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しおりを挟む序章 預言姫ファタール
「お初にお目にかかります、預言姫ファタールどの。あなたさまの『神の声』をいただきたく、まかりこしました。何卒、神の御言葉を」
天鵞絨のカーテン越しに、気弱そうな男の声が縋ってくる。
声の感じからすると三十代半ばから四十代前半といったところか。困り果てたような声は、同時にひどく優柔不断そうだ。
そもそも、こうして私のもとを訪れるくらいだから優柔不断なのはわかりきったことだ。ある程度の決断力をそなえていれば、わざわざ『神の託宣』などを求めて大枚を支払うことはないのだから。
「ラキム神は求める者に等しくお声を賜ります」
「おお、なんとありがたい……」
カーテンの向こうで中年男が頭を垂れた気配がした。カーテン越しじゃなかったら、きっと私の手を取って額に押し頂いていたに違いない。
「それでは単刀直入にお伺いいたします。私はいったい、どちらの女性を娶るべきなのでしょうか。ラキム神の御言葉を」
今日の仕事は、気の弱い伯爵さまの嫁選びだ。由緒ある貴族である年増の未亡人と、若くて美しいが財のない家の娘。彼はどちらを選んでいいのかわからないという。
この様子ではどちらにしろ尻に敷かれるだけだろうし、結婚自体やめておいたらどうかしら――と喉元まで出かかったものを呑み込んだ。求められていること以外の発言をして、あとで叱責を食らうのは私だ。割に合わない。
「お手を」
つとめて厳かな声を出すと、天鵞絨のカーテンの隙間から伯爵の腕が伸びてきて、私の目の前の机に置かれた。
豪華な指輪がはまった手は、爪の先まで整えられている。生粋の貴族で、これまで大した苦労も積んでこなかったような手だ。銀匙より重たいものなんて持ったことがないのかも。
見も知らぬ男の手になど、できれば触れたくない。でも、これが私の仕事なのだから仕方がなかった。
伯爵の手を、両手で包み込むようにして触れる。
本当はここまでしなくても、指先がちょこっと当たればそれで充分なのだ。でも、このほうが託宣を聴きに訪れる人に対し、「神の声を拝聴できる」という特別感を演出できるらしい。
――私には、触れた相手の未来を視ることのできる、不可思議な力がある。
物心がつくかどうかという幼い頃、ラキム神殿の司祭にこの力を見いだされた私は、貧しい田舎の片隅から都市へと連れてこられ、いつしか『ラキム神殿の預言姫ファタール』とか『神の代弁者』、『聖女』などと呼ばれるようになり、多くの人々に敬われ、かしずかれた。
だけど、この力はべつにラキム神から授かったものではないし、私は神の言葉を代弁しているわけでもない。生まれつき、こういうことができる存在だっただけだ。
そう、つまりこうやって王都の大神殿の奥に納まり返っていることこそ、大ペテンもいいところなのだ。
「ラキムさまからのご託宣です。汝ワールテイス伯爵、ミスルア候未亡人を娶るべし、と」
触れて視えた、未来のとある場面から、彼にとって無難なほうを伝える。
「そ、それはまことにございますか、預言姫さま!」
人に頼っておいて、真偽を疑うなんて失礼な男だ。こういう人は、だいたい自分の答えは最初から決まっていることが多い。ただ、自分の選択に自信がないから後押ししてもらいたいだけ。
だからこそ、自分の希望と逆を言われると疑ってかかるのだ。
(若いほうを選ぶと、未亡人に逆恨みされて大変な目にあいますよ。私はちゃんと忠告したから。……まあ、あなたは若いほうを選ぶのでしょうけど)
そういう未来がはっきり視えている時点で、それはもう決定事項だ。こういう場合は、私が横槍を入れても、未来が修正されることはあまりない。
もちろん曖昧な未来というものもあって、その場合は私の目にもかなりぼやけて視える。でも、今回は本人が若い子を娶ると強く決めているのだろう。
むしろ、なぜ大枚叩いて預言など望んだのか、理解に苦しむ。
「私はラキムさまの御言葉をお伝えしただけですわ。ですが、決断なさるのはあなたご自身。ラキム神はあなたの決断を尊重されます。どうぞ悔いのないよう、御心のままになさいませ。ラキム神のご加護のあらんことを」
歌うように抑揚をつけ、慈愛たっぷりの聖女を演じて心にもないことを言う。
幼い頃から厳しく演技指導をされてきたので、このくらいはお手の物だ。
「あ、ありがとうございます、預言姫ファタールどの」
伯爵の手がカーテンの向こうに消え、やがて扉が閉まる音が聞こえた。仕事はたったこれだけのことだけど、このために大仰な儀式を執りおこなわなくてはならない。
神に縋りつく人々に、神の言葉だと嘘をついて未来を伝える私を、当のラキム神はどのように見ているのだろう。大地神にして豊穣の神さまは、すべてを包み込む寛容な神さまだと教えられたけど。その神を祀る大神殿の内側で、堂々と嘘偽りの儀式が執りおこなわれているのだ。
いずれ神罰が下るのだろうか。いや、もしかしたら、もうすでにこれが神罰なのかもしれない。
預言姫だの聖女だの、おおよそ私に似つかわしくない呼称で祭り上げられ、神殿の奥深くに大事に大事に閉じ込められて、自由に出歩くことも許されない。誰かと気軽に会話することも禁じられている。
私はため息をついて、自室へ戻った。
これ以上ないほどに贅を凝らした、私だけの監獄へと。
第一章 預言姫の脱走
ラキム神教はこのシャンデル王国の国教で、王都ミルガルデの中心にそびえるラキム神殿は百年も前に建てられた歴史のある建造物だ。
人類の技術と芸術の粋を尽くして建てられたと言われるこの神殿は、同じ敷地内に修道院や神学校、図書館に医療施設、巡礼者のための宿泊施設なども併設されている。また、敷地内の畑では農作物や薬草の栽培等もおこなわれており、まるでひとつの街のようだった。
神殿内はもちろん神聖な場で、節度ある振る舞いが求められているけれど、さほど厳しい戒律はない。日中の奉仕だって男性も女性も隔たりなくおこなう。さらに高位職を目指さない限り非婚の義務はない。
ちなみに、ラキム神の信者でなくとも医療施設や宿泊施設は利用できる。神殿本殿の大聖堂も、日中は出入りすることができるので、世界各地から礼拝や観光などさまざまな目的で人々が集まるのだ。
そんな、わりと自由な感じの神殿だけど、その権力は強大なものだ。
特に、王都周辺のラキム神殿では現大司教カイザールが絶対的な権力を握っていて、シャンデル王国の王権も神殿内には及ばない。しかも、現シャンデル王は即位して五年も経っていない、三十代半ばのお若い方だ。海千山千の大司教に意見することなどできないだろう。
預言姫ファタールだなんて呼ばれ、世間ではもてはやされているらしい私も、この大司教の完全なる管理下におかれ、起床の時間から就寝まで厳しく監督されていた。
――とはいえ、私の日課と言えば大司教の個人的な用事以外は、朝夕の礼拝くらいで、公式行事でもない限り人前に出ることはない。
『預言姫』と呼ばれるくらいだから、易者のごとく人の未来ばかり視ていると思われがちだけど、『神の代弁者』という希少性を保つために、一般人に対しては預言なんてほとんどしないのだ。ときどき、大げさに儀式を執りおこなって、運よく――私にしてみれば運悪く――選ばれた人を視るくらいだ。
というわけで、私の仕事相手は専ら、大司教を通してひそかに訪れる貴族や商人だった。一日にひとりかせいぜいふたり、私のもとにお忍びでやってきた人に、かなり勿体つけた儀式をおこなって預言をする。
私は呼ばれて視るだけだけど、『預言姫』のもとへ来る人たちは、大変な労力とお金を必要とするようだ。大司教から詳しく聞かされてはいないけれど、何年も預言者稼業をやらされてきているので、薄々それは感じ取っていた。
そんな私の生活は、神秘性を高めるためか、厳重に秘匿されている。そのため、身のまわりにいるのは短期間で当番が変わる修道女ばかりだ。
どうやら、私は親しい人物というものを作ってはならないらしい。世話をしてくれる当番の修道女たちも、私と言葉を交わすことを禁じられているようなのだ。名前を名乗ることもなく、恐るおそるといった感じで当番をこなす。そんな状況でこちらが親しくしようとすれば、きっと彼女たちに大司教の叱責が向かう。だから、私も修道女たちの顔を覚えようとしなかったし、彼女たちに声をかけることも皆無だった。
こんな調子で、私は大司教以外の人物と会話をすることが滅多になかったので、ある日、国王の使いで訪れた方が声をかけてきたときは、心臓が飛び出るほど驚いたものだ。
その日、大司教に呼ばれ部屋を訪ねたところ、呼んだ当人が不在だった。仕方なくソファに座って待っていたら、突然、知らない男性が入ってきたのだ。
この国の身分の高い男性は、詰襟の上着を羽織るのが慣習となっている。彼もそうだったので、おそらくシャンデルの貴族か王族なのだろう。
彼は私を見るなり両手を広げて近づいてきた。反射的に立ち上がり、後ずさりしてしまう。
「やあ、あなたが『預言姫ファタールの生まれ変わり』の聖女さまですか。お噂どおり、とても神秘的な雰囲気だ」
彼はそう言うけれど、私は自室以外ではつねにヴェールを下ろしていて、素顔を人に見せることはない。そのうえ、爪さえ見えないほど全身を布で包んだ完全防備だ。いや、それが神秘的と言えば、言えなくもない……?
「補佐官どの! 客間にてお待ちいただくよう猊下からご指示いただいております!」
「まあまあ、いいじゃないですか。噂の聖女どのには、国王陛下もいたくご興味をお持ちでいらっしゃいますし、ぜひ来月の総会にご臨席願いたいとおっしゃっておりまして」
「我々が困ります……! 預言姫さまに声をかけるなど!」
部屋の戸口では聖騎士たちがあわてた様子で彼を引き留めている。だが、丸眼鏡をかけ、髪をひっつめにした青年は気にもかけず、呆然と立ち尽くす私の前にやってきて、遠慮会釈なくヴェールの中の顔を覗き込もうとした。
外での常識はよく知らないけれど、これは普通に失礼な行為ではないだろうか。
私はヴェール越しでも決して目が合わないように、彼の足元に視線を向ける。なまじ、彼の顔をまじまじ見ようものなら、あとで大司教から叱責されるような気がしたのだ。
でも、彼のこの自由奔放さがすこし怖くて――うらやましくもある。
「聖女ファタール、いや、ファタールというのは古の聖女の名ですよね。あなたの名はなんとおっしゃるのですか?」
「……」
とっさに返事に詰まったのは、どう返していいかわからなかったからだ。私の名を知りたがった人なんて、ちょっと記憶にない。
彼の言うとおり、ファタールというのは、何百年も前に実在したラキム神殿の聖女の名前だ。彼女こそ、神の声を聴き、人々にそれを告げた聖女だと言い伝えられており、畏れ多くも私がその二代目とされている。私が聖女でないことは、誰よりも私自身が一番よく知っているけど。
「聖女ファタールどののご尊顔を拝する栄誉を賜ることはできますまいか」
「え……」
本当に遠慮のない人だ。顔を見せろなんて言われたのは、生まれて初めてだ。
濃い色のヴェール越しなので彼の顔立ちははっきり見えないけれど、声からすると若くて柔和そうで、どこかぽやんとしている印象を受けた。
神殿の奥にある大司教の部屋までたどり着いたところを見ると、それなりの権力者なのだろうけれど。
「ディディック補佐官どの! ファタールさまにそれ以上、お近づきあそばされては……」
突然の来訪なのか約束があってのことなのかはわからなかったが、聖騎士たちの様子を見ていると、どうも押しかけ客のようだ。
「僕の未来も預言していただけませんか?」
試されている? 穏やかそうな声をしているけど、この人、なんだか胡散臭い。でも、こんなにも強引なのに、なぜか不快とは程遠かった。
ようやく最初の驚きが去って、すこしだけ調子が戻ってきた。むしろ、これほど力強く、自由に生きているように見える彼がなぜ預言を欲するのか、知りたい。
「……赤の他人である私が、切り取って視る未来のほんの一場面に、貴殿は重きをおかれますか?」
「や、これは手厳しい。しかしおっしゃることはごもっとも。長い人生、山あり谷あり、いいこともあれば悪いこともある。すべてを預言に頼るわけにはまいりますまい。では、あなたが神の言葉を代弁してまで伝える預言とは、いったいどの場面なのでしょう」
「神に預言を求める方は、人生に迷われた方ばかり。私は、その方の進む道筋にラキムさまの助言を添えさせていただくだけです。具体的な迷いのない方ですと、神がどの場面を選んで預言なさるか、それは私にもわかりません。ただ、ひとつ言えることは――」
「拝聴いたしましょう」
「――貴殿にはそのような迷いはなさそうです」
私が今までに出会ってきた貴族は、神の託宣を聴きたくてやってきた迷い人ばかりだった。でも、この人は預言してほしいなんて、本心では思っていないだろう。すこし新鮮だった。
「いやいや、それは買いかぶりというもの。僕もつねに迷える子羊です。いかにしてあなたにラキム神教の総会へご出席いただくか、いかように大司教猊下を言いくるめるか、禿げるほどに頭を悩ませております。国王陛下より、ぜひともあなたをお連れするようにと、矢の催促を受けておりまして。それにしても、なんという美しい声だ。なるほど、この声で神の言葉をささやくのですか……ぞくぞくしますね」
なんだか誤解を受けそうな感想を漏らして、彼はにこっと笑った。話題もコロコロ変わるし、へんな人だ。
「国王陛下は、なぜ私を?」
「シャンデル国の王家と言えば、生まれながらに魔力を持つ系譜ですから。陛下にとって、神の声を聴くというあなたの能力は大変に興味深いものなのでしょう」
確かに王家が魔力持ちだという話は聞いたことがある。私のこの預言の力も似たようなものかもしれないと考えて調べてみたことがあるけど、一般的な魔術は、何もないところに明かりをつけたり、鍵がなくても扉が開けられたり、人々の病気やけがを治癒させるといった直接的なものが多く、私の力と似たようなものの記述はみつからなかった。おそらく王も魔力とこの能力に関わりがあるのか、気になっているのだろう。ちなみに、私は何もない場所に明かりをつけたりできない。
それにしても、なぜ大司教の部屋で見知らぬ貴族とこんな話をしているのだろう。そして、さらに気になっているのは、さっきから彼が口にしているそれだ。
「あの、来月の総会というのは……?」
「大司教猊下からお聞きになっていませんか? 来月はラキム神に今後の豊穣を願うカーニバルが国を挙げて開催されます。カーニバルは四年に一度の大祭で、国内外から大勢の人が集い、十日間にもわたってお祭り騒ぎをするのです。前回は、まだファタールどのは王都の神殿にはおいででなかったようなので、ご存じないかもしれませんね。街人たちは飲めや歌えのどんちゃん騒ぎですが、我々はそう羽目を外してばかりもいられません。近隣諸国のラキム神殿関係者が一堂に会し、今後の神殿のありかた、人々への教えなど、諸々ひっくるめた協議をおこなうのですよ。しかも、ラキム神殿の頭である総大司教猊下が一昨年、ご高齢のため引退されてから今日まで、後任がおりません。実質、王都教区のカイザール大司教猊下がその名代を務めておりますが、今回の協議では、他に総大司教にふさわしい人間がいるかどうかも話し合われるでしょう。会場は輪番制で、今回はシャンデルの王城でして、議長も陛下が務められます。国王陛下も熱心なラキム神信奉者でいらっしゃいますから。今日はその下準備の一環として大司教猊下を訪ねたのですが、噂に名高い聖女どのとお会いできて、僕はとても幸運だ。あ、申し遅れましたが、僕はシャンデル王国の国務大臣補佐官ディディックと申します」
なんて饒舌な人だろう。ひとつ尋ねたら、十以上になって返ってくる勢いだ。今まで、こんなにも自分のペースで物事を運ぶ人に会ったことがないので、ちょっとだけ彼に興味を覚えてしまったくらいだ。
それはさておき。カーニバルだなんて初めて聞いた。私が王都にやってきたのは四年前の夏くらいだから、前回のカーニバルが終わったあとだったのかもしれない。
私もそのお祭りに参加――できるわけないか。
そのとき、部屋の中に低い声が響き渡った。
「ディディック補佐官。約束もない女性に突然議論を吹っ掛けるなど、失礼ではないのですかな。それとも、これがシャンデル宮廷の礼儀ですか? そんなところへ、我が神殿の大事な預言姫を連れていくわけにはまいりませんぞ」
戸口を振り返ると、深々と頭を下げた聖騎士たちの中心に、ゆったりとした祭服に身を包んだ男が傲然と立っていた。
反射的に私の心臓がぎゅっと縮み上がる。
「これはカイザール大司教猊下。突然の来訪にもかかわらず、快くお会いくださって感謝の念に堪えません。おかげさまで聖女ファタールどのにもお目にかかることができました。本当に、なんと美しい方か」
ヴェールで顔など見えないだろうに、よく言う。そして、大司教の苦言などまるで聞こえていないふうに、飄々とした態度で笑っている。
(怖くないのかしら……)
私にとって、大司教の静かな怒声ほど恐ろしいものはなかった。幼い頃からこの声に叱責され、批難され、厳しく折檻されてきた私には、雷鳴よりも恐怖を感じるものだ。
「それに、大司教猊下の執務室はまるで聖堂のような神聖な場所です。あの美しい黄金のラキム像など、歴史を感じさせる逸品ですね」
棚に飾られている大ぶりな黄金像を見て、彼はまぶしそうに目を細めた。
「ディディック補佐官、勝手な振る舞いはおやめください。ファタール、部屋へ戻っておれ」
「は、はい……」
逃げるように大司教の執務室を出たときには、心臓がドクドクと恐怖に脈打っていた。
おかしな補佐官との会話も忘れるほどに、大司教の声が怖かったのだ。偶然だったとしても、外部の男性と無断で言葉を交わしたことを、どれほど咎められるだろうか。
夕刻になり、あの補佐官が帰ったのか、大司教が私の部屋を訪ねてきた。迎え入れる私は、死刑宣告でも受けるような気分で、広々としたうすら寒い部屋のソファを勧める。
「ディディック補佐官と話したのか」
ソファに腰を下ろす動作ひとつでも、私に緊張を強いる。幼い頃から、この人の一挙手一投足を窺い、決して逆らわないように、意に沿わぬことをしないように自らを律してきた。
「はい、それは――猊下に呼ばれましたのでお伺いしたところ、あの方が入ってこられて……」
後ろめたいことなどないはずなのに、どうしても言い訳がましくなってしまう。怒られまいとする無意識の防衛反応なんだと、最近では自己分析している。
「私の許可なく他人と言葉を交わしてはならぬと厳命しておいたはずだ。それほど若い男が気になるのか」
「そんなこと、私は……」
思わず抗弁してしまい、即座に後悔する。
「おまえは自分の立場をわかっていないのか。預言姫ファタールは神の声を聴くことのできる、我がラキム神殿の至宝。間違いがあってはならぬのだ」
肺腑を震わせるような鋭く低い声にビクッと反応してしまう自分が、情けない。
でも、なぜ人と話をすることが悪いのか。人との関わりを完全に絶って、その先にいったい何があるんだろう。私は預言をするためだけに存在しているのだろうか。
これまでは食べるため、生きるために大司教の言葉に従ってきたけれど、私ももう二十歳だ。最近は自分のことについて、いろいろ思いをめぐらしている。そう、来る日も来る日も徹底して隔離され、管理される生活に不満や不安がつきまとい始めてきたのだ。
――ここを出ていきたい。自由になりたい。
決して許されることのない言葉を噛み潰し、嚥下する。
ここでは大司教の言葉は絶対だ。私が口にする『神の言葉』なんかよりもずっと強制力があるのだから。
「ディディック補佐官に総会に出席するように求められたそうだが、無用だ。カーニバルなどと浮かれた騒ぎに乗じ、預言姫を見世物にしようとしているだけのこと。礼拝以外の時間は、この部屋で聖典を読み返しておくのだ。預言姫としての己の立場を、ゆめゆめ忘れることのないように」
「はい」
ギロリと射るような視線で私を萎縮させてから、大司教は部屋を出ていった。
彼は、私が男性と言葉を交わすことをとくに嫌っている。それは、預言姫ファタールが、別名『処女姫』と呼ばれていることに起因しているようだ。
初代のファタールは偉大な預言者だったが、結婚して子を宿したことによって、預言の能力を失ったと言い伝えられている。
そのせいか、大司教は私の処女性を重視していて、預言をおこなう際も決して相手の顔が見えないように、そして私の顔を見られないように、ヴェールをかけ、カーテンを引く。
ラキム教では、聖職者の恋愛や結婚を禁じていないので、よけいに監視は厳しかった。
カイザール大司教は、『神の代弁者』を擁立することによって、権力争いの激しい神殿内で現在の地位を得た。おそらく今度の総会では、総大司教の地位を狙っているのだろう。だからこそ、私を――預言の能力を失うわけにはいかないのだ。それを守るためにはどんな手段も辞さないだろう。
今から八年ほど前、まだカイザール大司教が司教だった頃。王都からすこし離れた町の神殿にカイザール司教とともに赴任した際、何くれと私を気にかけてくれた若い男性の助祭がいた。
私はまだ十二歳の子供で、今と同じく周囲には親しい人がまるでいない状況だったので、同情もあったのだろう。私もすぐに彼に懐いた。
べつにお互い恋心があったわけではない。私はまだ本当に子供だったし、あの人は熱心なラキム神の信奉者で、司祭に叙されるのを夢見ている、まっすぐな青年だった。
でも、ある日、彼は神殿から姿を消した。
神殿では出奔したのだと言われていたけど、あれだけ熱心に日々の務めを果たしていた彼が、出奔などするわけがないと私は知っていた。カイザール司教が、彼の失踪について口にすることはなかったし、私も、そのことについては一言も発することができなかったけれど。
――あのディディック補佐官が大司教に目をつけられ、悲運をたどることがないよう、私は信じてもいない神に祈るばかりだった。
†
それからひと月が経過して、カーニバルの日がやってきた。
結局、私はラキム教の総会に出向くこともなく、当然街に出られるわけもなく、神殿で留守番だ。神殿内の浮足立った雰囲気を感じるのが精いっぱい。自分だけが置いてけぼりを食らったようで、ひどくむなしい。
一般の人々だけでなく、神殿関係者も日中であれば祭りに参加することを許されているそうだ。
そのせいか、数日前から私のまわりにいる修道女たちがそわそわしているのがわかったし、カーニバル開始の夜には、いつも二、三人はいる世話係がひとりだけしか現れなかった。どうやら今夜は、大聖堂で大掛かりな礼拝がおこなわれているらしい。
私は、部屋に入ってくる哀れな修道女をみつめた。
かわいそうに、きっと貧乏くじを引かされ、私の世話を押しつけられてしまったのだろう。なんだか、申し訳なくなってくる。
「はじめまして、ファタールさま。今夜からファタールさまのお世話をさせていただきます、シャルナと申します」
開口一番、修道女にそう自己紹介をされて、私は口をあんぐりと開けてしまった。
だって、私の世話をする修道女たちは一貫して言葉もなく、私を神か悪魔のごとく扱うのだ。自己紹介などもってのほかだ。
「シャルナ、さん?」
王都ミルガルデの神殿に移ってきてから、大司教以外の人物の名を呼んだのは初めてかもしれない。すこし、胸がドキドキした。
「どうぞ、シャルナとお呼びください、ファタールさま。それにしても、ファタールさまがこんなにお美しい方だったなんて、お姿を拝見できただけでも寿命が延びる思いです」
「あ、ありがとう……?」
この修道女は、ファタールと言葉を交わしてはならないと、最初に注意をされなかったのだろうか。もっとも、今日は互いに監視し合う面子がいないので、私が黙っておけば済む話だけど。
「大司教猊下は王城での総会にご出席されているため、数日お戻りになりません。ファタールさまはしばらく自室でお食事をなさるようにとのことでしたわ。また、カーニバル最終日には、大聖堂で大規模な式典がございますので、その準備をしておくようにとお言伝をいただいております。それにしても、ファタールさまもカーニバルにおいでになりたいでしょうに、おかわいそう」
そんな会話を振られて、私は目をまん丸にしてしまった。この話題に、乗ってもいいのかな……
「あ、あなたも行きたかったでしょうに、ごめんなさい。私の世話を押しつけられてしまったのでしょう?」
「まあ、わたくしはちっとも構いませんわ。だって預言姫ファタールさまのお世話をさせていただけるのですもの! こんな栄誉なことはございません。子々孫々まで語り継ぎますわ」
シャルナはそう言って満面の笑みを浮かべると、懐から何かを取り出して私に差し出した。
応援ありがとうございます!
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