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第一部
第5話 町田家の日常 5
しおりを挟む「よう、この色男。一体何人泣かせれば気が済むんだ?」
席に戻って鞄に手を掛けた龍利の肩口に、坂田が背後から顎を載せて言う。
バスケ部の主将をしている坂田は、クラス内で唯一龍利よりも背が高い。ずっしりと重みを掛けるその顎を上へ押し上げる龍利。
「重い。ていうか、人聞きの悪いこと言うなよ。俺がいつ、誰を泣かせたってんだ」
「ほー、そういうこと言うんだ。誰をーなんて、数限りなくいるじゃん。お前に冷たく振られて、人知れず泣いてる子達がさ。今の子、確か新入生の間でアイドル視されてる柳百花ちゃんだぜ? 彼女も今頃教室で泣いてるよ、きっと」
「知るか。そんなことにまで責任持てるわけないだろ。……それよりお前、随分詳しいな」
「俺のかわい子ちゃんチェックに抜かりはないの。あ、勿論丞もしっかりチェック入ってるよん♪」
龍利の肩に右腕を載せ掛けたまま、坂田はすぐ横に立つ丞の頭を撫でる。のっぽ二人の遣り取りをボケッと眺めていた丞が坂田に向けて怒りの言を発する前に、伸びてきた龍利の指が坂田の手の甲を抓り上げた。
「いでででっ!」
「何やってんだよ、バカ田。…ったく、彼女にキレられても知らないからな。ほら、部活行くんだからどけよ。――丞、行くぞ」
へばり付いていた坂田を払い除けて、龍利が丞の背を押す。
「あーあ、俺も振られちまった。ほんっと冷てーよなぁ。龍利は丞ひ・と・す・じなんだから♪」
なおもふざける坂田を無視して、二人は教室を後にした。
「坂田の奴、何が『かわい子ちゃんチェック』だよっ」
並んで階段を下りる。撫でられた髪を手櫛で梳きながらブツブツ文句を垂れる丞に、龍利は宥めるような笑みを向けた。
「あいつの馬鹿は今に始まったことじゃない。ま、聞き流すのが一番利口な対処法だな」
男として一点非の打ち所も無いほど整った顔で微笑み掛けられると、何だかこっちがくすぐったくなってくる。丞はふいと目を逸らして、踊り場の窓に視線を移した。
「けどさー、龍。さっきの子は、少し可哀相だったんじゃねぇの?」
「なんで?」
「だって、あんな公衆の面前で振られりゃ恥ずかしいし、ショックもかなりのもんだろ?」
「うーん…。でも、呼び出しに応じて変に期待させるのも良くない気がしてさ。それにキリがないんだよ、正直」
「……お前だから通じる理由だよな、それって……」
この幼馴染は、非常によくモテる。特に新学期が始まって間も無いこの時期は、新入生からほぼ毎日のように告白されるのだ。無論、一年の時は先輩や同級生から告られていたわけだが。だからといって、驕ったり浮ついたりすることも無く、どちらかと言えば淡白でストイックな印象が、更にそのモテ度を上げることになるのである。
下足棚にラブレターが投げ込まれるのも既に日常と化していて、今朝も三通ほど入っていた。昔はちゃんと読んでいたらしいが最近は目を通すのも億劫になったようで、封も開けないまま自宅の押入れに山積みしてあるのを、遊びに行った時丞も目にしていたのだ。その多さに唖然となったが、読まないまでも捨てずに残している龍利の微妙な優しさに、丞は一人苦笑したものだった――。
「あっ、やばい」
階段をあと数段で下り切ろうかという頃、突如聞こえた龍利の声に驚いて、丞は横を見上げる。
「新入部員の名簿、顧問のとこに取りに来いって言われてたんだった。どうするかな、時間ないのに……」
弓道部顧問、瀬戸教諭がいる第一職員室は、隣の校舎の二階にある。渡り廊下で繋がっているとはいえ結構な距離だ。
腕時計を見て顔を顰める彼に、軽く言葉を投げる丞。
「俺が取ってこようか?」
それを聴いて、龍利は時計から丞へと視線を移す。
「いいのか?」
「一職(第一職員室)だろ? 急いで取ってきて部室に持ってくから、早く行けよ」
「悪いな、丞。頼む」
自分の目線まで屈み顔の前で手を合わせる龍利に、丞は「いいって」と笑いながら再び階段を駆け上がった。
急ぎ足で廊下を戻る。その手には、分厚い紙の束とファイル数冊。
「…ったく、何なんだよ。名簿だけっつったのに」
息を切らして名簿を受け取りに行った丞に、部員でも無い彼と既に馴染みになっている瀬戸顧問は、ついでだからと部歴のファイルや資料まで押し付けてくれた。
鞄片手に重いファイル類を抱え直して、先程の階段を駆け下りる。靴に履き替えようと昇降口の下足棚に近付き掛けた時、ふと棚の陰に佇む龍利の姿を見止めた。折角行ってやったのにまだこんな所にいたのかと怒鳴ろうとした丞は、もう一つの人影に気付いて押し黙る。
「――駄目ですか…?」
そう呟いたのは、やはり一年生と思しき男子生徒。
(またか…)
男女問わず万人に好感を与える龍利が、男子生徒から告白されるのは珍しいことでは無い。だが、その現場に直面するのは初めてだった。丞は棚の裏に隠れて、そっと様子を窺う。少女っぽい顔立ちのその男の子は、息を詰めて龍利の返事を待っているようだった。
「ごめん…」
薄暗い昇降口に、ポツリと龍利の言葉が落ちる。
「俺、好きな人いるから……」
(……え?)
丞は首を捻った。
(さっきの女の子ん時と、断り方が違うような…。ってか、龍に好きな人なんていたっけ?)
「……そうですか。そうですよね。すみません、勝手に告白なんかしちゃって……。それじゃ、失礼します」
パタパタと走り去る足音が聞こえ、数秒経ってから龍利が靴を取り出す気配を感じた。棚の裏から出てそちらへ近付く。上履きを仕舞った彼が振り返った。
「…あれ…? 丞? もう行ってきたのか?」
「もうって、何分経ったと思ってんだよ。それにこの重さ、何とかしてくれ」
腕からずり落ちそうになっているファイルを顎で示すと、龍利がそれを受け取って小脇に抱えた。
「こんなに持たされたのか、本当にすまなかったな。今度、何か奢るから。…って、そんなに時間経ったのか?!」
再度腕時計に目を遣る龍利の顔が、焦りの表情一色に染まる。
「…龍、さっきの――」
「ごめんっ、マジで遅刻だ。また後でな!」
何か言い掛けた丞の声も耳に入ること無く、龍利は慌ただしく外へと飛び出していった。
静かな昇降口にポツンと一人突っ立って、丞は嘆息する。
「自分で決めた時間に、主将が遅れてんじゃねぇよ。バーカ」
ノロノロと靴に履き替えると大きく伸びをする。さて何処で寝てようかと考えながら、表へ歩き出した。
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