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第三章 隕石が産まれるの
67 貞操帝
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もう日は暮れて当たりは真っ暗になっている。
「え、やだよ、なんか怖い」
ミーシアが、黒いおかっぱを揺らして首を横に振る。
焚き火に照らされたその顔を見ると、やっぱり皇帝陛下なんだな、と思わせるような高貴な雰囲気があった。
奴隷の格好をしているっていうのに、どこか空気が違うような気がする。
単なる俺の思い込みのせいかもしれんけどな。
俺たちは街道沿いで野宿をしていた。
野宿、といっても、完全になにもないところというわけじゃない。
草原がある程度の広さに整地され、井戸もあり、馬に水を飲ませる水場もある。
かまどまで用意され、雨露をしのぐための木で組まれた粗末な東屋みたいなものもいくつかある。
街道を行き来する人々のための、いわばキャンプ場みたいなところだ。
ただ、俺たちの他には誰もいなくて寂しい限りだ。
「こっちの街道は細いし、あまり使われてないのよね。西に行くには遠回りだし、山中や森林を通る場所も多くて危険だし。もう一本南にある街道が、軍を行き来させるために整備された街道で、そっちがメインなのよ。そっちだともっと賑やかなんだけど、あんまり人目につく道を行かないほうがいいでしょ」
とはヴェルの言葉だ。
そのヴェルが、千枚通しみたいなのをミーシアに渡そうとしているのだが、
「だからやだってば。自分でやってよ」
ミーシアは頑として受け取らない。
「鏡がないのよね、うーん。仕方がないわ、エージ、あんたがやってよ」
ヴェルは千枚通しを俺に渡す。
柄が俺の手の中にすっぽり入るくらいの小さいものだ。
「なんだよ、これどうするんだよ」
「うん、あたしの耳たぶにね、穴を開けて欲しいのよ」
「はあ? なんで?」
「ほら、これ」
ヴェルが手のひらにのせて俺に見せたのは、赤く輝く、小さな宝石だった。
「これ……ラスカスの聖石か……?」
男が産まれないこの世界で、女性同士で子供をつくるための宝石。
たしか、産まれた時に耳に埋め込んで、その状態で十数年たつと、本人のマナを蓄えたこの聖石は碧く変化し、それを他の女性の子宮に埋め込むと子供ができる、という仕組みだったはずだな。
でも、一人の人間が碧く変化させることのできるラスカスの聖石は二つまでだったはず。
ヴェルの両耳にはすでに聖石が埋め込まれている。
「なんでいまさら?」
俺が訊くと、
「……これね、ヴァネッサの聖石なの」
ああ、そうか。
リューシアに殺されて耳を切られた、ヴェルの従姉妹。
俺がリューシアを倒したことで、その耳を取り戻すことができたのだ。
「もうヴァネッサのマナをある程度吸ってるからさ、今さらあたしの耳に埋め込んでも何の効果もないわ。だから、ね。ほら。ずっと一緒にいたいじゃない。ひとつはきちんとヴァネッサの家族に返して丁重に弔うわ」
「そうか」
「うん。だから、お願い」
俺は千枚通しを受け取る。ヴェルが髪をかきあげ、左の耳を俺に差し出す。
「この辺でいいか?」
「任せるわ」
針の先端を少し火であぶってからヴェルの耳たぶにそれを突き刺す。
うーん、耳とはいえ、他人の肉を針で突き刺すこの感触……。
あんまりいいもんでもないな。
でも本人は痛がりもせず平気な顔をしているので、俺も平静を装った。
穴が開いたらミーシアと交代する。
ミーシアが何か詠唱しながら聖石をヴェルの耳に埋め込んでいく。
「どう、ミーシア、うまくいった?」
「うん、綺麗に埋め込めたよ」
「そ、よかったわ」
「痛くない?」
「大丈夫よ。それよりミーシア、寒くない? あっためてあげようか?」
それを聞いてミーシアはぱっと顔を明るくして目を輝かせ、
「うん!」
と笑顔でヴェルに抱きつき、そしてぐりぐりと顔をヴェルの胸におしつけた。
「あーもうくすぐったいなあ」
「へへへ、ヴェルってほんのすこおしだけ、お胸、大きくなったよね」
「あんただってそのうちおっきくなるわよ。……あ、こら、揉むんじゃない!」
「へへー、きんもちいー」
うん、こういう百合要素、俺は嫌いじゃないぜ。
あと俺も揉みたい。ヴェルのは弾力があってまじで気持ちいいんだよなー。
ミーシアはしばらくヴェルの身体を堪能したあと、満足したのか地面にあぐらをかいて座るヴェルの股ぐらを枕にして横になり、
「んーヴェルの匂いってほっとするよねー」
などと言っていたが、そのうち寝息を立て始めた。
皇帝陛下はほんとにヴェルのことが好きなんだな。
っていうかヴェルのお股は安心する香りなのか、そうか、ふーん、へー。匂いにも興味があるけど、それより、
「味の方はどうなんだろう……」
おわっ、やべえ、ついつい心の声がっ!
「ん? なにかいった?」
じろりと俺を睨むヴェル。
「いやさっき食べた腸詰めおいしかったなあって」
「あ、そう、数に限りがあるからね、大事に消費しないと。……あの妹奴隷、その辺をちゃんと教育しておきなさいよ、まじで」
そしてミーシアの寝顔に視線を落とすヴェル。
帝国最強の女騎士は、やさしい笑みを浮かべて、君主にして親友の髪の毛を撫でる。
しばらくそうしていると、
「……いっぱい死んだわ」
ぽつりと、ヴェルが呟いた。
「あたしのために、いっぱい死んだ。ヴァネッサだけじゃない、あたしの初陣は四年前、十三歳の時だった、それからというものずっと闘いつづけて、殺して殺されてさ。麻痺しちゃいそうなの。ヴァネッサには悪いことをしたわ。いつかあたしが向こうにいったとき、ちゃんと謝らないとね。戦いしか知らない騎士に産まれて、ほんと、難儀な商売だって思うこともたまにはあるわ……ね、エージ、ニホンって、今は平和だったんでしょ? それってどんな感じ?」
訊かれて、別になんの考えもなしに俺の口から言葉が出る。
「毎年三万人が自殺してた」
「…………うわぁ…………三年で帝国の主力軍が全滅する数ね……十年ちょっとあればあたしの領内の人間全滅だわ……」
「平和だからといって人間みんな幸せなわけじゃないからな」
国家の命運をかけた戦いだった日露戦争で、日本側の死者は八万四千人ほどだった。
平和だ平和だいうけど、三年で日露戦争以上の死者を出しているんだよな。
戦死者を多数出したことで有名な旅順攻囲戦でも一万五千人。
一年でその二倍が自殺してる。
平和でもなんでもない、戦時だよこんなの。
ま、自殺率ってのは、平和なときほど高くなるし、この世界みたいに殺伐としていると低くなるものだけどな。
戦乱の中で死にたくないと思いながら死ぬのと、平和の中で死にたいと思って死ぬのと、どっちがマシなんだろうか。
正直、俺にはよくわからん。
「誇りある死なら、絶望にまみれた自殺よりもよっぽどいいと思うぜ……ヴァネッサは守りたいもののために戦ったんだ、ヴェルが悪かったわけじゃない、きっと許してくれると思うぜ」
ヴェルのためにかける言葉としては、このくらいのことしか俺はいえない。
「そう、ね……。ありがと」
しばらく二人、火を眺める。もうほとんど炭火になっていて、ほかに照明もないし、ヴェルの顔もよく見えなくなってきた。
少し離れたところでは奴隷三人と人質にした山賊の首領の妹が俺たちと同じように焚き火を囲んでいる。
シュシュが一心不乱に何かの腸詰め肉を口に頬張り、三十五番がそれを感心したように見つめ、その三十五番にキッサが串に指した腸詰め肉を渡している。
キッサと三十五番が笑顔をかわし、おいしいとかそんなことを言い合っている。
うん、仲良くなっているみたいでよろしい。
縛られたままの人質も、今は拘束を軽くされてキッサに食い物をもらっている。
さらに遠くにも焚き火の明かりが見える。
山賊たちもそこで食事をとっているのだろう。昨日宿場町で買い込んだ食糧だが、金は全部ヴェルが出していた。
『食べ物だけは絶対に欠かさず支給するのが司令官の務めよ』とは、ヴェルの言葉だ。
ま、俺たちの中でこの世界の金をもっているのはヴェルだけだったしな。セーフハウスに結構貯めこんでおいたらしい。
ヴェルも奴隷たちのようすを見ながら、何か物思いにふけってるみたいだ。
と。
「ね、エージ」
「ん?」
「あたしもちょっと寒くなってきたわ。あんた、こっちにきなさい」
「毛布かなにか持ってこようか?」
「そうじゃなくて。あんたがこっちにきなさいよ」
意味わからん。
いや、まあ、少しは察したけど。
言われた通りにヴェルの隣に座ろうとすると、
「そこじゃなくて、さ。ほら。あたしがミーシアにやるみたいに、こう、後ろから、ちょっと、ぎゅっとしてあっためてよ」
はあ? なにいいだしてんだこの女騎士。全然キャラじゃねーぞ。
でも、なんだか声が細くて頼りない。
「なんだよ突然」
「いやなの?」
「いや、全然」
俺好みの金髪碧眼美少女に抱きついてもいいってんなら、いやどころかむしろ金を払ってでもやりたいね。
まあ今は九百八十二円と十銭しか持ってないけどな!
「じゃあ、いいじゃない。昨日はあたしが温めてあげたんだから、そのお返しをしなさい。……ね、お願い」
よくわからんが、まあ一応ヴェルは俺の直属の上司でもあるはずなので、従っておこう。
ヴェルの後ろにまわる。
戦闘のときはまとめていたが、今は金色の髪の毛はほどかれている。
腰に届くほどの長さだ、ほんのかすかに自然なウェーブがかかっている。
その髪の毛ごと、そっとヴェルの身体を後ろから抱きしめた。
「……ん。うん。あったかいね……」
鍛え上げた騎士、といっても、結局のところは俺よりも小柄な十代の女の子にすぎないわけで。
男に比べたら肩幅も狭いし、無駄な贅肉がついていない分、こうして抱きしめてみるとむしろ細くて頼りないとすら思える。
……うむ、確かに、このほんわかとした香りは、なかなか心地いいな。
それに髪の毛、細くてやわらけーなー。
ヴェルは、はあ、と大きく息を吐くと、
「ん。うん。ありがと。……ここだけの話、ほんとはね、あたし、怖いの」
「何が?」
ヴェルは少し言いよどみ、でも、小さな声でいった。
「……死ぬのが。闘うのが。騎士として恥ずかしいことだとはわかってるから、笑って軽蔑していいわよ。もちろん、実際に戦闘が始まったらそんなこと砂粒ほども感じないけどさ。でもほら、こうして食事をとってひといきついてるときとか、ふっと怖くなることがあるの。いつもはお酒飲んでごまかすんだけどさ。……なんていうんだろ、ほんとに寒いわけじゃないんだけど、寒く感じるっていうか。そういうときさ、誰かとくっつきたいなって思うときがあってさ……」
「今陛下とくっついていたじゃないか」
「この子はあたしが守るべき子だもん。そうじゃなくてさ。……たまには、守られたいって思うことも、あるのよ。でも、だいたい、あたしよりも強い奴なんてまずいないしさ。あたしより弱い奴に守られたって、いまいち、ねえ? でも、あんたは違うかなって、思ってさ。……うん、わりと、いいね」
地方領主としての立場、騎士としての誇り。
いろんなものがヴェルを縛っているけど、そうだよな、こいつだって日本に生まれていればただの女子高校生だ。
ヴェルは続ける。
「あたしがいくら強いといっても戦争だもの。明日死ぬかも。今日死ぬかも。首を斬られて、どばっと血を噴き出して殺されて、そんで耳を切り取られて、あたしを殺したやつの屋敷に誇らしげにその耳が飾られるのよ、『ヴェル・ア・レイラ・イアリーの耳』ってね。いつもそれを想像して、悔しくて怖くてさ。……ヴァネッサの耳を取り戻せてよかった。ありがとね、エージ、あんたのおかげ。あんたがいなかったらあたしは死んでた。……今までだって、あ、これで死んだ、って思ったこと、何度もあったわ。そんな日常を送ってるとさ、なんていうんだろ、人肌恋しくなる、っていうのかしら。おかしいわよね、エージ、あんたにこうしてほしいって、今すっごくそう思ったの」
人間は、いや生き物ってのは。
死を前にすると、子孫を残そうという本能が強まる。
だから、生まれて初めて接した男である俺に、そういう感情を持つのはわからないでもなかった。
今までまったく持てなかった俺ごときに、そう思ってくれるのはありがたいけどな。
女の子が俺になんらかの肯定的な感情を持ってくれるなんて、日本じゃありえないけどな。
日本でこんなこといわれたとしても、高価な絵かなにかを売りつけられるんじゃないかと疑ったことだろう。
でも、俺ももう、ただ生きのびるだけで精一杯、というこの世界の住人になってしまったのだ。
だから、生と死の間をギリギリで綱渡りしているこの少女の苦しみと叫びと救いへの渇望がなんとなくわかる。
そして、異性を、つまり俺を、もちろん無意識にだろうけど欲しているのだろう。
まあ、オスとしてメスに認められたってことなのかもしれない。
他にライバルもいないしな。
そんな彼女の心の動きを、俺はごく自然に、とても素直に受け入れることができた。
俺はヴェルの、二つの聖石が光る耳元で囁く。
「守るよ」
「え?」
「俺が、守ってやる。ヴェルは陛下と騎士の誇りを守ればいい、俺はそのヴェルを守ってやるからさ」
「ん……うん」
コクン、と頷く女騎士。
「守ってやる」
「……ふふ、もう一回いって」
「俺がヴェルを守ってやるからな」
「ふふふ、うん、任せたわよ……」
俺が女の子にこんなことを囁く日がくるとは。
俺たちは逃亡中だ。
いつか遠くない日に、俺だって死ぬかもしれない。
だけど、俺は男なわけで。
男ってのは、女の子を守れるときが一番嬉しいものなのだ。
父性と母性、オスとメスの違いはそこにあるんだろう。
ああもう、いくら童貞だって俺もオスだ、このまま押し倒して……。
なんとなくいけそうな気がするぞ?
いやまて、ヴェルの股ぐらを枕にしてる女の子がいるんだった、なんだよ貞操帯じゃなくて貞操帝じゃないかこれ。
などとアホなことを考えた時。
「いちゃついているところごめんなさい! 何かが……多分騎馬の集団がこちらに向かってきます! 距離五カルマルト!」
キッサがそう叫んだ。
あ、そっか、近くにこいつらもいたか。
っていうか、騎馬?
敵か?
俺とヴェルは同時に立ち上がり、その拍子にヴェルの足を枕にしていたミーシアの頭がごつん、と地面に打ち付けられた。
「え、やだよ、なんか怖い」
ミーシアが、黒いおかっぱを揺らして首を横に振る。
焚き火に照らされたその顔を見ると、やっぱり皇帝陛下なんだな、と思わせるような高貴な雰囲気があった。
奴隷の格好をしているっていうのに、どこか空気が違うような気がする。
単なる俺の思い込みのせいかもしれんけどな。
俺たちは街道沿いで野宿をしていた。
野宿、といっても、完全になにもないところというわけじゃない。
草原がある程度の広さに整地され、井戸もあり、馬に水を飲ませる水場もある。
かまどまで用意され、雨露をしのぐための木で組まれた粗末な東屋みたいなものもいくつかある。
街道を行き来する人々のための、いわばキャンプ場みたいなところだ。
ただ、俺たちの他には誰もいなくて寂しい限りだ。
「こっちの街道は細いし、あまり使われてないのよね。西に行くには遠回りだし、山中や森林を通る場所も多くて危険だし。もう一本南にある街道が、軍を行き来させるために整備された街道で、そっちがメインなのよ。そっちだともっと賑やかなんだけど、あんまり人目につく道を行かないほうがいいでしょ」
とはヴェルの言葉だ。
そのヴェルが、千枚通しみたいなのをミーシアに渡そうとしているのだが、
「だからやだってば。自分でやってよ」
ミーシアは頑として受け取らない。
「鏡がないのよね、うーん。仕方がないわ、エージ、あんたがやってよ」
ヴェルは千枚通しを俺に渡す。
柄が俺の手の中にすっぽり入るくらいの小さいものだ。
「なんだよ、これどうするんだよ」
「うん、あたしの耳たぶにね、穴を開けて欲しいのよ」
「はあ? なんで?」
「ほら、これ」
ヴェルが手のひらにのせて俺に見せたのは、赤く輝く、小さな宝石だった。
「これ……ラスカスの聖石か……?」
男が産まれないこの世界で、女性同士で子供をつくるための宝石。
たしか、産まれた時に耳に埋め込んで、その状態で十数年たつと、本人のマナを蓄えたこの聖石は碧く変化し、それを他の女性の子宮に埋め込むと子供ができる、という仕組みだったはずだな。
でも、一人の人間が碧く変化させることのできるラスカスの聖石は二つまでだったはず。
ヴェルの両耳にはすでに聖石が埋め込まれている。
「なんでいまさら?」
俺が訊くと、
「……これね、ヴァネッサの聖石なの」
ああ、そうか。
リューシアに殺されて耳を切られた、ヴェルの従姉妹。
俺がリューシアを倒したことで、その耳を取り戻すことができたのだ。
「もうヴァネッサのマナをある程度吸ってるからさ、今さらあたしの耳に埋め込んでも何の効果もないわ。だから、ね。ほら。ずっと一緒にいたいじゃない。ひとつはきちんとヴァネッサの家族に返して丁重に弔うわ」
「そうか」
「うん。だから、お願い」
俺は千枚通しを受け取る。ヴェルが髪をかきあげ、左の耳を俺に差し出す。
「この辺でいいか?」
「任せるわ」
針の先端を少し火であぶってからヴェルの耳たぶにそれを突き刺す。
うーん、耳とはいえ、他人の肉を針で突き刺すこの感触……。
あんまりいいもんでもないな。
でも本人は痛がりもせず平気な顔をしているので、俺も平静を装った。
穴が開いたらミーシアと交代する。
ミーシアが何か詠唱しながら聖石をヴェルの耳に埋め込んでいく。
「どう、ミーシア、うまくいった?」
「うん、綺麗に埋め込めたよ」
「そ、よかったわ」
「痛くない?」
「大丈夫よ。それよりミーシア、寒くない? あっためてあげようか?」
それを聞いてミーシアはぱっと顔を明るくして目を輝かせ、
「うん!」
と笑顔でヴェルに抱きつき、そしてぐりぐりと顔をヴェルの胸におしつけた。
「あーもうくすぐったいなあ」
「へへへ、ヴェルってほんのすこおしだけ、お胸、大きくなったよね」
「あんただってそのうちおっきくなるわよ。……あ、こら、揉むんじゃない!」
「へへー、きんもちいー」
うん、こういう百合要素、俺は嫌いじゃないぜ。
あと俺も揉みたい。ヴェルのは弾力があってまじで気持ちいいんだよなー。
ミーシアはしばらくヴェルの身体を堪能したあと、満足したのか地面にあぐらをかいて座るヴェルの股ぐらを枕にして横になり、
「んーヴェルの匂いってほっとするよねー」
などと言っていたが、そのうち寝息を立て始めた。
皇帝陛下はほんとにヴェルのことが好きなんだな。
っていうかヴェルのお股は安心する香りなのか、そうか、ふーん、へー。匂いにも興味があるけど、それより、
「味の方はどうなんだろう……」
おわっ、やべえ、ついつい心の声がっ!
「ん? なにかいった?」
じろりと俺を睨むヴェル。
「いやさっき食べた腸詰めおいしかったなあって」
「あ、そう、数に限りがあるからね、大事に消費しないと。……あの妹奴隷、その辺をちゃんと教育しておきなさいよ、まじで」
そしてミーシアの寝顔に視線を落とすヴェル。
帝国最強の女騎士は、やさしい笑みを浮かべて、君主にして親友の髪の毛を撫でる。
しばらくそうしていると、
「……いっぱい死んだわ」
ぽつりと、ヴェルが呟いた。
「あたしのために、いっぱい死んだ。ヴァネッサだけじゃない、あたしの初陣は四年前、十三歳の時だった、それからというものずっと闘いつづけて、殺して殺されてさ。麻痺しちゃいそうなの。ヴァネッサには悪いことをしたわ。いつかあたしが向こうにいったとき、ちゃんと謝らないとね。戦いしか知らない騎士に産まれて、ほんと、難儀な商売だって思うこともたまにはあるわ……ね、エージ、ニホンって、今は平和だったんでしょ? それってどんな感じ?」
訊かれて、別になんの考えもなしに俺の口から言葉が出る。
「毎年三万人が自殺してた」
「…………うわぁ…………三年で帝国の主力軍が全滅する数ね……十年ちょっとあればあたしの領内の人間全滅だわ……」
「平和だからといって人間みんな幸せなわけじゃないからな」
国家の命運をかけた戦いだった日露戦争で、日本側の死者は八万四千人ほどだった。
平和だ平和だいうけど、三年で日露戦争以上の死者を出しているんだよな。
戦死者を多数出したことで有名な旅順攻囲戦でも一万五千人。
一年でその二倍が自殺してる。
平和でもなんでもない、戦時だよこんなの。
ま、自殺率ってのは、平和なときほど高くなるし、この世界みたいに殺伐としていると低くなるものだけどな。
戦乱の中で死にたくないと思いながら死ぬのと、平和の中で死にたいと思って死ぬのと、どっちがマシなんだろうか。
正直、俺にはよくわからん。
「誇りある死なら、絶望にまみれた自殺よりもよっぽどいいと思うぜ……ヴァネッサは守りたいもののために戦ったんだ、ヴェルが悪かったわけじゃない、きっと許してくれると思うぜ」
ヴェルのためにかける言葉としては、このくらいのことしか俺はいえない。
「そう、ね……。ありがと」
しばらく二人、火を眺める。もうほとんど炭火になっていて、ほかに照明もないし、ヴェルの顔もよく見えなくなってきた。
少し離れたところでは奴隷三人と人質にした山賊の首領の妹が俺たちと同じように焚き火を囲んでいる。
シュシュが一心不乱に何かの腸詰め肉を口に頬張り、三十五番がそれを感心したように見つめ、その三十五番にキッサが串に指した腸詰め肉を渡している。
キッサと三十五番が笑顔をかわし、おいしいとかそんなことを言い合っている。
うん、仲良くなっているみたいでよろしい。
縛られたままの人質も、今は拘束を軽くされてキッサに食い物をもらっている。
さらに遠くにも焚き火の明かりが見える。
山賊たちもそこで食事をとっているのだろう。昨日宿場町で買い込んだ食糧だが、金は全部ヴェルが出していた。
『食べ物だけは絶対に欠かさず支給するのが司令官の務めよ』とは、ヴェルの言葉だ。
ま、俺たちの中でこの世界の金をもっているのはヴェルだけだったしな。セーフハウスに結構貯めこんでおいたらしい。
ヴェルも奴隷たちのようすを見ながら、何か物思いにふけってるみたいだ。
と。
「ね、エージ」
「ん?」
「あたしもちょっと寒くなってきたわ。あんた、こっちにきなさい」
「毛布かなにか持ってこようか?」
「そうじゃなくて。あんたがこっちにきなさいよ」
意味わからん。
いや、まあ、少しは察したけど。
言われた通りにヴェルの隣に座ろうとすると、
「そこじゃなくて、さ。ほら。あたしがミーシアにやるみたいに、こう、後ろから、ちょっと、ぎゅっとしてあっためてよ」
はあ? なにいいだしてんだこの女騎士。全然キャラじゃねーぞ。
でも、なんだか声が細くて頼りない。
「なんだよ突然」
「いやなの?」
「いや、全然」
俺好みの金髪碧眼美少女に抱きついてもいいってんなら、いやどころかむしろ金を払ってでもやりたいね。
まあ今は九百八十二円と十銭しか持ってないけどな!
「じゃあ、いいじゃない。昨日はあたしが温めてあげたんだから、そのお返しをしなさい。……ね、お願い」
よくわからんが、まあ一応ヴェルは俺の直属の上司でもあるはずなので、従っておこう。
ヴェルの後ろにまわる。
戦闘のときはまとめていたが、今は金色の髪の毛はほどかれている。
腰に届くほどの長さだ、ほんのかすかに自然なウェーブがかかっている。
その髪の毛ごと、そっとヴェルの身体を後ろから抱きしめた。
「……ん。うん。あったかいね……」
鍛え上げた騎士、といっても、結局のところは俺よりも小柄な十代の女の子にすぎないわけで。
男に比べたら肩幅も狭いし、無駄な贅肉がついていない分、こうして抱きしめてみるとむしろ細くて頼りないとすら思える。
……うむ、確かに、このほんわかとした香りは、なかなか心地いいな。
それに髪の毛、細くてやわらけーなー。
ヴェルは、はあ、と大きく息を吐くと、
「ん。うん。ありがと。……ここだけの話、ほんとはね、あたし、怖いの」
「何が?」
ヴェルは少し言いよどみ、でも、小さな声でいった。
「……死ぬのが。闘うのが。騎士として恥ずかしいことだとはわかってるから、笑って軽蔑していいわよ。もちろん、実際に戦闘が始まったらそんなこと砂粒ほども感じないけどさ。でもほら、こうして食事をとってひといきついてるときとか、ふっと怖くなることがあるの。いつもはお酒飲んでごまかすんだけどさ。……なんていうんだろ、ほんとに寒いわけじゃないんだけど、寒く感じるっていうか。そういうときさ、誰かとくっつきたいなって思うときがあってさ……」
「今陛下とくっついていたじゃないか」
「この子はあたしが守るべき子だもん。そうじゃなくてさ。……たまには、守られたいって思うことも、あるのよ。でも、だいたい、あたしよりも強い奴なんてまずいないしさ。あたしより弱い奴に守られたって、いまいち、ねえ? でも、あんたは違うかなって、思ってさ。……うん、わりと、いいね」
地方領主としての立場、騎士としての誇り。
いろんなものがヴェルを縛っているけど、そうだよな、こいつだって日本に生まれていればただの女子高校生だ。
ヴェルは続ける。
「あたしがいくら強いといっても戦争だもの。明日死ぬかも。今日死ぬかも。首を斬られて、どばっと血を噴き出して殺されて、そんで耳を切り取られて、あたしを殺したやつの屋敷に誇らしげにその耳が飾られるのよ、『ヴェル・ア・レイラ・イアリーの耳』ってね。いつもそれを想像して、悔しくて怖くてさ。……ヴァネッサの耳を取り戻せてよかった。ありがとね、エージ、あんたのおかげ。あんたがいなかったらあたしは死んでた。……今までだって、あ、これで死んだ、って思ったこと、何度もあったわ。そんな日常を送ってるとさ、なんていうんだろ、人肌恋しくなる、っていうのかしら。おかしいわよね、エージ、あんたにこうしてほしいって、今すっごくそう思ったの」
人間は、いや生き物ってのは。
死を前にすると、子孫を残そうという本能が強まる。
だから、生まれて初めて接した男である俺に、そういう感情を持つのはわからないでもなかった。
今までまったく持てなかった俺ごときに、そう思ってくれるのはありがたいけどな。
女の子が俺になんらかの肯定的な感情を持ってくれるなんて、日本じゃありえないけどな。
日本でこんなこといわれたとしても、高価な絵かなにかを売りつけられるんじゃないかと疑ったことだろう。
でも、俺ももう、ただ生きのびるだけで精一杯、というこの世界の住人になってしまったのだ。
だから、生と死の間をギリギリで綱渡りしているこの少女の苦しみと叫びと救いへの渇望がなんとなくわかる。
そして、異性を、つまり俺を、もちろん無意識にだろうけど欲しているのだろう。
まあ、オスとしてメスに認められたってことなのかもしれない。
他にライバルもいないしな。
そんな彼女の心の動きを、俺はごく自然に、とても素直に受け入れることができた。
俺はヴェルの、二つの聖石が光る耳元で囁く。
「守るよ」
「え?」
「俺が、守ってやる。ヴェルは陛下と騎士の誇りを守ればいい、俺はそのヴェルを守ってやるからさ」
「ん……うん」
コクン、と頷く女騎士。
「守ってやる」
「……ふふ、もう一回いって」
「俺がヴェルを守ってやるからな」
「ふふふ、うん、任せたわよ……」
俺が女の子にこんなことを囁く日がくるとは。
俺たちは逃亡中だ。
いつか遠くない日に、俺だって死ぬかもしれない。
だけど、俺は男なわけで。
男ってのは、女の子を守れるときが一番嬉しいものなのだ。
父性と母性、オスとメスの違いはそこにあるんだろう。
ああもう、いくら童貞だって俺もオスだ、このまま押し倒して……。
なんとなくいけそうな気がするぞ?
いやまて、ヴェルの股ぐらを枕にしてる女の子がいるんだった、なんだよ貞操帯じゃなくて貞操帝じゃないかこれ。
などとアホなことを考えた時。
「いちゃついているところごめんなさい! 何かが……多分騎馬の集団がこちらに向かってきます! 距離五カルマルト!」
キッサがそう叫んだ。
あ、そっか、近くにこいつらもいたか。
っていうか、騎馬?
敵か?
俺とヴェルは同時に立ち上がり、その拍子にヴェルの足を枕にしていたミーシアの頭がごつん、と地面に打ち付けられた。
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