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25 麗しい令嬢の涙、恐るべし

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 胸騒ぎを覚えたコニーはスタンレーのもとへ急いだ。

(ううん……もしそうでも、きちんとスタンレー様を治してくださるのなら喜ばしいことなんだけど……)

 令嬢が連れていた魔法使いふうの男は、おそらく再びスタンレーの獣鳴病の解呪をしようと連れてこられたのだろう。
 それでスタンレーが治るのなら、自分がお払い箱になろうと、まあそれはそれと割り切れるとコニーは思った。のだが……

 しかしとコニー。彼女が見たところ……先ほどの魔法使いはどちらかというと魔法戦士といった風貌だった。一口に魔法使いと言っても、細かく専門分野が分かれているもの。
 攻撃魔法が得意な者、回復魔法が得意な者。コニーのように魔法薬作りに特化した者。
 それぞれは同じ“魔法”を扱うが、まったく別の職種だと言っても過言ではない。

 ……本当に、あの魔法使いは解呪ができるのだろうか……それらしい道具も何も持っていなさそうだったが……
 コニーは心配だった。あのご令嬢自体あまり解呪や魔法には詳しそうには見えなかった。
 再び呪いを下手につつかれて再度複雑化させられたらどうなるか分からない。その影響はすべてスタンレーが受けるのだ。

(スタンレー様……)

 コニーは不安を胸に、慌てて階段を駆けあがる。



 コニーとフランソワが足早に本部棟最上階へ戻ると、廊下に騎士たちが集まっている。
 人の多さに驚く二人だが……どうやらその奥で、先ほどの令嬢たちが騒いでいるらしかった。
 騒動を聞きつけ集まったらしい騎士や職員たちの間をなんとか抜け進んで行くと……団長室の前で、マリウスが令嬢の侍女に詰め寄られているのが見えた。

「団長様にお会いできないって……どうしてですか!? お嬢様は前回の魔法使いの失敗をなんとかしようと、一生懸命腕のいい魔法使い先生を探し出されたのですよ!? スタンレー様のために!」
「いや、ですから……今、団長は不在なんですよ……」

 迫り来る女の勢いに、マリウスは困り果てた様子。──と、侍女の隣でハラハラと涙をこぼしていた令嬢が、突然よろめくようにマリウスの腕に縋り付く。

「セシリアさん!? 大丈夫ですか?」

 倒れ込んできた彼女を抱きとめたマリウスは驚いている。と──令嬢の潤んだ瞳が彼を見上げた。

「セシリアさん……?」

 戸惑うマリウスに令嬢は啜り泣くような声で言う。

「マリウス様……お願いです……スタンレー様に会わせて下さい、このままではスタンレー様がおかわいそうで……私、食事も喉を通らないんです……」

 令嬢が思い詰めた顔でそう嘆くと、観衆の中から「可哀想だ……」「セシリア嬢は相変わらず健気だな……」という声がヒソヒソと上がった。
 キラキラと輝く涙を頬に伝わせた可憐な令嬢は、とても儚気で──麗く──……


「…………」

 その様を──観衆の中に埋れながら見ていたコニーは……唖然と絶句していた。

 マリウスと令嬢たちのやりとりで、やはりあの魔法使いがスタンレーのために連れてこられたのだと分かり、いったいどうなることかとハラハラしたが。団長は不在だと言うマリウスの言葉にひとまずホッとして……
 が……その前に、何を置いてもびっくりしたのは……

 コニーがハッとした顔でフランソワに問う。

「あ……も、もしかして……あの方……さっきとは違うお嬢様? べ、別の方……?」

 お顔はそっくりだけど……と、オロオロキョドるコニー。
 どう見ても、そこにいる令嬢は先ほどフランソワに『答えなさい従騎士』などと冷たく言い捨てていた娘に見えるのだが……
 目の前でマリウスに縋り付いている令嬢は、楚々として涙の似合う大人しそうな……まるで小鹿を思わせるような可憐なお嬢さんだ。先ほどの……手を出せば噛み付かれそうなご令嬢とは、とても同じ人間には思えなかった。

 しかし子熊の少年は憮然とした顔で「いいえ」と首を振る。

「お気持ちはわかりますけど、あれは、間違いなくさっきのティーグ嬢ですよ」
「…………そ──……そっか……やっぱりそうなのね……えっと、な、なんか……すごく……すごいね……」

 コニーはそれしか言えなかった。
 先ほどの高慢な様子からすると、雰囲気から喋りかたからまるで別人なのだ。いっそ見事なほどに。そうこわごわ令嬢を見ていると、隣でフランソワが含みのある顔。

「あの人の裏表のギャップと変わり身の早さはとにかくエグいですよ」
「へ、へぇ……」

 エグいかぁ……とコニー。ちびっ子にここまで言われるとは。あの令嬢、なかなかどうして大したものである。
 周囲に集まった騎士たちの中には令嬢に同情的な者もいるのだが……先ほどの自分たちに対する令嬢の冷たいあしらいを目の当たりにしたコニーですら、彼らの気持ちがよく分かると思ってしまう……この魔力はいったいなんだろう。
 可憐でか弱気なセシリア・ティーグ嬢の泣き顔は、とても庇護欲を誘い……もし、隣に呆れ顔のフランソワがいなければ、コニーもうっかり彼女が可哀想になって駆け寄っていたかもしれない。

 皆が見守る中で、令嬢はマリウスの手に己の手を添え、涙ながらに言い募る。

「分かっています……マリウス様は、前回私が連れてきた魔法使いが失敗したので怒っておいでなんでしょう……? それでスタンレー様と会わせて下さらないんですよね? でも私はっ……スタンレー様をお助けしたい一心だったんです……本当です、マリウス様お願いです……スタンレー様に会わせて下さい……っ」
「い、いや……」

 懇願されたマリウスが困惑している。無理もない。令嬢にはまるでチャームの魔法でもかかっているかのようだ。薔薇色の唇から漏れる言葉は悲痛で甘い。色白のふっくらした頬に涙の筋ができるたび、男たちの中から令嬢を擁護しマリウスを非難する声が上がる。

「っ、うるさいぞお前たち!」

 しかしさすが団長の副官をしているだけあって、マリウスは令嬢の涙に呑まれてしまうようなことはなかったようだ。青年は、ざわめく騎士らを一喝し、自分に縋り付いていた令嬢を自分の足で立たせてから毅然と言った。

「セシリアさん、申し訳ないのですが本当にスタンレー様は、今ここにはいらっしゃらないのです。それに以前もお伝えしたはずですが、約束もなくおいでになるのはもうおやめ下さい」

 厳しい副官の言葉に、途端令嬢が悲壮な顔をする。

「そんな……だって私一刻も早くスタンレー様のお声を治して差し上げたくて……」

 こぼれ落ちた涙に周囲が再びざわめいて、それにはマリウスも内心で、ああまたこれだよと呻く。
 ホロホロと頬をすべる涙の筋までが美しく、男たちはすっかりセシリア嬢に魅了されてしまっているようだ。
 か弱い女性になんてことを……! と、マリウスを非難する野次がすぐそばで上がり、観衆に埋もれていたコニーとフランソワは咎められている青年を心配そうに見つめた。

「お嬢様!」

 令嬢がくすんくすんと泣きはじめると、付き添いの女が娘の肩を横から抱きしめた。女はマリウスをキッと睨む。

「ひどいじゃありませんかマリウス様……! お嬢様がここまでおっしゃっているのに……日頃からお嬢様がどれだけスタンレー様にお尽くしになられているかご存知でしょう!? あんまりですわ! おかわいそうなお嬢様……」
「やめてヘレン……私が悪いの、私が……」

 令嬢は殊勝にそう言うものの……雰囲気としては明らかに二人がかりでマリウスを責めている。観衆の目もますます冷たくなり、マリウスはげっそりしている。ぺったり下げられた耳が彼の心情を物語っていた。
 この流れには、蚊帳の外から成り行きを見ていたコニーも若干憤りを覚えた。
 マリウスは『スタンレーが不在だ』と言っているだけ。
 前もって約束を……ということも当然のことであるし、彼が間違っているとは思えない。が……令嬢の醸し出す同情を誘う雰囲気が、あたかも彼が、令嬢を想い人に逢わせぬ悪者であるかの如き空気を作り上げていた。令嬢がそれを意図しているのかは分からないが……(「絶対わざとですよ」※フランソワ談)このままではあまりにもマリウスが気の毒だ。
 マリウスにとって騎士たちは身内であるはずだが、それでも『か弱い婦女子を無下に悲しませている』という構図の前では、男たちはマリウスの味方をする気にはなれないらしい。
 フランソワの話では、令嬢は普段から騎士たちの前では愛想がいいとのことだから……あれだけの美少女である。きっと男たちからの人気も高いに違いなかった。

 コニーはこれはちょっと見過ごせないと思った。
 マリウスのそばに行くために前に立ち塞がっている観衆たちをかき分けようとする。と……その時、コニーの目とマリウスの目とがかち合った。
 すると青年は、視線でコニーに来るなと伝えてよこす。
 どうやら……マリウスはコニーが出てくれば、火に油を注ぐと案じているようで。それを感じたコニーはグッと堪えて足を止める。

(確かに……さっきのご令嬢の様子を考えると……私がでしゃばると返って騒ぎが大きくなるかも……)

 そうなると、今度こそ令嬢には身元を明らかにするように求められるだろう。
 身元を明かすのは別にいいのだが、我こそがスタンレーの呪いを解くのだと意気込んでいるらしい令嬢は、おそらく他の女が解呪を依頼されていると知ったらいい顔はしないはず。
 あの豹変ぶりを見ていると、あの侯爵家令嬢に睨まれるのはちょっと恐ろしい……
 けれども。このままマリウスを放っておくのも、やはり気の毒で──

「……」

 コニーは無言で騒ぎ立てる令嬢たちを見た。

(──やっぱり。なんとかして止めよう)

 決心したコニーは、今や大勢集まって来て、廊下にぎゅうぎゅう詰めになっている観衆たちをかき分けた。
 マリウスに野次を飛ばしている者たちは、令嬢の泣き顔を見て憤慨しているのか、なかなかコニーを前に通してくれない。が、懸命にそれを押し退けて。するとコニーの行動に気がついたフランソワが、何か止めるような言葉を言ったが騎士たちの野次に紛れて聞こえなかった……

「だ、出してくださいっ! 騎士様たちっ、ちょっと落ち着いて……っ、ふぐぐぐぐ……」

 騎士たちの筋肉の壁が厚く手こずるコニー。
 力一杯押すが……筋力の差に喘ぐ。

(マ、マリウス様のところにたどり着く前に……あ、圧死しそう……っ)

 魔法薬ばっかり作ってないでもっと体力つけておくんだった……いや、だってまさかこんなふうに騎士様たちの中にダイブすることがあるなんて思わなかったし……! と、コニーは後悔し、呻いた。
 揉みくちゃにされて。髪もめちゃくちゃになったし、襟巻きも外れてどこかに行ってしまった。だが、もうそれどころではなかった。騎士たちの勢いはすごい。美少女の涙、恐るべし。

 そう──コニーが心の中で慄いた、その時だった。

 ふっと──……コニーの身体が宙に浮いた。

「え……?」

 ──それはあまりにも唐突だった。
 急に身体が楽になり……何事か分からない娘は、自分の足が、ぷらん……っと、床を離れ行く様をぽかぁん……と見つめ──
 と、彼女の周りに立っていた騎士たちも、事態に気がついて──
 コニーを振り返った男たちは、皆一様に目を皿のようにまるくする。
 しかし──
 彼らの目は、コニーというよりは、彼女の後ろを見ていて……

「な、」

 ──に、とコニーが言う前に──耳元で、声がする。

「……ワン」

 呼びかけるような、犬の鳴き声。
 コニーはハッと振り返る。と──……
 持ち上げられた自分のすぐ横に、鼻先の長い赤毛の──狼の顔。

「……ワン?」

 キョトンとした黄金の瞳に見つめられたコニーは言葉を呑んだ。
 瞳は彼女に何をやっているのかと問いかけている。

「……っ、っ、スタンレー様!?」

 思わずあげた声に、その場にいる全ての者たちが振り返った。


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