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似てない兄弟(1)
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西に太陽が沈み、辺りを包んでいた橙色の光が深い青に染め変えられるころ、二人はようやく小さな村に到着した。
家々の窓からは、ぼんやりとした光が漏れている。
人影もまばらな村の中央を通る道を進んでいくと、宿の看板を掲げた建物があった。
村の規模から考えると、かなり大きな宿だ。
周囲の村まで距離があることから、旅人には重宝されているのだろう。
馬を馬屋に預け、二人は宿の入り口をくぐった。
中は酒場兼食堂になっていて、肉の焼ける香ばしい香りや、酒や煙草の臭いが立ちこめている。
八つほどあるテーブルは半分ほど埋まっており、人々が食事や酒を楽しんでいた。
まだ夜が浅いためか、こういう酒場にありがちな、荒れた雰囲気はない。
おいしそうな食べ物の匂いが空腹を刺激して、レナエルの腹がぐうとなった。
「おまえは、俺の弟ということにする。話を合わせろ」
ジュールは耳元でそう囁くと、食堂の奥に向かった。
カウンターの向こう側で料理を盛りつけていた、女将さんらしき中年の女性に声をかけている。
レナエルは自分の姿を見下ろした。
なるほど。
長い髪を帽子で隠し、男物の服を身に着け、幸いと言って良いのかたいした胸もないから、弟と言っても不思議はないだろう。
顔や背格好は、彼とは全く似ていないが。
「おい、おまえは何を食うんだ?」
しばらく女将と話していたジュールが振り返った。
先ほどまでと比べて軽い口調に、にこやかな笑顔まで浮かべている。
そうか。
演技か。
「え……と、何があるの?」
話を合わせるため、少年らしい低めの声で答えると、女将さんが愛想の良い笑顔を向けた。
「おや、かわいらしい子だねぇ。お腹が空いているのなら、豚の香草焼きがおすすめだよ。あとは、ひよこ豆のスープね」
「じゃあ、それにします」
「俺も同じものを頼む。あと、チーズとパンも」
「あいよ。空いてる席に座っておくれ。部屋は食事が終わるまでには、準備させるから」
女将さんに促され、二人は窓際のテーブルに着いた。
椅子に座ったジュールは、元通りのむっつりとした顔になった。
腕を組んで黙ったままの彼と向かい合って座っているのは、あまりにも居心地が悪い。
早く料理がくればいいのにと、しきりにカウンターの向こうを気にしていると、彼がふと口をひらいた。
「で?」
「……へ?」
たった一言では、分かるはずがない。
レナエルが訝しげに正面の男の顔を覗き込むと、前髪の隙間からぎろりと睨まれた。
「昼間の話だ。お前の姉から聞いたことを説明しろ」
「…………うん」
相変わらずの口調に胸がむかむかするが、それでも黙って向かい合っているよりは、よほどましだ。
真偽を見極めようとするような、厳しい視線にさらされながら、レナエルは声を潜めて話を始めた。
「やっぱりジジは、私が悲鳴を聞いたときに襲われてたの。眠っていたら、誰かが剣で斬り合うような音が聞こえてきて……」
「斬り合うだと?」
ジュールの眼光が鋭くなった。
「そう言ってたわよ。その音で目が覚めたって」
「そうか。おそらく、殿下が配置した騎士が、先に異変に気づいたんだな。やはり、敵を止められなかったということか。俺をこっちに派遣したくらいだから、王都にもそれなりの実力者を置いていたはずなのに」
ジュールが悔しげに、テーブルに置いた大きな手を握りしめた。
和やかで楽しげな雰囲気が漂う店内で、彼一人だけが不穏な空気をまとっている。
話を続けるのも気が引けて、レナエルも口をつぐんだ。
「あいよ。お待たせ!」
さっきの女将が、大皿を手に近づいてきた。
二人の深刻そうな雰囲気に、ちょっと眉を寄せたが、それを吹き飛ばすようなあっけらかんとした声で話しかけてくる。
「どうしたの。二人とも、しけた顔しちゃってさぁ。そんなときは、まず、食べな! 腹が膨れれば元気も出るからさ」
ゆでた野菜の上に、じゅうじゅうと音を立てる肉が乗せられた皿が、まず目の前に置かれた。
女将はカウンターとテーブルの間を往復し、湯気を立てている豆のスープとごつごつしたパンをテーブルに並べていく。
レナエルの気分は一気に上昇した。緊張感に忘れかけていた空腹が甦り、早く食べろとせっついてくる。
「うっわ! おいしそう。食べていい?」
並べられた料理をぐるりと見渡して、興奮気味に顔を上げると、ジュールがじっとこっちを見ていた。
その吊り気味の眼の眦が、少し下がったように見えたのは気のせいか。
「ああ」
彼もフォークを手に取った。
二人は焼きたての肉を忙しく口に運びながら、話を続けた。
さっきまでのぴりぴりとした空気は和らいで、ずいぶん話しやすくなった。
話の内容は不穏なものだが、周囲からは、普通に会話をしながら食事を楽しんでいるように見えるだろう。
「……だからジジは、敵はかなりお金持ちで、おそらく貴族だろうって言ってた」
「そうだな。その可能性は高そうだ。だが、まだ判断するには材料が少なすぎる」
「馬車に押し込められているんだから、しょうがないじゃない」
レナエルはパンの最後のひとかけらを、肉汁のソースをつけて口に放り込んだ。
彼の方はとっくに食事を終えていた。
「姉と話せるか?」
「今、ここで?」
あたりを見回しすと、食事と話に夢中になっている間に、食堂の席はすべて埋まり、カウンターで立ったまま酒を飲む人までいる。
客が増え、酒が進み、話し声や笑い声で店内はかなり騒がしくなっていた。
「気が散るから難しいわ。それに、あたしがじっと動かなくなったら、不自然じゃない?」
「そうだな。部屋に入ろう」
ジュールが立ち上がって、カウンターの向こうに声をかけた。
家々の窓からは、ぼんやりとした光が漏れている。
人影もまばらな村の中央を通る道を進んでいくと、宿の看板を掲げた建物があった。
村の規模から考えると、かなり大きな宿だ。
周囲の村まで距離があることから、旅人には重宝されているのだろう。
馬を馬屋に預け、二人は宿の入り口をくぐった。
中は酒場兼食堂になっていて、肉の焼ける香ばしい香りや、酒や煙草の臭いが立ちこめている。
八つほどあるテーブルは半分ほど埋まっており、人々が食事や酒を楽しんでいた。
まだ夜が浅いためか、こういう酒場にありがちな、荒れた雰囲気はない。
おいしそうな食べ物の匂いが空腹を刺激して、レナエルの腹がぐうとなった。
「おまえは、俺の弟ということにする。話を合わせろ」
ジュールは耳元でそう囁くと、食堂の奥に向かった。
カウンターの向こう側で料理を盛りつけていた、女将さんらしき中年の女性に声をかけている。
レナエルは自分の姿を見下ろした。
なるほど。
長い髪を帽子で隠し、男物の服を身に着け、幸いと言って良いのかたいした胸もないから、弟と言っても不思議はないだろう。
顔や背格好は、彼とは全く似ていないが。
「おい、おまえは何を食うんだ?」
しばらく女将と話していたジュールが振り返った。
先ほどまでと比べて軽い口調に、にこやかな笑顔まで浮かべている。
そうか。
演技か。
「え……と、何があるの?」
話を合わせるため、少年らしい低めの声で答えると、女将さんが愛想の良い笑顔を向けた。
「おや、かわいらしい子だねぇ。お腹が空いているのなら、豚の香草焼きがおすすめだよ。あとは、ひよこ豆のスープね」
「じゃあ、それにします」
「俺も同じものを頼む。あと、チーズとパンも」
「あいよ。空いてる席に座っておくれ。部屋は食事が終わるまでには、準備させるから」
女将さんに促され、二人は窓際のテーブルに着いた。
椅子に座ったジュールは、元通りのむっつりとした顔になった。
腕を組んで黙ったままの彼と向かい合って座っているのは、あまりにも居心地が悪い。
早く料理がくればいいのにと、しきりにカウンターの向こうを気にしていると、彼がふと口をひらいた。
「で?」
「……へ?」
たった一言では、分かるはずがない。
レナエルが訝しげに正面の男の顔を覗き込むと、前髪の隙間からぎろりと睨まれた。
「昼間の話だ。お前の姉から聞いたことを説明しろ」
「…………うん」
相変わらずの口調に胸がむかむかするが、それでも黙って向かい合っているよりは、よほどましだ。
真偽を見極めようとするような、厳しい視線にさらされながら、レナエルは声を潜めて話を始めた。
「やっぱりジジは、私が悲鳴を聞いたときに襲われてたの。眠っていたら、誰かが剣で斬り合うような音が聞こえてきて……」
「斬り合うだと?」
ジュールの眼光が鋭くなった。
「そう言ってたわよ。その音で目が覚めたって」
「そうか。おそらく、殿下が配置した騎士が、先に異変に気づいたんだな。やはり、敵を止められなかったということか。俺をこっちに派遣したくらいだから、王都にもそれなりの実力者を置いていたはずなのに」
ジュールが悔しげに、テーブルに置いた大きな手を握りしめた。
和やかで楽しげな雰囲気が漂う店内で、彼一人だけが不穏な空気をまとっている。
話を続けるのも気が引けて、レナエルも口をつぐんだ。
「あいよ。お待たせ!」
さっきの女将が、大皿を手に近づいてきた。
二人の深刻そうな雰囲気に、ちょっと眉を寄せたが、それを吹き飛ばすようなあっけらかんとした声で話しかけてくる。
「どうしたの。二人とも、しけた顔しちゃってさぁ。そんなときは、まず、食べな! 腹が膨れれば元気も出るからさ」
ゆでた野菜の上に、じゅうじゅうと音を立てる肉が乗せられた皿が、まず目の前に置かれた。
女将はカウンターとテーブルの間を往復し、湯気を立てている豆のスープとごつごつしたパンをテーブルに並べていく。
レナエルの気分は一気に上昇した。緊張感に忘れかけていた空腹が甦り、早く食べろとせっついてくる。
「うっわ! おいしそう。食べていい?」
並べられた料理をぐるりと見渡して、興奮気味に顔を上げると、ジュールがじっとこっちを見ていた。
その吊り気味の眼の眦が、少し下がったように見えたのは気のせいか。
「ああ」
彼もフォークを手に取った。
二人は焼きたての肉を忙しく口に運びながら、話を続けた。
さっきまでのぴりぴりとした空気は和らいで、ずいぶん話しやすくなった。
話の内容は不穏なものだが、周囲からは、普通に会話をしながら食事を楽しんでいるように見えるだろう。
「……だからジジは、敵はかなりお金持ちで、おそらく貴族だろうって言ってた」
「そうだな。その可能性は高そうだ。だが、まだ判断するには材料が少なすぎる」
「馬車に押し込められているんだから、しょうがないじゃない」
レナエルはパンの最後のひとかけらを、肉汁のソースをつけて口に放り込んだ。
彼の方はとっくに食事を終えていた。
「姉と話せるか?」
「今、ここで?」
あたりを見回しすと、食事と話に夢中になっている間に、食堂の席はすべて埋まり、カウンターで立ったまま酒を飲む人までいる。
客が増え、酒が進み、話し声や笑い声で店内はかなり騒がしくなっていた。
「気が散るから難しいわ。それに、あたしがじっと動かなくなったら、不自然じゃない?」
「そうだな。部屋に入ろう」
ジュールが立ち上がって、カウンターの向こうに声をかけた。
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