56 / 84
さんどめの春
アルとアル
しおりを挟む辺りが暗くなった頃、アルは鍵の男だけを従えて再び私の部屋を訪れた。
「ではわたしは」
そう言って外に出ようとする男を呼び止めると怪訝そうな顔をして振り向いた。
「貴方の名前を知りたいのです」
「構いませんが……何故わたしの名を?」
「鍵を開けてくれた方って呼ばれたくはないでしょう?」
ホントは鍵の男、だけどね。
「近衛隊長のカイル・ロードソンです。鍵を云々ではなくどうぞカイルと呼んでやって下さい」
アルに言われ私に向き直って礼を取るカイルに私も頭を下げた。
「ではカイル。あーるつーの事を聞いて頂いてありがとうございました」
「「あーるつー??」」
アルとカイルは同時に声を上げる。頭の上ににクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えるようだ。
「あ、そのサイドテーブルの事です。名前についてはどうかお気になさらず」
カイルはポカンとしていたが、首をブンブンと振ると咳払いを一つし『大切になさっていた様子でしたので』とだけ言って出て行った。
「どうしてサイドテーブルと共に監禁されているのです?」
ドアが閉められるとすぐさまアルが私の顔とあーるつーをあきれ顔でジロジロ眺め、ため息混じりに聞いてきた。
「いくら私だって、サイドテーブルに愛情が湧くとは夢にも思わなかったわよ!宿屋から逃げ出さないように足枷の鎖を巻き付けられて、何処に行くにも抱えていたらなんだか可愛らしくなって来ちゃって……」
「全く、目を離すとすぐこれだ」
アルは困ったように眉尻を下げた。紙飛行機を取ろうと木に上った時も、脚立の上で本を読んでいた時も、アルはいつもこうやって呆れていた。そして優しく笑いかけてくれた。ピピル様からは目が離せないと口癖のように言っていた。
「それなら……それならどうして目を離したの?」
アルは一瞬目を見開き慌てて顔を背け私の視線から逃れたが、私はその前に廻りこんでアルの腕を掴んで叫んだ。
「どうして側に居てくれなかったの?どうして黙っていなくなったの?私は……私はアルが大好きなのに……」
私は崩れ落ちるようにカウチに座り、あーるつーに腕を預けて泣きじゃくった。
「そういう事でしたか……」
いくら私だって怖くなかったはずがない。我を忘れて取り乱しそうになる気持ちを必死に堪えてきたのだ。一人で閉じ込められた部屋の中で我慢出来ずにこっそり泣いていた私をあーるつーだけが知っている。あーるつーは優しい瞳で見守ってくれたアルの代わりだったのだ。
私はゆっくりと顔を上げ、何時からかあーるつーの横に跪いていたアルを見下ろした。アルは微笑んでいる。でもその微笑みには私の知らなかった切なく哀しい色が加わっていた。
「私には貴方達の目的はわからない。きっとそこには貴方達なりの正義があるのでしょう。でも、グラントリーと組むのは間違っている。貴方はそれがわからない程愚かでは無いはずよ?」
「やはりお気づきでしたね」
「マライアが一緒で気がつかない筈がないじゃない。あの人ができるのは姑息な嫌がらせくらいだもの」
マライアは25歳。グラントリーが夢中になっていた16歳の彼女と比べれば様変わりしているのだろう。正妃との間に子のいないグラントリーの子を産んでいたら違っていたかも知れないが、遊び好きの彼女は身重になることを嫌い避妊薬を常用しているという噂だった。それだけではなく贅沢で際限無く物を欲しがる彼女は、今ではグラントリーに疎ましく思われているという噂も耳に入っていた。
彼女なら協力することでグラントリーの心が取り戻せると単純に思っただろう。お前が憎んでいるあの女を痛めつけてやると言われ真に受けたのかも知れない。どちらにせよマライアは利用された。そして、きっともう何処にもいない。
「志だけではどうにもならないのです。信念を貫く為に手を汚さざるを得ない、そうしてでも尚成し遂げねばならない悲願が我々にはある」
「……それは、シルセウスの再建?」
アルは深く頷いた。
「わたしは乳兄弟を身代わりにして逃がされたシルセウス王家ただ一人の生き残りです」
表情を消し去ったアルは淡々と語りはじめた。
かつてシルセウスに留学していたディケンズ子爵とアルの乳母が恋仲だったこと。アルの代わりに殺された乳兄弟の父親は、最愛の恋人への思いを断ち切れずに不倫関係にあったディケンズ子爵であったこと。ディケンズ子爵は我が子と騙されアルを引き取ったこと。カイル達はシルセウスはハイドレンドラに狙われていると考えてディケンズ子爵にアルを預ける手筈を整えていた。だから敵国になったセティルストリアに送ったのは苦渋の決断だったこと。
「隠し子として引き取られたわたしに義母や義兄弟が冷たく接するのは当然です。わたしは早々に家を離れようと騎士団に入りました。ただそれだけの理由で何の企みも無かった。辛さから逃げ出しただけです。しかし腕が認められ近衛騎士になりセティルストリア王家に仕えるようになると、何時しか掻きむしられるような胸の痛みに苦しむようになりました。勿論国を奪われた憎しみもあった。けれどもお側に仕え、陛下とファビアン殿下が己の全てを投げ打って国の為に尽くしている姿を目にするようになると、自分の無力さを思い知り情けなくてなりませんでした。わたしは国を護るべき王子でありながらただ生きながらえているだけではないかと。カイル達が接触を謀って来たのはその頃でした」
そこまで言うとアルは再び私に向かって微笑んだ。
「しかしシルセウスの再建を決意したわたしは、陛下や殿下を裏切る罪悪感に苛まれ今度は別の胸の痛みに苦しむことになった。それはこれまで以上の激しい苦しさでした。でも思いもよらぬ形でその苦しみを和らげてくれる存在が現れたのです。無邪気で悪戯でお人よしで、わたしを見上げて瞳を輝かせるその人にはとにかく手をやかされました。なにしろ見かけによらず大変なお転婆娘でしたから。でもその人と共に過ごす時は楽しくわたしの心に安らぎを与えてくれました」
アルは何時でも私に優しかった。それなのに私はアルの苦しみに何も気がつかなかった。ただその優しさに寄り掛かりその笑顔に慰められていただけだ。
「アルは私の癒しだった。私も……アルの癒しになれていたの?」
私を見つめるアルの瞳がユラユラと揺れ、一筋の涙がつうッと頬を伝った。
「えぇ、貴女だけがわたしの悶え苦しむ心を癒してくれたのですよ」
私が手を伸ばしてアルの頬を伝う涙を拭うと、アルはその手を取り両手で包み込んでそっと額を押し当てた。それはまるで必死に赦しを乞うているかのようで、私の身にこれから起きることを確信させた。
「私は……殺されるのね」
アルは私の手に縋り付きながら頷く。言葉ではなく堪える嗚咽だけが漏れていたが、程なくして私の手を下ろし真っ直ぐに私を見上げて唇を震わせ『どうしてそれを……』と掠れた声で問い掛けた。
「単なる勘……理由なんて無いの。そんな気がしただけ」
私の答えを聞いたアルは肩を大きく上下させ深く息を吸うとほんの僅かの間だけ目を伏せた。再び私の視線と向き合ったアルの瞳はもう揺らいではいない。射抜くように真っ直ぐに私を見つめ、落ち着いた声でゆっくりと話しはじめた。
「春の妖精のお伽話はシルセウスに伝わるものです。あれはただのお伽話ではない。もう一つの忘れてはならない出来事が語り継がれる中で生まれた物語です。妖精のピピルはかつてシルセウス王家に生まれたピピリアルーナという名の姫君を表しているのです」
金や宝石を豊富に産出するシルセウスは小国故に隣国から常に狙われ小競り合いが続いていたが、遂に西側のリンダストリアからの侵攻に攻め込まれ落城した。魔王とはリンダストリアの将軍を指している。
将軍はピピリアルーナ姫を戦利品として連れ帰る事にした。しかし城を出て直ぐに将軍一行は行く手を阻まれた。ピピリアルーナ姫を奪還せんとピピリアルーナ姫の婚約者で英雄と呼ばれた騎士が率いるシルセウス騎士団が襲撃したのだ。
しかし多勢に無勢のそれは失敗に終わった。ピピリアルーナ姫を救うはずの英雄は将軍の剣に身体を貫かれ息堪えたのだ。
半狂乱になったピピリアルーナ姫は城に戻され塔に閉じ込められた。彼女の哀しみは深く月日が過ぎても心の安寧を取り戻す様子は見られなかった。
将軍はそれが気に障った。美しい姫は何よりの戦利品だというのに思い通りにならないのが気に入らなかったのだ。そして将軍はピピリアルーナ姫に迫る。大人しく馬車に乗るか、そうでなければ処刑されるかと。
ピピリアルーナ姫は戦利品とされることを泣き叫んで拒絶した。将軍は遂に姫を連れ帰る事を諦め処刑を決める。だが一思いに殺すのでは腹の虫が収まらなかった。
「ピピルが木の上に飛んで行き春の歌を歌ったとありますが、実際はピピリアルーナ姫は広場の中央に立てられた柱に縛り付けられたのです」
「火炙り……」
思わず息を飲んだ私にアルは頷いた。
ピピリアルーナ姫は連れ去られぬように正気を無くしている振りをしていただけだったのだ。彼女は柱に縛られても取り乱すことなく真っ直ぐに前を見据え、火が放たれると歌を歌い始めた。シルセウスの民なら誰もが知る春の歌を。炎に包まれた姫は悲鳴を上げる代わりに歌を歌い続けた。命が消えるその時まで。
命に代えても敵国に抵抗する姫の姿は民の心を打った。潜伏していた王太子率いる騎士団や軍の僅かな生き残りが蜂起すると、姫の想いを無駄にしてはならないと多くの民衆もそれに従った。そして予想していなかった事態に寝首をかかれたリンダストリア軍は撤退せざるを得なかったのだ。
撤退したことで姫を残忍に処刑したのが明るみに出た。将軍が感情的に一国の姫を火炙りするなど本来ならば言語道断。当然リンダストリアは他国から非難されそれ以降シルセウスに手を出せなくなった。
「シルセウスはピピリアルーナ姫に護られた。妖精ピピルの歌がシルセウスに春をもたらしたのです」
「でも今のシルセウスは冬じゃない。まだまだ貧しくともセティルストリア侵攻前の衰退しきっていたシルセウスに比べたら今の方が遥かにましだわ。あの頃は鉱物は掘り尽くされ寒さと痩せた土壌で作物は育たず、餓死する者もいたのでしょう?セティルストリアに併合された今の方が暮らしは良くなっている」
「だからです!」
突き刺すように私を見たアルの瞳は宿していた光を失っていた。
「民はシルセウス再建の重要性を理解しようとしない。シルセウスには立ち直る力があるのに信じようとしないのです。我々は民にシルセウスの誇りを取り戻さねばならない」
プロパガンダか……。
偶然にもシルセウス解放のシンボルである妖精の名を持つ私が国を奪った王族の婚約者になり、この名前と共に彼等にとっての価値を生んだ。お伽話の妖精を再び救国の姫として甦らせ、失っていた愛国心を取り戻す。それには悲劇的な要素があった方が効果的だ。処刑されたピピリアルーナ姫のように。
だから彼等は私を姫と呼ぶ。だから私は彼等に殺される。
でもこんなやり方は必ず信念を歪ませる。一点の曇りもない美しい物だった筈の志が醜く汚れて行くことに気がつかぬままに。
「アル……貴方はそれで本当にこの地の民を護れるの?王子としてシルセウスを取り戻す事に執着しているのではないの?」
アルは黙って立ち上がり私に背中を向けて歩き出しドアノブに手をかけた。
「もう私の名前を呼んではくれないの?」
アルは答えなかった。
私の耳に届いたのは閉められたドアの向こうから頑丈な鍵をかける音だけだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
80
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる