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7巻

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 プロローグ


 五代目マレビト風見心悟かざみしんごが、レッドドラゴンのまう竜の巣を出立した翌日未明。
 辺境伯ドニ・アスト・ラヴァンが治めるハイドラの街に、一頭の飛竜が飛来した。
 その手綱たづなを握るのはウェアキャットの少女クイナだ。リズがクイナを補助し、クロエは飛竜の背から飛び降りる準備をしていた。風見とキュウビは別行動中で、街の東に位置する国境線のとりでへ向かっている。東国エンルスがここアウストラ帝国への侵攻を始めたため、二人はとりでに先行したのだ。
 通常ならば飛竜は街の外に着陸させるところだが、今回はその時間も惜しい。一行は速度もゆるめず、街に低高度で進入した。
 頭上をよぎる巨大な影を見た市井しせいの人々は飛竜に襲われるとかん違いし、盛大に悲鳴を上げる。

「やれやれ。こんな騒ぎが突然起こったら、隷属騎士としては卒倒ものだね。私が団長をしている時じゃなくてよかった」

 以前隷属騎士団の団長だったリズは、肩をすくめる。せめて街の警備には事情を伝えようと、彼女は隷属騎士が情報伝達に用いる犬笛を吹き鳴らした。

『元団長より皆へ。あるじは目的地より帰還した。支度をしたあと、戦地に向かう』

 このような簡潔なメッセージだが、隷属騎士が聞けば状況は推測できるだろう。この飛竜も敵ではないとわかるはずだ。
 キュウビと共にアースドラゴンのタマにまたがった風見は、リズたちに先んじて戦地へ向かう際に言っていた。
 ――こんな時のために今まで準備をしてきた。この街でき集められるだけの医療道具を持って、すぐにあとを追ってこい、と。
 風見がこの世界に来て用意してきたものは、薬のみならず、縫合糸ほうごうしや注射針まである。けれど彼の姿をそばで見てきたリズやクロエからすれば、あれこれと医療道具の名を聞くまでもない。生産拠点が街のどこにあるかも、熟知していた。
 クロエは飛竜から飛び降りる用意ができると、リズとクイナに声をかける。

「私は教会に行って、抗生物質ができているか確かめてきます。二人は他をお願いしますね」
「はいはい、シンゴの息がかかった商人やら製造業者から治療道具をありったけ巻き上げてくればいいんだろう? 大したことでもないよ」

 リズが軽く頷くのを見てから、クロエは街に飛び降りた。高度が屋根すれすれとはいえ、普通ならば飛行の勢いのまま地面に激突して大事故になるだろう。
 しかしながらクロエは、地面を転がるようにして落下の衝撃を受け流し、着地した。そのまますぐに走り出し、教会に向かっていく。リズはそれを横目で見送った。
 そしてリズは、物思いにふける様子で黙り込む。おおいかぶさるような格好でリズに手綱たづなりを補助されているクイナは、リズの気がそぞろになっているのを肌で感じ取った。
 普段のリズなら、人斬ひとぎりの機会を前にうずうずしていそうなものだ。なのに今の彼女は真逆のテンションである。心配したクイナは、その理由を尋ねてみる。

「あの。団長、何かあったんですか……?」
「ん? いや、別に。単に気になっただけだよ。どこかの誰かさんが、まーた無理をするんだろうなってね」

 名指しされなくともわかる。リズがこんな風に言う相手は、風見くらいだ。
 しかし、クイナには彼女が言わんとしていることの真意がわからない。一体、いつ風見が無理をしていたのだろうかと疑問顔だ。
 そんなクイナの顔を、リズはクロエを見送った時と同様、感情の薄い表情で見やる。

「戦争に駆り出される弱者を救うために最前線に行くなんて、クロエが好きそうな英雄的所業だ。普段ののんびりした様子からは想像できないことをして、結局はどうにか戦争をおさめるだろうさ。ただね、あれはそんなことを何の苦もなくこなせるほど特別かな? そんなわけがない。律法さえ使えない、ただの人間だ。……だったら、一体どんな無理をしてその成果をつかみ取っているのかな、と変なことを考えていただけだよ」

 きっと、気にしても仕方がないことだ。風見がしていることは誰に強制されたわけでもなく、本人の意思によるもの。風見という人の性分なのだ。
 それがわかっているからこそ、余計にリズの胸はもやもやしている。
 しかしクイナは、風見のことを特別な――それこそ、伝説そのもののような存在と思い始めていた。そのため、リズの言葉が不意の一撃のごとく重く感じられる。
 手綱たづなを持つクイナの手の力がゆるみかける。リズはぐっと強くそれを手繰たぐった。

「そろそろ私たちの目的地だ。降りたら早々に飛竜へ荷物をくくりつけるよ」
「はっ、はい……!」

 今のクイナには、リズの言葉を深く気にする時間はない。彼女らはすぐに近場の工場こうばに着陸し、風見が流通させた医療道具を飛竜に載せ始めたのだった。



 第一章 誰かがそう呼びました
  

 とりでは、戦場と化していた。ここは、敵国エンルスとの国境に位置し、アウストラ帝国が東からの侵攻を抑えるための最大の要所となっている。
 このとりでにいる正規騎士は約二百名。とりでに常勤している隷属騎士が六百名と、ハイドラから派兵されてきた隷属騎士が百名。近隣の街に駐屯ちゅうとんする兵士と、農民の兼業をしている一般兵が千名。各街々から集められた農民の非正規兵が二千名。総計約四千名がこちらの総戦力となる。
 対して、敵は二万もの兵だ。五倍の数にもなる敵の軍勢は、とりでから矢が届かない距離で陣形を組んでいる。彼らが整列を終えれば、また今日の戦闘が始まるだろう。
 雄叫おたけびが飛び交う戦闘を目前に控え、とりで静寂せいじゃくに包まれていた。
 ただの静けさとはわけが違う。とりでの中の雰囲気は絶望に満ちていて、生気が感じられない。実際、この場にいる人間の目の大半は、死んだ魚のようだった。
 とりでを守る兵は、それぞれの持ち場で重く口を閉ざし、座り込んでいる。
 彼らは皆、大小の傷を負っていた。どこを見回しても無傷の者はおらず、多くはぼうっと地面を見つめている。
 彼らは長い戦闘のせいで疲労困憊ひろうこんぱいしている。生半可ではないこの疲れを抱えたまま眠りに落ちれば、体は死んだように休息を求めてしまう。そのせいで立ち上がれなくなると困るので、寝るに寝られないのだ。
 そんな中で動いている者といえば補給要員の少数と、怪我人に止血のための包帯を巻くことしかできない衛生兵。それから――近隣から駆り出された子供だ。

「何をやっているか。さっさとそれを片付けてこい!」
「あぐっ……!」

 ふんぞり返る正規騎士に蹴り飛ばされたのは、遺体を前にした少年だった。
 彼らの仕事は、敵味方を問わず遺体から装備を回収すること。そして、邪魔な遺体をとりでの外へ運び出すことだ。武器や防具を外すだけならともかく、遺体に刺さった矢の回収なんて心身共に辛い仕事である。子供の力では回収も運び出しも容易ではない。
 それにを上げて少しでも休んだり、へまをしたりした途端に、正規騎士が暴力を振るうというわけだ。
 こちらの数倍にもなる敵の軍勢を受け止めるには、士気がまったく足りていない。
 補佐と共にとりでを見て回っていた偉丈夫いじょうふは、この有り様に対し、けわしい表情を作った。

とりでの両脇を山に守られているとはいえ、油断は禁ずる。律法士りっぽうしの脅威は心得ておろう? 少数でも見逃みのがしてとりでへの侵入を許せば、食らいつかれるぞ」

 律法士は数百人に一人の才能と言われ、数は少ない。その一方で、奇襲や要所の破壊工作など、適切に運用すれば兵士数十人分どころか、戦況をひっくり返す働きすら可能である。敵側にいれば、一人二人でもあなどれない。そのことを重々承知している補佐はしかと返答した。

「承知しています。周囲の山にも網を張り、警戒をおこたっていません」
「うむ」

 頷いた偉丈夫いじょうふディランは、このとりでの隷属騎士を取り仕切る団長だ。
 隷属騎士と民間人の指揮をおこなうのは、正規騎士ではなく、彼だ。上流階級出身の正規騎士は、成果をかっさらうだけのお飾りである。
 侵攻を受けて数日、このとりでが健在なのは、ひとえにディランの手腕による。だが、その手腕を振るうにも条件が厳しすぎた。決定的な人員不足に、ディランと補佐は表情をくもらせる。

「リズ殿がいないのがやまれます。『地獄じごくの番犬』とも呼ばれ恐れられた彼女がいれば、こちらからもり込んでいけたでしょうに。こうも防戦一方では……」
「いない者を当てにするのはやめよ。敵軍には元より兵糧ひょうろうが少ない。我らにできるのは、奴らの兵糧ひょうろうが尽きるまで耐えることだ」
「それまで持てばいいのですが」
「……難しいであろうな。もってあと二戦だ。しかしそれしかあるまい」

 食糧がとぼしい代わりに鉱物資源に恵まれている東国は、短期決戦や突撃に強い。
 このバルツィとりでは、両脇にある山の急斜面を利用したせきとも言える構造になっている。そのため、基本的に正面から来る敵に対応すればいい、最高の立地だ。けれど、それもこの戦力差を埋められるほどのものではない。
 今も相手が放つ律法士の奇襲でチクリチクリとダメージが蓄積している。油断なく見回していなければ、いつ防衛線に穴がいてもおかしくなかった。

「こちらの律法士はあと何人いる?」
「昨日の奇襲でしくじって、二十二人になりました。その多くは十歳かそこらの子供ばかりです。彼らも無理やり生産ラインから上げられてきたので、あまり酷使こくししては後々が――」
「生産ラインなどと言うな。お前が正規騎士あれらと同じになりたくないなら、なおさらである」
「も、申し訳ありません」

 精神的に追いつめられて口をすべらせた補佐は、かしこまって頭を下げた。
 それと時を同じくして、警笛の音がとりでに響く。
 死人同然だった兵たちは、心臓を鷲掴わしづかみにされたように飛び上がる。ある者は防壁の上から直接に敵を、またある者は物見やぐらにいる伝令兵を見やる。警笛に続く手旗てばたが示すのは、敵に動きありという知らせだ。
 どんな陣形がどう動いているかがわかると、ディランは補佐に指示を飛ばした。

「やつらが陣営を離れる時が唯一の機会だ。律法士を半数集め、兵糧ひょうろう、武器庫を狙わせろ。敵は待ってくれぬぞ」
「了解いたしました」

 補佐が走り、周囲に指令を伝えていく。仕事をしない癖に情報だけは欲しがる正規騎士にまず伝え、次に隷属騎士へ。続いて市民兵に、指示は流れた。
 兵士はすぐさま戦闘態勢につき、陣営を整える。

「なんとしてでもこらえよ。とりで戦は我らにがあるが、ここを抜かれれば領土はまたたく間に呑まれるぞ!」

 正規騎士団長は威張るように肩で風を切って一際高い防壁まで歩み出ると、高らかに声を上げた。

「死守するのだ。奴隷は元より平民といえども、敵にここを越えられれば未来はない! 女は凌辱りょうじょくされ、男はよくとも奴隷だ。食い物も何もかもむさぼられ尽くすぞ!」

 恐怖をあおる声を飛ばすだけの正規騎士に、ディランは顔をしかめる。
 脅しで働きが期待されるレベルなど、とうに超えている。今の兵士には、勝てると幻想を抱かせたり、生きて帰れるという希望を持たせたりする必要があるのだ。
 そうでもしなければ、押し寄せてくる敵を止める力なんて湧くはずがない。
 敵の隊列は、ゆっくりと近づいてくる。ぴったり揃った足踏みは地響きにも似て聞こえ、彼らが射程に入るのを待つ射手たちの心を、早くも攻撃し始めていた。
 この数日で見切られた射程のギリギリ外で、行進は止まる。初日はロングボウだけでなく、それにまさるとも劣らないコンパウンドボウのおかげで一泡噴かせることができたが、敵も同じてつは踏んでくれなかった。

「来た……。もう駄目だ……」

 誰かが呟く。それに続いて他の数人も似た言葉を口にする。
 すると、彼らの目線の先から何かが走ってきた。それは、オーガと呼ばれる人間の倍ほどの体躯たいくを持った鬼数体と、律法りっぽうにより土石で作られた二メートルほどの巨人だ。

「第一射、放てぇっ!」

 正規騎士の言葉で、一斉に矢が放たれる。
 総数五百もの矢は雨のごとく降りそそぎ、オーガと土巨人に突き刺さった。それによってオーガの一体は倒れたものの、他は勢いをおとろえさせることなく走る。土巨人にいたっては、非生物なので全く効果がない。

「第二射!」

 声と共にまた放たれる矢。けれども、倒れるのはやはりオーガだけだ。
 地面に突き立った矢の原も蹴り散らして進んだ土巨人は、そのままの勢いでとりで格子扉こうしとびらに体当たりをしてくる。扉は頑丈に作られているが、防壁は大きく揺れた。格子扉こうしとびらは上に持ち上げることも難しそうなほどひしゃげている。こんな攻撃はあと数度も受け止めきれないだろう。
 正規騎士は怒り、近くにいる農民兵に叫ぶ。

「貴様ら、手斧ておのとつるはしを持ってあの巨人を壊してこい! この規模の律法なら相手も一体限りしか扱えん。残る者は次のオーガに備えよ!」
「そ、そんなっ。あいつを相手したやつらはみんな死んで……!」
「黙れっ!」

 正規騎士は、震え上がる農民兵たちを防壁の上から突き落した。
 地面はさほど硬くない土なので、落下しても命にかかわる怪我はしない。けれども落とされた人々は、恐怖でなかなか動き出せずにいた。
 彼らが見上げた先には土巨人がいる。それはのろのろと防壁から距離を取ると、また扉に体当たりをしたり、手近な石を投げたりして射手の邪魔をしていた。
 さらには、隙を突いて敵軍のグリフォンがやってくる。とりでに魔物や人間を落としてきたり、またはやり状の武器を落としてきたりと厄介極まりない。
 敵はこうした魔物と律法による攻撃を一波、二波と繰り返し、こちらの各所に生じたほころびを広げる。そしてダメージが十分と見ると、本隊が攻め込んでくるというのが今までの流れだ。
 つまり先陣切って辿り着いたこの土巨人から潰し、敵の攻撃に遅滞なく対応しなければ本隊に蹂躙じゅうりんされてしまう。
 突き落とされた兵士は、がたがたと震えながらも武器を持って立ち上がる。生き残りたいなら早々に土巨人を壊してい上がって来い、と正規騎士たちは叫んでいた。

「う、ぐぅっ……。うあぁぁぁっ!」

 彼らは一心不乱いっしんふらんに土巨人に武器を打ちつけた。
 この土巨人は内部に術者の血を吸わせた核を持つ。それを壊せば倒せるし、復活するおそれもない。だからたとえ雑兵でも、土巨人を倒すことは不可能ではない――と、言われている。
 けれども、それが現実的な話かと問われれば、はなはだ疑問だ。
 律法で強化された土石にただのつるはしや斧を叩きつけても、損傷は微々びびたるもの。大の男が全力でぶつけたとして、ね返されて衝撃で手がしびれるのがせきの山だ。
 落とされた奴隷や農民が何人がかりでおこなっても、結果は同じことだった。

「壊れろ。早く、早くっ……! 早く崩れてくれぇっ……!」

 第二陣の魔物が向かってくることに焦燥しょうそうする一人の男が、半狂乱になりながら土巨人に武器を打ちつける。何度も打ちつけるが、やいばが突き立つ気配は一向にしない。それを見かねた別の元農夫の男は、その邪魔な男を押しのけた。

「それじゃダメだ、どけっ!」

 じんじんと痛む手で手斧ておのを強く握り直すと、彼は土巨人の関節を狙った。大きな岩だろうと、弱い部分にくさびを打ち込めば割れないはずはない。
 すると、今まで全ての攻撃をはじいていた土巨人にやいばが食い込む。
 それを目にした彼らは勝機を見出みいだし、そのくさびを押し込めようと攻撃を集中させ始めた。

「そうだ、くさびを打ち込め! そのまま崩せ、崩せぇっ!!」

 元農夫の男は周囲をきつけながら、そばに落ちていた新たな武器を取った。
 こんな土くれに殺されてやるほど自分の命は安くない。心の中で啖呵たんかを切った彼は、あらん限りの力を込めて武器を打ちつける。

「ははっ、どう――」

 どうだ怪物め、と吐こうとしたその瞬間。
 ぐしゃっと卵が割れる音に似た音を残し、彼は土巨人の平手に潰された。
 土巨人にとっては人も卵も大差ない。人間の頭蓋とうがいは、土巨人からすれば気怠けだるく腕を振り、壁にぶつけるだけで潰せるものだ。数瞬前までだったモノは、無事に残った四肢だけをぴくっぴくっと小刻みに痙攣けいれんさせている。
 昨日までに、何人も同じ殺され方をしてきた。その証拠に、壁には似たような血と肉片が無数にこびりついている。
 土巨人は無感情に遺体の上を歩く。邪魔者と標的は破壊するという簡単な命令しか入れられていない土の人形は、遺体を風景の一部としか認識できないのだ。
 だからこそ、土巨人は現状を簡潔に判断する。
 ――周囲の人間により、腹部を少々損傷。彼らは無視できない脅威、と認識した。土巨人はターゲットをとりでの正面扉から周囲の人間に切り替え、足踏みをして振り向こうとする。
 その最中、土巨人は叩き潰したばかりの人間を期せずして何度か踏んでいた。死んだ直後なので、その刺激に合わせて手足が大きく跳ねる。それはまるで、遺体が痛みを感じているかのようだ。
 目の前の光景に、生き残りたちの心は恐怖に染まっていく。

「ひ、ひぃっ。嫌だ。もう嫌だっ! 死にたくない、死にたくないっ。誰か、たす――」

 恐怖が極まった一人が転げまわるように逃げ、とりでの両脇にある山の斜面を登ろうと手をかけたその瞬間。彼の首に正規騎士が放った一本の矢が突き刺さった。
 彼はうめき声を上げて、のたうつ。激しく動き回るせいで傷口からあふれた血が気管に入り、血の泡を噴きながらむせていた。
 最期さいごは唾液とも血とも知れない泡を吐きつつ、山の斜面に手をかけた姿で絶命した。

「貴様らに逃げ道はない! いいか、生きたければ自らの手でそれを倒して勝ち取るのだっ!」

 そんなことを叫ぶ正規騎士を、生き残りたちはあおぎ見る。防壁上に立つ正規騎士は、さらに数人を叩き落としてきた。正規騎士はこうして弱者を死地に追いやる上に、役目から逃げようとする者は容赦ようしゃなく撃ち殺すのだ。

「う、ぅ……くそっ。くそぉぉぉっ……!」

 前任者たちが死に行くさまを覚えていた彼らは、恐怖に震えながらがむしゃらに武器を叩きつけるしかなかった。
 だが、七人いた人間は土巨人の腕と頭を落とすまでに三人となってしまう。それぞれに人生と、待たせている者や願いがあったはずだが、全ては卵が潰れるような軽さでついえた。

「ごっ――!?」

 その間に第二陣のオーガがとりでまで到達してしまったらしい。オーガは木のごとく太い腕で一人を払い飛ばし、壁に叩きつけた。
 また生身が潰れる嫌な音が生じる。腕や背がへし折れ、顔なども潰れかけたそれは、もはや人ではない。それはまだ生きている仲間を見つめると何か言いたかったのか、口を動かしごぼごぼと血の泡を噴き出して、事切れた。

「あ、あ――……」

 それを目の前で目撃した女性の農民兵は武器も取りこぼして固まっていた。

「ぎゃっ、やめっ……。助げっ――――」

 女性はその声で振り返る。そこには下半身をオーガにつかまれたものがあった。顔面から壁に叩きつけられて、血だかなんだかわからないものを、ぼたぼたとらしながら吊り下げられている。
 オーガはそれを放り捨て、次の標的として女性を目に映した。
 筋骨隆々きんこつりゅうりゅう体躯たいくけもののごとく突き出たきば。安価で強いことだけを目的とした装備を無理やりつけられた出で立ち。そんなオーガは人間なんて楽々と殺すことができる。
 土巨人とオーガににらまれた女性に、未来なんてあるはずがなかった。
 彼女はあとずさりする途中、動揺で足を絡ませて、思い切りしりもちをついてしまう。

「あ、あはは……。うそ、うそよ……こんな……」

 女性は乾いた笑いをらしながら、手足を引きずってあとずさる。
 するとすぐに追いつめられ、背がとりでの壁に行き当たってしまった。おびえきった彼女はそれにすら、ひっ!? とすくみ上がる。
 足に力を込めるが、背に当たるとりでの壁は少しの後退も許してくれない。壁が動くはずがないことは彼女も理解していたが、それでも手足を動かし続けていた。生きすがりたい本能が、ただただ、そうさせる。
 がふっと吐かれたオーガの生臭い息が、女性の髪を舞い上がらせる。それほどまでにオーガとの距離が縮まった時、彼女の感情のタガは外れてしまった。

「い、いやっ……。誰か助けて! いや、いやぁ! 死にたくないっ! だれか、だれかぁっ!」

 壁にすがりついて叫ぶ。彼女の声はとりでにいる多くの人に聞こえていただろう。けれども、助けはない。今、死に直面しているのが彼女というだけで、助けを求めているのは誰もが同じなのだ。
 負傷者ばかりで、武器もロクにない。とりでの設備はもうぎしぎしときしみを上げている。今に、敵は勢力を増やして突撃してくるだろう。
 そのあとは蹂躙じゅうりんされるしかない。まるで草刈りのように人がぎ払われることだろう。その頃になって身の危険を覚え始めた正規騎士が、自分たちだけ撤退する――それがこの一戦の結末のはずだ。
 ここで戦わされている彼らは何度も思う。こんな状況でどうしてまともでいられようか、と。

「たすけて。たすけてくださいっ。なんでも、なんでもしますから……。どんな扱いでも、いいですから……お願い、です……」

 女性は、もう無駄だと理解したのだろう。もしくは、オーガにすがりついて命乞いをした方がマシだと思ったのかもしれない。
 血にれたオーガと向き合った女性は、嗚咽おえつらしながら祈り始めた。
 しかし、世界は残酷ざんこくだ。オーガはなたに似た武器を振り上げているし、土巨人まで手を伸ばしてきている。その上、ついに動き始めた東国の軍勢は、無数の武器をかかげて一挙に突撃してきた。
 目の前でにぶい輝きを放つ凶器たちは、彼女に一縷いちるの希望も与えてはくれなかった。
 この戦場には、慈悲じひも、まともなものもありはしない。

「死にたく、ない……。だれか……」

 なら、何に祈ればいい?
 彼女は目を閉じた。人が手を差し伸べてくれないのなら、せめて神様にでも祈ろう。
 だが、この世界に神様はいない。
 この世界の人々は、幾度の戦争や飢餓きが疫病えきびょうに苦しんだ末に神も魔法も奇跡もないのだと、祈ることをやめた。現実の世界とはそういうものだと、自分たちで結論を出したのだ。
 ――いな、そのはずだった。
 その時、女性が閉じた目蓋まぶた越しに感じていた陽光が、急にかげった。疑問を抱く間もなく、ずん! と今までに体感したこともない大揺れが起こり、誰もがバランスを崩した。

「な、なに……?」

 彼女が目を開けたと同時に、目の前にそびえていた土巨人とオーガは、とてつもなく大きな何かによる一撃で払い飛ばされた。状況に理解が追いつかない彼女は、この場に現れたを目に焼きつけることしかできなかった。
 一度、二度とまたたきをした末に、ようやく理解する。
 この場に現れたのは、見上げるほどに巨大な――ドラゴンだった。
 山のように巨大な体躯たいく。どんな生物よりも荒々しく、それでいてまされた美しさのある竜鱗りゅうりん。二万をも超える軍勢を前に何一つおくさず、悠然と立ち誇るその威風堂々いふうどうどうとした姿。
 そして、その背にまたがっている一人の人間。

げい……?」

 ふと、誰かが語っていた話を思い出す。
 人も、神様も。何もかもが見捨てた時に救いの手を差し伸べてくれた存在。
 涙を流し、全てを諦めかけたその時、どこからか現れ、福音ふくいんを運んでくれる客人マレビトの話だ。

「……死なせてたまるか。怪我人も、苦しんでいる人も。もう誰も殺させやしない」

 この場で戦わされていた誰もが求め、そして誰も与えてくれなかった言葉だ。
 その力強い言葉を後押しするかのごとく、ドラゴンがいた。大気をつんざき大地を揺らすその咆哮ほうこうに込められた力は、見えない津波となって戦場にある命全てを打った。
 そこに刻むものは果たして恐れか、驚きか、安堵あんどか――。それは受けた当人のみぞ知るものだろう。


    †


 戦場へ降り立った猊下げいかこと風見は、言うだけのことを言うと、緊張の糸が切れてしまったらしい。
 ぐぐっと込み上げる吐き気に襲われ、その場で膝を折る。嘔吐おうとせずにアースドラゴンのタマの全力疾走しっそうに耐えられる体なんて、彼は持ち合わせていないのだ。
 するとすぐに背をでてくれる優しい手があった。

「シンゴ様、お加減は大丈夫ですか?」

 一緒にタマに乗っていたキュウビが体調を気にかけてくれる。

「ああ、大事はない。けど、とりあえず酔いで吐きそうだ。おえ……」
「あらあら。こんなところで吐いてしまいますと、士気が下がりますわよ?」

 風見としては、一刻も早く降りて胸に渦巻いた吐き気から解放されたかったのだが、この状況ではそうもいかないらしい。
 本当に身に余る肩書きだ、と風見は猊下げいかという言葉が持つネームバリューをうらむ。

「うう、キュウビはどうして平然としていられるんだ……」
「うふふ。わたくしはほら、普段から騎乗することに慣れていますから」

 余裕の表情でいられるキュウビが心底うらやましかった。
 これもひとえに経験の差なのだろうが、その言葉が若干引っかかる。サキュバスの亜種の血を引く彼女の慣れは、別物への騎乗ではなかろうか。深くは追及しない。うやむやのまま永遠の闇にほうむっておくためにも、風見は話題を変える。

「なあ、いくらドラゴンでも、この軍勢の前にいたらさすがに危ないよな……?」

 風見は青い顔のまま、問いかける。
 相手も軍なら律法士を大量に配置しているだろう。それに投石機などの兵器も見えるので、いくら強力無比なタマでもダメージを受けるおそれはある。
 タマが戦闘に巻き込まれることを、風見は危惧きぐしていた。


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