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楼蘭妃の憂鬱
お義母様にお会いしました
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第六皇子妃であり、レナードの母である琉紗妃。100年ほど前に皇国に輿入れした私の高祖伯母、ルーシャ・リドゲートだ。
「一度あなたに会いたいって、ずぅっと招待状を送り続けていたのよ♪ なのにあの子ったら、『ローレンスは勉学に励んでおりますゆえ』ってちっとも会わせてくれなくて!」
私よりもずっと年下にしか見えない、可憐な少女。ぷぅっと膨らせた頬すら愛らしい。これが齢150を数える龍神の妃だとは誰も思うまい。
「ご無沙汰、お詫び申し上げます」
「あらぁ、ローレンスちゃんのせいじゃないわよう。うちの息子が、ごめんなさいね♪」
ルーシャの住まいは、故国の令嬢の部屋の設そのままだ。猫足のテーブルにフカフカのソファ、レースやフリルがふんだんにあしらわれたファブリック。彼女のドレスもそうだ。それが不思議と、皇国の伝統的な建造物とマッチしている。落ち着いた色味のせいかもしれない。
彼女との対談は、なかなか興味深かった。これまでにもアネシュカから様々な事柄について教えを乞うたが、ルーシャ姉上(そう呼べと言われた)は、何も知らないまま若くして輿入れしてきた私に、皇国で誰もが知っている常識や、後宮での身の振り方、龍神の妻としての基本的なことをレクチャーしようと、心待ちにしていてくれたらしい。
彼女の夫もまた、リドゲートの翼蛇こと翼を持つ龍神だ。第六皇子とはいえ、実質的な実働部隊の長であるらしい。第五皇子までは皇国に古来より生息する直系の龍神、すなわち木火土金水を司る一族が占めており、皇国の北を水の黒龍、東を風の青龍、南を火の赤龍、西を金の白龍、そして中央を土の黄竜が守っている。彼らはその地に留まることで龍脈を整え維持する、要石のような存在だ。
一方、第六皇子以下は皇国の外、この世界全体を広く受け持つ。そして担当するのは、木火土金水のいわゆる「本家」ではなく、世界中に生息する「分家」たち------リドゲートの翼龍もそうだ。彼らは土着の信仰などと結びつき、様々な進化を遂げている。王族と地方領主のように、地方のことは地方に任せたほうがいいのだ。その取りまとめに、在野の龍神のうち最も強力なものが第六皇子に、次席が第七皇子に任ぜられる。
「ほら、龍ってみんな自由気ままじゃない?だから家ごと契約してるリドゲートが、どうしても押し付けられちゃうのよねぇ♪」
とは、姉上の談である。我がリドゲート家と翼龍は、幼い頃からバディ関係を結ぶため、リドゲートから見ると、翼龍の庇護を安定的に得ることができる。一方翼龍側にとっても、物質界におけるパートナーを見つけやすく、力を伸ばしやすい。人間社会のしがらみに慣れているため、組織に収まることもあまり苦にならない。
多くの龍にとって、本家たる五家の龍神が各方位に鎮座して守護することは、退屈で信じ難いそうだ。同じく、組織立ってこの世界のエネルギーバランスの秩序を保つことも。したがって、リドゲートと翼龍が、地方領主の取りまとめ、いわゆる宰相のようなポジションに就きやすいという。さしずめレナードは、宰相補佐といったところか。
ちなみに彼女の夫たる第六皇子、つまり宰相であるレナードの父上は、長期出張中だ。彼は土属性で、一度執務に赴くと、大規模な地脈操作のため数ヶ月は帰って来られないらしい。「夫元気で留守がいい」とはけだし名言である。
「それにしても、うちの子、ちゃんとやってるかしら?」
「ええ。いつも良くしていただいております、姉上」
「ごめんなさいね。あの子、本当に聞かん坊で」
レナードの母上たるルーシャ姉上から彼の話を聞くまで、私は夫のことをほとんど何も知らなかったのだと思い知らされた。レナードは彼女の五男、六男一女の下から二番目の子供だそうだ。
リドゲート一族と契約する翼龍は、生まれた順に一族とペアとなる。未熟な翼蛇の従魔という形で寄り添い、ほとんどの場合は主人たるリドゲートがこの世を去ると、契約が終わる。稀に、特に相性が良く、神格を得るまで成長を果たしたペアは、龍神と伴侶という形で皇国に移住する。リドゲートは元々龍神と相性の良い遺伝子を持っているため、人と龍とが自然と番い、平和的に共存していた。
だがレナードだけは違った。
「あの子、ロイドの四男と番うって、50年前からあなたを待ってたのよ♪」
初耳だ。レナードは私よりずっと年上だったのか。
「ロイドはそれに反対でね。ほら、故郷から離れて、永遠の寿命を授かって、龍の妃になるわけじゃない?しかも四男って男の子だし。だからロイドは、結婚しても絶対に四男を作るまいとしてたんだけどね…」
姉上の話をまとめると、レナードは50年前に父上とペアになる予定が、父上が将来儲けるであろう四男が良いと聞かず、レナードの弟が父上とペアになったらしい。父上は後々その話を聞いて、レナードは危険だと予感し、母上に了解を取って一人っ子に止めようと努めたが、何故か毎回避妊に失敗し、結果私が生まれたのだという。レナード…。
「でも良かったわ。あの子とあなたが無事に番って、仲睦まじく暮らしてくれれば、私としてはこれほど嬉しいことはないわねっ♪」
私は苦笑を返した。
「それでそれで、新婚生活はどうなのッ?まだまだ二人で楽しみたい感じっ?♪」
「いえ、姉上、私は」
姉上は、私が半年で既に二子を儲け、腹に第三子を抱えていることを知ると、絶句していた。
私は何も知らなかった。龍の産卵は命懸けのため、短期間に子を授かるのは避けること。だから龍の雌は当然避妊の方法も知っているし、雄を受け入れるかどうかは全て雌が決めること。なおもしつこく迫って来る雄は、結界を張って拒絶することもできるそうだ。そうでなければ、雌の身体の負担が大き過ぎるのだとか。
「ごめんなさい。私がちゃんとレナードを躾けられなかったばかりに…」
陽気な姉上がしゅんとしょげて、痛ましい表情をしている。そして何とか私を労わろうと、優しくハグし、言葉を掛けてくれたようだったが、私の耳には入らなかった。
何をどうやって自分の宮に帰ったのか、覚えていない。気が付けば、自室の寝台に腰掛け、二つの我が卵を掻き抱いて、静かに涙を流していた。
私は余りに何も知らなかった。レナードのことも、龍神のことも。自分のことも。きっと誰も悪くない。私が何も知らない事すら、みんな知らなかったのだ。教えようもあるまい。
だが、レナード------彼にとって、私は何だったのか。姉上は、私が必死で産み落とした子の存在すら知らなかった。いつも激しく求められて、愛されていると思っていたのに。
私は卵をそっと懐に収め、そしていつも夫がそうするように、虚空に向けて露台を蹴った。
「一度あなたに会いたいって、ずぅっと招待状を送り続けていたのよ♪ なのにあの子ったら、『ローレンスは勉学に励んでおりますゆえ』ってちっとも会わせてくれなくて!」
私よりもずっと年下にしか見えない、可憐な少女。ぷぅっと膨らせた頬すら愛らしい。これが齢150を数える龍神の妃だとは誰も思うまい。
「ご無沙汰、お詫び申し上げます」
「あらぁ、ローレンスちゃんのせいじゃないわよう。うちの息子が、ごめんなさいね♪」
ルーシャの住まいは、故国の令嬢の部屋の設そのままだ。猫足のテーブルにフカフカのソファ、レースやフリルがふんだんにあしらわれたファブリック。彼女のドレスもそうだ。それが不思議と、皇国の伝統的な建造物とマッチしている。落ち着いた色味のせいかもしれない。
彼女との対談は、なかなか興味深かった。これまでにもアネシュカから様々な事柄について教えを乞うたが、ルーシャ姉上(そう呼べと言われた)は、何も知らないまま若くして輿入れしてきた私に、皇国で誰もが知っている常識や、後宮での身の振り方、龍神の妻としての基本的なことをレクチャーしようと、心待ちにしていてくれたらしい。
彼女の夫もまた、リドゲートの翼蛇こと翼を持つ龍神だ。第六皇子とはいえ、実質的な実働部隊の長であるらしい。第五皇子までは皇国に古来より生息する直系の龍神、すなわち木火土金水を司る一族が占めており、皇国の北を水の黒龍、東を風の青龍、南を火の赤龍、西を金の白龍、そして中央を土の黄竜が守っている。彼らはその地に留まることで龍脈を整え維持する、要石のような存在だ。
一方、第六皇子以下は皇国の外、この世界全体を広く受け持つ。そして担当するのは、木火土金水のいわゆる「本家」ではなく、世界中に生息する「分家」たち------リドゲートの翼龍もそうだ。彼らは土着の信仰などと結びつき、様々な進化を遂げている。王族と地方領主のように、地方のことは地方に任せたほうがいいのだ。その取りまとめに、在野の龍神のうち最も強力なものが第六皇子に、次席が第七皇子に任ぜられる。
「ほら、龍ってみんな自由気ままじゃない?だから家ごと契約してるリドゲートが、どうしても押し付けられちゃうのよねぇ♪」
とは、姉上の談である。我がリドゲート家と翼龍は、幼い頃からバディ関係を結ぶため、リドゲートから見ると、翼龍の庇護を安定的に得ることができる。一方翼龍側にとっても、物質界におけるパートナーを見つけやすく、力を伸ばしやすい。人間社会のしがらみに慣れているため、組織に収まることもあまり苦にならない。
多くの龍にとって、本家たる五家の龍神が各方位に鎮座して守護することは、退屈で信じ難いそうだ。同じく、組織立ってこの世界のエネルギーバランスの秩序を保つことも。したがって、リドゲートと翼龍が、地方領主の取りまとめ、いわゆる宰相のようなポジションに就きやすいという。さしずめレナードは、宰相補佐といったところか。
ちなみに彼女の夫たる第六皇子、つまり宰相であるレナードの父上は、長期出張中だ。彼は土属性で、一度執務に赴くと、大規模な地脈操作のため数ヶ月は帰って来られないらしい。「夫元気で留守がいい」とはけだし名言である。
「それにしても、うちの子、ちゃんとやってるかしら?」
「ええ。いつも良くしていただいております、姉上」
「ごめんなさいね。あの子、本当に聞かん坊で」
レナードの母上たるルーシャ姉上から彼の話を聞くまで、私は夫のことをほとんど何も知らなかったのだと思い知らされた。レナードは彼女の五男、六男一女の下から二番目の子供だそうだ。
リドゲート一族と契約する翼龍は、生まれた順に一族とペアとなる。未熟な翼蛇の従魔という形で寄り添い、ほとんどの場合は主人たるリドゲートがこの世を去ると、契約が終わる。稀に、特に相性が良く、神格を得るまで成長を果たしたペアは、龍神と伴侶という形で皇国に移住する。リドゲートは元々龍神と相性の良い遺伝子を持っているため、人と龍とが自然と番い、平和的に共存していた。
だがレナードだけは違った。
「あの子、ロイドの四男と番うって、50年前からあなたを待ってたのよ♪」
初耳だ。レナードは私よりずっと年上だったのか。
「ロイドはそれに反対でね。ほら、故郷から離れて、永遠の寿命を授かって、龍の妃になるわけじゃない?しかも四男って男の子だし。だからロイドは、結婚しても絶対に四男を作るまいとしてたんだけどね…」
姉上の話をまとめると、レナードは50年前に父上とペアになる予定が、父上が将来儲けるであろう四男が良いと聞かず、レナードの弟が父上とペアになったらしい。父上は後々その話を聞いて、レナードは危険だと予感し、母上に了解を取って一人っ子に止めようと努めたが、何故か毎回避妊に失敗し、結果私が生まれたのだという。レナード…。
「でも良かったわ。あの子とあなたが無事に番って、仲睦まじく暮らしてくれれば、私としてはこれほど嬉しいことはないわねっ♪」
私は苦笑を返した。
「それでそれで、新婚生活はどうなのッ?まだまだ二人で楽しみたい感じっ?♪」
「いえ、姉上、私は」
姉上は、私が半年で既に二子を儲け、腹に第三子を抱えていることを知ると、絶句していた。
私は何も知らなかった。龍の産卵は命懸けのため、短期間に子を授かるのは避けること。だから龍の雌は当然避妊の方法も知っているし、雄を受け入れるかどうかは全て雌が決めること。なおもしつこく迫って来る雄は、結界を張って拒絶することもできるそうだ。そうでなければ、雌の身体の負担が大き過ぎるのだとか。
「ごめんなさい。私がちゃんとレナードを躾けられなかったばかりに…」
陽気な姉上がしゅんとしょげて、痛ましい表情をしている。そして何とか私を労わろうと、優しくハグし、言葉を掛けてくれたようだったが、私の耳には入らなかった。
何をどうやって自分の宮に帰ったのか、覚えていない。気が付けば、自室の寝台に腰掛け、二つの我が卵を掻き抱いて、静かに涙を流していた。
私は余りに何も知らなかった。レナードのことも、龍神のことも。自分のことも。きっと誰も悪くない。私が何も知らない事すら、みんな知らなかったのだ。教えようもあるまい。
だが、レナード------彼にとって、私は何だったのか。姉上は、私が必死で産み落とした子の存在すら知らなかった。いつも激しく求められて、愛されていると思っていたのに。
私は卵をそっと懐に収め、そしていつも夫がそうするように、虚空に向けて露台を蹴った。
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