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第九章 戦役

二十八話 大魔導師マリウス

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 マリウスが放った魔法によって、講和会議が行われていたこの部屋が、真っ黒な雲に覆われた。
 すぐ近くにいるはずのエアやアニアの姿も見えない。

「アニアッ! エアッ! くっ!」

 手で黒い雲を払いのけながら二人の名前を呼ぶ。だが、それで大きく呼吸をしてしまうと、黒い雲を吸い込んでしまった。その瞬間、喉が焼けるように熱くなった。

「何だよこれは! 毒ガス魔法か!? ゴホッ!」

 多くの文献や、古竜の知恵に触れることの出来る俺でも、こんな魔法は聞いた事がなかった。

「ゴホッ、ゴホッ、ゼ、ゼンッ! ゴホッ、息がッ!」
「ゴホッ! ゼン様ッ!」

 エアとアニアの苦しそうな声が聞こえてきた。ポッポちゃんの激しい羽ばたきの音と「主人ッ! 主人ッ! これ嫌なのよ!」と鳴き叫ぶ声も聞こえてくる。
 ポッポちゃんは自分に黒い雲を寄せ付けないように、激しい風を起こしているみたいだが、密閉された部屋ではそれほど効果は得られない。
 俺もどうにかしようと、両手を全力で振り雲を掻き分けようとするが、全くの無意味だ。幾らやっても一向に散る様子がない。

「ゴホッ、クソッ! レジストできねえのか!?」

 俺には高い魔法抵抗スキルがある。だが、それでも黒い雲を吸い込むと、この雲を排除しようと
体の底から湧き出る咳を止めることができない。
 俺でこの状態なのだ。物の十数秒の間だが、近くでは何人もの人が地面に倒れたであろう音が聞こえてきた。

「ま、待ってろ! 今助ける! グレイターヒール!」

 明らかに自分のHPが減っている事に気づいた俺は、まずは自分に回復魔法を施した。
 すると、俺のHPは回復される。だが、それはすぐにまた減りだした。何だこれは!? どうなってんだ!?
 周囲から聞こえてくる苦しむ声と、回復魔法が予想外に効かず、俺は若干の混乱に陥った。
 するとその時、近くからアニアの声が聞こえてきた。

「ゼン様ッ! ステータスをッ!」

 アニアの声にはっとした俺は、すぐに自分のステータス画面を確認した。
 ……なるほど、そういう事かよ!
 俺はこの黒い雲の性質が分かり、一気に冷静になれた。

「アニアッ! エリアヒールだ! エリアヒールで部屋を覆え!」
「ゴホッ、は、はいっ! エリアヒールッ!」

 俺が指示を出すと、アニアは即座に応じてくれた。
 魔法を発動させると、わずかながらの回復魔法の光が、黒い雲の隙間から滲むように見えた。光の量は少ないが、アニアの暖かな魔法の力を感じる。効果に問題はないようだ。
 俺は改めてステータスを確認する。
 ステータスにはHPやMPなどのほかにも、『状態』というものがある。
 普段はこの場所が変化することはないので意識することがなく、戦闘でも状態変化をしてくるような魔物はほとんどいない。その為に、この世界に慣れ切ったと思っていた俺だが見落としていた。
 今俺の状態は、『猛毒』。
 要するに、この黒い雲を吸い込むと、徐々にHPが減っていく『猛毒状態』へとなるのだ。
 アニアへエリアヒールの指示を出したのは、HPの維持をさせるためだ。実際、ステータスを確認してみると、HPの減少はかなり緩やかなものとなった。

「皆待ってろ、すぐにどうにかする! グレーターキュアッ! ……よし、行けるぞ! アニア、ヒールを維持してくれ!」
「は、はいっ! ゴホッ!」

 アニアは苦しそうな声を上げているが、何とか魔法を維持してくれている。彼女は再生の神の加護を持っているので、常にHPとMPは回復し続けている。そのお陰だろう、周りから聞こえてくる激しくせき込む声よりかは、大分余裕を感じた。

「先にエアを……くっ、また猛毒状態になってんのかよっ!」

 『グレーターキュア』で状態の治癒を行ったが、その後に数度黒い雲を吸い込んだら、また自分のHPが減っていく感覚に襲われた。どうやら魔法抵抗スキルで数度は雲を吸い込んでもレジスト出来るが、高確率で猛毒状態に戻されるようだ。

「先に発生源を……って、ぐおっ!」

 デスクラウドが維持され続けているのでは、幾ら猛毒状態から回復しても意味がない。
 発生源を先に仕留めようと、右手に【テンペスト】を取り出すと、その瞬間俺へと槍のような物体が飛んできた。
 反射的に左手で飛行物体を受けた俺は、急いでその場から転がり離れる。
 追撃がない事を確認してから左腕を見てみると、鎧は僅かにへこんでおり、鎧下には土のようなものが付着していた。

「この威力だと、ランス系魔法か……」

 どうやら、魔法技能レベル4で使用できる『アースランス』を撃たれたらしい。
 転がった姿勢から、床に手を付け体勢を整えた俺は、右手に鉄のナイフを取り出す。そして、既に捉えているマリウスの気配へと投擲した。

「グハァッ! ぬううんっ、小癪なぁっ! ファイアランスッ!」

 どうやら俺のナイフは当たったようだが、マリウスを無効化するには至らなく、反撃の『ファイアランス』を放たれた。
 広いといっても所詮部屋の中だ。炎の槍はすぐに俺に到達する。
 だが、今回は相手が何をしてくるのか分かっていた。俺は冷静に左腕に【魔道士の盾】を展開すると、炎の槍を殴りつけるようにかき消した。

「小童がやりおるわッ!」

 マリウスの老人とは思えない気合の乗った声が聞こえた。
 先ほどから違和感を覚えていたのだが、どうやらマリウスは俺の姿が見えているらしい。
 俺には高レベルの隠密スキルがあるから相手の位置は分かる。マリウスにその力があるとは思えない。探知スキル以外の力だろう。
 予想では魔法だ。いまだに部屋に充満しているデスクラウドは俺の知らない魔法だった。大魔導士と呼ばれていたマリウスならば、この魔法以外にも俺の知らない魔法を持っていてもおかしくない。

 俺がそう思った矢先、突然マリウスの気配が複数に分かれた。
 そして、分かれた気配が部屋の中をゆっくりと歩き出した。

「かっかっかっ、昨日バイロンはこの魔法を破るのに一日をかけたぞ! お前はどうだろうな!」

 マリウスの嬉しそうに笑う声が聞こえてきた。先ほどはあれほどの怒りを見せていたのに、今はその様子が見えない。彼は認知症ではなくもっと別な、混沌とした世界にいる存在なのかもしれない。

 それにしても、これはなかなか厄介な状態だ。黒い雲が立ち込める室内では、十体近くのマリウスの気配を感じる。これも魔法なのだろう。こんな芸当をこなすとは、大魔導士と呼ばれたマリウスの実力は、若く精神状態がまともならば大将軍バイロンを超えていると思えた。

 気配の分かれたマリウスは、俺以外に興味がないのか、すべての気配の動きが俺を中心に回っている。しかし、攻撃はまだこない。先ほど魔法を防いだ事を警戒して、隙を窺っているのだろう。
 そんな中俺は次の一手をどうするか考える。正直、全力で動き回れば、すべての気配を即攻撃することは可能だろう。
 だがそれは危険を伴う。視界が万全ならば良いのだが、幾らレベルが高いとはいえ、探知スキルだけで判断をするのは危険すぎる。この部屋には俺とマリウス以外にもたくさんの人がいるのだ。
 リスクを取ってでもやるか、それとも壁に穴でも開け空気を入れ替えて、もう少し安全に戦うかと考えていると、空気という言葉に、ふとあるアーティファクトが頭の中に浮かんだ。

 俺が取り出したのは、大気の神のダンジョンで手に入れたアーティファクト【空浄球】だ。
 以前試しに使ってみた時は、周囲の空気を吸い込んで、とても美味しい空気に変えてくれた。
 このよどんだと表現していいのか分からないが、とにかく害のある空気の状態であっても、きっと効いてくれるはずだ。
 そう思い俺は即座に球体上部にあるボタンを押した。
 すると、本体に刻まれた溝に、まるで家電のように灯りがともる。そして、フォンという音がすると、その次の瞬間、俺の視界は晴れていた。

「はっ?」

 あまりにも一瞬の出来事に、俺はつい間抜けな声を上げてしまった。
 それは、この状況で動けていたマリウスも同じようで、探知で捉えていた十体を超えるマリウスは、杖を片手に固まっていた。

『な、何をした!?』

 複数いるマリウスの声が重なって聞こえた。

「後で教えてやるから、お前はちょっと大人しくしてろ!」

 狼狽えるマリウスに俺は鉄球を投擲する。
 すると、俺が狙ったマリウスは、霧のように消えてしまった。

『かっかっ! 甘いわこぞぉ……なんじゃ!?』

 本体ではなかったからか、マリウスが満足げに笑う中、俺は投擲を続けた。
 そして、瞬く間に姿を消していく分身を見たマリウスは驚愕の表情を浮かべた。
 残るは三体。俺はそこでも手を止めず、鉄球を投擲し続けた。

「ひっ、や、やめっ!」

 マリウスは持っていた杖を落として両手の平をこちらに向けた。だが、相手が老人だろうが、今は脅威となる存在に手加減をするつもりはない。遠慮なく鉄球を投げつけて、その意識を奪った。

「ふぅ……あぶねえ爺ちゃんだな……って、早く解毒しないとっ!」

 戦いの余韻に一瞬浸ってしまったが、すぐに部屋の状況を思い出した。
 まだ稼働するアーティファクトの力で、視界は晴れてそこら中の床に転がる人たちがいる。この中でまだ立てているのは、俺とアニア、そしてエルフのリュシールちゃんだけだ。
 俺が彼女に視線を向けると、せき込みながら言った。

「も、猛毒です! ゴホッ! 解毒ポーションをすぐに用意させますから!」

 彼女の傍らには、中身がからのポーション瓶が置いてある。どうやら、デスクラウドに覆われている中で、自分の状況を把握して使ったみたいだ。でも、ポーションはもう尽きたようだ。猛毒を治すポーションは貴重だしな。それにしても状況判断は流石、樹国の長老様だな……。経験豊富な姉ちゃんっぽくてとてもいい。って、そんな事を考えている時じゃねえ。

「俺がすぐに解毒するんで大丈夫です。アニアはエリアヒールをまだ維持しててく……ポッポちゃん?」

 俺が解毒することを宣言し、まだ猛毒の効果は残っているのでアニアに回復魔法の維持をお願いしようと彼女に振り向くと、何やらおかしな光景があった。やたらとアニアの服が盛り上がっているのだ。
 探知スキルで何故だか分かった。ポッポちゃんは余程デスクラウドが嫌だったのか、アニアの服に潜り込んでいた。普段から大きく主張している胸部分がさらに盛り上がっている。まさか……挟まっているのか……!?
 俺がポッポちゃんの名前を呼ぶと、ポッポちゃんがアニアの胸元からニョキッと顔を出した。

「そこの居心地は良いかい?」

 俺が思わず質問してしまうと、ポッポちゃんは俺には分かる喜びの表情を浮かべ「今日からここで寝るのよ主人!」と嬉しそうにしていた。
 そんな事をしていると、アニアが眉間にシワを寄せて言った。

「ゼ、ゼン様、早くしてほしいのです! 結構きついのです!」
「す、すまんっ! まずアニアを回復するから、エリアヒールをもう少し頑張ってな!?」

 アニアに結構真剣に怒られてしまった。いや、俺が百パーセント悪いんだけどさ。
 アニアに『グレーターキュア』をかけた後は、自分にもかけておく。HPの最大値が高い俺はまだまだ余裕があるが、やはり気になってしまうからだ。
 その後、倒れている人たちのもとへ向かい、次々と解毒していく。
 最初に回復させたエアが、解毒を続ける俺の隣に来た。

「マリウスを殺さなかったのか?」
「あぁ、老人を殺すと寝覚めが悪いだろ。まあ、本当はアイツの魔法が欲しいからだけどな。生かして後で搾り取る」
「……助けてもらっといてなんだが、それはあまりじゃないのか?」
「何、まだ生きられるんだから優しいもんだろ。それに、そこまで無理強いをする気はないぞ」
「ならいいが、お前の評判が悪くなるのが嫌なんだよ……。その者が終わったら次はシーレッドの人間か」

 今治療している樹国の人を解毒すれば、残るはシージハードを含むシーレッドの人たちだ。

「解毒していいんだろ?」
「あぁ、頼む。どうやら、今回のはマリウスの暴走みたいだからな」

 エアが倒れ込みピクリともしないシージハードを見て言った。
 見た感じではHPが微量の瀕死状態のようだ。アニアのヒールで辛うじて生きてるって感じか。一番近くにいたからな。
 早速シージハードから解毒していく。解毒直後からエリアヒールを受けて明らかに顔色が良くなった。
 彼の処置を終えたら他の人たちだ。ただ、『グレーターキュア』は魔法技能レベル4の魔法なので、ここで一度瞑想スキルを使ってMPを回復させた。

「エゼルよ……礼を言う」

 目を閉じて精神を集中していると、意識を取り戻し、先に立ち上がっていた側近に抱きかかえられたシージハードが言った。俺が目を開けて軽く頷くと、彼は即座にその場から移動して、拘束されているマリウスのもとへ向かった。

「マリウスよ、何故だ!? 何故このような事をしでかした!?」

 シージハードの強い口調に、アニアのエリアヒール範囲内にいるおかげで意識を取り戻していたマリウスが、兵士に両腕を押さえつけられながら怯えるように答えた。

「ひ、姫様が申したのです……。その男に……ゼンに殺されたと……。ジョアンナァ……リース坊や……すまんなあ……。爺は仇が取れんかった…………」

 マリウスは涙を流しながらそう言うと、子供のように泣き出した。
 先程は殺意を向けてきた相手だが、正直これにはまいってしまう。
 しかし、俺の気分の沈み以上に落胆の表情を浮かべた人物がいた。

「セ、セラフィーナが……!? あのバカ娘がッ!」

 シージハードは握った拳で床を叩いた。
 その直後、部屋の外が慌ただしくなった。
 何だと思い意識をそちらに向けると、大勢の声が聞こえだした。
 俺達が慌てて窓の外を確認すると、そこではエゼル、セフィ双方の兵士が俺達が今いるこの城砦の周囲で、シーレッドの兵士と戦いを始めており、よく見ればそれは、街の城壁外で待機していた大勢の兵士へと波及していたようだった。

「エアこれは……」
「急いで止めなければ……。だが、この勢いは……」

 エアが言いよどんだのも分かる。俺達が向けた視線の向こうでは、早くも街に火の手が上がっており、二国の兵士が狂ったようにこの場所を目指して突撃していたのだ。
 あまりの勢いに俺達が一瞬傍観していると、カツカツといい靴の音をさせて近づいてきたリュシールちゃんが、エアの肩に手を置くと言った。

「エア君ッ! 何をしているのですか! 今すぐ駆けつけて、兵を止めるのです! 貴方は王でしょ!」
「ッ! そうですね、リュシールさん。今すぐ行きます!」

 リュシールちゃんの一喝でエアの瞳に力が篭もる。俺もそれに引きずられるように頬を叩いて気合を入れた。まだまだ俺たちは経験が足りないようだ。

「よしっ、俺も行こう。エアの向かう反対側に……どうした」

 言葉の途中で突然現れた薄い気配が、俺の後ろに立った。アーティファクトを使用しているヴィンスだ。俺以外には感知されていないので、俺の反応にエアとリュシールちゃんが何事かという表情をした。
 ヴィンスは俺の耳元へ口を寄せると、静かな声で言った。

「旦那、シェードからの報告です。シーレッドの兵がラングネル北部で農村を襲ってるらしい。急いで救援をと」

 マリウスの暴走の次にはすぐこれか。俺は大きなため息を吐きながら、事の詳細を確かめたのだった。
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