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2巻

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   プロローグ


 アルビオンの大貴族であるブラッドフォード公の夫人であるセラフィナは、その日、実家のレノックス家より一通の手紙を受け取った。
 それを渡してきたのは、いつもの侍従とは別の者だ。
 どうやら夫のグリフィンと彼の従者であるジョーンズは不在らしい。

「奥様、お便りでございます」
「ああ、ありがとう」

 セラフィナは封を返した瞬間、身体が凍りつくのを感じた。なぜなら、片隅に父、ヘンリーの名前があったからである。セラフィナは実家と折り合いが悪く、夫であるグリフィンと結婚をするときも父と話し合いはしなかった。
 彼女は侍従が自室の扉を閉めたのを確認すると、机の上のナイフを手に取り、おそるおそる封を切る。
 婚約披露での舞踏会以来、父とは顔を合わせてすらいない。手紙になにが書いてあるのか、まったく予想できなかった。
 震える手で開いた便箋びんせんの文章をざっと読み、セラフィナは目を疑った。書かれていたことが信じられずに、まぶたこすってしまったほどである。
 そこにつづられていたのは謝罪の言葉だった。
 そして、ヘンリー自身とレノックス家の苦しい状況も説明されている。
 セラフィナの元婚約者、エドワードの実家であるスペンサー家に縁を切られただけではなく、ヘンリーが娘を冷遇していたことが社交界で噂になったらしい。どれだけ隠したところで、後ろめたい事情ほど漏れてしまうものなのだろう。
 さらに、セラフィナの妹であるエリカと婚約したはずのエドワードは、彼自身だけでは対処できない事態に恐れをなしたのか、レノックス家から姿をくらましたとある。
 どうやら、セラフィナがこのハワード邸の当主であるブラッドフォード公――グリフィン・レイヴァース・ハワードと結婚したことで、娘を追い出したレノックス家は公爵家の不興を買っているに違いないと、周囲の貴族から避けられているらしかった。
 貴族の事業は信用とツテによって成り立っている。その二つを失ったヘンリーは、現在苦しい立場に追い込まれているのだ。できることならセラフィナに、グリフィンとの間をとりなしてほしいとある。心労からなのか、近ごろは体調も悪いそうだ。

「そんな……」

 セラフィナが絶句したのは、ヘンリーの身勝手な言い分にではなかった。くくりの一文にこうあったせいである。

『これまで何通も手紙を出し、先日はハワード本邸を訪ねたが、お前に取り次いでもらうことすらできなかった。私に怒りを覚えているのはわかっている。だが、どうか一度でいいから話を聞いてくれないか』

 ヘンリーがハワード本邸――ブラッドフォードにやってきていた。そのような情報はセラフィナに届けられていない。
 なぜ、どうして、と口を押さえていた彼女は、しばらくしてはっとなる。
 ハワード家のあるじはグリフィンである。彼が命じていたからだとしか考えられなかった。


 その夜セラフィナは、領地から本邸に戻ったグリフィンに、ヘンリーから手紙がきたこと、また、父がブラッドフォードを訪れていたのを知ったことを玄関の広間で出迎えがてらに打ち明けた。
 グリフィンはしばし言葉を失っていたが、やがて苦笑するとセラフィナの肩を抱く。そして、この時間の散歩も悪くはないだろうと、夜のとばりが降りた庭園へ連れていった。
 そこは噴水の音以外は聞こえないくらい静かだ。
 セラフィナはグリフィンとともに、つる薔薇ばらの巻きついたアーチをくぐり抜け、もっとも星が見える場所に立つ。
 不意にグリフィンが空をあおぎながらつぶやいた。どうやら星座を目で辿たどっているらしい。

「――あの従者は私の指示を見落としていたらしいな」

 そして、レノックス卿からの手紙、訪問は一切受けつけないように指示していたのだと、告白した。

「実家の者が、申し訳、ございません……」

 セラフィナは身体を縮こまらせて謝るしかない。まさか、父の件でグリフィンに迷惑をかけていたとは思っていなかった。ヘンリーはよほどしつこかっただろうと落ち込む。
 すると、グリフィンが首を横に振ってセラフィナを見下ろした。

「君が気に病む話ではない。むしろ、私が君に謝らなければならないだろうな。これは、私の個人的な命令であり、勝手な真似だとしか言いようがない」
「えっ……」

 驚くセラフィナの目をグリフィンが見つめた。

「君をあの父上に会わせたくなかったのさ。結婚前の調査で、君がどのような境遇にいたのか、私はよく知っているからな――」

 ――セラフィナは由緒ある子爵家、レノックス家の長女だったのだが、母のアンジェラが亡くなり、父のヘンリーが後妻を迎えて以来、肩身の狭い思いをしていた。義母のクレアはセラフィナに辛く当たり、ヘンリーも異母妹のエリカを可愛がるばかりで、まったく助けになってくれない。
 家族が冷たいだけならまだ耐えられたが、三年近く前のある日、セラフィナは家を出る決意をする。
 というのも、婚約者のエドワードがエリカに嘘を吹き込まれてセラフィナを誤解し、婚約を一方的に解消してしまったせいだ。なんと彼は新たにエリカと婚約すると宣言したのである。
 セラフィナはそれを受け入れるしかなかった。
 さらにヘンリーとクレアは、セラフィナを金持ちの老人の後妻としてとつがせようとしたのだ。
 何事も黙って耐えていたセラフィナも、この仕打ちだけは我慢できなかった。そこで、母方の叔父を頼って大胆にも家出をしたのである。
 その途中で路銀が尽きてしまい、途方に暮れていたセラフィナを拾って助けてくれたのが、下町の食堂の女将おかみであるエリナーだった。エリナーはセラフィナに事情をただすこともなく、住み込みの従業員として雇い入れてくれた。
 しかし、一年経ったころ、レノックス家に居場所を発見されてしまう。再び逃げ出そうとした彼女を、黒髪の男性が引き止めた。そして、その男性がセラフィナに二年間の契約結婚を申し込んだのである。
 驚いたことに、彼は社交界で有名な、ブラッドフォード公グリフィンだった。
 彼は家督と財産を正式に相続するために、結婚しなければならないのだという。二年間の婚姻の事実があればそれでいいそうで、それさえ終わればセラフィナを自由にしてやると提案した。
 こうしてセラフィナはグリフィンと結婚をすることになったのだ。


 そんなセラフィナの事情をグリフィンは心配したらしい。
 彼は近くにあった木の枝に手を伸ばし、葉を一枚千切った。

「――どのような親でも親は親だ。心情的には、簡単に切り離せるものではないだろう。まして、君はずいぶんとお人好しのようだからな」
「そう、だったんですか……」

 セラフィナは足元に視線を下げた。
 確かに家出をしたばかりのころならば、ヘンリーに好かれようと、嫌々ながら彼の言葉に従うこともあったかもしれない。だが、自分には母アンジェラの思い出があり、食堂の女将おかみであるエリナーにも家族に似た愛情を注がれた。そしてグリフィンの思いやりも知った今、もうヘンリーに捕らわれることはないだろう。

「ありがとうございます……」

 彼女は微笑ほほえみを浮かべてグリフィンを見上げる。ヘンリーがやってきていた衝撃よりも、グリフィンが心配してくれた喜びのほうが大きかった。

「けれど、大丈夫です。ちゃんと父と話せます。だから、また父がきたときには、会わせてもらえませんか」

 漆黒しっこく双眸そうぼうが見開かれる。

「だが……」
「思えば私、父ときちんと話したことがないんです」

 セラフィナはグリフィンの瞳を覗き込む。その中にまたたく光を星のようだと感じた。

「……話してみたいんです。後悔するかもしれません。それでも、やらなかった後悔よりはいいと思うんです。……父の心を知りたいんです」

 グリフィンは最後の言葉に、はっとした表情になった。しかし、すぐさまそれを隠して「そうか」と微笑ほほえむ。

「……確かにそのほうが君らしいな」

 ふたりはそれから言葉もなく空を見上げる。いつしかその手は星の光のもとで繋がれ、本邸に戻るまで離れることはなかった。


 セラフィナはヘンリーからの手紙、あるいは彼の訪問を待った。ところが、それから一向に音沙汰おとさたがない。
 なにかあったのかと思ったころに、今度はエリカからの手紙が届けられた。なんとヘンリーが病に倒れたのだそうだ。さらに時が経ち、今度は訃報がきた。
 セラフィナは自室でひとりランプを灯し、ヘンリーの死について記された手紙を読む。最後まで読み終えたあと机の上に手紙を置くと、引き出しから手鏡を取り出した。
 そっと覗き込んでみずからの顔を確かめる。亜麻色あまいろの髪にセレストブルーの瞳――母、アンジェラと同じ色の髪と瞳だ。セラフィナは溜め息をいて鏡を置いた。
 見れば見るほど、若き日のアンジェラそっくりになってきたと思う。
 以前、ヘンリーがグリフィンとの婚約披露パーティでセラフィナの顔を見て倒れたことがある。おそらく自分をアンジェラと見間違えたのだろう。きっと彼はアンジェラの死に、ずっと後ろめたさを抱いていたのだ。
 セラフィナの胸にはかすかな苦い思いが残る。
 それでも、それが心を切り裂くほどではないのは、グリフィンのおかげに違いない。彼が父への決別の思いを聞いてくれたからこそ、ヘンリーの死を静かに受け入れられるのだ。
 けれどこうして過ごせる時間も、そう多くはない。
 はじめに契約結婚が二年間だと聞かされたときには、終わりまでが果てしなく長く思えた。早くエリナーのもとに帰りたくて仕方がなかったのだ。
 ところが、グリフィンの優しさと温かさに触れているうちに、生まれて初めての愛を彼に覚えるようになっている。
 以来、月日がまたたく間に過ぎていく。時の感覚とは不思議なものだ。
 ――彼との結婚は契約にすぎない。
 いつのまにか夜が明けていたのだろう、寝室の窓の外では小鳥が鳴いている。彼女は窓辺に歩み寄り、カーテンを開けた。
 晩秋の穏やかな朝陽が、亜麻色あまいろの髪を優しく照らし出す。
 近ごろ朝が訪れるのが嬉しくなくなっている。グリフィンとの別れの日が近づいてくるのを、否が応でも実感してしまうからだ。
 このままなにも言わずに終わらせてしまっていいのだろうか――そんな思いが心をよぎる。
 だが、思い切って気持ちを伝えたところで、グリフィンを困らせるだけだとも感じた。彼の重荷や迷惑になるのだけは嫌だ。
 契約が終了したあとは、すべてをいい思い出にして、エリナーのもとで静かに暮らしていくべきだろう。
 それが最良なのだと自分に言い聞かせているのに、グリフィンと顔を合わせるとその決意が揺らぐ。
 誰かに恋をするということは、その人をなによりも大切に思うのと同時に、こんなにも人を自分勝手にする。なんて矛盾する感情なのだと、セラフィナは溜め息をいた。

「……いけないわ」

 彼女は両手で頬をぱんと叩いた。
 今日も奥方の仕事が始まる。自分と契約したグリフィンに恥をかかせてはならないと、セラフィナはみずからをした。
 ――契約結婚の期間は残りわずかとなっていた。



   第一章 川に流れる花


 その日セラフィナは、朝から来客の応対に追われていた。
 午前から先代公爵の友人である侯爵の昔話に付き合い、つい十分前に土産みやげものを持たせ送り出したばかりだ。侯爵は上機嫌で「またくるよ」と言い、馬車に乗り込んでいった。
 夏の社交シーズンは終わったものの、社交そのものに終わりはない。ハワード家ほどの大貴族ともなれば、さまざまな客人がひっきりなしに訪れる。
 だが、当主のグリフィンは今日、ブラッドフォードにいない。年初に起こった人身売買、および聖職者の不正――セラフィナが巻き込まれた大事件の裁判で、第一次判決が出るからだ。
 彼は王家から直接の要請を受け、判決に立ち会うため王都へ出向いている。そのためセラフィナが女主人として、客人をもてなしているのだった。
 最後の予定を終えたあと、彼女は一息き居間で茶を飲む。飲み干したところで扉が軽く叩かれ、執事が姿を現した。

「お休みのところを失礼します。旦那様がお帰りになりました」

 セラフィナは長椅子から立ち上がり、すぐさま玄関の広間へ向かった。
 どういった判決が出たのかと、気になって仕方がない。
 広間へ到着すると、グリフィンが帽子と外套がいとうを脱ぎ終えたところだった。

「お帰りなさいませ」

 頭を下げて出迎えたセラフィナに、彼は「ただいま」と答え、切れ長の双眸そうぼうを彼女に向ける。

「セラフィナ、今時間はあるか。第一次の裁判の結果を聞かせておきたい」

 その問いに間髪かんはつれずに頷くセラフィナを連れ、グリフィンが居間へ向かう。彼は歩きながら、判決の内容を報告してくれた。

「――ウィガード大司教は有罪だ。証拠が揃いすぎていたからな」

 居間に着いたふたりは、長椅子に隣り合って腰掛けた。
 グリフィンがひざの上に手を組み、あらためて判決までの過程の一つ一つを語る。
 事件の主犯である大司教は、今回の不正だけなら更迭こうてつで済んでいたのだろう。だが、セラフィナへの殺人未遂が裁判を決定的なものにした。その後の捜査で過去の悪行も次々に明らかになっており、大司教の実家である侯爵家もかばい切れなくなったのだそうだ。

「大司教はこれまでも失態を部下になすりつけて遠方へ追いやり、してきたようだな。経歴に一点のくもりもなかったのはそのためだ。彼の部下には行方不明になった者が複数いるが、口封じに殺されたのかもしれない。ユリエルというあの侍祭じさいもなにをしなくとも同じ目にっていただろう」

 次々に明かされる事実にセラフィナは絶句した。
 大司教の飼い犬として働いていたユリエルに思いをせる。彼はセラフィナを誘拐した実行犯だが、彼女はどうしても彼を憎む気になれなかった。ユリエルは大司教に捨て駒として利用されていたのだろう。
 大司教は、今後五年を牢獄で過ごすことになる。当然国教会への復帰は絶望的だ。
 そしてユリエルも、やはり有罪となった。だが、ユリエルは川に身を投げ、生存を絶望視されたまま行方不明となっている。そのため書類上ではあるが侍祭じさいの地位をはく奪され、破門されるのだそうだ。それによりこの国――アルビオンのあらゆる教会に彼の墓を建てられなくなる。
 厳しい処分になると覚悟していたつもりだが、それでもその死をとむらうことすら許されないのだと、セラフィナは彼の罪の重さにあらためて衝撃を受けた。

「……これから教会はどうなるのでしょう?」

 国教会の首長である総大司教は現在八十歳である。老衰でこの数年は寝込む日が増え、死を待つばかりの身だと聞いていた。
 ならば、次期総大司教はどうなるのか。
 最有力候補者であった大司教は、悪人ではあったが有能でもあった。その彼が罪人として裁かれた今、代わりとなる候補者はいるのだろうか。
 そう心配すると、グリフィンが「問題ない」と長い脚を組んだ。

「今回の事件の顛末てんまつを聞いて、これは死んではいられないと総大司教が復帰したそうだ」

 後継者が育つまでは是が非でも死なぬと宣言し、全盛期と変わらぬ勢いで仕事に励んでいるのだと、彼が言う。

「君が心配しなくとも、あの様子では百まで生きるだろう。その間に才能ある候補者がまた育つ」

 この事件が国教会に与えた打撃は小さくはないが、腐った幹が切り落とされてしまえば、その切株から新たな芽生えがある。組織とはそういうものだとグリフィンはくくった。

「そう、ですか……」

 これでようやくあの事件に一区切りがついた――セラフィナはそう実感するのと同時に、悲しみが泉のように湧き出るのを感じる。
 ユリエルの好意を拒んだ日の、彼の寂しげなシルバーグレーの瞳が、脳裏のうりに浮かんでは消えた。

「――セラフィナ?」

 黙り込んだセラフィナを案じたのか、グリフィンが彼女の顔を覗き込む。

「どうした? 疲れたのか。近ごろ君も働きづめだからな」
「いいえ、違うんです」

 セラフィナはひざの上でこぶしを握りめた。

「グリフィン様、お願いがあります」
「願い? 珍しいな。いったいなんだ?」
「ユリエル様に花を手向たむけたいのです。どうぞお許しいただけませんか」

 セラフィナの申し出に、グリフィンが切れ長の瞳をわずかに見開いたのだった。


 ユリエルが身を投げた川は、人の命を呑み込んだとは思えないほど穏やかで、青々とした水をたたえていた。橋の近くでは、水鳥が水面みなもをかいている。
 向こう側の整備された河岸かがんで老いた釣り人が糸を垂れていた。魚がかかったのか、くいと釣竿を上げる。
 自然と人のいとなみが調和した、平和そのものの光景だ。
 この景色の一部となったユリエルは、幸福なのかもしれない。少なくとも、誰にも参られない冷たい墓石の下に眠るよりは――川を訪れたセラフィナは、そう思うことでみずからの心をなぐさめた。
 グリフィンとともにかれしばおおう川岸に下りてゆき、リボンで束ねた花を一息に川面かわもへ投げ入れる。
 花は死者に手向たむける白いものではなく、アルビオンならどこにでも咲いている色とりどりの野の花々だ。ユリエルに寂しい色は似合わないと、セラフィナは感じていた。
 流れていくうちにリボンが解け、花が散らばり、音もなく水の中に消えていく。
 セラフィナはその場にしゃがみ込むと、みずからの帽子を取った。秋風が、流したままの亜麻色あまいろの髪を舞い上げる。

「グリフィン様。ユリエル様は天国へはいけないんでしょうか」

 彼の生い立ちは不幸だった。だからと言って、罪が許されるというわけではないが、あらがえない運命に押し流され、ついには命を絶ったユリエルが、セラフィナは哀れでならなかった。

「どうだろうな」

 グリフィンが、流れゆく花の一本を見送りながら答える。

「私は神ではないから、なんとも言えない」
「そう、ですよね……」

 確かに神だけにしかわからない。セラフィナは水面みなもに目を落とした。
 そんな彼女の隣に片膝かたひざをつき、グリフィンはセラフィナのセレストブルーの瞳を覗き込む。

「だが、これだけは言える」
「グリフィン様……?」

 彼の漆黒しっこく双眸そうぼうには、いたわるような光が浮かんでいた。

「神にすべての罪を許され天へ召されるよりも、たったひとりでいい、こうして誰か――君にいたまれ花を手向たむけられるほうが、よほどあの男の魂は救われるだろう」
「グリフィン様……」
「私ならきっとそうだ」

 グリフィンが川の流れに目を向ける。
 端整なその横顔とどこかうれいのある眼差まなざしが、ユリエルと似ているとセラフィナは感じた。
 けれどすぐに、小さく首を横に振る。
 生まれも育ちも容姿も中身も、ふたりはまったく違う。なのになぜ似ていると感じたのか。
 このときのセラフィナには、それをまだ理解できなかった。

「少し散歩していくか」

 グリフィンにうながされ、頷いて立ち上がる。ふたりは川岸をゆっくりと歩いた。

「――グリフィン様はユリエル様の出生について、もうお聞きになられたのですか?」

 そうセラフィナが問うと、低い、つやのある声に陰りが混じる。

「ああ。明言されていないが、彼の父親が誰なのか、大方想像がつく。あの侍祭じさいの母親も気の毒なことだ」

 ユリエルの母親は、とある王族に襲われ、ユリエルを授かった。彼女には婚約者がいて、彼と結婚したが、夫は別の男性の子であるユリエルを愛さなかったのだ。
 グリフィンはユリエルとその母親の不幸を、心からいたんでいるように見えた。

「……女は若く美しいことで、不幸を呼ぶことがある。理不尽な話だ」
「グリフィン様……」

 どこか遠くを見つめるかのような目をする彼は、いったい誰を思い浮かべているのだろう。セラフィナは首をかしげた。ユリエルの母親と似た身の上の女性を、彼は知っているのかもしれない。
 セラフィナはグリフィンを見上げ、彼の気をらそうと微笑ほほえみを浮かべる。

「今日はお付き合いいただいて、ありがとうございました。グリフィン様のお父様とお母様のお墓にも、今度お参りにいきましょう」
「ああ、そうだな……」
「おふたりのお墓はせっかく近くにあるんですから」

 グリフィンの父の名はセオフィラス、母の名はアナスタシアといい、すでに双方が亡くなっている。セオフィラスはグリフィンが成人してからだが、アナスタシアは幼いころにはかなくなっているはずだ。
 墓は本邸の敷地内にある礼拝堂内――つまり今住んでいる邸宅の目と鼻の先にあった。その礼拝堂にはアナスタシアとセオフィラスだけでなく、代々の当主夫妻のひつぎが収められている。
 ところがグリフィンは、忙しいからなのかあるいは身近にある安心感からなのか、墓参りには数ヶ月に一度しかいかない。それもほとんどはセラフィナにうながされてのことである。

「アナスタシアって異国風で素敵な響きですよね」

 セラフィナはなにげなく、本当になにげなくグリフィンに尋ねる。

「グリフィン様のその髪と瞳は、お母様に似ているのですか?」

 ハワード家の代々の当主は濃さは違えど全員金髪で、瞳は宝石を思わせるグリーン系である。ところがグリフィンだけは黒ダイヤの髪と瞳の持ち主だ。
 きっとグリフィンは母親似なのだろうと、セラフィナはごく当たり前に考えた。

「黒って謎めいていて綺麗ですよね」

 しかし、その素直な賛美に、グリフィンは唇の端を歪めて笑う。久々に見る皮肉げな笑い方だ。だが、一瞬ののち、彼はそれをおおい隠し、セラフィナの髪に手をうずめた。

「ああ、私は母に似たんだ。この黒は大陸由来になる」

 アナスタシアは大陸にあるアレマニア帝国の諸侯・アーレンベルク家の出身なのだそうだ。アーレンベルク家には六代前にハワード家の息女がとついでいた。
 その縁でグリフィンの父は、外交官としてアレマニアに出向いた際、アナスタシアの生家に滞在していた。そこで十五歳のアナスタシアをめ、十六歳となるのを待って、アルビオンへ花嫁として連れ帰ったのだ。


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