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12巻

12-2

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 だが、グレンは不安げな表情をしながらも、セラの肩に手を置いてなだめてから、風見を見つめてくる。

「……説明する時間はないのですな?」
「……悪い」

 風見が謝罪すると、グレンは強がるように笑った。
 彼らには、前回の記憶がない。今の会話を理解するのは難しいだろう。
 それでも事情を推察し、風見を信じようとしてくれるらしい。
 だが、セラはそれでは収まらなかった。彼女はグレンの手を払い、風見をにらむ。

「なんなんですか、あなたはっ! わけのわからないことを言って! ロクな説明もしないで……! 振り回されるセラがバカみたいですっ!」

 思っていることを全て吐き出したのではないかと思うほど、セラは強く叫んでいる。
 はたからすれば、風見はリズを助けるためだけに、多くの人を危険にさらそうとしているようにも見えるだろう。説明する時間がないからと押しつけるのは酷く心苦しい。
 大きなため息をつくセラに対し、風見は頭を下げようとした。

「セラ、ごめ――」
「謝ってもらったって、何の解決にもならないですからっ。あなたは結果だけ持ってきてください!」

 こんな状況でやっていられるかと罵声ばせいを浴びせられるかと思いきや――セラから向けられたのは、力強い視線だ。それどころか、頭を下げかけた姿勢を押し戻される。

「確かにあなたはわけがわからないです。以前も火鼠ひねずみ退治をせずに団子作りを始めたりして、いかれてるんじゃないかと思いました。けど、めぐめぐって目的どおりの結果を出しました。今の話も、結局はお姉様の命を救った上で、この街もとりでの人間も救おうって話なんですよね?」
「あ、ああ。そう――」
「だったら回れ右っ! さっさと行ってくださいっ。詳しい話も聞かないで協力しようとするセラが、バカみたいですっ!」

 風見が答えようとするも、セラはその言葉をさえぎるようにまくし立てた。
 今にもみつかんばかりの勢いに押され、風見はグレンとリードベルトに目を向ける。
 姿勢こそ違えど、二人も結論はセラと同様なのだろう。口元をゆるめて深くうなずいてくれる。


「悪い、詳しいことは後でココノビから聞いてくれ。俺は先を急がせてもらう。けど、誰も見捨てるつもりはないってことは本心だ」
「ええ、心得ておりますとも。武勇は後で聞きましょう。猊下げいか殿、お気をつけて」
「ご武運を」

 グレンとリードベルトが短く答える。それを聞くと、風見は走り出した。
 施設を出た途端、ナトが風見を抱えて跳躍し、クロエ、キュウビが続く。街の外に出たところで、指笛を吹いてタマを呼び寄せた。
 反応は非常に早い。地響きのごとき足音が近づき、タマが目の前に飛びこんできた。そしてタマの急ブレーキによって、砂埃すなぼこりが立ちこめる。
 タマはこのタイムスリップした状況をまだ誰とも共有できていないはずだ。セラたち以上に困惑を解消するのが難しいに違いない。
 風見はどのように説明するのが効率的か思案しながら、砂埃すなぼこりが晴れるのを待つ。
 だが、見立ては大いに崩れた。タマはもうもうと立ちこめる砂埃すなぼこり大顎おおあごで掻き切り、風見にせまったのである。

「――っ!?」

 そんな事態が起こるとは思いもしなかったため、タマが風見に食らいつくまで誰も反応できなかった。

「風見様!?」

 クロエに続き、ナトとキュウビも驚きの声を上げる。
 タマは彼女らの声を振り切り、脱兎だっとのごとく駆け出してその場から離れた。

「痛っ。どっ、どうしたんだ、タマ!?」

 風見は困惑して声を上げる。
 タマに食らいつかれたが、風見はみ潰されたわけではない。これは攻撃ではなかった。胴体をくわえ上げられ、乱暴に連れ去られただけである。
 理解が及ばない風見は、タマの口をタップする。けれども返答はない。
 クロエとナト、キュウビが、慌てて追いかけてきた。
 だがそれに気づいたタマは律法を発動させ、彼我ひがの間に障害物として巨大な岩壁を発生させる。すると律法で形成しているナトの肉体は解け、クロエとキュウビは岩壁にはばまれた。
 害意はないが、彼女らを遠ざけているのは明らかである。
 タマは何故こんなことをするのかと風見は思考をめぐらせた。
 まさか敵側から何か工作があったか? いな、そんな時間はない。では他の可能性は――と考えていた時、風見は自分の体に吹きかかる吐息に答えを見出した。
 タマはふるるるっ、ふるるるっと、嗚咽おえつこらえるように息を震わせている。
 今の風見の体勢ではタマの瞳は見えない。けれどもどんな感情を秘めているか、察せられた。

「……もしかして、不安がっているのか?」

 タマは元から喜怒哀楽の表現が豊かだ。何を楽しみ、何を怖がるのか、言葉がなくても風見にも十分に理解できる。その経験からすると、タマは不安がっているに違いない。
 タマの立場では、今までの事態は本当に急だったはずだ。
 アスラ対策会議の直前は、襲撃に備えて待機していた。そして、総本山が襲撃を受けたという情報が急にやってくる。その後は風見が西軍の拠点に単身で戦闘を仕掛けた話が回ったはずだ。
 それを追ってきたタマが見たもの。それは西軍兵の屍山血河しざんけつがや、リズとナトを失って慟哭どうこくする風見の姿だった。
 時をさかのぼったこの事情を理解できたにしろ、できなかったにしろ、風見をそんな状況におとしいれた場がすぐそばにあるのだ。この場のしがらみを全部振り切って、怖いものがないところへ逃げようとしているのかもしれない。

(タマが向かっている方向は、西軍の拠点とも総本山とも違うもんな)

 全部をまとめると、この考えが最も当てはまるだろう。
 これが、タマなりの守り方なのだ。それを察した風見はタマの口に手を添える。
 こんな風に想ってくれていることに、精一杯の感謝を向けた。けれども、風見は首を横に振る。

「……ありがとう。でも、それじゃダメなんだ」

 体を挟んでいるきばに手を当て、体を左右によじる。み潰さないようにと力加減されているため、風見はタマの口から多少抜け出ることができた。
 すると今まで見えなかったタマの目が見えてくる。
 やはり、攻撃的ではない。おどおどと、恐れをびた目が向けられていた。
 風見はその目をまっすぐに見つめ返す。

「俺はリズを死なせたくない。逃げたって何の解決にもならないんだ。けどな、タマが思うこともわかる。俺が何かをするのが不安なんだよな?」

 リズを助けに行くことまでは読めていないかもしれない。
 しかしあの惨状さんじょうの記憶が残っているのならば、不安がるのも当然である。
 タマは、風見がまたあの悲劇を繰り返してしまうのではないかと考えているのだ。
 実際、二代目マレビトとは違い、風見は無力な人間である。それは自他共に認める事実だった。

「確かに俺は一度失敗した。でも、皆の力を借りて、今度こそどうにかしたいんだよ! だからタマにも協力してほしい……!」

 力強く語りかけてみる。
 けれどもタマから返ってきたのは、ふるるるっ。ぐぐぐぐぅっ……! と、今までと似た吐息だ。首を横に振ってもいることからも、拒否していることがうかがえる。
 当然だ。失敗した人間の言葉をそのまま受け入れるなんてできないだろう。
 風見はしかし体をよじってあらがう。

「そうだよな、信じられないよな。でも、俺は欲張りたいんだよ。ドラゴンの背に乗って、好きな人を助ける英雄の真似事をしたい。もちろん、タマが俺を信じられないのはわかる。だからさ――試されなきゃダメだよな。言葉だけじゃダメだ」

 そう言うと、タマはぴくんと反応した。
 これは、タマと初めて出会った時、背中に乗せてもらおうとして向けたのとほぼ同じ言葉だ。
 伝説に語り継がれるような、御大層な肩書きなんていらない。
 仲間の力を借り、リズを守れる何かになれればいいだけだ。それすらも実現可能か疑うのなら、存分に試してもらえばいい。
 そう心を決め、風見は霊核武装を呼び出す。それは近場の地面から出現すると、すぐに風見の手に収まった。
 これはタマを力尽くで止めるために呼び出したわけではない。
 だが、タマは警戒したのか、律法を起動させる。周囲に茶色い幻光が満ち、複雑な文様もんようが描かれはじめた。
 それは、霊核武装の元になった魔獣まじゅうの力さえ吸収し、叩き返した律法だ。効果がないはずはない。
 風見はそんなタマの律法にあらがおうとはしなかった。
 むしろ逆である。霊核武装の力をタマの律法に上乗せする形で組み込む。

「ウォッ……!?」

 タマは全く抵抗なく力が働いたことに困惑したのだろう。律法の制御がゆるまる。
 律法の主導権を握る隙を見つけた風見は、収束する力を別の形で表そうとした。
 目指すはキュウビの言葉の具現化だ。
 人を乗せ、共に飛べば身が軽くなる矛盾。それを体現する翼を作るために、力を働かせる。
 律法の力があり、力が発現するための型がさだめられ、それらを働かせる手段まである。不可思議な現象をべるための条件が、ここに揃っていた。
 周囲をまぶしく照らすほど満ちていた幻光は、大量の土砂を巻き上げ、タマの翼にまとわりつく。それが形成するのは、地竜の巨躯きょくに見合う巨大で重厚な翼だ。
 ゴーレムたちは、本来であれば支えきれない重さの体を、律法の力で支えていた。それと同じことを、風見がその身につけた付加武装と霊核武装の力で補助して、したのである。
 タマはついに、困惑のあまり立ち止まった。
 風見は、そんなタマに語りかける。

「タマ。俺はここでリズを助けられなきゃ、絶対に後悔する。確かに俺は、英雄になりきれないただの一般人だ。だからこそ、あの時は一人でやって失敗した……。そんな未来を変えるために力を貸してほしいんだ。言えた義理じゃないのはわかるけど、頼む……! 俺は、お前と全部を変えたいんだ!」

 思いのたけを叫んだ。
 それは衝撃となって響いたのだろう。タマがわなわなと震え、風見は口からこぼれ落ちた。
 落下の瞬間、なんとか追いついたクロエが風見を受け止めてくれる。ナトとキュウビも同じく追いつき、震えるタマを見上げた。
 タマの震えが、止まる。
 そして再度口を大きく開けると、盛大な咆哮ほうこうを上げた。
 耳をつんざき、空を割るほどの雄叫おたけびだ。それと一緒に翼が振るわれ、人の身なんて軽く吹き飛ばしそうな突風が吹き荒れる。
 二度、三度と繰り返されてから音がやみ、風も過ぎ去った。静止したタマを、四人は見上げる。
 すると、タマはその場に伏せた。翼をスロープのように下ろし、こちらに竜のまなこを向けてくる。――認めてくれたのだ。
 それを理解した風見は息を呑み、「ありがとう」と小さくつぶやいた。
 しかし胸をで下ろす余裕はない。クロエ、ナトと共にタマの背に跳び乗る。
 この場に残るキュウビは、声を上げた。

「シンゴ様、あなたを慕う仲間を信じてください! 未来を変えようとする者は、この場にいる限りではありません。あの場には――総本山にはクイナがいます。わたくしが保証いたします。クイナは強い。あの子は、心が未熟だっただけ。けれど、それも今にみずからの力で踏み越えます!」

 返答する時間はない。タマは地面を跳ね、同時に新たな翼を打ち下ろし、すさまじい加速で走り出した。目指す総本山に向け、一直線に竜の翼をはためかせる。
 皮肉で残酷なこの世界を変えるために、竜は飛び立ったのだった。


    †


 風見らが時間のさかのぼりを自覚したのと同じ頃。
 クイナはハドリア教の総本山で、同じ体験を味わっていた。

「え。あ……、ここは……? ……っ!」

 それは突然の自覚だ。
 頭が真っ白になって、自分はどうしてここにいるのだろうと、一瞬呆然とした。その直後、鮮明な記憶がフラッシュバックする。
 自分は、ハドリア教の総本山にひそんだアスラの寄生体や分体と戦闘した。
 戦況は途中まで有勢だった。けれども敵は、一瞬の不意をついてきばいた。その結果、リズが命を落としたのである。
 そう。あの時、自分は何もできなかったのだ。
 リズに命を守られた。
 惨劇さんげき後、敵に立ち向かえなかった。
 慟哭どうこくする風見を励ますことさえ、できなかった。
 未来の記憶や思いが、まとめて胸に叩きこまれたかのような感覚に襲われる。この圧縮された追体験に、胸は張り裂けそうになった。

「どうかしましたか?」

 立ち止まって胸を押さえていると、白騎士のシンディが顔をのぞきこんでくる。
 ここはハドリア教総本山。教会に続く大通りで、アスラの寄生体と戦った市場いちばのすぐそばだ。
 この時クイナは、リズやシンディと共に、敵の寄生体とおぼしき匂いを捜して歩いていた。父と別れ、シンディを含む白騎士の部隊と出会い、作戦に向けて動こうとした――ちょうどその頃合いである。
 散開しだした白騎士たちを見て、クイナは慌てて声を上げた。

「待って!!」

 騎士たちはその声に立ち止まる。彼らからは困惑と、説明を求める目を向けられた。
 唐突なクイナの行動を、リズも気にしたようだ。
 彼女は先日のアスラとの戦闘で負傷していた。そのせいで腹膜炎になり、今も歩ける状態ではないので馬に乗せられていたくらいだった。それにもかかわらず、気遣って馬から降りてくる。

「クイナ。もしかして戦闘が怖くなったのかな?」

 リズは肩に手をかけ、問いかけてきた。
 目の前にいる彼女は、夢でもまぼろしでもない。風見の大切な人であり、自分のせいで死に至ってしまったその人。しかし、彼女は今この瞬間は生きているのだと、クイナは実感した。
 同時に、一度おかしたみずからのあやまちを自覚し、胸がさらに痛む。
 この時、敵はとっくに市場いちばの店舗内に分体を、市民には寄生体をひそませていたはずだ。つまり、惨劇さんげきの舞台はもう整っていると言っていい。
 さっきまで自分はこの道を平然と歩いていた。処刑場にリズを案内しようとしていたとも言える状況だ。
 ふがいなさや申し訳なさが猛烈にこみ上げ、目がうるんでしまう。

「ち、ちがう。リズ団長、そうじゃなくてっ……」

 クイナの突然の変化に、リズとシンディは顔を見合わせる。そんな反応を見ると、自分の記憶がおかしくて、本当はあの出来事は全て夢だったのではないかとさえ思えた。
 いや、それこそ違う。
 彼女らはあの場にいなかった。だから時間が戻る前の記憶を持たないと考えるのが自然だろう。この状況を理解できるのも、未来を変えられる可能性があるのも、自分だけだ。
 踏み出すことを恐れて同じことを繰り返せば、再びあの末路になるかもしれない。そうなれば風見はまた酷く苦しむことになる。
 それは、イヤだ。絶対にイヤだ。
 また救えなかったと彼に慟哭どうこくさせるなんて、許せるはずがない。
 ――なら、自分はどうすればいい?
 決まっている。口を開けて待つだけのひな鳥でいてはいけない。
 いつまでも何もできないままではいたくないから、変わろうとしてきたのだ。

「……踏めないはずのもう一歩を踏んで、先へ」

 縮地を教わる際、キュウビは度々たびたびこの言葉を口にしていた。
 今はまさにその一歩を踏み出さなければいけない時である。
 困った顔をしているリズとシンディに対し、クイナは自分から口を開いた。

「聞いて、ください。わたし、これからおかしいことを言います。でも、それは本当のことで、大切な話なんです……!」

 緊張にりょうこぶしを握り締めながら、二人を見る。するとシンディは難色を示した。

「クイナ殿。今でなければいけないことですか?」

 その反応も当然だ。彼女らからすれば、いつ寄生体が事をしでかすかわからない状況である。
 クイナはこの空気をくつがえすためにも、強く言い直そうと大きく息を吸った。
 だが、リズはそれに先んじてシンディを制す。

「いいよ。クイナがこんな風に言い出すこと自体、珍しい。何か重要なことなんだろうね。ただ、時間はない。何を言いたいのかは手短にね」

 リズは少し面白がるような笑みを浮かべてクイナをうながす。これは訓練で誰かを褒める時にも見せていた表情だ。
 そんな彼女にこたえるためにも、クイナは自分の知っていることを口にする。

「わたしは、この先何が起こるか知ってます。わたしたちは市場いちばでアスラの分体や寄生体と交戦しました。しばらくしてから神官騎士の加勢もあって善戦したけど、大型の分体のお腹に仕込まれた兵器で不意をつかれて、たくさんの被害が出ました。リズ団長も、わたしをかばって……」

 嘘でも冗談でもない。体感時間では一時間ほど前に味わった生々なまなましい体験談だ。言葉にはあふれんばかりの感情が宿やどっていた。
 しかしシンディは怪訝けげんそうに眉をひそめる。

「未来を知っていると……? 申し訳ないですが、そんな不可思議な話を信じるのは、とても難しいです」

 確かに鵜呑うのみにできない内容だ。クイナ自身、言葉をつむぐだけで信憑性しんぴょうせいのなさをより深く自覚していた。
 先ほどはかばってくれたリズも「突拍子もない話だね」とぼやいている。
 けれど、ここで退くわけにはいかない。クイナはさらに気を引き締め、知る限りを伝えようとした。

「その後、遅れてやってきた枢機卿すうききょうが、律法でシンゴをんだんです。でも、団長の傷は深すぎて、助けられませんでした……。それでこらえきれなくなったシンゴは、使えるものを全部使って、アスラも西軍の残党もみんな殺したんです。わたしたちは何もできませんでした……」

 風見は触れたはしから敵を弾き飛ばした。
 どのような理屈なのかはわからないが、それは彼の左手に埋められたヒュージスライムの核と、今までは決して取らなかった凄惨せいさんな手段を利用したものだった。
 するとそれを耳にしたリズは、一転して口元をゆるめる。

「それは面白い話だね。なんだ、私はシンゴにそれくらいの爪痕を残せるのか」

 人の生死より、そこが重要らしい。リズはくつくつと笑みを漏らした。
 シンディは、不謹慎ふきんしんな彼女にちらとだけ視線を投げ、話を元に戻す。

「クイナさん。あなたの話をもとに動くには確証がなさすぎます。猶予ゆうよもあまりない状況ですので、私はこれ以上聞いていられない。もう十分ですね?」
「十分じゃない! 何か変えないとダメで、そのっ……、えっと……」

 確かに何の証拠も提示できない。体験を語ることしかできないクイナは、口ごもってしまう。
 どうすべきなのだろうか。すぐにでも反論しないといけないのに、何も思い浮かばない。
 そんな焦燥しょうそう感に駆られていた時、リズは軽く笑い飛ばした。

「いやいや、そういう判断は早いんじゃないのかな。クイナがどうしてこんなことを言い出したのか、まだ理由を聞いてないだろう? この子は無意味に茶々ちゃちゃを入れる馬鹿ではないし、度胸があるわけでもない。それなりの理由があるんだろうさ」

 堅実な手段を好むはずの彼女は、何故かこんな不確かな話を支持してシンディをなだめてくれる。
 そして、シンディが再び聞く姿勢になるのを認めると、クイナに目を向けてきた。
 面白がっている風ではない。穏やかで、これから何をするのか見定みさだめようとしている目だ。
 それはリズの期待の表れなのだろう。
 緊張で弾む心臓を落ち着かせるために深呼吸を挟んでから、クイナは口を開いた。

「そのひどい事件の後のことを聞いてください。全部が終わった後、あのエレインっていうお姫様が現場に駆けつけて、失敗をやり直せるって言ったんです。それでものすごく大きな規模の律法を使って――気づいたら今になってました」
「……つまり、その変化を自覚したのがたった今だったから、顔色が悪かったと?」

 怪訝けげんそうにしながらも、シンディは自分なりの解釈かいしゃくを口にする。
 クイナはうなずきを返した。

「この律法はシンゴだけに向けたものだと思ってました。でも、近くにいたわたしもこうなったってことは、あの場にいた人が、記憶を持ったまま今に戻ったってことになるのかもしれません」

 リズは眉根を寄せて質問してくる。

「そこには他に誰がいた?」
「シンゴと、クロエさんとキツネ様とサヤさん。あとはお姫様、青と赤とシンゴのドラゴンと、オーヴィルと、最後にわたしです」
「ふむ、オーヴィルか。いずれここに出張る話はあった気がするね。それにあの女……確かに妙な雰囲気があったけれど、そんなことができるものかな」

 やはり、時間が戻るなんてすぐに信じられるものではないらしい。
 当然だ。クイナ自身もそんな話は聞いたことがない。
 超常現象を引き起こす律法は数あれど、死人をよみがえらせたり、未来を予知したり、過去に戻ったりというものは、お伽噺とぎばなしの中で語られるだけだ。こうして時をさかのぼった自覚がなければ、信じるのは難しかっただろう。
 けれども意外なことに、シンディはハッとした様子で口を押さえている。

「……驚きました。それならばあり得るかもしれません。アウストラ帝国の初代皇帝がそのような能力を持っていたという記述を、我が家に代々伝わる書物で読んだ覚えがあります」

 彼女は南国・アウストラ帝国の皇帝につかえるバラクロフ公爵家の娘だ。貴族の中でもかなり身分が高い上に、歴史が古いらしい。一般的には秘された情報も把握しているのだろう。
 彼女は真剣な面持おももちで見つめてくる。

「クイナ殿。ちなみに、皇女殿下の属性は……?」
「黒。重力属性だった」

 見たままを伝えると、シンディはうなずく。

「なるほど。先ほどの話が本当だとして、どうすべきでしょうか……」

 どうやら、信頼に足るものと判断されたらしい。シンディはさっそく対応を考えはじめている。
 しかしクイナにしてみれば考えるまでもない。風見が慟哭どうこくしていた理由は明確なのだから。
 シンディと同じく考え顔になっているリズの服をつかむ。

「リズ団長、だから逃げてください……! わたしが頑張って、ここは――」

 風見が最も苦しんだ理由である彼女に、ここを離れてもらう。それで上手くいくはずだ。
 自分はまだ普段の彼女ほどは活躍できない。しかしながら、負傷している彼女がこの場を離脱した際、その欠けた戦力を補える程度には、成長しているはずだ。
 そうするしかないと心に決め、うったえたのだが――

「それはダメだね。そんなことを言い出すなんて、お前はシンゴのやり方を見すぎだよ」

 リズはクイナのひたいを指で弾き、一蹴した。

「シンゴはね、度を過ぎてお人よしな上に、物事を変え得る可能性を持っているから、性質たちが悪いんだ。誰にもできないことができるから、いろんなやつに持てはやされて調子に乗る。それで行きすぎたものを求めて、り減るんだ。周りにいる私たちまで真似をしたら、すぐに共倒れだよ」

 リズの言葉には説得力があった。
 確かに自分は風見のやり方にならっている。彼に助けられたのだから、彼の助けになるのが一番の恩返しになると思って努力を続けた。
 彼を追いかけているだけでしかない自分に、リズの視線が刺さる。

「いいか、クイナ。普通にやりあって、敵に大いに出し抜かれたんだろう? それならお前一人の力で最高の結果にえるなんて無理だよ。自惚うぬぼれるな」
「――っ」

 その言葉はやいばのように、クイナの胸に突き立つ。
 キュウビやナトという伝説じみた存在による教練は本物だ。彼女らに師事したおかげで、自分の力は少しばかりはばが利くようになった。その感触を、みずからも覚えはじめていたところだった。
 しかし、そう思いこんでいただけなのだろうか。リズの言葉に、クイナは酷く委縮する。
 劣等感は、役立たずだった隷属騎士の時代にも、あったものだ。
 結局、自分はそこから成長していないのだろうか?
 そんな自問自答にさいなまれていた時、クイナは予想外の感覚に襲われた。擬音で表すならズポリと――全く意識が向いていなかった猫耳に、リズが指を突っ込んできたのである。

「あひゃっ!?」
「くくっ、そう硬くならんでもいいのにね」

 だから緊張をほぐすためにこうしたのだ、と言わんばかりだ。
 動揺と困惑のせいで身を強張こわばらせたクイナの耳を、リズは続けていじる。
 しかしすぐにこの先進むべき方向をちらと見やった後、残念そうに息を吐いた。

「そもそもね、敵は魔獣まじゅうの力を使っているんだ。それを個人でくつがえそうなんて、土台無理な話だよ。思うがままの結果にじ曲げたいって言うなら、それこそ魔獣まじゅうが何体もいなければ無理だろう? 私でもわかる簡単な計算だ」
「で、でもそれじゃ団長が――!?」

 情けない声ながらもうったえる。
 リズはそれを押し留めるようにクイナの頭をでた。


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