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2巻

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   プロローグ


「また、近いうちに遊びに来ますね」
「そう言って一ヶ月以上来なかった人がいるんですけどね……」

 そばかす顔も可愛かわいいカロリーネさんは、扉の前でジロリと私をにらんだ。
 彼女は、私の恩人であり後見人でもあるアレックスさんの妹さんだ。少しばかり勝気だけど、エプロンドレスが似合う快活なお嬢さん。出会ったときは刺々とげとげしい態度もとられたけど、今は仲良くしてもらっている。

「ごめんねカロリーネさん、ここのところすごく忙しくって。今度はちゃんと来るから」

 彼女の疑惑の眼差しに、私は苦笑して言った。まあ、彼女も本気でにらんでいる訳じゃないって分かってるから、気軽に返せるんだけど。
 そうして、手を振りながらカロリーネさんと別れた。昨日は彼女のお部屋に泊めてもらっちゃったんだよね。今日は喫茶店の営業もあるから、少し急がないと。


 休日気分を振り切って、私は歩き出す。秋に移りゆく快適な季節。宿泊区を通り過ぎ、朝から冒険者でにぎわう繁華街をぽちと一緒に歩いていると、子供達がついてきた。

「ぽちおはよー。あとで追いかけっこしようぜ」
「あ、ぽちの飼い主の姉ちゃんもおはよー」
「はい、おはようございます。皆も朝から元気だね」
「うん、元気だぞー。元気がないと、仕事もできないからな!」

 ぐっとこぶしを握る冒険者見習いの少年は、最近よくぽちを追いかけ回している少年グループのリーダーだ。微笑ましくて笑い返すと、ニッと勇ましい笑みを見せてくれる。
 先日のギョブ退治――ぽちが村の鼻まみ者であった不良グループを撃退したことで、すっかりヒーロー扱いなのよね。それまでのぽちは、高ランクモンスターってことで怖がられてばかりだったから、これは本当によかったと思う。

「今日は簡単な仕事が見つかるといいよなぁ」
「ドブさらいとか、臭くてやだしなぁ」
「屋根板の張り替えも、うっかりすると怪我けがするからいやだよ」
「雑草抜きとかもなー、何件もやると飽きちゃうんだよな」
「女神のほこらほこり落としとか、床磨きの仕事、やりたいよなー」
「だなー。あれ、あんまり汚れないし、ほこらを管理してるじいさんから果物もらえるもんな」
「な。甘いものとかあんまり食えないからいい仕事だよなー」
「でも村にはほこら一個しかないし、そもそも年一回しかやらないから、毎回争奪戦だけどな」

 彼らの話は、どうやら冒険者ギルドの依頼ボードに並ぶ雑用についてに移ったようだ。彼らがこんな早朝から冒険者ギルドに向かっていた理由は、いい依頼を見つけるためだったんだね。
 それにしても、まだ十歳ぐらいの子供達がこんな風に勤労意欲をみせてるのを目にすると、やっぱり世界が違うんだなぁって思う。


 私、水木美鈴みずきみすずがこの世界に転生してからまだ数ヶ月。その間、本当に色々とあった。
 今の私は、ここでベルと名乗り、なんとかそれなりに生活している。
 若くして死んだ私を哀れに思った神様によって転生させられたものの、そこはモンスターがいて、ダンジョンなんてものがある、とても危険な場所だったのよね。
 あのとき、目を覚ましたら森の中ですごくびっくりした。でもすぐに、可愛かわいい盛りだったぽちに出会ったんだ。
 それで、その森――女神の森に生えている、季節を無視した様々なハーブにも感激したんだよね。
 で、ぽちが私の服のすそを引っ張って連れていった先には、怪我けがをしていた大きなおおかみ……ぽちのお母さんであるシルバーウルフマザーがいて、ハーブで手当てすることになったんだった。
 その翌日には、大きなイノシシに襲われそうになったところを助けられて――。それが、色んな意味で恩人であるアレックスさんと出会うきっかけだったんだよね。
 彼の動かない左手にハーブで湿布をしたら、それが治ってしまって……
 それで、アレックスさんには恩人扱いされているんだけど、助けてもらっているのはむしろ私の方の気がする。
 それから、プロロッカ村という、ダンジョンの巣としてこの大陸で有名な村に、アレックスさんとぽちと一緒に向かったんだ。そこで冒険者ギルドなんていう、前世でいうところの職業斡旋所あっせんじょみたいなところに職員として勤めることになったり、ぽちを村で歩かせることができるように冒険者登録をしたりして……
 なんてことを色々思い出しながら、私は自分の喫茶店のある冒険者ギルドへと向かったのだった。



   第一章 喫茶店と昇格テスト


 冒険者ギルドの職員は、裏口から入るのが基本だ。けれど今日の私は違う。
 正面から入ってカウンターに近づき、敏腕受付嬢にして友人のヒセラさんに声をかける。

「おはようございます、ヒセラさん。これ、よければ使ってください」

 渡したのは、お肌にいいハーブを中心に、何種類かのハーブをブレンドしたもの。小分けにして、いくつも作っておいたもののひとつだ。

「ハーブティーをれるときと同じようにお湯で抽出して、それをお肌になじませてください。そしていつもの通りに上からオリーブオイルでふたをして下さい。ビタミン入りなんで、美肌効果が期待できると思います」
「まあ、これはお茶ではなく化粧水なの? まるで貴族様みたいね。ふふ、使わせてもらうわ。ぽちも益々精悍せいかんさが増して、すっかり大人の風格ね」
「わんっ」

 ヒセラさんはいつもの通りに優雅な笑みを浮かべながら、受け取ってくれた。そしてぽちにもご挨拶あいさつ。いい人だなぁ。

「あ、話は変わっちゃいますが、契約獣の登録内容変更をお願いできます? ぽちが成長したから、そろそろギルドの登録内容を改めるべきだろうってアレックスさんに言われたんです」
「あら、そうね。ぽちも随分ずいぶんと大きくなったものね。ええ、すぐ手続きに入りましょう」

 彼女はさっと立ち上がると背後の棚を探り、一冊のファイルを持って来る。
 ひもつづられたそこから私の登録用紙を外すと、早速契約獣の種類である「シルバーウルフパピー」のパピーの部分をナイフで薄く削った。そして羽根ペンをインクにひたし、「シルバーウルフ成体」と書き換える。

「これで、登録内容の変更は終わりよ」

 わあ、仕事が早い。

「ありがとうございます!」

 私が笑みを浮かべて礼を言うと、いいえと笑顔が返ってくる。
 それから彼女はじっとぽちを見て、ふと首をかしげた。

「……ぽちのことを考えると、そろそろベルも特殊職用のテストを受けた方がいいのかしら」
「特殊職用の、テスト?」

 聞き慣れない言葉に目をまたたかせる私に、ヒセラさんが頷いた。

「ええ。契約獣に戦わせるモンスターテイマーや、純粋な偵察能力のみを売りとするスカウトなど、当人の戦闘能力だけでは測れない人達用に、ギルドではテストを行うことがあるの。ベルにはそれを受けてもらって、ぽちの能力に相応ふさわしいランクに昇格した方がいいのかもと思って」

 いつもにこにこと上品な笑顔のヒセラさんだけど、流石さすがは受付嬢。冒険者に対する案内はすかさず差し込むらしい。

「えーと、やっておいた方がいいんでしょうか。正直薬師修業と職員の仕事で手一杯なところがあるんですが……」
「そうねぇ。ランクが上がれば、とりあえず貴族様が貴女からぽちを取り上げようとすることはなくなると思うわ。だって、優秀な冒険者はどこの国でも大事にされるもの」
「やります!」

 私は速攻で答えた。もう、後見騒ぎのときみたいに引き離される危険があるのはりですから! 以前、私がとある貴族の後見を受けようとしたら、ぽちと引き離されそうになったり、遠くの場所へ行かされそうになったりと、危ないことになったのだ。
 早速、試験を設定してもらった。試験官は、気のいいプロロッカ冒険者筆頭の酒飲みドランカーさん。そうして私は、三日後に初心者ダンジョンに向かうことが決まった。二泊三日で試験に挑む。
 なんでわざわざダンジョンで試験? と聞いたら、これは戦闘能力でなく、モンスターへの指揮能力や偵察能力などをみる試験だからだそうで。モンスターテイマーの指示に従って、契約獣がきちんと魔物を倒せるかを確認する必要があって、それには魔物がいつでもいるダンジョンが最適とのこと。ちなみに、ダンジョン内の安全は引率者が保障してくれるから、そこは心配しなくていいらしい。
 ダンジョンかぁ……。モンスターがいて、危険なわなとかがあって……。うーん、よく考えると、戦闘なんてしたことないのに平気なんだろうか。早まった気がする。
 そんなことを思いつつ、ふりふりとご機嫌に尻尾を振るぽちをでる。ぽちは今や、大型犬のアイリッシュ・ウルフハウンドほどの大きさだ。
 体高九十センチほどのぽちを、その実力を知る冒険者達が緊張した様子で遠くから見ている。大人しくしていても、AAランクのモンスターは相当に恐ろしいらしい。
 こんなに可愛かわいいのに、おびえるなんて失礼だよねと、私はぽちをもふもふとでまくった。
 しばらくぽちを堪能してから、私は冒険者達のおびえた視線を無視してカウンター横の跳ね上げ板を押し上げる。そのまま受付嬢や購買員達が働く事務フロアを横切って、中に進んだ。
 すると、事務机に足を上げのんびりしている冒険者ギルドマスターや、相変わらず忙しそうに食事処の厨房ちゅうぼうで働いているヴィボさんが目に入った。

「マスター、ヴィボさん。先日はお疲れ様でした」

 二人にあらためて、先日のギョブ退治の件を挨拶あいさつする。
 私の声に、マスターがライオンのたてがみのような髪をかきつつ、椅子からのんびり立ち上がった。アイパッチをしてない方の目を眠たげにまたたかせながら、ゆっくりとこっちに歩いてくる。なんだかだらしない感じのおじさんだけど、これでもプロロッカ支部の一番偉い人で、私の元後見人でもある。
 一方、いかつい顔の巨人さんって感じのヴィボさんは私の直属の上司で、大きな穀物袋や野菜袋を軽々と持ち上げる力持ち。元Aランクの冒険者だけあってとても強いんだけど、気遣いの上手い紳士だ。彼のお陰で、この男だらけの職場でも安心して働けているんだよね。
 そんなヴィボさんは、鍋が焦げ付かないようキッチンストーブの火を弱めてからこちらへと歩いて来た。
 私は二人が目の前にやって来るのを待ってから、先日森で作ったものを鞄から出して、それぞれに渡す。

「そういえば、これ。日頃のお礼ということで、ヴィボさんにはお茶と湿布薬、マスターには温湿布とアイピローです。本格的に具合が悪くなる前に、ちょっとでも辛くなったら使って下さい。足りなくなったらまた作りますので、いつでも言ってくださいね。あ、でも所詮は見習いの処方なんで余り信じないで、悪くなったらオババ様に見せるんですよ?」

 そう言って、しっかり見習い作のものだと念押ししたんだけど……

「いつも悪いな。最近は右膝も随分ずいぶん楽になって、無理もきくようになった。毎年冬が近づくと憂鬱ゆううつになるが、今年はベルのお陰で気にせず過ごせそうだ」

 と、いかつい顔にうっすら笑みらしきものを浮かべて受け取るヴィボさん。

「おお、最近なぁ、遠くを見るとき目をらさずに済むようになったんだ。いやー、このままだと両目がダメになるかと思ってたのに助かった。それに頭痛ともオサラバで、毎日爽快そうかいってやつだ!」

 アイピローを両手でお手玉するように遊ばせてハハハと豪快に笑う隻眼せきがんのマスター。
 二人とも、私の話聞いてる? ちゃんとオババ様のところに行って下さいよ。
 話を聞かない二人にむうっとしつつも時間は迫り、私は仕事の準備を始めたのだった。


   ◆◆◆


「それにしても、試験でダンジョンにもぐることになるとは……」

 特殊職用のテストを設定してもらった翌日、私はお茶をれながら、重たいため息をく。
 今日は週に二度の、ギルド内喫茶スペース開店の日だ。私、そのほかの日は、調理場でヴィボさんの補助をしたり、オババ様のところで薬師修業をしたりと、結構忙しいんだよね。
 ちなみに、この国のこよみで一週間は七日制。
 それぞれ、青月せいげつの日、火精かせいの日、水精すいせいの日、樹精じゅせいの日、金精きんせいの日、土精どせいの日、陽天ようてんの日、という言い方になっているそうだ。
 この七つは、青月せいげつ陽天ようてんを除いて、魔術師の基本五属性とされてるんだって。
 それぞれの曜日を表す、火、水、木、雷、土。これが、五属性という訳だね。
 残りの月と陽はそれぞれ闇と光を表すらしいのだけれど、この属性を使える人は歴史上数人しかいないんだとか……。で、うちは水精すいせいの日、土精どせいの日が開店日となっております。
 それはさておき、試験ですよ、試験。

「はあ、気が重いなぁ……」

 私はカウンターでくつろいでいるアレックスさんを相手に、二日後の試験についてぼやいていた。

「ダンジョンって、モンスターが沢山出て、わながあって、先に進むほど死ぬかもしれない恐ろしいところなんでしょう? ぽちのためとはいえ、正直怖いです」

 私が大きくため息をくと、アレックスさんが呆れ顔で返した。

「いやまあ、そうなんだが。一応あそこもダンジョンだからな」

 あそこ、というのは、私がこの世界に来たときにいた場所だ。ぽちとぽちのお母さんと出会ったところでもあって、女神の森とよばれている。

「それは理解しているんですけど……でもですね、あそこはお母さんもいるし、ぽちの生まれた場所でもあるので、まあいわば私の実家なんですよ」
「実家って……」
「それに、あそこはじめじめした地下とかではないですし、ちょっと歩いたらわなに引っかかるようなこともありませんし。ダンジョンって言われても、どうも実感わかないんですよね」

 私が知ってるダンジョンって、前世で従兄弟いとこ達に付き合ってやったことのあるロールプレイングゲームしかないので、どうも地下の迷宮ってイメージなのだ。
 だからか、女神の森をダンジョンって言われても、はいそうですかと納得できずにいる。

「いや、通常のダンジョンはそのイメージで合ってるんだが……。一応、ダンジョンには岩山のものもあれば森のものもあるし、地上のものも存在するんだからな? うっかり踏み込まないでくれよ」

 おや、しまった。アレックスさんがすっかり呆れ顔だ。
 そんな会話を続けていると、カウンター近くのテーブルに陣取ったうるわしき赤と青の主従が、ボソボソと何かを話し込んでいるのが見えた。鮮烈な赤髪の迫力美女が、伯爵令嬢にして宮廷魔術師のシルケ様、あざやかな青髪を三つ編みにした片眼鏡の神経質そうな男性が、伯爵家の従者にして宮廷魔術師のロヴィー様だ。

「……ロヴィー、聞いたわね。二日後のこと、分かっていて?」
「……はい、シルケ様。私めも心得ております」

 二人は込み入った話なのか、小さな声で真剣に話しているみたいだ。おっと、盗み聞きはいけないから、仕事に戻ろう。
 そんなお二人のテーブルには、カモミールティーが並んでいる。私が薬師の弟子になったことで、喫茶スペースでもハーブティーが解禁になったんだよね。
 二人ともカモミールティーを出したのだけれど、ロヴィー様にはストレス解消にリンデンとミントを入れたし、シルケ様には美肌効果を見込んでローズを加えてと、少しアレンジも効かせているんだ。常連さんには体調を聞いて、それぞれにちょっとずつ効果をかえていたりする。
 婉然えんぜんとしたシルケ様の笑みといい、ロヴィー様のゆるんだ眉間のしわといい、今日のカスタマイズは成功な気がする。
 なんて、のんびり考えながらいつも通りに喫茶スペースを切り盛りしていたら、いきなり、場違いな大きな声がカウンター前で響いた。

「貴女がベルさんですね? ぼく、ティエンミンと言います。突然ですが、このギルドで働きたいんですっ!」


 その子は、黒髪を長く伸ばした幼い少年だった。着古した感のない綺麗なチュニックを身につけているところを見ると、いい家の育ちのようだ。

「ええっと……?」

 な、何事?
 突然の自己紹介に求職。私が目を白黒させていると、カウンターの端でアレックスさんがちらりとこちらを窺い、納得したかのように頷いてみせた。
 アレックスさん、一人で納得してないで助けて下さいよ……確かこの子、ギョブ退治のときに私の代わりにおとりになってくれた子ですよね。どこかの商人の息子さん、とかっていう。
 突然目の前に現れた少年に私が戸惑っていると、小柄な……といっても私とそう変わらないくらいの身長の黒髪の少年は、必死にアピールを始めた。

「ぼく、以前から冒険者に憧れててっ!」
「あ、うん」

 勢いのいい少年に押されて、私は思わず頷く。といってもこちらは仕事中だから、ケーキを切って皿に盛ったり、お茶をれたりと手は動かし続けているけれど。こういうとき、セルフサービスってカウンターを動かなくて済むから便利だね。

「でも、ぼくはこの通り小柄だし、冒険者は無理かなぁって。だから、冒険者に関わりのある仕事……冒険者ギルドの職員を狙おうかなと思ったんです。けど、そっちは誰かの紹介じゃないと難しいと」
「うん、そうだね」
「で、どうしてももぐり込みたいなら、今一番忙しいお姉さんの甘味処ならって、ギルドマスターが言ったんです」

 そこで少年はにっこり笑って。

「それで考えてみたんですけどー、家で手伝ってるから接客なら慣れてるし、ちょこっと菓子を配るだけなら難しくないし、楽勝だって思ったんですよねー」
「え、う、うん?」
「それにここなら、憧れのアレックスさんとか、魔術師さんとかとお話しできたりするし。ぼくに合ってるかもって思ったんですよー。そんな訳で、ぼくここで働きたいんですけど、いいですよねっ?」

 ……え、私、実はけなされてる? 喫茶店の仕事なんて楽勝って言われた気がするんだけど。
 痛む胸を押さえつつ、一応先輩としてアドバイスする。

「そうだね。ヴィボさんがゆっくり休めるように弟子は必要だと思ってたし、食事処に人が増えるのはいいとは思う。けれど、下ごしらえとかの単純作業が沢山あるし、重い食材運んだりとか、結構な重労働も含まれるってことは分かってるかな? 料理人って、そんなに簡単な仕事ではないんだよ。それと、私は人事権は持ってないから。ギルドで働きたいなら、ちゃんと受付に言って偉い人に聞いてもらった方が早いと思うよ」
「ええーっ? でもー、ヴィボさんに聞いたら食事処は間に合ってるって言われたし。マスターは、ベルさんがいいって言ったら、甘味の日にベルさんのところで働いてもいいって言ってましたよー?」

 ええっと……これは、もしや。
 マスターってば、このお目々きらきらなピュア少年相手に断りづらくて、私に放り投げたんじゃない?
 どうやら、もう少しきちんと聞く必要があるみたいだ。
 私はカウンターに受付中止の立て札を出し、改めて黒髪の少年に向き直った。

「ええと……貴方は、お父さんが商人をなさってるのでしょう? 商人志望ではなかったの?」

 この世界って、基本的に家の稼業をぐものじゃなかったっけ?

「いいえ。元々の希望は冒険者でー、お父さんも後継者はいるから好きにしろって方針だったんです。でも、ぼくって小さくて筋肉もつきにくいみたいで。冒険者に向いてないとうすうす気がついていて。でも、やっぱり冒険者は憧れなので、それなら冒険者ギルドで働きたいなーと思った訳です。で、先日、喫茶スペースで働いたじゃないですか?」
「うん」

 少年はしっかりと順序立てて話してくれるので、こちらも理解しやすい。私は頷きながら彼の話を聞く。

「ここだと格好いい冒険者や、王都から来てる魔術師さんと直にお話しできるな、って思ったんです。それにお酒も出してないからトラブルも少なくてよさそうだったし。商人の商談も多いから、のちのちもしお父さんの仕事をぐことになったとしても、顔も広がっていいかなと」

 ああ、はい……。確かにここなら冒険者見放題だし、商談で商人さんも使ってるよね。なかなかに鋭い目を持ってらっしゃる。
 うーん、これ、どうしよう。

「あ、もしかして、お茶とかお菓子の扱いが不安なんですか? お茶のれ方は、ロヴィー様が教えてくれたんで任せてもらって大丈夫ですよー? この間ので、ちゃんと茶器の扱いとか覚えましたから!」

 ……え、ええっ。

「ろ、ロヴィー様何をやって……」

 貴族の従者にして宮廷魔術師なんていうお偉い方が、商家の見習い少年にお茶のれ方のアドバイスしたの? 一体どういうこと?
 私が驚きに固まっていると、少年はのほほんとした様子で続けた。

「ぼく、最初はお茶もれられなかったんでー、喫茶スペースがちょっと大変なことになってたんですよね。そうしたらロヴィー様が『ベル殿の代役ならこれぐらいできてしかるべきです』って、教えてくれて……」

 シルケ様、なんで止めなかったんですか? エリート魔術師様がお茶くみとかありえないでしょ。
 私は背中に冷や汗を流しながら、何気に大物な少年のことを見つめていた。


   ◆◆◆


 その日の就寝時間。ぽちをもふもふと盛大にでて心をやしながらも、浮かんでくるのは、あの黒髪の少年のことだった。

「まさか、私のところに就職希望が舞い込むとか……。別に、今のところ全然間に合ってるのに……」

 所詮は混んでも十人程度と、さばけない規模ではない。そもそも一人経営を見込んで、週に二日とのんびりペースでやっているのだ。それを常連さんも分かっているから、別に今まで問題なんてなかったのに……

「とはいえ、あのきらきらした目を見ると断りにくい……うーん、どうしよう」

 ヨガマット代わりの古布の上に座り、内心頭を抱えながら、私はぽちに寄りかかる。
 そして、大型犬サイズのぽちに全身を預けて、まふっと顔を首の後ろに埋めた。その温かさを感じていると、ああもうすっごくやされるのだ。

「くうん?」
「ああ、ごめんごめん。おかゆいところはありませんかー」
「わふっ」

 耳の後ろかいてー、と言われるままにぽちをマッサージする。気持ちよさそうに目を細めるぽちにほっこりした。
 まあ、深く考えてもしょうがない。判断はマスターに任せよう。
 そう思って、その日は就寝した。


 ……ところが、問題というものは続くもので。

「ねえベル! 村も随分ずいぶん落ち着いたし、あたしも仕事に出たいの! ベルのところで働かせて!」

 それは、カロリーネさんたっての願いでもよおされた、休日の午後のお茶会でのこと。
 今日は私がマスターと交渉して勝ち取った、週一のお休み日、陽天ようてんの日だ。
 この世界って、決まった休みの日がないから交渉が難航してねぇ……って、それどころではない。

「……え、な、なんで?」

 カロリーネさんの突然の宣言に、思わずお茶を噴き出しそうになった。昨日に続いて今日も店員候補出現とか。思わず視線を遠くに投げる。
 ――ああ、窓の外はもう秋だ。


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