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13,花火

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 花火大会。
 東京湾付近で開催されるその大会には、毎年多くの人が全国から集まり、夏の夜空に花開く輝きを見るのが風物詩となっていた。
 どちらかと言えばインドア派の僕は、毎年自宅の窓からそれを見ていたのだけど、今年は白石さんと共に現地へ行って花火を楽しむ約束をしていた。
 天気は予報通り晴れだった。
 開催を告げる花火の音が朝から家の中にいても耳をすませると遠くから聞こえ、とても楽しみだったしワクワクしていた。
 ラインで「雨降らなくて良かったね。楽しみ」と白石さんに送ると、「ホントにね。私もとっても楽しみだよ」と返事がくる。
 朝の内に勉強を済ませ、今日することを確認して少し休んだ。
 十五時頃に家を出て、駅で白石さんのことを待つ。
 彼女にしては珍しく、まだ来ていなかった。
 柱にもたれ掛かりながらラインで連絡してみると、着替えに意外と手間取ってしまって、今移動中だとのことだった。
 浴衣という普段着ない物を着るのは少々困難だろうし、仕方ない。
 僕は持ってないし新しく買ってもいないので、普段着だった。
 電車が混み合う前に現地に行っておきたいよなと思いながらしばらく待っていると、人ごみの中に見覚えのある影を見つける。

「倉部くんっ」

 よく聞き覚えのある声。
 その声の主が、僕の方へと近づいてくる。

「あ、白石さん」

 僕は手を軽く上げて会釈する。
 持っていたスマホをポケットにしまい、僕の方も彼女へと近づいていった。

「ごめん。待った?」
「僕もさっき来たところだから、そんなに待ってない」
「よかった。早速行きましょ。時間経つと電車が混雑するだろうし」

 白石さんは浴衣姿だった。
 白地にヤモリの腹のような色をした金魚の柄が散らされていて、その朱が映えて美しかった。
 薄い布地は彼女の細い身体にぴったりと馴染んでいて、そのラインが薄らと透けて見えるかのよう。
 上品な色気。
 大人びた魅力。
 着飾った彼女は、凛々しさと可愛さを併せ持った、乙女のようなオーラを出していた。

「似合ってるよ。とっても」
「ありがとう。ちょっと奮発して買ったの」
「何と言うか……風紀委員としての自覚はあるんだなって思った。きっちりと着こなしていて、案外肌も出てないし」
「ちょっと引っかかる言い方だけど……まあ、いいか」

 僕らは切符を買って、電車に乗る。
 電車に揺られて浜松町へ移動する。電車の中には白石さんと同じく浴衣で着飾る人が結構いて、祭りなんだなと実感出来た。
 目的地には十八時頃に着いた。既に浜松町は人で賑わっていて、花火大会の開催を皆が待っている。

「結構人、いっぱいいるね」

 僕は白石さんに言う。
 東京の花火大会なら人で埋め尽くされているのは当然だろと、言ってから気がついた。
 こういうリア充系のイベントに来た経験が殆どないことがバレたかなと思ったけど、「うん。私もびっくりした」と白石さんは返してくる。

「あれ、白石さんもこういう場に遊びに来た経験あんまり無いの?」
「うん。殆ど。……私の両親、忙しくてあんまり遊びに行かせてもらえた経験無いんだ」
「そうなんだ……」
「一緒に遊ぶ友達もいなかったし。でも、自宅の窓から見る花火も綺麗だから、寂しくなかったよ」

 本当だろうか。
 彼女の視線は地面に向けられていた。自分の今まで歩んできた人生を見下ろすかのように。
 ……たぶん、本当は寂しかったのだろうと思う。
 だって。

「……一度しか無い青春だからさ。楽しもうよ」
「一度しか無い、青春……」

 僕の言葉を白石さんは反芻する。
 彼女は以前、言っていた。
『風紀委員だけど、私だって恋愛したい。冒険してみたい。……一度きりの人生だし。一度きりの、青春だし』
 そう言って僕に口付けを求めてきた。そう言って僕との恋愛関係を始めてきた。
 きっと彼女は憧れているのだと思う。
 少し背伸びした青春を。

「……じゃあ倉部くん。楽しませてくれる?」
「あ、うん。僕に出来る範囲でなら」
「じゃあ、あそこの屋台でたこ焼き買わない? ちょっとああいうお店、憧れていたし」
「分かった」

 僕らはそのお店でたこ焼きを購入する。
 六つ入りのものを割り勘で。

「美味しいね」

 僕らはそう言い合いながら道端で食べる。
 食べ歩きは品がないから立ち止まって食べましょうと、白石さんが言ったから。

「倉部くん、舌火傷しないようにね?」
「……そこまで子供じゃないから大丈夫」

 楽しかった。

***

 それから僕らは花火が始まるまでの間、色々な露店を見てまわった。
 リンゴ飴とか、チョコバナナとか、イカ焼きとか。
 案外白石さんは食べる方だった。太らないのが不思議なくらい食べていた。
 それを指摘するのはデリカシーが無さ過ぎるだろうというのは僕にも分かるので、黙っていたけど。
 気がつけば十九時。
 花火大会開始の時刻だった。
 空は墨を溶かしたように暗く、雲一つ無い晴れ空だった。
 周囲の建物や街灯、屋台の明かりのお陰で、辺りは昼間のように明るい。

「始まるね。倉部くん」
「うん。楽しみだな」

 僕らは空を見上げる。ビルの間から闇空が帯のように広がっていて、あの空をキャンバスに夏の火花が咲き誇るのだと思った。

「あっ」

 白石さんがそう呟いた時、口笛のような音が耳に聞こえた。
 僅かな間を置いた後、炸裂音と同時に聞こえる散らばるような音。
 よく晴れた空を覆いつくす、菊型の花火。
 煌く光の滴。色取り取りの輝き。
 夜空を見上げる人々の顔が、黄色や橙色に輝く。
 夢のように儚い大輪。鮮やかな残滓を残しながら、時間を掛けて虚空へと消える。
 きらきらとした火の粉は手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じられた。
 と思った時には二度目の爆音が鳴り響いている。
 一発目の花火で沸き起こった歓声が止むのを待たずに。
 鮮やかな花火が再び夜空一面に咲いて、更に人々は歓声を上げた。
 そんな中、僕らはじっと夜の光の雫を見ていた。
 お互いに黙っていて、けれどそれは嫌な沈黙ではなくて。
 白石さんが、片手で僕の右手を握った。
 恐る恐る。「本当に触れてもいいのかな」と躊躇うように。
 僕はその手を握り返す。
 そうすると、白石さんは更に強く力を込める。
 言葉は不要だった。
 いくつも上がる花火。
 輝いては儚く消えて、また打ち上がって。
 横にいる彼女の顔をふと見る。
 冷たい輪郭の頬は、空が明るくなるたびに様々な色に変化する。
 彼女の黒い瞳の中には鮮やかな光が潤むように映っていて、空の景色が変わると影を乱したように溶けて崩れていく。

「綺麗だね」

 白石さんが言った。
 周囲は喧騒に包まれていたけれど、不思議とその声は僕の耳にはっきりと聞こえた。

「うん」

 僕はただ一言、そう返した。
 彼女の親指の腹が、愛しげに僕の指を撫でて来た。

***

 花火が終わる。
 街や海が様々な色に明滅する夢の時間は終わり、空には暗い霧がかかった様な夜が帰ってくる。
 東京の空はいつもより黒く広く感じられて、夢の浅瀬にいるかのように思えた。

「倉部くん、そろそろ帰る?」
「うん。……帰ろうかな」

 時刻は二十時三十分だった。
 それほど遅い時刻ではないし、もう少し遊んでいてもよかったけど、僕はそう答えた。
 浜松町の街路を僕らは歩いて駅に向かう。

「楽しかったね。倉部くん」
「うん。良い思い出になったよ」
「青春って感じがした。ありがとね。一緒にいてくれて」
「……うん」

 花火が終わり、僕の胸にはある想いが浮かんでいた。
 白石さんとの夏の思い出も、これで終わりなのかなと。
 ここで別れれば、もう殆ど出会う機会は無いと思う。そろそろ彼女は新居に移る準備もしなくてはならない訳だし。
 まあ、合間を縫って勉強に誘うとかはあるけど、八月も末なのだから夏に顔を合わせる機会はもうあまり無い。
 終電もまだまだ時間があるし、もう少し遊ぼうと提案するか?
 でも、露店は既に結構周ってしまったし、浜松町って何かあったっけ。

「……あ」

 僕は視界の隅にとある建物を見つけた。
 それなりの大きさのコンクリート作りに、ネオンライトの看板が輝いていた。
 流石にここに誘うのは勇気がいるか?
 逡巡の後、僕は足を止めて口を開く。

「……ねえ。あそこ寄らない?」
「え? どこ?」

 白石さんは不思議そうに僕に尋ねる。
 僕が目を逸らしながら指を指した方向を見ると、白石さんは「ええ……?」と困惑したような声を出す。

「倉部くん。風紀委員をホテルに誘うって良い度胸してるよね」
「流石に、駄目?」
「私も色々やっちゃったし求めたりもしたから強く言えないけど、高校生が入るのはどうかと思うよ」
「ごめん。この提案は無かったことで」

 僕は後悔した。幾ら彼女との時間を引き延ばしたくても、ムードを壊すようなことをするべきではなかったな……。
 好感度下がったかなと彼女の顔を見る。
 しかし白石さんは意外と侮蔑したような表情はしていなかった。

「でもさ、倉部くん。風紀委員としては認められないけどね。セフレとしてはいいかなって思う」
「え……」
「もう顔合わせる機会も殆ど無くなるよね。私そろそろ自分の荷物纏めたり忙しくなるし。……最後にね。……最後の締めにね……ちょっと悪い子になるってのもいいのかなって思った」
「もう白石さんはだいぶ悪い子だと思うよ」
「っ……うるさい。……その通りだし強く言い返せないけど」
「というか、やってくれるの?」
「……一回だけだからね? 終電までには終わらせること。ちゃんと避妊はすること。後、ホテルの受付で止められたら諦めて帰ることと、お金は二人で出し合うこと」
「現金?」
「そう。私は明細を親に見られるんだから、カードでホテル利用するわけにはいかないの」
「そういえばそんな事情あったね」
「お金、あるよね?」
「花火ってことでそれなりに持って来てはいる。……バイトしてない身では痛いけど」
「私が多めに出すから、それでいいでしょ? 行くならさっさと行こうよ」

 白石さん、何か乗り気じゃないか?
 ホテルに誘われること、意外と期待していたのだろうか。
 それを彼女に伝える勇気は無かったけど、僕に信頼か好意を抱いているのだろうなと予想すると、少し嬉しくなった。
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