8 / 22
8.女の人生
しおりを挟む
「夫が屋敷に若い女を連れ込みまして……。お前はもういらんと言われて家を追い出されました……。五歳の息子は跡継ぎだからと義母に取り上げられ……」
(お、重い……)
「わたくしは男爵家の出なのです。両親が生きていたときはよかったのですが、母が病死し、父は心痛で後を追うように亡くなりました。後ろ盾のないわたくしでは、子爵の夫と義母に逆らうことはできません」
エイミーは助けを求めてマヤに目で訴えた。
「未婚のエイミーには重い話だけど、こういうことよくあるから……」
エイミーは意を決して聞いてみる。
「あの、それで今はどちらに泊まっているんですか?」
「少しの間でいいので、こちらで住み込みで働かせていただけないかと」
「わたしは構わないですけど」
エイミーはまたマヤを見る。
「ニコール様にはお話しました。少しの間ならお目こぼしいただけるそうです。本来ならここは聖女レナ様がお住まいになる予定だったのですが。ただ空けておくのももったいないということで」
そういうことで、豪華な離宮にシャーリーと共に住むことになった。エイミーとしては大歓迎だ。
ド平民で魔女のエイミーが仕事をし、子爵夫人のシャーリーが下働きをするのはどうなのかと思うが。マヤがいいと言うなら、流されておく。貴族社会のことはよく分からない。マヤがいいならいいのである。
「シャーリー、新しい魔法陣できたけど、試してみようか?」
エイミーは『一日一回、家具で足の小指をぶつける』魔法陣を見せる。
シャーリーは息をのんだ。
「えっと、確か髪の毛を差し上げればいいのですよね?」
「ああ、初回は試験だからいいですよ。髪の毛一本で十分」
「旦那さんの私物とか持ってる?」
シャーリーは赤くなってモジモジする。
「こんなことがあったらいいなーと思って、夫と義母と新しい女の私物、持ってきてるんです」
「そしたら、ひとり選んで魔法陣に置いてみて」
◆◆◆
マッケナ子爵未亡人は機嫌が悪い。小指がズキズキ痛むのだ。
(まさかとは思うけど……。老いたということかしら……)
マッケナ子爵未亡人はそんな弱気な考えを打ち消した。まだ四十代だ、女盛りといっても過言ではない。
(イヤだわ、まったく。あの地味な嫁がいなくなってから、ろくなことが起こらないわ)
身分が低くて、とりたてて目立つところのない女だった。口答えせず、黙って家のことをやるところは、まあよかったかもしれない。跡継ぎも手がかからないところまで育ててくれた。
(ウィリーが母親がいなくてもいい年頃になったから、あの嫁を追い出したけれど……)
ロビンが連れてきた若い女は、物おじせずマッケナ子爵未亡人にたてつく。ただの平民の小娘のくせにだ。最初のころは、ニコニコと愛想のいい娘だと思って、見逃していたのに。
(これならシャーリーの方が使い勝手がよかったかもしれないわ)
「イッターーー」
「奥様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。なんでもありません」
(いまいましい。また小指をぶつけたわ。やっぱり老いて……)
◆◆◆
「結婚ってしなきゃいけないのかな?」
エイミーが素朴な疑問をシャーリーにぶつける。
「そうね、貴族女性は子供を産むことが義務みたいなところがあるから……。平民女性もそうでしょう?」
「そう……かも。魔女は結婚してない人がそれなりにいるけど」
「うらやましいわ。わたくしにもお金が稼げる力があればいいのに」
「どうして何か身につけなかったの?」
平民の女は、何かしら手に職をつけようとするのだ。
「そういう考えがなかったのです。恥ずかしいわ。夫の愛を得るために努力すればいいと思っていたの。バカね」
「男の人って、たいてい浮気するもんね」
「うっ」
「基本的に若い子が好きだし」
「ううっ」
「あまり信用できない男の愛情にすがって生きていくって、自殺行為では」
「エイミー、それぐらいでやめてあげなさい。シャーリーが立ち直れなくなる」
マヤが苦笑いしながら口を挟んだ。
「あっ、ごめんなさい。結婚したこともないのに、偉そうなこと言っちゃった」
「いいえ、さっきの言葉、昔の自分に聞かせたかったわ。でも、掃除ができるようになりました。これから少しずつ色んなことを覚えていけばいいのよね」
エイミーはすっかり荒れてしまったシャーリーの手を見る。元気づけようと大きな声で言う。
「さあ、新しい魔法陣を試してみようよ」
『寝顔がうっすら白目』の魔法陣を広げる。
◆◆◆
ロビンは夜遅く目が覚めて、隣のリリーを見る。
(まただ……。なぜ白目をむいて寝ているんだ、リリー)
起きているときは愛らしさいっぱいのリリーが、口も目も開けて寝ている。ヨダレも垂れている。百年の恋も冷める寝顔だ。
(母上は機嫌が悪いし、ウィリーは口をきかなくなったし……早まったかな)
はあ……。ロビンはため息をついて、リリーに背を向けて横になる。
◆◆◆
「うわー、シャーリーの手跡ってキレイねー。優美だわ。わたしなんて、自分でも読めないときあるもん」
シャーリーはポッと頬を染めた。
「ありがとう。これは母に仕込まれたのよ。字が美しいと、それだけでモテるって……。夫もわたくしの字だけは褒めてくれたわ」
「まあまあ、失った愛のことは忘れちゃいなよ」
「うっ」
「でも、よかったね。掃除もできるし、代筆もできるもん。もう野垂れ死にしなくてすむよ」
「はい! エイミーさんとマヤさんのおかげです。本当にありがとうございます」
シャーリーは背筋を伸ばして、エイミーとマヤにお礼を言う。もう来た時のしょぼくれたシャーリーはどこにもいない。ほのかな自信がうっすら見える。
「さあ、いよいよこの魔法陣を使ってみよう」
エイミーは朗らかに言った。
『浮気現場がどんなに隠しても必ず知人や家族に見つかる呪い』
◆◆◆
「お義母さまってば、細かいことばっかり言わないでくださいよ。アタシがそんな書類読めるわけないじゃないですか。アタシ、平民ですよ。自分の名前書くのでせいいっぱい」
「堂々と恥ずかしい発言はやめてください。マッケナ子爵家に泥を塗る気ですか。それに、あなたにお義母さまと呼ばれる筋合いはございません。ただの愛妾の分際で図々しい」
「うわーやだやだ。鬼姑ってホントにやだ。大体、もうロビンが家継いだんでしょう? おばさんはもう、ここに住む権利ないんじゃないのー?」
「お、お、おばさんですって!? ななななんと無礼な」
「だってお義母さまがイヤなら、おばさんしかないよね。あれ、おばあさんがよかった?」
「もう許しません。ロビンに話してあなたを追い出します。……ロビンはどこかしら?」
「知らなーい。なんか書庫で調べものするって言ってたかもー」
「あ、ご主人様、お戯れはおよしになって……。あーれー」
「よいではないか、よいではないか」
「ロビン……その陳腐な芝居はなんです……」
「あ、母上、なぜ……」
「キィイイイイーー、よくも、よくも。アタシという若い恋人がいながら、こんな女中なんかとーー」
「わたしの方が若くてかわいいって、ロビン様が。あんたなんかもう用済みよ」
「ムキーーーーーー」
「……ふたりとも、出て行きなさい」
◆◆◆
「ホントに行っちゃうの……?」
「はい。今まで本当にありがとうございました。おふたりのことは一生忘れません」
シャーリーが決意を秘めた目でエイミーとマヤを見る。
「……だって、どうして? どうして許せるの? シャーリーにあんなひどいことしたのに」
「許してません。これからも許しません。でも、息子が家督を継ぐまでの辛抱ですから」
「それって、二十年ぐらいかかるんじゃ……」
「もっとかもしれません。でもいいんです。わたくしにはこれがありますから」
シャーリーの手には三つの魔法陣がある。シャーリー自身の髪と、両親の形見の髪とで譲り受けたのだ。
「いざとなったらこれで脅します。それに、どうしてもイヤになったら、掃除と代筆で暮らしていきます。でも、息子が子爵位を継ぐのを見たいですから」
エイミーは号泣した。シャーリーは晴れやかな顔で出て行った。
「もういい加減泣きやんだら? 目が溶けるよ」
「だって、そんなのって、おかしい」
「うん」
「愛のない、尊重されない生活に戻るなんて」
「そうね」
「それが貴族ってことなの?」
「そうだよ」
うわーーん。エイミーには分からなかった。分かりたくなかった。
でも、シャーリーが女であることより、母であることを選んだのは分かった。
泣き続けるエイミーを、マヤはいつまでもそばで見ていた。
(お、重い……)
「わたくしは男爵家の出なのです。両親が生きていたときはよかったのですが、母が病死し、父は心痛で後を追うように亡くなりました。後ろ盾のないわたくしでは、子爵の夫と義母に逆らうことはできません」
エイミーは助けを求めてマヤに目で訴えた。
「未婚のエイミーには重い話だけど、こういうことよくあるから……」
エイミーは意を決して聞いてみる。
「あの、それで今はどちらに泊まっているんですか?」
「少しの間でいいので、こちらで住み込みで働かせていただけないかと」
「わたしは構わないですけど」
エイミーはまたマヤを見る。
「ニコール様にはお話しました。少しの間ならお目こぼしいただけるそうです。本来ならここは聖女レナ様がお住まいになる予定だったのですが。ただ空けておくのももったいないということで」
そういうことで、豪華な離宮にシャーリーと共に住むことになった。エイミーとしては大歓迎だ。
ド平民で魔女のエイミーが仕事をし、子爵夫人のシャーリーが下働きをするのはどうなのかと思うが。マヤがいいと言うなら、流されておく。貴族社会のことはよく分からない。マヤがいいならいいのである。
「シャーリー、新しい魔法陣できたけど、試してみようか?」
エイミーは『一日一回、家具で足の小指をぶつける』魔法陣を見せる。
シャーリーは息をのんだ。
「えっと、確か髪の毛を差し上げればいいのですよね?」
「ああ、初回は試験だからいいですよ。髪の毛一本で十分」
「旦那さんの私物とか持ってる?」
シャーリーは赤くなってモジモジする。
「こんなことがあったらいいなーと思って、夫と義母と新しい女の私物、持ってきてるんです」
「そしたら、ひとり選んで魔法陣に置いてみて」
◆◆◆
マッケナ子爵未亡人は機嫌が悪い。小指がズキズキ痛むのだ。
(まさかとは思うけど……。老いたということかしら……)
マッケナ子爵未亡人はそんな弱気な考えを打ち消した。まだ四十代だ、女盛りといっても過言ではない。
(イヤだわ、まったく。あの地味な嫁がいなくなってから、ろくなことが起こらないわ)
身分が低くて、とりたてて目立つところのない女だった。口答えせず、黙って家のことをやるところは、まあよかったかもしれない。跡継ぎも手がかからないところまで育ててくれた。
(ウィリーが母親がいなくてもいい年頃になったから、あの嫁を追い出したけれど……)
ロビンが連れてきた若い女は、物おじせずマッケナ子爵未亡人にたてつく。ただの平民の小娘のくせにだ。最初のころは、ニコニコと愛想のいい娘だと思って、見逃していたのに。
(これならシャーリーの方が使い勝手がよかったかもしれないわ)
「イッターーー」
「奥様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。なんでもありません」
(いまいましい。また小指をぶつけたわ。やっぱり老いて……)
◆◆◆
「結婚ってしなきゃいけないのかな?」
エイミーが素朴な疑問をシャーリーにぶつける。
「そうね、貴族女性は子供を産むことが義務みたいなところがあるから……。平民女性もそうでしょう?」
「そう……かも。魔女は結婚してない人がそれなりにいるけど」
「うらやましいわ。わたくしにもお金が稼げる力があればいいのに」
「どうして何か身につけなかったの?」
平民の女は、何かしら手に職をつけようとするのだ。
「そういう考えがなかったのです。恥ずかしいわ。夫の愛を得るために努力すればいいと思っていたの。バカね」
「男の人って、たいてい浮気するもんね」
「うっ」
「基本的に若い子が好きだし」
「ううっ」
「あまり信用できない男の愛情にすがって生きていくって、自殺行為では」
「エイミー、それぐらいでやめてあげなさい。シャーリーが立ち直れなくなる」
マヤが苦笑いしながら口を挟んだ。
「あっ、ごめんなさい。結婚したこともないのに、偉そうなこと言っちゃった」
「いいえ、さっきの言葉、昔の自分に聞かせたかったわ。でも、掃除ができるようになりました。これから少しずつ色んなことを覚えていけばいいのよね」
エイミーはすっかり荒れてしまったシャーリーの手を見る。元気づけようと大きな声で言う。
「さあ、新しい魔法陣を試してみようよ」
『寝顔がうっすら白目』の魔法陣を広げる。
◆◆◆
ロビンは夜遅く目が覚めて、隣のリリーを見る。
(まただ……。なぜ白目をむいて寝ているんだ、リリー)
起きているときは愛らしさいっぱいのリリーが、口も目も開けて寝ている。ヨダレも垂れている。百年の恋も冷める寝顔だ。
(母上は機嫌が悪いし、ウィリーは口をきかなくなったし……早まったかな)
はあ……。ロビンはため息をついて、リリーに背を向けて横になる。
◆◆◆
「うわー、シャーリーの手跡ってキレイねー。優美だわ。わたしなんて、自分でも読めないときあるもん」
シャーリーはポッと頬を染めた。
「ありがとう。これは母に仕込まれたのよ。字が美しいと、それだけでモテるって……。夫もわたくしの字だけは褒めてくれたわ」
「まあまあ、失った愛のことは忘れちゃいなよ」
「うっ」
「でも、よかったね。掃除もできるし、代筆もできるもん。もう野垂れ死にしなくてすむよ」
「はい! エイミーさんとマヤさんのおかげです。本当にありがとうございます」
シャーリーは背筋を伸ばして、エイミーとマヤにお礼を言う。もう来た時のしょぼくれたシャーリーはどこにもいない。ほのかな自信がうっすら見える。
「さあ、いよいよこの魔法陣を使ってみよう」
エイミーは朗らかに言った。
『浮気現場がどんなに隠しても必ず知人や家族に見つかる呪い』
◆◆◆
「お義母さまってば、細かいことばっかり言わないでくださいよ。アタシがそんな書類読めるわけないじゃないですか。アタシ、平民ですよ。自分の名前書くのでせいいっぱい」
「堂々と恥ずかしい発言はやめてください。マッケナ子爵家に泥を塗る気ですか。それに、あなたにお義母さまと呼ばれる筋合いはございません。ただの愛妾の分際で図々しい」
「うわーやだやだ。鬼姑ってホントにやだ。大体、もうロビンが家継いだんでしょう? おばさんはもう、ここに住む権利ないんじゃないのー?」
「お、お、おばさんですって!? ななななんと無礼な」
「だってお義母さまがイヤなら、おばさんしかないよね。あれ、おばあさんがよかった?」
「もう許しません。ロビンに話してあなたを追い出します。……ロビンはどこかしら?」
「知らなーい。なんか書庫で調べものするって言ってたかもー」
「あ、ご主人様、お戯れはおよしになって……。あーれー」
「よいではないか、よいではないか」
「ロビン……その陳腐な芝居はなんです……」
「あ、母上、なぜ……」
「キィイイイイーー、よくも、よくも。アタシという若い恋人がいながら、こんな女中なんかとーー」
「わたしの方が若くてかわいいって、ロビン様が。あんたなんかもう用済みよ」
「ムキーーーーーー」
「……ふたりとも、出て行きなさい」
◆◆◆
「ホントに行っちゃうの……?」
「はい。今まで本当にありがとうございました。おふたりのことは一生忘れません」
シャーリーが決意を秘めた目でエイミーとマヤを見る。
「……だって、どうして? どうして許せるの? シャーリーにあんなひどいことしたのに」
「許してません。これからも許しません。でも、息子が家督を継ぐまでの辛抱ですから」
「それって、二十年ぐらいかかるんじゃ……」
「もっとかもしれません。でもいいんです。わたくしにはこれがありますから」
シャーリーの手には三つの魔法陣がある。シャーリー自身の髪と、両親の形見の髪とで譲り受けたのだ。
「いざとなったらこれで脅します。それに、どうしてもイヤになったら、掃除と代筆で暮らしていきます。でも、息子が子爵位を継ぐのを見たいですから」
エイミーは号泣した。シャーリーは晴れやかな顔で出て行った。
「もういい加減泣きやんだら? 目が溶けるよ」
「だって、そんなのって、おかしい」
「うん」
「愛のない、尊重されない生活に戻るなんて」
「そうね」
「それが貴族ってことなの?」
「そうだよ」
うわーーん。エイミーには分からなかった。分かりたくなかった。
でも、シャーリーが女であることより、母であることを選んだのは分かった。
泣き続けるエイミーを、マヤはいつまでもそばで見ていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
335
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる