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誘拐と助け

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 他の客がいない昼下がりの店内。私は椅子に座って大きく息を吐いた。

「ご、ごめんなさい。あの、リーが男の人だと思っていなくて」
「勘違いするのも無理はないよ。あの頃は病弱で、動き回らないように女の子の姿で、おとなしく過ごすように言われていたから」

 私の反対側に座って、すまなそうに微笑むリーことリーアム。どう見ても青年なのに、美貌が……眩しすぎて直視できない。

「全然、気付かなかった……」
「それだけ家が厳しかったから」

 リーが着ている服は平民と明らかに違う。そういえば、子どもの頃にリーが着ていた服も派手ではなかったけど、上等で品があった。
 なぜ、気付かなかったのか……

「昼食がまだなんだけど、いいかな?」
「は、はい! あ、でも口に合うか、どうか……メニューも、そんなにないですし」
「メニュー表には、こんなに書いてあるのに?」
「それは、ほとんど売り切れていて。いま残っているのは、鶏もも肉の丸焼きとナマズのソテーと野菜炒めぐらいで」
「……チッ」

 それは、とてもとても小さな声だった。でも、不満と苛立ちが込められた……

(リーが!? 舌打ち!?)

 確認するようにリーの顔を覗くと、何事もなかったように微笑まれた。

「じゃあ、鶏もも肉の丸焼きをお願いしようかな」
「はい。少々、お待ちください」

(やっぱり、私の聞き間違いかな)

 私は注文を伝えるためにキッチンへ下がった。
 それから料理を前にしたリーは微妙な顔に。それから数口だけ食べると「じゃあ、また来るから」と代金を置いて店を出た。
 リーの行動に父が激怒したことは言うまでもない。



 それからリーは毎日、来るようになった。でも、食事はほとんどしない。飲み物と軽いつまみだけ。
 あとは私と話しをする。私と別れてから異国の地で、どんな生活をしていたのか。見たことも聞いたこともない景色に、食べ物に、出来事。どれも刺激的で楽しい。

 ――――――――けど。

 私が子どもの頃の話をすると、リーは早々に切り上げて別の話題へ切り替える。そのため、ハンカチの話もできない。それに……

「ルシル?」
「ご、ごめんなさい。えっと、盗賊退治の話だっけ?」
「そうそう。それで、助けた人がその国の偉い人でね」

 私を呼ぶ名前が違う。子どもの頃のリーは私のことを親しみをこめてルーシーと呼んでくれていた。
 年頃の男女があだ名で呼び合うと、変な噂をたてられるから? それとも……

 考え込む私にリーが笑いかける。

「助けてくれた礼にって、珍しいモノをもらったんだ。それをぜひ、ルシルにも見せたくて」
「私に?」
「そう。それで、仕事が終わったら私の家に来てくれないかな? とても貴重なモノだから、誰にも秘密で」
「え……でも、仕事が終わってからだと、夜遅くなるから……次の休みの日じゃダメ?」

 リーが眉間にシワを寄せる。怒りが混じったような不機嫌な顔。美形なせいか、怖いほどの迫力。思わず体が小さくなる。

 そんな私の様子を感じ取ったのか、リーが軽く笑った。

「急だけど明日、仕事の都合で、この街を離れないといけなくなったんだ。だから、見せられるのが今夜しかなくて」
「そ、そうなの……でも、夜に外を出歩くのは、ちょっと」
「オレが迎えに行くよ。だから、仕事が終わったら店の前で待っていて」
「けど……」

 リーが私の手首を握る。手荒れもなく、柔らかいけど、力強い。緑の瞳が私を逃さないように真っ直ぐ見つめる。

「どうしても、ルシルに見せたいんだ」

 剣幕にも等しい迫力に押され、思わず頷く。

「……わかった」
「約束だよ」

 念を押すように呟いた声は私を縛るようで。握られた手首には赤い痕が残った。



 仕事が終わり、店の戸締まりをした私はこっそりと外に出た。両親には片付けをしておくから、と店の上にある家に先に帰ってもらった。

 さっきまで客の声で賑わっていたのに、今は嘘のような静けさ。空には月もなく星明かりだけ。ほんのりと生暖かい、不気味な風が頬を撫でる。

「……リーは、まだ来てないか」

 私は言われた通り店の前で待った。周囲の窓の明かりがポツポツと消え、闇が増えてく。

「まだ、かな」

 不安にかられていると馬車が走る音が近づいてきた。

「こんな時間に?」

 ガラガラと激しい音。暗闇に揺れるランタンの灯り。天蓋のない荷馬車が石畳みを駆ける。
 私は馬車を避けるように、道の端に体を寄せた。

「どうしたんだろ……キャッ!?」

 馬車が私の前を過ぎ去る直前。伸びてきた手が私を掴んだ。私の短い悲鳴とともに、力まかせに馬車へ引きずりあげられる。

「ちょっ!? なにをするの!?」
「おとなしくしな。殺さなければ、なにをしてもいいって言われてるんだ」

 そう言った男が深く被ったフードの下で卑しく笑った。舐めずるような視線に寒気が走る。
 今は助けを求めて叫んでも馬車の音でかき消されるだろう。

 絶体絶命。なにもできない。

 恐怖で体がすくむ私をもてあそぶように男が迫る。

「領主邸に届けろって依頼だが、その前にちょっとぐらい遊んでもいいよな?」
「ちょ、ヤメ! いやっ!」

 ガタガタと揺れる馬車で男が器用に手綱を操りながら私を押さえつける。
 全力で抵抗するけど、力では敵わない。

「暴れると、痛いだけだぞ」
「ヤメテ!」

 私は死にもの狂いで腕を振り、足を蹴り上げた。

「グハッ!」

 男が短い悲鳴をあげて前屈みになり、馬車の速度が落ちる。

「今のうちに!」
「こ、コラ! 待て!」

 私は馬車から飛び降りて、狭い路地に入った。この道なら馬車で追ってこれない。

「この、待ちやがれ!」

 男の怒鳴り声と荒々しい足音。

「逃げないと!」

 知人の家があれば助けを求めたかったけど、この近くにはない。あったとしても、寝ていて出てこない可能性もある。

「誰か……誰か……」

 祈るように灯りと人影を探す。でも、目の前は暗闇と細い道だけ。徐々に距離を詰めてくる男の気配。

「待ちやがれ! 絶対、許さないからな!」

 怒声から必死に逃げる私。その時、人影が現れた。しかも、前からこちらへ走ってくる。

「よかっ……人がっ……」

 その姿に私は息を呑んだ。暗闇でも分かる短い金髪。マントを羽織り、腰に剣を差した無口な青年、レオンだ。

「どう、して……ここ、に!?」

 疑問はあるけど、今はそれどころではない。
 私は助けを求めて息も切れ切れに手を伸ばした。無骨な手が私の手を掴み、そのまま引き寄せる。厚い胸板が私を包んだ。

「へっ!?」

 いや、助けを求めたのは私だけど! でも、抱きしめられるなんて!?

 予想外の展開に私の思考が停止する。顔をあげると、安堵したように優しく私を見つめる緑の瞳。

「無事でよかった、ルーシー」

 薄い唇から出た言葉。愛おしそうに呼んだ名前は、リー以外は知らない私の呼び名で。

「どういう、こと?」

 私は完全にパニックになった。




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