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5巻
5-2
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そんなやり取りを前に、ドラゴンはどこか呆れている雰囲気だ。
『旅の末にまず問うことがそれか。マレビトはどうしてそうも癖のある者ばかりなのだ』
まるで懐かしくも苦い経験を思い出すようにドラゴンは目を閉じる。
そして、問いは問いだと認めた彼は、しかと答えを用意した。
『人間も歩き、走るだろう。我らにとって飛行はそれに等しい。人間は多少速度を上げて走ったところで滅多なことでは足を痛めぬ。それと同様だ』
「なるほど。そういう体付きでも、無理して飛んでるわけじゃないのか」
風見が納得して頷く一方、リズは頭を押さえてため息を吐き、クロエもまた苦笑気味だ。
ここで上手く質問していれば、竜の巣に挑む必要もなくなったのかもしれないが、あとの祭りである。
『では、こちらの用件だ。その幼き者を渡してもらおう』
「渡す?」
『そうだ。ひとたび我が元に戻れ。貴様にはまだ知るべきことがある』
まるで子供を強引に連れ戻そうとする親の言葉だ。
ドラゴンに言われた途端、反発するようにタマは小さく吠えた。
その拍子に解放された風見は、危なげながらもなんとか着地する。だが、安堵できたのも束の間。続いて聞こえた低い唸り声に、彼はギョッとして顔を上げた。
見れば、さっきまで身を縮めていたタマは牙を剥いて唸っている。いや、重要なのはそこではない。タマの牙の隙間から漏れる炎の断片に、風見は目を見開いた。
唸り声の低さだけではなく炎が放つ熱からも、タマの怒気の強さがわかる。一体何があったのか知らないが、タマはこのドラゴンをいたく嫌っているらしい。
「ちょっ!? タマ、ストップ。ストーップ!!」
何がタマの逆鱗に触れたのかわからないが、風見の声は全く届いていないようだ。
これを落ちつかせるのは無理だと判断した風見は、リズとクロエの手を引いて即座に離れた。
直後、タマがレッドドラゴンに向けてブレスを放つ。
風見たちは火球が弾けたことによって広がる猛烈な熱波を、体を伏せてなんとか躱した。もし正面から噴き付けられていたら、顔がただれていたかもしれない。
その爆心地たるレッドドラゴンは猛火に包まれ、シルエットすら見えなかった。だが――
『戯けが。この程度の炎が我を焦がすはずもなかろう』
燃え盛る炎を紅い尾が引き裂く。
レッドドラゴンの尾は、身構えていたタマを直撃した。その一撃は体格差をもろともせず、あの重厚なタマの巨体を弾き飛ばす。
山肌の植物と地面の土を薙ぎ払いながら何回転もしたタマは、顔を振ってすぐに起き上がった。
悠然としたレッドドラゴンに、タマは真正面から対峙している。しかしその姿には怯えが見えた。タマは、小さな犬の如く強張りつつ精一杯威嚇する。
そう、アースドラゴンだから体は大きいが、タマはまだ幼い。今までタマと触れ合ってきた風見には、レッドドラゴンが幼き者と言った意味がよくわかる。
この二竜はやはり互いを知っているのだろう。親――ではないだろうが、身近にいたのは確かなようだ。そして、タマはこの土地を離れた。理由はわからないけれど、それに至るだけのことがこの二竜の間にあったのだろう。
これが家出娘への躾なのかはわからない。
だが、見かねた風見は二竜の間に割って入る。
幸いにも二竜はそれに気付いてくれた。しかしレッドドラゴンは人間などお呼びでないと、鋭い瞳で彼を射すくめる。
『阻むか、マレビトよ。我は譲る気など毛頭ない。我が前に立つというのなら、それ相応の力を示してみせよ』
「残念だけどそれは無理だ! 俺は一般人だから、そんなことをしたら三秒で灰になる自信がある。俺は単に、こうしたら怯えたタマが暴れないと思っただけだ。折角会話ができるなら、話せるだけ話し合ってからでも遅くはないだろ?」
ミノタウロスにさえ手こずる風見たちが、ドラゴンに敵うわけがない。タマのブレス一つにだって慌てふためくのだ。こうまで差があると、隠れようが真正面に立とうが大差ない。だからこそ風見は真正面からドラゴンを見つめて返した。
レッドドラゴンはそれに対し、攻撃してこない。元より理知的な竜のようだ。向き合おうと思えばこうして向き合うこともできるのだろう。
タマもふうふうと荒くしていた息を鎮め、ひとまずは止まってくれる。
『……タマ。まさか、こやつに付けた名か?』
「ああ。ドラゴンだって生き物じゃないか。こんなナリをしてても中身はさ――」
「い、いいえっ! ちょっと待ってください! タ、タマちゃんはタマちゃんですが、そのー……。ティアマト! ティアマトー、テアマトー、タマトーみたいな感じで訛っただけなんです。そのままでは呼びにくかったので!」
やけに声音の低いドラゴンの問いに平然と答えようとした風見だが、クロエが恐るべき速度で迫ってきて、その口を塞ぐ。
ティアマト――。元々は神話における女神の名だったはずだが、ゲームでは竜としてよく出てくる名前だ。以前、風見の世界に伝わる竜の話を聞かせたことを、クロエは覚えていたらしい。
英雄譚が大好物の彼女だ。きっと前々から、タマというあまりにも軽すぎる呼び名に思うところがあったのだろう。「そうですよね?」と反論を許さない感じで確認してくる。
風見は一瞬たじろいだものの、こくこくと頷いた。
圧力を感じたのだ。顎を押さえるクロエの手から、骨が軋むほどの力を。
『人間、個性があるものと記憶していたが、こうまでマレビトは似るものか。忌々しい限りよ』
ドラゴンは顔をしかめたような気がしたが、それで暴れるということもなさそうだ。ふんと息を吐き、彼は再び風見を見つめてくる。
『案ずるな。我は何一つ奪う気はない。しかし魔獣と畏怖される我らには我らなりの責務と秩序がある。それさえ守れぬ眷属の末路は知っておろう?』
「それはつまり、ルールを守れない魔獣ってことか?」
『然り』
魔獣の規律――
思い出されるのは、彼らが自分の縄張りを持ち、そこから出ないということだ。その暗黙の了解を破る魔獣は、決まって伝説の武具に選ばれた英雄が討つ。
出来すぎているようだけれど、この世界ではそんなふうに人と魔物と魔獣の均衡が保たれているのだとクロエたちから聞かされていた。
『こやつはまだ責務を担う必要はない。だが、守るべき秩序はある。それさえ伝え聞かせれば、あとは我の与り知らぬことよ。順当に進めば貴様らが巣の頂に着く頃には終わっている。その時にでも連れ帰るが良い。貴様らが辿り着けなかったとしても、こやつがまた己の脚で飛び出て貴様らのもとへ戻るだろう。どちらなり、好きにするがいい』
「えっと……それはつまり、今までタマは家出してたってことなのか?」
『そう捉えても間違いではないだろう』
レッドドラゴンは頷いた。
大体の事情を把握でき、風見は振り返る。タマはレッドドラゴンを警戒しているようで、風見の服の裾を咥えて引っ張り、後退ろうとしていた。
落ち着かせるようにぽんぽんとタマを撫で、彼はリズとクロエに目を向ける。
「二人とも、俺たちが竜の巣を目指すのは変わらないよな?」
「当初からその予定だったんだ。今更文句は言わんよ」
「はい。彼らの事情を邪魔する理由はありませんし、その方がお互いにいいと思います」
順当な答えだ。残るはタマに納得してもらうだけである。
まだ不安げにレッドドラゴンと自分を交互に見るタマに、風見は視線をやる。
「タマ、そういうことらしい。だから待っててくれ。俺たちはちゃんと迎えにいくから」
「クォウゥゥゥー……」
「今はわからないことだらけで、それと向き合うために俺たちはここまで来たんだ。同じように、タマにもやるべきことがあるんだと思う。だから、全部すっきりさせてからまた旅をしよう」
タマは寂しげな声を出すが、穏やかに頬を撫でながら言い聞かせると理解してくれたようだ。
レッドドラゴンが大きく羽ばたき、飛び立つ。するとタマは名残惜しそうに何度かこちらを振り返りながらも、レッドドラゴンのあとを追った。
「じゃあ俺たちは一旦戻ろうか。準備を整えて、早めに迎えにいかないとな」
それを見送った風見らもドラゴンレイクを目指し、移動を再開するのだった。
†
「はぁ、ようやく着いた……。ここらへんの道は過酷だな。あんまり言いたい年じゃないけど腰に来そうだ」
「その過酷さだからこそ、この村はあるんだ。仕方がないね」
「必要でしたらあとで私が揉みましょうか?」
「いや、クロエも疲れてるだろ。まだ大丈夫だ」
「私は問題ないのでいつでも仰ってください」
「……お前らは楽しそうだね。私も癒しが欲しいよ」
風見たちはなんとか陽が暮れる前にドラゴンレイクまで引き返していた。
竜の巣が攻略に時間のかかるダンジョンであるため、ここは冒険者ならば誰もが立ち寄る中継地点となっている。
総人口はほんの百人程度で、ハイドラの街とは比べるまでもない。村民の多くは冒険者用の鍛冶屋や防具屋、雑貨屋を営んで生計を立てている。言わば、冒険者の存在で成り立っている村だ。
村には、村民の住む藁ぶき屋根の家屋の他に、魔物の骨と皮で作ったモンゴルのテントに似たものも立ち並ぶ。
こちらは冒険者用の貸しテントとなっており、風見らもそのうちの一つに宿を取っていた。
しかし、ミノタウロスのような強力な魔物もいる土地で、何故こんな小規模な村が存在できるのだろうか?
当初は疑問に思っていた風見も、この村への過酷な道を歩いたら理解できた。
ここは元火口なのだ。今は完全に火山活動が鎮静化してカルデラ湖となっている。
山頂をスプーンでくり抜いて作ったような湖はすり鉢状の崖に囲まれており、村への道も這って進まなければならないほど急峻だ。その過酷さが図体の大きな魔物の侵入を防いでくれるのである。
とはいえ、そのせいで物資の運搬にも難儀しており、ドラゴンレイク内の生活必需品や食料は、かなり値が張る。
そんな事情を知った風見たちは途中で野獣を狩り、借りたテントに持ち帰った。
「夕食の準備をする前に、これからどうするか決めておきませんか? 戦闘はその場でなんとかするつもりでいましたが、多少考えを改める必要がありそうです」
「そうだね。クロエはミノタウロスをなんとかできると聞いていたから、私でもどうにかなると思っていたよ。でも、甘かったらしい」
彼らはテントの天井から下がるフックにやかんをかけ、たき火で茶を沸かして一服している。
夕食の準備は休憩がてらの相談を終えてからとなった。
「それにしても、クイナは連れてこなくて正解だったね。今の状態ならシンゴかクイナのどっちかが死ぬハメになってた」
「はい……。何度か交戦経験があるので一人でもどうにかできると思っていましたが、実戦から離れていた間に腕が落ちてしまったみたいです。風見様をあのような危険に晒してしまうなんて、申し開きのしようもありません……。リズにも迷惑をかけてしまいました」
「おまけでも覚えていてくれて、なによりだよ」
クロエは正座をして小さくなっている。
相変わらず彼女の頭の九割は風見が占めているようだったが、少しでも自分に言及があったのでリズは良しとした。
風見はしばし考え、提案する。
「ここにいるのは竜の巣に行きたい人ばっかりだろ。他のパーティと組むのはどうなんだ?」
「期待しない方がいい。背中を任せられない仲間ほど邪魔なものはないよ。それにシンゴにとっては誰が敵かもわからんだろう? 素性が知れない相手とは手を組みたくないね」
そう言って、リズは取り合おうとしなかった。
外を見れば冒険者を十組ほど確認できる。そのどれもが五人前後のパーティで、攻守のバランスがちょうど良さそうだ。そんな彼らがわざわざバランスを崩す真似はしないだろうし、もし頷いてくれてもリズが言う不安は残る。
他にも装備や金品を狙われることもないとは言えない。それに女日照りの冒険者なら、街でもそうそうお目にかかれない美貌のリズやクロエに手を出しかねなかった。
寝込みを襲われ、装備も何も奪われ、おまけに凌辱される展開なんてお断りだ。
しかし多少の不安はあっても背に腹はかえられないかもしれない。
こちらはリズ、クロエが前衛。風見のみが後衛という三人メンバーだ。前衛の二人がフォローしてくれるから冒険できているが、安定とは縁遠い。竜の巣にはどれだけの魔物がいるとも知れないし、強行突破だけで進む手は取りたくなかった。
「戦力が足りませんね。やはり律法専属の後衛が欲しいところです」
「戦力という点なら武器もだね。サーベルだと肉は斬れるが、体毛が斬りにくい。もう少し重さとリーチのある得物があれば私でもミノタウロスを狩れる。斬撃強化すれば一刀両断できるぐらいの武器が理想だね」
「それができたらいいだろうけど、この前ラダーチの街でサーベルとかを買っちゃったし、もうお金が足りないだろ?」
「はい。残念ながら新しい武器を買うまでの資金はないです」
クロエが管理している貨幣の袋は明らかに萎んでしまっている。普通に過ごしてなんとか帰り分の生活費というくらいだ。
そもそもこの世界において武器はかなり高価なのである。
普通の剣一本が百万円前後で、フルプレートアーマーなら質素なものでも数百万。場合によっては一千万越えと、高級車に近い値にもなる。サーベルは大量生産品だからまだ安めではあるが、それでもほいほいと買えるものではない。
「いや、それでも見にいこう。このサーベルは付加武装にしたものだ。売ろうと思えばそれなりになるはずだから、交換する手もある。それにシルバーゴーレムの核はまだ余っていたろう?」
「ん? ああ、そういえばそうだったな」
シルバーゴーレムを倒した際に拾った核は、風見がまだ持っていた。
サーベルをより良い武器と交換し、それをこの核で付加武装にすれば完全に格上げできる。
「でも剣って重さやリーチが変わると、感覚が違ってやりにくくなるんじゃないのか? 俺だって弓がほいほい変わったら、癖を掴めなくなるぞ」
「同じ剣でやってきた人間はそうだろうね。だが私はサーベルも短剣も使う。手持ちの武器が悪くなれば他人から奪ったもので対応するし、暗殺ならその場の道具を凶器にする。得物を変えるのには慣れているよ。それにゴーレム系の付加武装は重さを操作できるから、余計に楽だ」
「あ、なるほど」
そのもっともな言い分に、風見はぽんと手を打つ。リズは視線を彼からクロエに移して聞いた。
「それより、クロエ。ミノタウロスから逃げる時に使ったあれはなんだ。オーヴィルも似たようなものを使っていただろう?」
「相加術のことでしょうか?」
「わからんよ。多分それかな」
「意外です。リズは知っていると思っていました」
ぱちくりと目を瞬かせて、クロエは白服の袖をめくりガントレットを見せる。彼女の付加武装だ。
「付加武装は魔物を素材として作る武器で、素材となった魔物の律法を扱えるのはご存知ですよね?」
クロエの問いに、風見とリズは揃って頷く。
付加武装は、魔物が律法を生み出す器官を素材として作ったものだ。そのためゴーレムなら地属性、グリフォンなら風属性の武器が作れる。
「相加術とは、自分の律法を付加武装によって強化した術式のことです。私たちが第二、第三詠唱としてワードを追加する感覚と似たようなものと考えていただければ良いかと思います」
「ああ、なるほど。複数人で律法を重ねがけするようなものか」
「その通りですね。それも含めて相加術と言われます」
「ふーん。律法って個人で使うだけじゃなくて複数人で効果を増幅したり、装備で強化したりできるものだったんだな」
風見は電池を増やして直列に繋ぎ、電力を強化するのと似たようなものかと自分なりに解釈した。
律法は第二節や第三節の呪文という各種プログラムを組み合わせて発動する。呪文の数が増えるほどに、複雑で強力な律法が使えるようになるということだ。
「ただし、相加術は自分以外の力も合わさるため、コントロールが難しいんです。それから付加武装の場合は素材の能力によって効力が限られ、ワード自体の効力が相反していたりすると暴発の危険性もあります」
「なるほどね。グランドオークの能力は植物の活性化・操作だから陽属性。クロエにも扱えたというわけか。やれやれ、シンゴが持っていても本当に宝の持ち腐れだね」
「俺もしみじみ感じているんだから言うな。俺のメンタルは豆腐でできているぞ」
「それはラダーチで食べたから知っている。シンゴの世界の漢字とかいうのでは、確か腐った豆と書くんだろう? ふむ。性根が腐っているのか、シンゴは」
「合っているようで違うからな、それは!」
誰が上手いことを言えと言ったのか。リズはこういう時には必ず言葉でちくりと刺してくる。
ただ、彼女が本気で思っている時は感情が微塵もない表情で言うので、きひひと笑う今はただの悪戯心なのだろう。いかにもなしたり顔である。
「ともかく、その相加術でリズはシルバーゴーレムの核を有効活用できるんだな?」
「はい、恐らくは。多少の訓練は必要ですが、基本は律法と同じなので、リズならすぐに扱えるようになると思います」
「シルバーゴーレムなら土属性の硬化・操作、それから飛礫を放つことかな。ふむ、今までと変わらん部分も多いし、私の律法とも重なる。問題はないだろうね」
リズはサーベルを手に立ち上がる。どうやら目ぼしい武器を見にいく気らしい。が、彼女はテントから一歩出ようとしたところでふと振り返った。
「ああそれとね、クロエ。今度の戦いから出し惜しみはなしだ。そのガントレット、ブルードラゴンの鱗で作った付加武装なのに能力を見せたことがないだろう? 以前のゴーレム戦は水らしきものはなかったから使いたくても使えなかったかもしれんが、今はもう違うはずだよ」
「うっ。そ、それは……」
「シンゴにも言ったけど、使わんのなら宝の持ち腐れだ」
しゅんとしてクロエが黙りこんだので、リズはテントを出ていってしまった。
二人だけテントに残される。しばらくして、クロエはガントレットに視線を落としたまま言う。
「……あの、風見様。実はこのガントレットの能力はあまり良いものではないのです……」
「ドラゴンの素材だったのにハズレだったのか?」
「いえ、そうではなく、見かけや印象的な問題で良くないのです。ブルードラゴンの鱗なので能力はもちろん液体の操作なのですが、この力は〝紅白〟と私が呼ばれたことに繋がるものなんです」
「ああ、そういえば何度か聞いたな」
白服の中でクロエは紅白という異名を持っていたと何度か聞いた覚えがある。
液体の操作で、しかも紅白と関係があって彼女が気後れするような何か――となれば、なんとなく予想がついた。恐らく白はクロエたちの白服のことだ。問題は紅の方なのだろう。
「なるほど。血の操作か」
「……はい」
「そりゃあ確かに、敵の血で戦うなんて印象は悪いかもしれないけど、戦いは戦いだ。俺は綺麗事を言うつもりはないし、自分や俺たちの身を守るための力じゃないか。必要な時は使えばいい。むしろ使ってほしいくらいだから、気にしなくていいぞ」
と言っても気にしてしまうのが、彼女だ。本当に彼女の心労を取ろうとしたら、もう二、三は背中を押してやらないといけない。
言葉は嬉しいけれども……と、もじもじしているクロエに問う。
「まだ何か不安があるのか?」
「私は風見様のお付きです。だから私の戦い方のせいで、風見様にも悪い印象がついてしまいそうな気がするのです……」
「そんなの関係ない。俺はみんなが安全ならそれでいい。それを悪く言う人がいるんだったら、真っ向から言ってやるさ。『自慢のお付きですが何か』って。過度に意識する必要なんてない」
またあとでこっ恥ずかしくなってしまうようなことを言って、風見はじんましんを引き起こしそうなのだが、クロエのためだ。彼女の望む姿を演じて不安を取り去ってやらないといけない。
すると徐々に言葉が染みてきたのか、彼女は見る間に元気になる。風見が「それでいいか?」と念を押すと、クロエはいつも通りの快活な返事をした。
これで任務完了だ。彼女は祈るように両手を組み、信仰心をオーラで漏らし始めているので、そろそろ話題転換でもして落ちついてもらうべきだろう。下手に放っておくと火傷しそうだった。
「さて、俺はちょっとこの豚……? らしきものを捌いてくる。クロエはどうする?」
「もっ、もちろんお供します。このような場所でも、何があるかわかりませんから!」
「そっか。頼りにしてる」
そんなことを言いながら風見は獲物を持ち上げる。
肉の加工はお手の物である。肉の病気の有無を鑑別し、食肉衛生を司る屠畜検査員は獣医師しかなれない職であり、公務員獣医師が担う職の一つだ。
これはリズが頚動脈を掻っ捌いたので、すでに血抜きは終了している。あとは内臓を出し、食べられる肉を取り分けるだけだ。内臓はあまり日持ちしないので、一部の腸と肝臓や心臓だけをいただいて、あとは廃棄する。
それから風見の個人的な研究としては、どこにどんな病気や寄生虫が潜んでいるのかを調べることも重要なチェック項目なのだった。
†
「ふぅむ、変な街並みだね」
リズは武器屋などが立ち並ぶ村の入り口付近を歩いていた。それらの家はどれも藁ぶき屋根で、煙突付きの工房も見える。
煙突がないものは大概防具屋で、ミノタウロスの毛皮で作ったブルゾンや革の鎧などを置いていた。ご当地の魔物から作った装備というところが目新しいだけで、品揃えは他の地域と大差ない。
対して武器屋の方では、リズが見たことのない武器がいくつかあった。
まずは鉈と呼ばれる片刃の剣。明らかに斬撃には不向きに見えるが、重量はかなりある。大剣の叩き斬りよりもさらに鈍器に近く、叩き潰しが主な攻撃だろう。
刃が立たない相手も多くいるため、これはこれで実用的に見える。
しかしリズはぷいと目を離した。
「趣味じゃないね」
彼女にとっては、相手の防御を縫って体を切り裂く一刀両断が美学。力に任せて叩き潰すのは、筋肉だけがとりえの単細胞にでも任せればいいのである。
あとは鎌などが並ぶ中で、ひときわ大事に飾られている一振りに彼女は目を奪われた。台に飾られたそれは、刀身に薄白い刃紋が浮いている。
長さは柄も合わせれば彼女の肩まであるだろうか。大剣並みだが、斬撃を主としているのか、かなり細身で刃が鋭い。
「……」
とくんと胸が高鳴るまま手を伸ばすと、立ちはだかるのは『触れないでください』と書かれた立札だ。ついでに、店先でイスに座っていた店主の視線も伸ばした手に刺さる。
彼女は、うぐと呻いて仕方なく手を下ろし、行儀よく眺めることにした。
とはいえ、見たことのない刃紋。日光を反射する輝き。今まで手にした剣とは違う魅力に心が惹かれてならない。このお預けはあんまりだった。ご飯を前にした犬みたいにちらちらと店主に視線を送ってみるものの、相変わらず『ダメ』と顔に書いてあるので項垂れる。
「ほたる……?」
『蛍丸』と知らない文字が書かれた札に、そのような読み仮名が振ってあった。
刀匠ライクニトシ作、蛍丸。
銘が打たれた剣なんて見たことがない。しかしそれが彼女の興味をより掻き立てた。サーベルと違い、一刀一刀に心血を注いで打っているからこその銘なのだろうと勝手に解釈する。
彼女は生殺しに耐えかね、店主に声をかけた。
「なあ、店主。この剣はなんだ?」
「娘さん、それは剣ではなく刀と言うんだ。二代猊下の伝えた武器だよ。知らないのかい?」
「知らんね。これでもたくさんの武器は見てきたつもりだが、こういう得物を持ったやつは見たことがない」
「ふむ、そうかい。まあ珍しいからね」
パイプを吹かす老人はイスの背に腰を預けたまま、細い目をさらに細めてリズを見つめてきた。
正確には彼女の持つサーベルを、だろうか。
「なるほど。それでミノタウロスを斬れなかったから、別の得物を探しにきたと?」
「その通りだよ。というか、そういう客しか来んだろう?」
「ごもっとも。だけどあれを倒すなら鈍器を求めるのが近道だろうに」
ミノタウロスの外皮は衝撃も斬撃も防ぐが、それにも限界がある。その点を突き、屈強な戦士がフレイルやモーニングスターで急所を狙うのが攻略のセオリーだ。
しかしリズにはそんなものを担ぐ筋力はないし、重い武器は枷にもなる。
『旅の末にまず問うことがそれか。マレビトはどうしてそうも癖のある者ばかりなのだ』
まるで懐かしくも苦い経験を思い出すようにドラゴンは目を閉じる。
そして、問いは問いだと認めた彼は、しかと答えを用意した。
『人間も歩き、走るだろう。我らにとって飛行はそれに等しい。人間は多少速度を上げて走ったところで滅多なことでは足を痛めぬ。それと同様だ』
「なるほど。そういう体付きでも、無理して飛んでるわけじゃないのか」
風見が納得して頷く一方、リズは頭を押さえてため息を吐き、クロエもまた苦笑気味だ。
ここで上手く質問していれば、竜の巣に挑む必要もなくなったのかもしれないが、あとの祭りである。
『では、こちらの用件だ。その幼き者を渡してもらおう』
「渡す?」
『そうだ。ひとたび我が元に戻れ。貴様にはまだ知るべきことがある』
まるで子供を強引に連れ戻そうとする親の言葉だ。
ドラゴンに言われた途端、反発するようにタマは小さく吠えた。
その拍子に解放された風見は、危なげながらもなんとか着地する。だが、安堵できたのも束の間。続いて聞こえた低い唸り声に、彼はギョッとして顔を上げた。
見れば、さっきまで身を縮めていたタマは牙を剥いて唸っている。いや、重要なのはそこではない。タマの牙の隙間から漏れる炎の断片に、風見は目を見開いた。
唸り声の低さだけではなく炎が放つ熱からも、タマの怒気の強さがわかる。一体何があったのか知らないが、タマはこのドラゴンをいたく嫌っているらしい。
「ちょっ!? タマ、ストップ。ストーップ!!」
何がタマの逆鱗に触れたのかわからないが、風見の声は全く届いていないようだ。
これを落ちつかせるのは無理だと判断した風見は、リズとクロエの手を引いて即座に離れた。
直後、タマがレッドドラゴンに向けてブレスを放つ。
風見たちは火球が弾けたことによって広がる猛烈な熱波を、体を伏せてなんとか躱した。もし正面から噴き付けられていたら、顔がただれていたかもしれない。
その爆心地たるレッドドラゴンは猛火に包まれ、シルエットすら見えなかった。だが――
『戯けが。この程度の炎が我を焦がすはずもなかろう』
燃え盛る炎を紅い尾が引き裂く。
レッドドラゴンの尾は、身構えていたタマを直撃した。その一撃は体格差をもろともせず、あの重厚なタマの巨体を弾き飛ばす。
山肌の植物と地面の土を薙ぎ払いながら何回転もしたタマは、顔を振ってすぐに起き上がった。
悠然としたレッドドラゴンに、タマは真正面から対峙している。しかしその姿には怯えが見えた。タマは、小さな犬の如く強張りつつ精一杯威嚇する。
そう、アースドラゴンだから体は大きいが、タマはまだ幼い。今までタマと触れ合ってきた風見には、レッドドラゴンが幼き者と言った意味がよくわかる。
この二竜はやはり互いを知っているのだろう。親――ではないだろうが、身近にいたのは確かなようだ。そして、タマはこの土地を離れた。理由はわからないけれど、それに至るだけのことがこの二竜の間にあったのだろう。
これが家出娘への躾なのかはわからない。
だが、見かねた風見は二竜の間に割って入る。
幸いにも二竜はそれに気付いてくれた。しかしレッドドラゴンは人間などお呼びでないと、鋭い瞳で彼を射すくめる。
『阻むか、マレビトよ。我は譲る気など毛頭ない。我が前に立つというのなら、それ相応の力を示してみせよ』
「残念だけどそれは無理だ! 俺は一般人だから、そんなことをしたら三秒で灰になる自信がある。俺は単に、こうしたら怯えたタマが暴れないと思っただけだ。折角会話ができるなら、話せるだけ話し合ってからでも遅くはないだろ?」
ミノタウロスにさえ手こずる風見たちが、ドラゴンに敵うわけがない。タマのブレス一つにだって慌てふためくのだ。こうまで差があると、隠れようが真正面に立とうが大差ない。だからこそ風見は真正面からドラゴンを見つめて返した。
レッドドラゴンはそれに対し、攻撃してこない。元より理知的な竜のようだ。向き合おうと思えばこうして向き合うこともできるのだろう。
タマもふうふうと荒くしていた息を鎮め、ひとまずは止まってくれる。
『……タマ。まさか、こやつに付けた名か?』
「ああ。ドラゴンだって生き物じゃないか。こんなナリをしてても中身はさ――」
「い、いいえっ! ちょっと待ってください! タ、タマちゃんはタマちゃんですが、そのー……。ティアマト! ティアマトー、テアマトー、タマトーみたいな感じで訛っただけなんです。そのままでは呼びにくかったので!」
やけに声音の低いドラゴンの問いに平然と答えようとした風見だが、クロエが恐るべき速度で迫ってきて、その口を塞ぐ。
ティアマト――。元々は神話における女神の名だったはずだが、ゲームでは竜としてよく出てくる名前だ。以前、風見の世界に伝わる竜の話を聞かせたことを、クロエは覚えていたらしい。
英雄譚が大好物の彼女だ。きっと前々から、タマというあまりにも軽すぎる呼び名に思うところがあったのだろう。「そうですよね?」と反論を許さない感じで確認してくる。
風見は一瞬たじろいだものの、こくこくと頷いた。
圧力を感じたのだ。顎を押さえるクロエの手から、骨が軋むほどの力を。
『人間、個性があるものと記憶していたが、こうまでマレビトは似るものか。忌々しい限りよ』
ドラゴンは顔をしかめたような気がしたが、それで暴れるということもなさそうだ。ふんと息を吐き、彼は再び風見を見つめてくる。
『案ずるな。我は何一つ奪う気はない。しかし魔獣と畏怖される我らには我らなりの責務と秩序がある。それさえ守れぬ眷属の末路は知っておろう?』
「それはつまり、ルールを守れない魔獣ってことか?」
『然り』
魔獣の規律――
思い出されるのは、彼らが自分の縄張りを持ち、そこから出ないということだ。その暗黙の了解を破る魔獣は、決まって伝説の武具に選ばれた英雄が討つ。
出来すぎているようだけれど、この世界ではそんなふうに人と魔物と魔獣の均衡が保たれているのだとクロエたちから聞かされていた。
『こやつはまだ責務を担う必要はない。だが、守るべき秩序はある。それさえ伝え聞かせれば、あとは我の与り知らぬことよ。順当に進めば貴様らが巣の頂に着く頃には終わっている。その時にでも連れ帰るが良い。貴様らが辿り着けなかったとしても、こやつがまた己の脚で飛び出て貴様らのもとへ戻るだろう。どちらなり、好きにするがいい』
「えっと……それはつまり、今までタマは家出してたってことなのか?」
『そう捉えても間違いではないだろう』
レッドドラゴンは頷いた。
大体の事情を把握でき、風見は振り返る。タマはレッドドラゴンを警戒しているようで、風見の服の裾を咥えて引っ張り、後退ろうとしていた。
落ち着かせるようにぽんぽんとタマを撫で、彼はリズとクロエに目を向ける。
「二人とも、俺たちが竜の巣を目指すのは変わらないよな?」
「当初からその予定だったんだ。今更文句は言わんよ」
「はい。彼らの事情を邪魔する理由はありませんし、その方がお互いにいいと思います」
順当な答えだ。残るはタマに納得してもらうだけである。
まだ不安げにレッドドラゴンと自分を交互に見るタマに、風見は視線をやる。
「タマ、そういうことらしい。だから待っててくれ。俺たちはちゃんと迎えにいくから」
「クォウゥゥゥー……」
「今はわからないことだらけで、それと向き合うために俺たちはここまで来たんだ。同じように、タマにもやるべきことがあるんだと思う。だから、全部すっきりさせてからまた旅をしよう」
タマは寂しげな声を出すが、穏やかに頬を撫でながら言い聞かせると理解してくれたようだ。
レッドドラゴンが大きく羽ばたき、飛び立つ。するとタマは名残惜しそうに何度かこちらを振り返りながらも、レッドドラゴンのあとを追った。
「じゃあ俺たちは一旦戻ろうか。準備を整えて、早めに迎えにいかないとな」
それを見送った風見らもドラゴンレイクを目指し、移動を再開するのだった。
†
「はぁ、ようやく着いた……。ここらへんの道は過酷だな。あんまり言いたい年じゃないけど腰に来そうだ」
「その過酷さだからこそ、この村はあるんだ。仕方がないね」
「必要でしたらあとで私が揉みましょうか?」
「いや、クロエも疲れてるだろ。まだ大丈夫だ」
「私は問題ないのでいつでも仰ってください」
「……お前らは楽しそうだね。私も癒しが欲しいよ」
風見たちはなんとか陽が暮れる前にドラゴンレイクまで引き返していた。
竜の巣が攻略に時間のかかるダンジョンであるため、ここは冒険者ならば誰もが立ち寄る中継地点となっている。
総人口はほんの百人程度で、ハイドラの街とは比べるまでもない。村民の多くは冒険者用の鍛冶屋や防具屋、雑貨屋を営んで生計を立てている。言わば、冒険者の存在で成り立っている村だ。
村には、村民の住む藁ぶき屋根の家屋の他に、魔物の骨と皮で作ったモンゴルのテントに似たものも立ち並ぶ。
こちらは冒険者用の貸しテントとなっており、風見らもそのうちの一つに宿を取っていた。
しかし、ミノタウロスのような強力な魔物もいる土地で、何故こんな小規模な村が存在できるのだろうか?
当初は疑問に思っていた風見も、この村への過酷な道を歩いたら理解できた。
ここは元火口なのだ。今は完全に火山活動が鎮静化してカルデラ湖となっている。
山頂をスプーンでくり抜いて作ったような湖はすり鉢状の崖に囲まれており、村への道も這って進まなければならないほど急峻だ。その過酷さが図体の大きな魔物の侵入を防いでくれるのである。
とはいえ、そのせいで物資の運搬にも難儀しており、ドラゴンレイク内の生活必需品や食料は、かなり値が張る。
そんな事情を知った風見たちは途中で野獣を狩り、借りたテントに持ち帰った。
「夕食の準備をする前に、これからどうするか決めておきませんか? 戦闘はその場でなんとかするつもりでいましたが、多少考えを改める必要がありそうです」
「そうだね。クロエはミノタウロスをなんとかできると聞いていたから、私でもどうにかなると思っていたよ。でも、甘かったらしい」
彼らはテントの天井から下がるフックにやかんをかけ、たき火で茶を沸かして一服している。
夕食の準備は休憩がてらの相談を終えてからとなった。
「それにしても、クイナは連れてこなくて正解だったね。今の状態ならシンゴかクイナのどっちかが死ぬハメになってた」
「はい……。何度か交戦経験があるので一人でもどうにかできると思っていましたが、実戦から離れていた間に腕が落ちてしまったみたいです。風見様をあのような危険に晒してしまうなんて、申し開きのしようもありません……。リズにも迷惑をかけてしまいました」
「おまけでも覚えていてくれて、なによりだよ」
クロエは正座をして小さくなっている。
相変わらず彼女の頭の九割は風見が占めているようだったが、少しでも自分に言及があったのでリズは良しとした。
風見はしばし考え、提案する。
「ここにいるのは竜の巣に行きたい人ばっかりだろ。他のパーティと組むのはどうなんだ?」
「期待しない方がいい。背中を任せられない仲間ほど邪魔なものはないよ。それにシンゴにとっては誰が敵かもわからんだろう? 素性が知れない相手とは手を組みたくないね」
そう言って、リズは取り合おうとしなかった。
外を見れば冒険者を十組ほど確認できる。そのどれもが五人前後のパーティで、攻守のバランスがちょうど良さそうだ。そんな彼らがわざわざバランスを崩す真似はしないだろうし、もし頷いてくれてもリズが言う不安は残る。
他にも装備や金品を狙われることもないとは言えない。それに女日照りの冒険者なら、街でもそうそうお目にかかれない美貌のリズやクロエに手を出しかねなかった。
寝込みを襲われ、装備も何も奪われ、おまけに凌辱される展開なんてお断りだ。
しかし多少の不安はあっても背に腹はかえられないかもしれない。
こちらはリズ、クロエが前衛。風見のみが後衛という三人メンバーだ。前衛の二人がフォローしてくれるから冒険できているが、安定とは縁遠い。竜の巣にはどれだけの魔物がいるとも知れないし、強行突破だけで進む手は取りたくなかった。
「戦力が足りませんね。やはり律法専属の後衛が欲しいところです」
「戦力という点なら武器もだね。サーベルだと肉は斬れるが、体毛が斬りにくい。もう少し重さとリーチのある得物があれば私でもミノタウロスを狩れる。斬撃強化すれば一刀両断できるぐらいの武器が理想だね」
「それができたらいいだろうけど、この前ラダーチの街でサーベルとかを買っちゃったし、もうお金が足りないだろ?」
「はい。残念ながら新しい武器を買うまでの資金はないです」
クロエが管理している貨幣の袋は明らかに萎んでしまっている。普通に過ごしてなんとか帰り分の生活費というくらいだ。
そもそもこの世界において武器はかなり高価なのである。
普通の剣一本が百万円前後で、フルプレートアーマーなら質素なものでも数百万。場合によっては一千万越えと、高級車に近い値にもなる。サーベルは大量生産品だからまだ安めではあるが、それでもほいほいと買えるものではない。
「いや、それでも見にいこう。このサーベルは付加武装にしたものだ。売ろうと思えばそれなりになるはずだから、交換する手もある。それにシルバーゴーレムの核はまだ余っていたろう?」
「ん? ああ、そういえばそうだったな」
シルバーゴーレムを倒した際に拾った核は、風見がまだ持っていた。
サーベルをより良い武器と交換し、それをこの核で付加武装にすれば完全に格上げできる。
「でも剣って重さやリーチが変わると、感覚が違ってやりにくくなるんじゃないのか? 俺だって弓がほいほい変わったら、癖を掴めなくなるぞ」
「同じ剣でやってきた人間はそうだろうね。だが私はサーベルも短剣も使う。手持ちの武器が悪くなれば他人から奪ったもので対応するし、暗殺ならその場の道具を凶器にする。得物を変えるのには慣れているよ。それにゴーレム系の付加武装は重さを操作できるから、余計に楽だ」
「あ、なるほど」
そのもっともな言い分に、風見はぽんと手を打つ。リズは視線を彼からクロエに移して聞いた。
「それより、クロエ。ミノタウロスから逃げる時に使ったあれはなんだ。オーヴィルも似たようなものを使っていただろう?」
「相加術のことでしょうか?」
「わからんよ。多分それかな」
「意外です。リズは知っていると思っていました」
ぱちくりと目を瞬かせて、クロエは白服の袖をめくりガントレットを見せる。彼女の付加武装だ。
「付加武装は魔物を素材として作る武器で、素材となった魔物の律法を扱えるのはご存知ですよね?」
クロエの問いに、風見とリズは揃って頷く。
付加武装は、魔物が律法を生み出す器官を素材として作ったものだ。そのためゴーレムなら地属性、グリフォンなら風属性の武器が作れる。
「相加術とは、自分の律法を付加武装によって強化した術式のことです。私たちが第二、第三詠唱としてワードを追加する感覚と似たようなものと考えていただければ良いかと思います」
「ああ、なるほど。複数人で律法を重ねがけするようなものか」
「その通りですね。それも含めて相加術と言われます」
「ふーん。律法って個人で使うだけじゃなくて複数人で効果を増幅したり、装備で強化したりできるものだったんだな」
風見は電池を増やして直列に繋ぎ、電力を強化するのと似たようなものかと自分なりに解釈した。
律法は第二節や第三節の呪文という各種プログラムを組み合わせて発動する。呪文の数が増えるほどに、複雑で強力な律法が使えるようになるということだ。
「ただし、相加術は自分以外の力も合わさるため、コントロールが難しいんです。それから付加武装の場合は素材の能力によって効力が限られ、ワード自体の効力が相反していたりすると暴発の危険性もあります」
「なるほどね。グランドオークの能力は植物の活性化・操作だから陽属性。クロエにも扱えたというわけか。やれやれ、シンゴが持っていても本当に宝の持ち腐れだね」
「俺もしみじみ感じているんだから言うな。俺のメンタルは豆腐でできているぞ」
「それはラダーチで食べたから知っている。シンゴの世界の漢字とかいうのでは、確か腐った豆と書くんだろう? ふむ。性根が腐っているのか、シンゴは」
「合っているようで違うからな、それは!」
誰が上手いことを言えと言ったのか。リズはこういう時には必ず言葉でちくりと刺してくる。
ただ、彼女が本気で思っている時は感情が微塵もない表情で言うので、きひひと笑う今はただの悪戯心なのだろう。いかにもなしたり顔である。
「ともかく、その相加術でリズはシルバーゴーレムの核を有効活用できるんだな?」
「はい、恐らくは。多少の訓練は必要ですが、基本は律法と同じなので、リズならすぐに扱えるようになると思います」
「シルバーゴーレムなら土属性の硬化・操作、それから飛礫を放つことかな。ふむ、今までと変わらん部分も多いし、私の律法とも重なる。問題はないだろうね」
リズはサーベルを手に立ち上がる。どうやら目ぼしい武器を見にいく気らしい。が、彼女はテントから一歩出ようとしたところでふと振り返った。
「ああそれとね、クロエ。今度の戦いから出し惜しみはなしだ。そのガントレット、ブルードラゴンの鱗で作った付加武装なのに能力を見せたことがないだろう? 以前のゴーレム戦は水らしきものはなかったから使いたくても使えなかったかもしれんが、今はもう違うはずだよ」
「うっ。そ、それは……」
「シンゴにも言ったけど、使わんのなら宝の持ち腐れだ」
しゅんとしてクロエが黙りこんだので、リズはテントを出ていってしまった。
二人だけテントに残される。しばらくして、クロエはガントレットに視線を落としたまま言う。
「……あの、風見様。実はこのガントレットの能力はあまり良いものではないのです……」
「ドラゴンの素材だったのにハズレだったのか?」
「いえ、そうではなく、見かけや印象的な問題で良くないのです。ブルードラゴンの鱗なので能力はもちろん液体の操作なのですが、この力は〝紅白〟と私が呼ばれたことに繋がるものなんです」
「ああ、そういえば何度か聞いたな」
白服の中でクロエは紅白という異名を持っていたと何度か聞いた覚えがある。
液体の操作で、しかも紅白と関係があって彼女が気後れするような何か――となれば、なんとなく予想がついた。恐らく白はクロエたちの白服のことだ。問題は紅の方なのだろう。
「なるほど。血の操作か」
「……はい」
「そりゃあ確かに、敵の血で戦うなんて印象は悪いかもしれないけど、戦いは戦いだ。俺は綺麗事を言うつもりはないし、自分や俺たちの身を守るための力じゃないか。必要な時は使えばいい。むしろ使ってほしいくらいだから、気にしなくていいぞ」
と言っても気にしてしまうのが、彼女だ。本当に彼女の心労を取ろうとしたら、もう二、三は背中を押してやらないといけない。
言葉は嬉しいけれども……と、もじもじしているクロエに問う。
「まだ何か不安があるのか?」
「私は風見様のお付きです。だから私の戦い方のせいで、風見様にも悪い印象がついてしまいそうな気がするのです……」
「そんなの関係ない。俺はみんなが安全ならそれでいい。それを悪く言う人がいるんだったら、真っ向から言ってやるさ。『自慢のお付きですが何か』って。過度に意識する必要なんてない」
またあとでこっ恥ずかしくなってしまうようなことを言って、風見はじんましんを引き起こしそうなのだが、クロエのためだ。彼女の望む姿を演じて不安を取り去ってやらないといけない。
すると徐々に言葉が染みてきたのか、彼女は見る間に元気になる。風見が「それでいいか?」と念を押すと、クロエはいつも通りの快活な返事をした。
これで任務完了だ。彼女は祈るように両手を組み、信仰心をオーラで漏らし始めているので、そろそろ話題転換でもして落ちついてもらうべきだろう。下手に放っておくと火傷しそうだった。
「さて、俺はちょっとこの豚……? らしきものを捌いてくる。クロエはどうする?」
「もっ、もちろんお供します。このような場所でも、何があるかわかりませんから!」
「そっか。頼りにしてる」
そんなことを言いながら風見は獲物を持ち上げる。
肉の加工はお手の物である。肉の病気の有無を鑑別し、食肉衛生を司る屠畜検査員は獣医師しかなれない職であり、公務員獣医師が担う職の一つだ。
これはリズが頚動脈を掻っ捌いたので、すでに血抜きは終了している。あとは内臓を出し、食べられる肉を取り分けるだけだ。内臓はあまり日持ちしないので、一部の腸と肝臓や心臓だけをいただいて、あとは廃棄する。
それから風見の個人的な研究としては、どこにどんな病気や寄生虫が潜んでいるのかを調べることも重要なチェック項目なのだった。
†
「ふぅむ、変な街並みだね」
リズは武器屋などが立ち並ぶ村の入り口付近を歩いていた。それらの家はどれも藁ぶき屋根で、煙突付きの工房も見える。
煙突がないものは大概防具屋で、ミノタウロスの毛皮で作ったブルゾンや革の鎧などを置いていた。ご当地の魔物から作った装備というところが目新しいだけで、品揃えは他の地域と大差ない。
対して武器屋の方では、リズが見たことのない武器がいくつかあった。
まずは鉈と呼ばれる片刃の剣。明らかに斬撃には不向きに見えるが、重量はかなりある。大剣の叩き斬りよりもさらに鈍器に近く、叩き潰しが主な攻撃だろう。
刃が立たない相手も多くいるため、これはこれで実用的に見える。
しかしリズはぷいと目を離した。
「趣味じゃないね」
彼女にとっては、相手の防御を縫って体を切り裂く一刀両断が美学。力に任せて叩き潰すのは、筋肉だけがとりえの単細胞にでも任せればいいのである。
あとは鎌などが並ぶ中で、ひときわ大事に飾られている一振りに彼女は目を奪われた。台に飾られたそれは、刀身に薄白い刃紋が浮いている。
長さは柄も合わせれば彼女の肩まであるだろうか。大剣並みだが、斬撃を主としているのか、かなり細身で刃が鋭い。
「……」
とくんと胸が高鳴るまま手を伸ばすと、立ちはだかるのは『触れないでください』と書かれた立札だ。ついでに、店先でイスに座っていた店主の視線も伸ばした手に刺さる。
彼女は、うぐと呻いて仕方なく手を下ろし、行儀よく眺めることにした。
とはいえ、見たことのない刃紋。日光を反射する輝き。今まで手にした剣とは違う魅力に心が惹かれてならない。このお預けはあんまりだった。ご飯を前にした犬みたいにちらちらと店主に視線を送ってみるものの、相変わらず『ダメ』と顔に書いてあるので項垂れる。
「ほたる……?」
『蛍丸』と知らない文字が書かれた札に、そのような読み仮名が振ってあった。
刀匠ライクニトシ作、蛍丸。
銘が打たれた剣なんて見たことがない。しかしそれが彼女の興味をより掻き立てた。サーベルと違い、一刀一刀に心血を注いで打っているからこその銘なのだろうと勝手に解釈する。
彼女は生殺しに耐えかね、店主に声をかけた。
「なあ、店主。この剣はなんだ?」
「娘さん、それは剣ではなく刀と言うんだ。二代猊下の伝えた武器だよ。知らないのかい?」
「知らんね。これでもたくさんの武器は見てきたつもりだが、こういう得物を持ったやつは見たことがない」
「ふむ、そうかい。まあ珍しいからね」
パイプを吹かす老人はイスの背に腰を預けたまま、細い目をさらに細めてリズを見つめてきた。
正確には彼女の持つサーベルを、だろうか。
「なるほど。それでミノタウロスを斬れなかったから、別の得物を探しにきたと?」
「その通りだよ。というか、そういう客しか来んだろう?」
「ごもっとも。だけどあれを倒すなら鈍器を求めるのが近道だろうに」
ミノタウロスの外皮は衝撃も斬撃も防ぐが、それにも限界がある。その点を突き、屈強な戦士がフレイルやモーニングスターで急所を狙うのが攻略のセオリーだ。
しかしリズにはそんなものを担ぐ筋力はないし、重い武器は枷にもなる。
応援ありがとうございます!
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