただけですよ」
「掛け合わせ、か。たしかに、米と炒めた卵の料理は目にしたことがない……が、不思議とあとを引く」
そう話す間も、山となっていたチャーハンをみるみるうちに崩していく。
「喉に詰まらせないよう気をつけてくださいね。スープもサラダもありますから」
そう声をかけるが、もう夢中になっているのか反応は返ってこなかった。
大きな男の人が、ごはんを豪快に食らう。
それだけでも素敵な絵なのに、この寡黙そうな美丈夫が自分の料理の虜になってくれているというのだから、まさに眼福だ。
にこーっと、にやにやっと、頬がゆるんでくる。
「そう見られると……食べにくいのだが」
はっ! つい見つめすぎてしまった……
幸福すぎて、時間の感覚を失っていたようだ。
「し、失礼いたしました! 他のものも食べてくださいね」
「すまない。普段、野菜はあまり食べないのだ」
「む、偏食ですか。ちゃんと取ったほうがいいですよ、お野菜は身体を整えてくれるんですから。それにお肉の旨みを引き立てる役割も――」
って! ああ、またやってしまった! これじゃあまるで、子供を諭す母じゃないのっ。
撤回しようとしたのだが、もう彼の口にはレタスが入っている。
素直に聞いてくれるとは、なんていい人なんでしょう。
しみじみしつつ、私も食べ進める。二人同時に、目の前の皿が空になった。
「こんなに美味しいものを食べたのは、初めてだ……」
「あら、さっきからそれしか言ってませんよ?」
好評なのは嬉しいけれど、いくらなんでも褒めすぎだ。
空腹すぎて、正確な評価ができていない可能性もある。
この街の人にどんな味付けが合うのか、引き続き調査がいりそうだ。
「あなたは……店主さんのお名前は?」
「あ。私は、アメリア・ベリーって言います」
万が一知られていたら困るので、苗字は一部伏せておく。
「アメリアは、ここの出身じゃないだろう。こんな料理、見たこともない。俺は仕事柄、他の地域にもよく行くが、このようなものはどこにも……」
やっぱり、そこは突っ込まれるか。
私はできるだけ平静を装って、用意していた言い訳を返す。
「私、とっても田舎の街の出身なんです。そこでは普通に食べられているんですよ」
これ以上を聞かれたら、記憶にございません、で通す予定だ。つまり、設定がガバガバなのだけど……
「そうか。いや、すまなかった、踏み込んだことを聞いてしまったこと、お詫びする」
こう素直に謝られると、なんだか胸が痛むが仕方ない。
貴族の出で、妙な精霊獣を召喚できるということは、どうしても伏せておきたかった。
そもそも調味料――特に香辛料は、物によってはかなり高額で取引される。それを生成できると知られれば、変な貴族に目をつけられて商売道具にされないとも限らない。
私は、フツーの庶民として人生をやり直したいのだ。
あくまで一般人、ただの料理屋の店主でいたい。
「アメリア、と言ったな。お詫びと礼を兼ねて、ぜひとも今度、なにか返させていただきたい」
「いえいえ、結構ですよ、これぐらい。ありあわせですし」
「……いや、しかし。そういうわけにはいくまい。与えてもらったら返すのが当然だろう」
そんな理想論を言えるなんて、なんて誠実な人なのだろう。
だが、私としては与えたというほどの感覚もない。
なおも固辞するが、まだ食い下がられる。
「せめて皿だけでも洗わせてくれないだろうか」
「それも大丈夫です。そこまで含めて、明日のための練習ですから! 店主の務めですよ」
それに、魔法を使えば皿洗いくらい、さくっと終わる。もともと不要な手間で、お客人の手を煩わせるわけにはいかない。
しばらく同じような問答が続く。
両者変な意地を張り合っての結果は、私の寄り切り、粘り勝ちに終わった。
「また、いらしてください。えっと」
「オスカーだ。また必ず来る」
「ええ、お待ちしています、オスカーさん。あ! 今度はお金をもらいますよ?」
退店の際、私は冗談まじりに言う。
「もちろんだ。金でも、土地でも、好きなものをなんでも取らせよう。この家を建て替えるのだって構わない。本当に助かった。そしてなによりとても美味しかった」
オスカーさんは、真顔で言っていたが、建て替えなんておおげさだ。
その表情からはまったく読み取れなかったけれど、どうやら冗談を返してくれたらしい。
お腹を空かせて倒れるような貧乏人でも、心は豊か。
なんと素敵なことでしょう! 私も見習わなくては。
私は、彼の後ろ姿を、店の前で見送る。
そこでやっと、お店を開くんだ、という実感が湧いた。充実感たっぷりだ。記念すべき最初のお客様が、彼でよかった。
◇
心待ちにしていた朝のはずだった。
けれど、鏡の前に立つ私は目の下にクマを作ったうえに髪もぼさぼさ、魂が四分の三ぐらい抜けていそうな有様だ。
昨夜はなかなか眠れなかった。
この一週間、いや、長い間ずっと夢に見続けて、ようやくこぎ着けた開店日だ。
緊張も、興奮もしないわけがない。
「アメに付き合ってボクまで寝不足だよ」
「ごめんね、モモ。でも、いてくれてありがとう。おかげで変に悩まずに済んだわ」
随分遅くに寝て、かなりの早起きをしてしまった。
まだ開店まで時間はあるが、二度寝など到底できそうにない。
私は、モモへのお詫びも兼ねて、とびきりの朝ごはんを用意することにした。
どんなメニューにしようかしら。
考えを巡らせながら、朝支度を済ませていく。
着替えて顔を洗ったら、すぐに一階に下りた。
基本的に、二階が居住用で、一階が店舗用と用途は分けてある。
けれど、厨房だけは話が別だ。なんでも揃っているのに、利用しない手はない。
冷却箱の中から野菜を見繕って、頭の中でレシピを組み上げていく。
「……さすがだね、アメ。これを今考えついたのかい?」
「まぁね、でもちょっとしたアレンジよ」
完成させたのは、じゃがいもサンドだ。
マッシュしたポテト、茹で卵、チーズを和えた具をたっぷりパンに挟んで、軽くオーブンで焼いたものである。
もちろん、切り落としたパンの耳を捨てるなんてことはしない。カリカリの揚げ焼きにすれば、コーンスープに浸して食べるディップスティックに大変身だ。
あとは、簡単なサラダでも作って添えれば、立派な朝食になる。
「うん、胡椒もよくきいてて美味しいね。これで全回復だよ~!」
モモは、小さな身体と比べて、かなり大きいパンをあっという間に胃に収める。
調味料生成が特技だけあって、彼は食に目がないのだ。
「あっ、髭に少しついてるわよ」
「嘘、ボクとしたことが……! どこ? わからないよ」
そしてドジでもある。
そんなところも、犬のような姿のせいか、とても愛らしく感じる。
私はふきんを手にして、彼の顔をぬぐう。
ついでに、朝のふかふか時間を堪能させてもらった。
精霊獣召喚は、なごみたいときにも有用な魔法だ。まだまだ時間は余っていたので、膝に乗せて櫛で毛並みを整える。
そのうちに、私も元気が出てきた。
鏡でよくなった顔色を確認してから、開店準備に取りかかる。
開店時刻の少し前、私はもう堪えきれなくなった。昼用の『本日のお品書き』を記した板を、持って外に出る。
店の前に置いた椅子に立て掛けると、ついにその瞬間がきた。
「ごはんどころ・ベリーハウス、開店です!」
が――
腰に手を当て堂々宣言した私の声に、誰も応えなかった。
正確に言うと、店の前の路地には人っ子一人おらず、しーんとしている。
……初日なのに、お客さんが一人もいない?
よくよく考えれば、ありえない話じゃない。
ここは街の奥まったところにあるし、店が認知されていない可能性だって大いにありえる!
一応、予めビラ配りもしたのだけれど、辺鄙な場所だから見向きもされなかったのかもしれない。
一度、作戦を立て直す必要があるのかも……
しょぼんとして引き返そうとしたとき、建物の陰に隠れるようにして立っている男の人が目に入った。
その手には、私の作ったチラシがある。
なかば反射的に、私はその人にずいずい近寄っていった。
「もしかして、私のお店に来てくれたんですか?」
「あ、はい、このあたりのお店を巡ってまして……」
「じゃあ、ぜひ! 怪しいお店では、決してないので!」
私は、笑顔を作って、腕で店を示す。
こういった勧誘や接客は、社交界での経験が生きそうだ。
しかし、その男の人はまだ躊躇っているようだ。
「かなりお若いですけど、店主さんですよね。あ、あの、一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、店主ですよ。なんなりと、どうぞ!」
「……超お得料理って、いったいどんなものが……?」
あー、その段階から?
思わず、おでこをぺしっと叩きたくなる。
たしかに、あまり『お得』を売りにすると、逆に質素なごはんが出てくるんじゃないかと不安になるかも。
「そのあたりは、食べていただければわかりますよ。お代が安くとも、きっとご満足いただけます。お昼はなんと五百エリンからです」
「五百⁉ そ、それはたしかに格安ですね」
そうでしょうとも。
このあたりのお昼の相場が八百エリン程度であることは、調べ済みだ。
五百エリンは、この国・ベルク王国の通貨にしたらワンコイン。それでもお客さんがある程度来れば、十分に利益は出せるはずだ。損得勘定は、得意中の得意と胸を張れる。
どうせ夢の料理屋をやるのなら、できるだけ多くの人に食べてもらいたい。
その思いから、かなり安めの設定にしたのだ。
「さ、さ! 中へどうぞ。色々なものを取り揃えてますよ。あっさりなら、卵と香味豚のおろしパスタ! お洒落にいくなら、バジルピザもあります。あ。がっつりいきたいなら、ローストチキンなんてものも……」
色々とレパートリーはあるから、メニューは日替わりでやるつもりだ。
今日は初日ということで、この国の人なら誰にとっても馴染み深いだろうものを選んだ。
「は、入りますから! 顔がち、近いです、店主さん、ひぃっ」
「……あ」
私ったら、また失態である。
売り込みたい気持ちから、つい先走ってしまった。
なぜか顔を赤くしつつも、その人は私のあとについて入店してくれる。
注文されたのは、卵と香味豚のおろしパスタだった。聞けば、一家全員、卵料理には目がないのだとか。
このメニューも、もちろん原価は抑えて作ってある。
豚は、安い部分を仕入れた細切れ肉だし、全体の嵩を増やすのは、キャベツだ。パスタを茹でている鍋に時間差で投入することで行程を減らす工夫も凝らした。
茹で汁も無駄にはせず、それをもとにパスタソースを作る。
味の決め手は、最後にかける香味だれだ。
味見をしたモモが自慢げに鼻を鳴らす。
「うん、お酢の悪いところが出てない。いい塩梅になったよ。さすがボクだね」
「も、モモ! 話すのはいいけど、少し控えめに喋ってよね」
お客様に見つかったら犬が話していると驚かれるばかりか、精霊を召喚していることから私の身分が貴族とばれてしまう可能性もある。
私はモモを背中に隠しつつ、野菜のみじん切りをオリーブオイルでじっくり炒めていく。最後に調味料と混ぜ合わせれば、もう完成!
色味も鮮やかで、香辛料がかぐわしい一品である。
付け合わせは、ポテトのポタージュと、キャベツの酢漬け。朝、私が食べたジャガイモは、このスープを作った際の余りだ。
やっぱり節約の基本は、残り物を無駄にしないことよね!
さて、反応のほどは…………
「えっ、あの、どうされました?」
お客様は一口食べると、雷に打たれたかのようにびくっと身体を震わせ、その後フォークをくわえたまま、固まってしまった。長い沈黙のあと、ぎゅうっと目を瞑り――
「革命的に美味いっ‼」
野生動物さえ逃げ出しそうな魂の叫び。
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