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プロイデンの燕

リリア

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 廊下を駆け抜け王太子妃の間を後にし階段を転げるように、その上最後の数段は飛び降りそのまま走った。長い廊下から庭園に近い出入口をすり抜け外に出ると噴水に向かってまた走る。しかし噴水の上辺りを漂っていた渦は突然ふわふわと移動し始め私は必死にそれを追いかけた。

 ようやく渦に追い付いたのは薔薇園の奥だった。

 渦の真下にぐったりと力を失ったリリアが倒れている。私は声にならない悲鳴を上げてリリアを抱き起こしたが、リリアの意識はなかった。

 「リリア、リリア!お願い、目を開けて!」

 揺すっても反応のないリリアの首筋に指を当てるとトクントクンと確かな脈が感じられた。安堵して力の抜けた身体を奮い立たせリリアを抱き締めたその時……

 私の背中に刃物の先端が押し当てられた。

 もうすっかり遠い過去のもののように忘れかけていたごみ集積所での最初の一撃。まさにその場所に触れている刃物の感覚に私は目を見張った。

 「動くな、と言うまでもないわね」

 クスクス笑いながらエレナ様が現れた。

 「リリアは巻き込まないで、お願い……」
 「あら、話が早いこと。あなたさえイイコにしてくれるならもちろんそうするわ。心配しなくても気を失っているだけよ。この娘に危害を加えられたくないなら大人しくしなさいね」

 ゆっくり頷いた私に刃物を突き付けているのであろう男が『両手を上げろ』と言った。私がそっとリリアを横たえて言われた通りに両手を上げると男は私の左腕を掴み背中から首筋にナイフを移動させた。

 「あなたには消えてもらうわ。だけど安心して。殺すわけじゃない、ジークの前から永遠にいなくなってしまうだけ。呪われた燕から自由になったらジークは私のものになる。何をしてもジークの心を捉えきれなかったのはあなたの呪いのせいだものね」

 エレナ様は私の正面に来るとにっこりと笑いかけてきた。

 「一目見た時からジークが欲しくてたまらなかった。だから私はなんでもしてきたわ。邪魔する次兄を殺し悪魔の鏡でジークの心を操った。でもね、おかしなことにジークの心を完全に私に傾けることができないのよ。無理に引き寄せようとすればするほどジークの心は私を拒絶する。だからあなたを消そうとしたけどあなたってしぶといのだもの。吹けば飛ぶような弱々しさのくせに王太子妃の地位にはしがみつく浅ましい女だったのね。でも今度ばかりは無理よ。もう二度とここには戻れないわ」

 エレナ様が上を見上げ小鳥を呼び寄せるようにチッチと舌を鳴らすとあの渦が降りてきた。溺れた私の魂を吸い込んだ時よりもずっとずっとどす黒く舌舐めずりをするように私に向かって靄を伸ばしている。

 私はエレナ様を見上げた。

 「リリアには絶対に手を出さないで!」
 「しつこいわね。でも良いわ、最後のお願いくらい聞いてやるから」

 エレナ様がリリアに両手を向けて目を閉じると地面からぶわりと風が起きエレナ様の髪を逆立てる。しばらくするとエレナ様の指先に光が灯りリリアを包み込んだ。

 突然風が止み光が消え去るとそこにはもうリリアの姿は無かった。

 「……リリアは?」 
 「噴水の側のベンチで眠りこけているわ。あなたの執務室の目と鼻の先だもの。直ぐに誰かが見つけるでしょう。さぁ、私は頼みを聞いてやったわよ。次はあなたの番。今度こそジークの前から消えなさい。でないと……」

 そう言ってエレナ様が立てた人差し指の先をキラリと光らせ私を指さして振った。その途端、どこにも触れていないのに左の袖に大きな裂け目が入り、私は勝手に震えだした指先を隠すようにぐっと握りしめた。

 「ここからでもどうにでもできるのよ?次は彼女のあの陶器のような綺麗な頬に大きな傷を付けてみようかしら?」
 「お願い、やめて!」
 「じゃあ……」

 エレナ様は渦をチラリと見てから私に視線を戻し楽しそうな笑顔を浮かべた。

 「おいきなさい。そうすればあなたは死ぬまで囚われの身、もう私の邪魔はできないわ」

 男が私の腕を引き上げ強引に立ち上がらせる。すると渦は飢えた野獣が口を開けたようにその中心を大きく広げて私ににじり寄って来た。早くその腹の中に私を取り込みたいのだと言うように渦の回転は急激に速くなり旋風みたいに強い風を起こしている。

 ドン、と男が私の背中を押した瞬間、私は渦に呑み込まれた。

 
 **********


 ドアが開き誰かがこちらに歩いてくる足音が聞こえる。私はもやもやとはっきりしない頭を振りながら起き上がった。辺りは薄暗くもう日が暮れているようだ。見覚えの無いこの場所は山小屋だろうか?ログハウスみたいに丸太を重ねた壁が四方を囲んでいる。私は暖炉の前のラグマットの上に転がされていたようで、焚べられた薪が暖かい炎を揺らしていた。

 「また会えたね、アンネリーゼ王太子妃」

 ランプを手に近づいて来た声の主ははやはりフリードリヒ王太子で、サイドテーブルにランプを置いてラグマットの脇に置かれたロッキングチェアにどかりと腰を下ろした。

 そして気味の悪い作り物のような微笑みを私に向けもう一度私を呼んだ。

 「いや違う。やっと会えたね、プロイデンの燕さん」
 
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