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6巻
6-2
しおりを挟む「ふふ。斬れるかどうかは、試してみればわかりますわ」
ころころと笑うキュウビに、クロエが話を向ける。
「そういえばキュウビ様は二代目猊下が駆っていらしたドラゴンを、実際にご覧になったことがおありになるのですよね?」
「はい。当時は血気盛んなやんちゃものでしたわね。――それが今や竜の巣の主。成長したものだと思います」
「えぇっ!? 二代目のドラゴンって、竜の巣の主なのか?」
驚いたことに竜の巣の主であるレッドドラゴンは、二代目と共に語られる竜と同一らしい。
意外な繋がりを耳にして、風見は目を丸くする。クロエも知らなかったそうで、大層な驚きようだ。彼らが活躍した時代は千年も昔なので、それを知るのは、その頃から生きているものくらいなのだろう。
「やんちゃか……。そんなドラゴンに挑みにいったカインたちは、大丈夫なんだろうか?」
風見は彼らの安否を気遣った。
カインは帝都の元騎士団長で、仲間のシギン、アカネ、エレインと旅する勇者様じみた好青年だ。
なんと表現すればいいのか困る一団だったが、末席のお姫様率いる世直しの四人組とでも言えば一番しっくりくるだろうか。路銀稼ぎのためのリザードマン討伐で、風見らがパーティを組んだ相手だ。彼らの力なしでは討伐を達成できなかっただろう。
そして討伐を終えてドラゴンレイクに戻る際、互いに目的が異なるからとパーティを解散したのだ。リズが蛍丸を購入し、付加武装にしてもらっている間に、彼らは竜の巣へ行ってしまった。
「シンゴ様、ご安心を。冒険者を待つドラゴンは争乱時とは違い、人との戦いを楽しめる程度に力を抑えるものですわ。それにわたくしが見た限りではカイン様方もそう簡単に殺される力量ではございません。心配は無用かと」
「だよな。カインは文句なしで強かったし、シギンも、リズとクロエが二人がかりで戦ったハイリザードを一人で抑えていたし。アカネやエレインの実力は知らないけど、きっとそこそこだろう。戦力で困りそうなのは俺くらいだよな」
風見のメイン武装であるコンパウンドボウは大破してしまった。その上リズやクロエのような体術も使えなければ、律法もなしと来ている。
一応、グランドオークの能力で弓を用意したものの、攻撃力は半減だ。ましてや慣れない弓では命中率、消音性共に下がってしまう。いくらキュウビがメンバーに入って戦力的に安定したからといって、これでは肩身が狭い。
――と風見は思ったのだが、意外なことにリズがそれを真っ先にフォローする。
「そんなことはないさ。シンゴは一人でハイリザードを倒しただろう? 私の背中は充分、シンゴに預けられるよ」
「うおっ……!?」
そっと風見の背後に忍び寄っていたらしい彼女は、言葉通り背中合わせに体重を預けてきた。
風見が思わずよろけてしまうと、リズは悪戯な笑みを向けてくる。
「リズがそんなことを言ってくれるなんてな。貶されるかと思った」
「ふふん、私は使えるなら猫の手も借りる主義だよ。怪我をしたらシンゴの医術を頼るし、敵の対処も今まで以上に任せる。今までは私の目が鈍かったと認めるよ。そのかわり、これからの戦闘では呆けている余裕なんぞやらんからね?」
「なんでだっ。なんで前の扱いの方がマシなんだっ!?」
彼女の意地悪はいつも通りであった。
精神的に優しくなったかと思えば、肉体的な扱いが厳しくなるとは、あんまりだ。
嘆く風見を、リズは板についた様子でくつくつと笑う。さすが、他人の虐め方を心得た狼さんだ。
「シンゴ様のご活躍ならばもっと見せていただきたいですわ。ご健闘をお祈りします」
「私はもう充分過ぎるほど、風見様の勇姿を見せていただきました。疑いなんてありません。私はどこまででもついて行かせてもらいますっ!」
キュウビに続き、クロエまでこれだ。
「どうしよう……。追いこみと包囲網が強固になった気しかしない……」
なんでこう、女性陣はハードルを上げるばかりなのだろうか。しかもハードルの下には、潜れないようにまきびしまでセットされている気分である。
このパーティでは男性が風見一人だからだろうか?
(これはもう絶対に男の側近が必要だ……)
旅から帰ったら必ず探そうと、風見は心に決めたのだった。
†
「うっわぁ、なんてどでかい……」
「す、すごいですね。これほどに大きいものだとは……」
風見とクロエは竜の巣を見上げ、あんぐりと口を開いた。目の前に広がる光景に圧倒され、歩みを忘れてしまっている。
キュウビはそんな彼らの気持ちもわかると微笑んで同意した。
竜の巣とは、山脈の中腹過ぎから山頂まで続く、巨大な洞窟のことらしい。その入り口である岩壁には、穴がいくつも開いていた。
外敵から身を守るために断崖絶壁に巣穴を作る鳥がいるが、その穴によく似ている。数メートルはあろう怪鳥が穴を出入りしている姿が見受けられるし、似た生態の鳥なのだろう。
しかし、それだけではない。
インドや中国の石窟寺院のような人工物らしき穴もあるし、鳥ではなく巨大アリが出入りしている穴も見受けられた。
それが二百メートルほどの高さがありそうな岩壁に点々と続いているのだ。
自然が作ったのか、はたまたなんらかの遺跡を呑みこんでできたのかわからないが、この竜の巣が相当深いダンジョンだということだけは確信を持って言える。
「ここではどんな魔物が出るんだ?」
「話によると、中には溶岩が流れている場所もあり、環境が外と違いすぎるので、草原で生活するミノタウロスなどの魔物は滅多に入ってきません。生息する魔物の様相はがらりと変わり、ストーンゴーレムやレッドスコーピオン、フレイムスライムなどが生息しているらしいです」
クロエは冒険者ガイドのように解説してくれる。
どうやら今までとは違う戦闘スタイルが要求されそうで、風見はゲッと顔をしかめた。こちとら戦闘のプロでない上に、体力が下り坂に差しかかった青年男性だ。そんな臨機応変さを求めないでほしい。
「ええ、代表的なのはそれらでしょう。しかし火鼠などの小型ながら律法を使う魔物もいます。生態系の頂点はレッドスコーピオンですが、それすら集団で捕食する魔物もいるので、どうぞご注意を」
と、キュウビは補足した。
これから竜の巣という魔境の生態系に飛びこむのだ。戦闘形式の決まったゲームとはわけが違う。旧知のレッドドラゴンに会うためこの地へ足を運ぶことがあるというキュウビのアドバイスは、かなり役立ってくれそうだ。
「わかった。律法を使われそうな気配があれば、できるだけ俺が狙おう」
竜の巣では、ゲームで言うところの火山フィールドの魔物が出ると思えばいいらしい。きっと敵の属性としては火や地属性が多いのだろう。
竜の巣に入る前に、四人は打ち合わせを始める。考え得る状況を出し合い対策を練ると、フォーメーションを決めた。
前衛はリズとキュウビ。そして風見の護衛兼中衛にクロエで、風見は後方から射撃で援護という配置だ。
「女狐、私の動きは充分に見ただろうし、今度は私がお手並み拝見させてもらう。構わんね?」
「もちろんですわ。第一線からは退いていましたが、足手まといにならない程度には頑張れることをお見せしましょう。そのあとは背中を合わせて戦ってみませんか?」
「それは断る。お前に背中を預ける気なんかない」
「ふふ。ではそれはまたの機会に」
リズに断られたキュウビは、社交辞令とは違う雰囲気で微笑んでいる。この関係を楽しんでいるとでもいえばいいだろうか。
リズをたしなめようか迷っていた風見とクロエは、その空気を察しひとまず放っておいた。
風見はよしと呟いてから、号令を出す。
「じゃあドラゴンに会いにいきますか!」
そうして、四人は竜の巣に足を踏み入れた。
洞窟内の壁面には外から見た時と同じく、人工物らしき石の積み重ねが少しだけ残っていた。大昔、人か何かが作った遺跡のようだが、面影は残っておらず、ほとんど洞窟の様相となっている。
歩いていくと、時折橙色のスライムや大型犬サイズのアリのような魔物と遭遇する。彼らと長い年月がこの遺跡を風化させたのだろう。リズとキュウビが前方で魔物の相手をしていて暇を持て余した風見は、ちらと視線をさまよわせた。
生物は堂々と歩き回るものだけではない。普段は物陰に潜み、獲物が来た時はバッと飛びかかって奇襲をかけるものの方がむしろ多いだろう。
これも警戒の一環、と大義名分を用意して、風見はいくつかの物陰に目を移す。
しばらくして彼は眉を上げた。興味をそそられるものを見つけたのである。
壁から迫り出していた岩に歩み寄り、その陰に隠れていたものをむんずと捕まえる。
「お……? いつものスライムは水みたいに冷たいのに、これは温かいのか」
これが、クロエが話していたフレイムスライムというやつなのだろう。
ぐにゅりとしたその感触は、クラゲよりアメフラシのような軟体動物の感触に近いかもしれない。洗面器一杯分くらいの体積をした赤橙色のスライムはでろんと伸びていたが、元の形に戻ろうと収縮を始めた。
やはりナメクジや貝の動きによく似ている。
「……水っぽそうだけど、乾燥させて食べたらおいしかったりして」
貝もクラゲも食する日本人としては、味見をしてみたい気持ちになってしまう。
味に関する興味もさることながら、このスライムが持つ体温も注目ポイントだ。
スライムは植物や死体、排泄物を土に戻してくれる、いわゆる分解者。自ら熱を発するスライムは周囲の微生物の働きも活性化させてくれるだろうし、堆肥作りに利用すればこの上なく役立ちそうである。大変、興味深い。
風見はちょうど持っていた空の革袋を取り出し、あとでじっくり調べるためにスライムを押しこんでみる。
風見のごそごそしている動きが目についたのだろう。前方からの攻撃に注意していたクロエは風見に視線を向け、ぎょっと表情を豹変させた。
「かっ、風見様、スライムを革袋にしまわないでください! それは火を放ちますからっ!」
「確かにそんなことをしそうな色をしているもんな」
クロエが注意を喚起した瞬間、スライムは彼女に反応したように律法を放とうとする。
それを予期していた風見は、スライムをひょいと壁の方に向けた。
途端、噴き出されたのは料理人が酒で豪快にフランベをした時と同じくらいに大きい炎だ。
命の危険を感じるほどではないが、無防備なところに噴きつけられれば、火傷を負う危険はあるだろう。
予想以上の攻撃性に風見が目を丸くしていると、クロエはすかさずスライムの核を拳で打ち抜いた。
「風見様。スライムを察知してくださるのはありがたいですが、扱いには細心の注意を払ってくださいね。危険物です。いいですか、自然発火する危険物ですからね!」
「お、おおう」
無闇に触らないでくださいと言わないあたり、クロエはもう半分諦めている。彼の突発的好奇心はもう不治の病の領域だ、と。
言葉と共に指を突きつけられた風見は、このまま革袋に入れてスライムを持ち帰ることはやめた。
(持って帰るなら別の形じゃないとダメか……。これから冬が来るし、種とか卵みたいな安全な形態で見つからないかな……?)
風見が一人で考えていると、リズとキュウビの戦闘も一段落したらしく、こちらを見てくる。
キュウビは、風見が魔物に対して好奇心を剥きだしにしているところを初めて見るので、興味深そうだ。
「シンゴ様はその曲者に興味がおありですか?」
「いろいろ使えるかなって思ったんだけど、これって曲者なのか?」
「ええ。彼らは知性がないため、大きなエサを見つけると群がり、そのあとも新たなエサが見つかるまで密集したままの場合が多々あります。すると、運悪く近くを横切った冒険者が一斉に襲われてしまい、実力者でも命を落とすことがあるのです。それに彼らからは付加武装の素材が取れないので、儲けにも繋がりません。だから厄介者と評されるわけですわ」
それを知る人間ならフレイムスライムに近づかないだろうし、まして革袋に詰めようともしない。だというのに何故風見が興味を持ったのかが気になる、とキュウビは瞳を輝かせた。
「素材ってのは考えなかったな。そんなことより、こいつらの体温が俺は気になったんだよ」
「人肌から少々熱い湯と同じくらいまでの体温を持つ、特殊なスライムですわね」
「蜂だって危険だけど、工夫して世話をすれば安全に蜂蜜を手に入れられる生き物だ。スライムは単純な生物だからこそ、生態さえ理解すれば生活に役立てやすいと思うんだよ。魔物だから近づかないっていうのは、もったいないと思うな」
風見の言い分に、リズとクロエは複雑そうな顔をする。
毎度彼の言動に振り回されるものの、功を奏していることもあるから否定しにくいのだ。
そんな三人を見つめたキュウビは深く納得をしたように微笑む。
「なるほど。ならば、竜の巣近辺でいいものが見られるかもしれませんわね」
「そうなのか?」
「はい。魔物は世界の異物ではありません。お互いの在り様を保てる適度な距離を持つことができれば、共に生きられる。そう感じられるものを見せられると思います」
彼女は意味深に呟くと、風見らを先導するように歩いていく。それ以上はあとのお楽しみ、ということなのだろう。
それからも遭遇した魔物に風見がはしゃぐことはあったが、彼らは順調に進んでいた。
多くの冒険者が竜の巣の入り口として使うこの洞窟は、かなりの広さがある。四人が両手を広げて横に並んでも余裕があるくらいで、高さもなかなかのものだ。
道から分岐する小道もとてもたくさんある。
そちらもキュウビが大薙刀を振り回せるくらい広いのだが、土石でできているにしては壁面が不自然に滑らかだ。
気になって、風見はそれをじっと見つめる。すると壁は、蜂の巣のように液状のものを塗り固めてできているとわかった。
「そちらには行かないでくださいましね。きっと何かが巣食っていますから」
キュウビが風見に声をかけた。
「そうなのか?」
「確かにね。音からすると虫の群れかな」
リズもキュウビに同意する。
狐と狼の耳を持つ彼女らには、この先の状況に察しがつくのだろう。死体を見ても眉すら動かさないリズが、嫌そうな顔をしていた。
きっと何かが、無数に蠢いているのだ。
「なるほど。魔物がこうやって出入り口や横道を増やしているってことか。コウモリとか哺乳類系だったら確かめてみたいけど、虫ならやめよう」
「……風見様。コウモリでも無言のままスッと踏みこんでいくことだけは、やめてくださいね」
「あ、はい」
クロエは風見の様子を見て、これまで彼が山野で突発的に行方不明になった時と同じ気配を察したらしい。彼女は、彼の興味が次のものに移る前に、彼の服を掴んで歩きだした。
多く存在する横道は、洞窟を掘り進める魔物の巣となっていることが多いようだ。
見てすぐにそれとわかれば迷いこむこともないが、中にはなんの特徴もなく、ただの横穴としてぽっかり口を開けている魔物の巣もある。ところによっては、正規ルートより大きなものもあるくらいだ。
天然のトラップなので、初めて訪れる冒険者にとっては厄介なのだが、実はいいこともある。
それは明かりだ。
魔物が洞窟のところどころに穴を開けてくれているため、松明がなくとも歩けるくらい光が差しこんでいるのである。剣と盾を持たなければいけない冒険者にとって、これはありがたいことだろう。
「ちなみにさ、竜の巣って貴重な苔や薬草が生えているみたいなことってないのか?」
奥へ進みながら風見が問いかけると、キュウビが唸る。
「ふうむ、そうですわね。少なくともヒカリゴケやヒカリダケの胞子は、ここを訪れる冒険者が蒔いているかと思いますわ。しかし、他の有用な植物は聞いた覚えがありません」
「そっかぁ。こういう秘境だったら希少なものが存在するのがセオリーなんだけどなぁ」
「そういうものでしょうか? 残念ながらわたくしは存じません」
「んー。やっぱりゲームの中の話はイベントありきで設定するものだし、不自然だわな」
竜の巣の主とも知り合いな上、ここに何度も足を運んでいるキュウビが知らないということは、望み薄だろう。危険な洞窟の奥にのみ自生する薬草を取りにいこう! なんてイベントは、やはりRPGの中だけの話らしい。
当然、道の先に宝箱があるわけでも、魔物を倒せば経験値がもらえるわけでもない。風見らはできるだけ戦闘を避け、最短の道で洞窟を抜けていく。
幸い、キュウビの案内とリズの耳もあるので、モンスターハウスに突っこむ危険はほぼない。平原にいたミノタウロスのような強敵に出会うこともなく、すんなりと進んでいく。
しばらくして、風見らは急に開けた空間に出た。
「ひえぇ……。なんだ、これ」
低く重い風鳴りが、遠い奈落の底から吹き上がっていた。
そこは山にできた巨大な裂け目だ。雪山にできる巨大クレバスの中腹に洞窟が繋がっていた、というイメージである。
この裂け目は天井まで届いており、光のカーテンが中を照らしてくれるので、洞窟よりよほど明るい。そのおかげで、どれだけとんでもない光景が目の前に存在しているのか、彼らは思い知った。
このクレバスは見える限りで一キロほど続いている。
しかもその先は裂け目が曲がって見えなくなっているだけで、まだまだ続いているようだ。
左右を挟む絶壁同士の幅はおよそ二百メートル。
右の壁沿いには踊り場のような広い足場やトゲ状に突き出た細い岩の橋があり、それが風見たちのいる場所から先の道となっている。
そこにはサソリやゴーレムと思しき魔物がちらほらと蠢き、獲物を待っていた。
反対側、向かって左には足場はなく、奈落だ。覗きこんでも底が見えない。
風見は、裂け目のずっと遠くを見やった。
壁から溶岩が流れ落ちている場所もあったのだが、数百メートルは先だ。距離がありすぎて溶岩の落ちた先がどうなっているのかはよくわからなかった。
と、そんな時。風見の目に妙なものが映る。
遠い溶岩の滝のそばでムカデに似た形の羽虫が飛んでいるように見えたのだ。
……この距離で見えるなんて、一体どれだけ巨大なのだろうか。おそらく過去最高レベルに巨大な生物のはずだ。
それだけではない。
耳を澄ませば、奈落からはなんとも言いがたい獣の鳴き声が、無数に聞こえてくるではないか。
「な、なあキュウビ。竜の巣で一番強い魔物はレッドスコーピオンなんだよな……?」
「ええ、間違いありません。普通に歩ける範囲では、あれが最も手強かったと記憶していますわ」
「……てことは、だ。レッドスコーピオンって、あのずっと先にちっさく見えるあれよりもすごいやつなのかっ!?」
そんなの無理。絶対相手にしたくないです! と風見は表情で語りながらあれを指差した。
どうやらキュウビも風見の言ったものに気づいたようで、ああと納得の息を吐く。
「シンゴ様。ここが何故、竜の巣と呼称されているのか。その由来はご存知でしょうか?」
「いや、知らない」
「竜の巣と言うからには竜種の住処です。しかし、わたくし共はドラゴンを竜種の一つとは言っても、竜とは呼称しません」
そういえば、かなり前にそんな話を聞いた覚えがある。竜とは飛竜など鳥のように翼と二本の脚しかないもので、ドラゴンとは四脚プラス翼だとか。
ならば竜の巣の〝竜〟とは、一体何を指すのだろうか?
「竜の巣は上層と下層に分かれています。上層はレッドスコーピオンやストーンゴーレムなどが歩き回りますが、せいぜい中級止まりの魔物ばかり。下層はあの羽虫のような竜種モドキの魔物が大量に湧く魔窟となっています。蠱毒の壺と同じ状態といえばよろしいでしょうか。その凶悪さは竜種にも引けを取らないので、恐れをこめて竜の巣と呼称されているのです」
「……その壺の中身、想像したくないなぁ」
蠱毒とは、生き物を一ヵ所に集めて争わせるものだ。その結果、最後に生き残ったものは呪術的に特別な毒を獲得しているため、それを利用するという話だったはずである。
ヒュドラ級の怪物の掃き溜めともなると、その恐ろしさは言葉にできない。
竜の巣はやさしめなダンジョンです、と聞いた割には壮絶な話だ。
「ぞっとしますわね」とキュウビがおっとり呟くが、全然本気で言っているように思えない。
風見は脂汗を流しつつ問いかける。
「襲ってこないよな、あれ?」
「基本的にはございませんわ。自分から手を出さねば、たまーに運の悪い冒険者がぱくりとされるだけでしょう」
「……底に落ちたら、どうなる?」
「上層と下層を繋ぐ道らしい道はありません。落下死できればきっと幸せですわ」
大変素晴らしい笑顔でそう幸せを語ってくれる、女狐さん。
聞くんじゃなかった、と風見は真っ青になって壁際に寄る。
すると誰かにぶつかってしまい、耳元で「ひゃっ!?」と大きな声を聞いた。
こんな女の子らしい声を出すのはクロエしかいないだろう。
しかし、彼女のいつもの声とは違う気がする。というか、慌てて振り向く前に、風見は声とは逆の方向でクロエを見つけてしまった。
つまり声の主は別である。
一体誰が? と思いつつ、風見が振り向くと――そこにいたのはリズだ。
彼女は足の間に挟みこむように尻尾を丸め、はぁっはぁっと心臓を押さえていた。崖のギリギリのところに立っている。
そして彼女は数秒休むと、キッと風見を睨む。
どうやら風見は、彼女が奈落を覗きこんでいたところに、ぶつかってしまったらしい。
「シ、シンゴ……お前、いまのは……。今のは、許さんよっ……」
と、リズは震え声で牙を剥く。
うっすら目に涙が浮かんでいるあたり、本気で怖かったらしい。
リズの涙目を見たのは、初ではないだろうか。これが、なかなかかわいらしい。
こんな顔ならもっと頻繁に見せてくれていいのに、と風見は変な趣味に目覚めそうだった。
そういえば、水帝樹の湖に行く途中の吊り橋でも彼女はこんな風に怖がっていた。鉄壁のリズだが、高所だけは苦手らしい。
それ故に彼女の怒りも本物である。ぷるぷると震え、今にも鉄拳か太刀を振りそうな様子だ。
「お、落ち着け。こんなところで暴れたら、危ないだろっ……!?」
「そんなことはわかってる! いいか、シンゴ。今度押したらお前も道連れだ。ここを渡りきるまで、私はこの手を離さんからなっ! 絶対にだ!」
「い、いだっ。いだだだだっ!?」
リズはそう言って風見の右手をひったくると、全力で握ってくる。これでもかと力を入れ、腕まで巻きつけてきた。確かにこれならば運命共同体だろう。
奈落落ちの可能性は一割減。しかし、そこらを闊歩する魔物への即応力は四割減というところか。
悪手認定、待ったなしである。
「なっ。リズ、抜け駆けですか!? 私も怖いです、風見様っ!」
「ちょっと待った。それだと魔物に一番やられやすい俺の両手が塞がるっ! それと手が本気で痛いっ!」
周囲を警戒していたクロエは、この騒ぎを聞きつけるとすぐに風見の左手を奪った。クロエは明らかに怖がっている風ではないのだが、それにツッコむ人はいない。
「あらあら、まあまあまあ」
キュウビは三人の様子を、にまにまと見つめる。
今までは、こんなことがあっても、距離を置いて眺めてくる人はいなかった。こんな目を向けられると、風見の胸に恥ずかしさがこみ上げてしまう。
「シンゴ様はお二人まとめてですか? 英雄、色を――」
「違うからなっ!? これはただ普通にじゃれているだけだからなっ!?」
「ふふふ、そういうことにいたしましょう。さて、あまりに騒ぎ立てると、下層の魔物を呼んでしまいますわ。そうなれば足場もろとも奈落行きでもおかしくないので、ご注意を」
奈落行き。その言葉は効果覿面だった。
びびっと耳と尾を痺れさせたリズは、黙って風見の手を握り直す。クロエもキュウビから声をかけられたとあっては、大人しかった。
ぱたりと騒ぎが静まると、キュウビは前を向く。
「それでは参りましょう。わたくしが先導いたします」
大薙刀を手に滞りなく足を進めるキュウビの背は、頼もしかった。風見らもそのあとに続く。
応援ありがとうございます!
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