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13.スランプと成長期②

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 慌ただしく昼食を食べ終えオフィスに戻ると、立岡が何やら神妙な面持ちで岩村に話しかけていた。その手にはもうすぐ発売されるパウダーチークの試作品が握られている。

「ただいま戻りましたー。立岡くん、どうかしたの?」
「あっ……中里先輩、その」

 明希の姿に気付いた立岡は、なぜか気まずそうに眉を下げた。何かやらかしたのか、と今度は岩村の方に目を向けると、普段より数段低い声で問いかけられる。

「おい、中里ぉ。この商品のラベルシール、発注したのお前だよな?」
「え……は、はい、そうですけど」
「立岡が確認して気付いたらしいんだが、サイズが合ってないんだと。この発注書に書いてあるサイズ通りだと、思いっきりはみ出しちまうぞ」
「えっ……!?」

 ひったくるように岩村から発注書を受け取って、明希は自分が書いた内容を確認する。そして、岩村の言った通りシールのサイズが大きすぎることに気付いて、一瞬にして顔が真っ青になった。

「やばいっ、こ、工場に連絡しないと……!」
「……はあ。大丈夫だ、俺がもう電話した。幸い、刷り始めたばかりだったからやり直しはきくってよ」
「え……す、すみません!」

 慌てて頭を下げたけれど、岩村は呆れた表情でそんな明希を見つめているだけだ。岩村が本気で怒っていることを察して、明希の心臓がばくばくと大きく鳴った。

「お前がここに配属されてから、何回も言ってきたよな? 失敗はしてもいいが、手抜きはするなって。お前、この発注書見直したか?」
「み、見直した、つもりでした……」
「ほお? それじゃあ、どうして立岡に確認させなかった? 立岡の指導もお前の仕事のうちなんだから、お前がやってる仕事は全部立岡にも確認させろって言ったよな。立岡は、この発注書をさっき初めて見たらしいが」
「そ、それは……じ、時間がなくて」

 言い訳がましく言うと、岩村は鋭い視線を明希に向けたまま大きく嘆息した。
 忙しい時こそ確認を怠るなと、これまで岩村に何度も言われてきた。それなのに、立岡に発注書の内容を説明するのを面倒がって怠ってしまったのだ。

「いいか、新人じゃあるまいしわざわざ怒鳴ってやらないぞ。あとは自分で考えろ」
「は、い……すみませんでした」

 がっくりと肩を落とす明希を一瞥して、岩村は自分のデスクへと戻って行った。
 明希はとぼとぼとデスクに戻り、発注書を作り直そうとパソコンを立ち上げた。

「あの、中里先輩……? 僕、代わりにやりましょうか?」

 険しい表情で画面を見つめる明希に、立岡が心配そうに声をかけてくる。明希には他にも急ぎの仕事があることを分かっているからこその発言だったのだろうが、今の明希は立岡のその優しさを素直に受け取れなかった。

「ううん、いい。これくらい自分でできるから」

 自分で思ったよりもずっとそっけない言い方になってしまって、明希はまた自己嫌悪に陥る。これではまるで、立岡に八つ当たりしているみたいだ。
 立岡は、それ以上何も言わなかった。ただ黙って明希の元から去り、机に山積みになったサンプルとリストを一つずつ丁寧に確認している。
 立岡に謝らないと、と内心では思っていても、今は少しでも早く発注書を作り直して工場に送らなければならない。間違っていたサイズの部分を修正してから、明希はすぐさまそれをプリントアウトした。

「……おい、中里。それ、見せてみろ」
「えっ……は、はい」

 コピー機の前に立っていた明希に、岩村が低い声で命令する。コピー機から吐き出された発注書を恐る恐る岩村に手渡すと、彼はそれにさっと目を通してから、サンプル整理をしていた立岡を呼びつけた。

「立岡。これ、間違ってないか確認しろ」
「えっ……、あの、大丈夫です! サイズはちゃんと修正して……!」
「中里は黙ってろ」

 ぴしゃりと言葉を遮られ、明希は不本意ながらも口を閉ざした。
 立岡はそんな明希をまた心配そうな眼差しで窺ってから、発注書を受け取って目を通す。そして、ふっと眉をひそめたかと思うと、自分のデスクに置いてあったパソコンを操作してその画面と発注書を何度も見比べた。

「あ……やっぱり。これ、原料の部分が違ってます」
「えっ!? ど、どういうこと?」
「あの、少し前に表示名称の変更がありましたよね? その部分が、以前のままになってます。たぶんこれ、修正前のラベル案なんじゃ……」

 遠慮がちに指摘した立岡を押し退けて、明希も発注書と画面に表示されたラベル案を見比べる。立岡の言った通り、修正される前の案のまま発注書を作ってしまっていた。

「……中里」
「は……はい」

 振り返ると、岩村が明希を見据えながら仁王立ちしていた。新人の頃何度も見たその光景に、明希は思わず息を詰める。

「こんの、バカタレ!! 危うく二度も刷り直しさせるところだったぞ!」
「はっ……はい、すみませ」
「俺に謝ってどうすんだ! いいか、もう一度だけ言うぞ。失敗はしてもいいが、手抜きだけはすんな! それに、つまらねえ意地に周りを巻き込むな! いいな、分かったか!?」
「は、はい……」

 三課の面々だけでなく、通りがかった他の部署の社員まで何事かとこちらを窺っているのが分かる。情けなさと恥ずかしさで、明希の顔は真っ赤に染まった。
 そんな明希に追い打ちをかけるように、岩村は厳しい表情のまま言い放つ。

「今のお前と比べたら、立岡の方がよっぽど役に立つぞ。営業とアシスタント、交代したらどうだ?」

 それだけ言うと、岩村は鞄を手にとって三課を後にする。
 岩村がいなくなってからも、明希はその場で俯いたまましばらく動くことができなかった。
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