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8.女の人生

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「夫が屋敷に若い女を連れ込みまして……。お前はもういらんと言われて家を追い出されました……。五歳の息子は跡継ぎだからと義母に取り上げられ……」

(お、重い……)

「わたくしは男爵家の出なのです。両親が生きていたときはよかったのですが、母が病死し、父は心痛で後を追うように亡くなりました。後ろ盾のないわたくしでは、子爵の夫と義母に逆らうことはできません」

 エイミーは助けを求めてマヤに目で訴えた。

「未婚のエイミーには重い話だけど、こういうことよくあるから……」


 エイミーは意を決して聞いてみる。

「あの、それで今はどちらに泊まっているんですか?」

「少しの間でいいので、こちらで住み込みで働かせていただけないかと」

「わたしは構わないですけど」

 エイミーはまたマヤを見る。

「ニコール様にはお話しました。少しの間ならお目こぼしいただけるそうです。本来ならここは聖女レナ様がお住まいになる予定だったのですが。ただ空けておくのももったいないということで」



 そういうことで、豪華な離宮にシャーリーと共に住むことになった。エイミーとしては大歓迎だ。

 ド平民で魔女のエイミーが仕事をし、子爵夫人のシャーリーが下働きをするのはどうなのかと思うが。マヤがいいと言うなら、流されておく。貴族社会のことはよく分からない。マヤがいいならいいのである。


「シャーリー、新しい魔法陣できたけど、試してみようか?」

 エイミーは『一日一回、家具で足の小指をぶつける』魔法陣を見せる。

 シャーリーは息をのんだ。

「えっと、確か髪の毛を差し上げればいいのですよね?」

「ああ、初回は試験だからいいですよ。髪の毛一本で十分」

「旦那さんの私物とか持ってる?」

 シャーリーは赤くなってモジモジする。

「こんなことがあったらいいなーと思って、夫と義母と新しい女の私物、持ってきてるんです」

「そしたら、ひとり選んで魔法陣に置いてみて」


◆◆◆


 マッケナ子爵未亡人は機嫌が悪い。小指がズキズキ痛むのだ。

 (まさかとは思うけど……。老いたということかしら……)

 マッケナ子爵未亡人はそんな弱気な考えを打ち消した。まだ四十代だ、女盛りといっても過言ではない。
 
 (イヤだわ、まったく。あの地味な嫁がいなくなってから、ろくなことが起こらないわ)

 身分が低くて、とりたてて目立つところのない女だった。口答えせず、黙って家のことをやるところは、まあよかったかもしれない。跡継ぎも手がかからないところまで育ててくれた。

(ウィリーが母親がいなくてもいい年頃になったから、あの嫁を追い出したけれど……)

 ロビンが連れてきた若い女は、物おじせずマッケナ子爵未亡人にたてつく。ただの平民の小娘のくせにだ。最初のころは、ニコニコと愛想のいい娘だと思って、見逃していたのに。

(これならシャーリーの方が使い勝手がよかったかもしれないわ)

「イッターーー」

「奥様、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です。なんでもありません」

(いまいましい。また小指をぶつけたわ。やっぱり老いて……)


◆◆◆


「結婚ってしなきゃいけないのかな?」

 エイミーが素朴な疑問をシャーリーにぶつける。

「そうね、貴族女性は子供を産むことが義務みたいなところがあるから……。平民女性もそうでしょう?」
「そう……かも。魔女は結婚してない人がそれなりにいるけど」

「うらやましいわ。わたくしにもお金が稼げる力があればいいのに」
「どうして何か身につけなかったの?」

 平民の女は、何かしら手に職をつけようとするのだ。


「そういう考えがなかったのです。恥ずかしいわ。夫の愛を得るために努力すればいいと思っていたの。バカね」

「男の人って、たいてい浮気するもんね」
「うっ」

「基本的に若い子が好きだし」
「ううっ」

「あまり信用できない男の愛情にすがって生きていくって、自殺行為では」

「エイミー、それぐらいでやめてあげなさい。シャーリーが立ち直れなくなる」
 
 マヤが苦笑いしながら口を挟んだ。


「あっ、ごめんなさい。結婚したこともないのに、偉そうなこと言っちゃった」

「いいえ、さっきの言葉、昔の自分に聞かせたかったわ。でも、掃除ができるようになりました。これから少しずつ色んなことを覚えていけばいいのよね」

 エイミーはすっかり荒れてしまったシャーリーの手を見る。元気づけようと大きな声で言う。

「さあ、新しい魔法陣を試してみようよ」

 『寝顔がうっすら白目』の魔法陣を広げる。


◆◆◆


 ロビンは夜遅く目が覚めて、隣のリリーを見る。

(まただ……。なぜ白目をむいて寝ているんだ、リリー)

 起きているときは愛らしさいっぱいのリリーが、口も目も開けて寝ている。ヨダレも垂れている。百年の恋も冷める寝顔だ。

(母上は機嫌が悪いし、ウィリーは口をきかなくなったし……早まったかな)

 はあ……。ロビンはため息をついて、リリーに背を向けて横になる。


◆◆◆


「うわー、シャーリーの手跡ってキレイねー。優美だわ。わたしなんて、自分でも読めないときあるもん」

 シャーリーはポッと頬を染めた。

「ありがとう。これは母に仕込まれたのよ。字が美しいと、それだけでモテるって……。夫もわたくしの字だけは褒めてくれたわ」

「まあまあ、失った愛のことは忘れちゃいなよ」
「うっ」

「でも、よかったね。掃除もできるし、代筆もできるもん。もう野垂れ死にしなくてすむよ」
「はい! エイミーさんとマヤさんのおかげです。本当にありがとうございます」

 シャーリーは背筋を伸ばして、エイミーとマヤにお礼を言う。もう来た時のしょぼくれたシャーリーはどこにもいない。ほのかな自信がうっすら見える。

「さあ、いよいよこの魔法陣を使ってみよう」

 エイミーは朗らかに言った。

『浮気現場がどんなに隠しても必ず知人や家族に見つかる呪い』


◆◆◆


「お義母さまってば、細かいことばっかり言わないでくださいよ。アタシがそんな書類読めるわけないじゃないですか。アタシ、平民ですよ。自分の名前書くのでせいいっぱい」

「堂々と恥ずかしい発言はやめてください。マッケナ子爵家に泥を塗る気ですか。それに、あなたにお義母さまと呼ばれる筋合いはございません。ただの愛妾の分際で図々しい」

「うわーやだやだ。鬼姑ってホントにやだ。大体、もうロビンが家継いだんでしょう? おばさんはもう、ここに住む権利ないんじゃないのー?」

「お、お、おばさんですって!? ななななんと無礼な」

「だってお義母さまがイヤなら、おばさんしかないよね。あれ、おばあさんがよかった?」

「もう許しません。ロビンに話してあなたを追い出します。……ロビンはどこかしら?」

「知らなーい。なんか書庫で調べものするって言ってたかもー」



「あ、ご主人様、お戯れはおよしになって……。あーれー」
「よいではないか、よいではないか」

「ロビン……その陳腐な芝居はなんです……」

「あ、母上、なぜ……」

「キィイイイイーー、よくも、よくも。アタシという若い恋人がいながら、こんな女中なんかとーー」

「わたしの方が若くてかわいいって、ロビン様が。あんたなんかもう用済みよ」

「ムキーーーーーー」

「……ふたりとも、出て行きなさい」


◆◆◆


「ホントに行っちゃうの……?」
「はい。今まで本当にありがとうございました。おふたりのことは一生忘れません」

 シャーリーが決意を秘めた目でエイミーとマヤを見る。


「……だって、どうして? どうして許せるの? シャーリーにあんなひどいことしたのに」
「許してません。これからも許しません。でも、息子が家督を継ぐまでの辛抱ですから」

「それって、二十年ぐらいかかるんじゃ……」

「もっとかもしれません。でもいいんです。わたくしにはこれがありますから」

 シャーリーの手には三つの魔法陣がある。シャーリー自身の髪と、両親の形見の髪とで譲り受けたのだ。

「いざとなったらこれで脅します。それに、どうしてもイヤになったら、掃除と代筆で暮らしていきます。でも、息子が子爵位を継ぐのを見たいですから」

 
 エイミーは号泣した。シャーリーは晴れやかな顔で出て行った。


「もういい加減泣きやんだら? 目が溶けるよ」

「だって、そんなのって、おかしい」
「うん」
「愛のない、尊重されない生活に戻るなんて」
「そうね」
「それが貴族ってことなの?」
「そうだよ」

 うわーーん。エイミーには分からなかった。分かりたくなかった。

 でも、シャーリーが女であることより、母であることを選んだのは分かった。

 泣き続けるエイミーを、マヤはいつまでもそばで見ていた。



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