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10巻

10-3

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 普段の調子で単純な名付けをするのは命取りになりそうだ。ため息を吐き、しばらく考えてから、風見は答える。

「……サヤっていうのはどうだ?」
「ふーん。意味は?」
「俺の国では刃物のおおいのことだ。あと古語では『さやか』で、きよいとか明瞭めいりょうっていう意味がある」

 うながされるままに答えると、彼女は、ぷっと噴き出した。

「はっははは! 私が刃物のおおいだって? 姉さんが真似ている姿を見たろう? 逆だよ、逆。それにきよらかさとも程遠いね。お綺麗な話なんぞは好かんよ」
「そういう風にはっきりしているし、自分にうそいつわりない。それに、『別の新しいもの』になるんだろ? だったら真逆でもいいじゃないか」

 おかしげにけらけらと笑っていた彼女は、風見にそう言われると表情を消した。
 しばらくそのまま風見とにらみ合い、緊張の時が流れる。

「――いいね。気に入った。そういうことでいいよ、私は」

 そう言って彼女は満足げに口元を緩めた。合格らしい。
 そして彼女は右手を上げる。その手には、いつの間にくすねたのか、風見がいつも腰につけている解剖刀がにぎられていた。
 彼女は左手で自分の長髪を掴むと、髪を切って捨てる。

「双子だからね。いろいろと似ているし、わかりやすく外見を変えてやろうって配慮ですよ、ご主人? とりあえず種なしは回避できて、おめでとうございます」

 言葉ばかりは丁寧ながらも、くつりとゆがめた笑みは、相変わらずだ。
 しかし納得してくれたようで、風見もひとまず胸をで下ろす。
 その様子を見て、グローリアは口を開いた。

「話はついたか。愉快だねえ、お前って男は。多少、評価を上げたくなった。さて、それでは明朝まで返事を待とう。遅れるなよ、カザミ?」

 これにて話は終わりらしい。グローリアは茶を片付けるメイドに、風見を客室に案内するように命令する。続いて彼女はリズにも視線を向けた。

「お前はカザミと行動を共にしろ。それと、わかっているとは思うが、逃がすな。お前は働き者だし、いい成果をあげるから惜しいが、そうなった時は死でつぐなうこと。いいかい?」
「……わかっているよ」

 リズはうつむいたままそう答える。そして、メイドに案内される風見の後に続いて廊下に出てきた。

「リズ、今の命令……」
「……気にしないでいい。今までと何一つ変わっていないんだから」

 彼女はそれだけ言うと、先を歩きはじめる。その背は返答も必要ないと語っていた。


 案内された部屋はよくある造りだ。大きなベッドがあり、酒棚やテーブルなどが一通り揃っている。ドニの城で手配された部屋も、似たような造りだった。まず風見が入り、リズも入室する。

「御用がありましたら、なんなりとご命令を」

 メイドはそんな言葉を残すと、お辞儀をしてドアを閉めた。

「さて、と……」

 ようやくリズと話をする時間ができた。楽しい会話にならないことは目に見えているが、風見としては先行きの不安が消えているので気は軽い。
 これからリズ自身に真相を問いただすのは、きっと自分ではなく彼女のために必要なことだ。
 意を決して振り返ると、リズは扉から数歩のところでうつむいて立っていた。

「――リズ」
「……っ」

 ただ名前を呼んだだけで、彼女はびくりと震える。彼女は少女のようにおびえていた。

「もう一度聞かせてくれ。さっきグローリアが言ったことは、本当なんだよな?」

 そう問いかけた後の沈黙は長い。彼女は震える唇をみ締めた後、ようやく答える。

「間違いない。私が契約していたのはずっと女帝だったし、ドニの城で契約変更をした時も、振りをしていただけだった。契約変更の律法は、効いていないよ。あの時の奴隷商は、契約変更ができていないことはわかったはずだから、私が本当のリズじゃないことに気づいただろうね。契約変更ができなかったと言ったら報酬が減るから、何も言わなかったんだろうけど……」

 彼女は言葉を一度切ると、息を吐く。そして、再び口を開いた。

「そういうわけで、家名とこの体以外は、全部借りものだよ。全部うそいつわりで固めたままシンゴと一緒にいて、最後の最後に裏切った……」

 家名とこの体以外は全部借りもの――その言葉は前にも聞いた覚えがあった。
 そう、あれは確かヒュドラを退治した後、一緒に塔に閉じ込められていた時だ。当時はまともに取り合わなかったが、彼女は言葉にできる範囲のギリギリで真実を伝えていたのだろうか。
 彼女は時折自分を卑下ひげしたり、どこか遠くに行こうと言ったりした。それは彼女なりに、可能な範囲でこんな展開を避けようとしていたからなのかもしれない。

「帝都での夜や、ここに来る前にハイドラでどこか遠くに行こうって言ったのは、こういうことを避けたかったからか?」

 問いかけに対し、リズはこくりとうなずいた。
 リズは肩を震わせ、ようやく顔を上げる。風見を見るその目には、涙が溜まっていた。
 今まで何ヶ月と一緒にいた。大いに笑ったこともあったし、死ぬような思いをしたこともあった。その間、一度だって見たことがなかったリズの涙を、今初めて目にしている。

「……怖かったんだ。私は、リズじゃない。シンゴを連れ去る時に邪魔されていたら、クロエや他の連中まで斬ることになっていたかもしれない……。グローリアがあらかじめ決めた合図や言葉に逆らうことはできない。グローリアはあのとりでで、自分の前に立ちはだかる者は皆殺しだと言っただろう。だから私は、敵対するドニを殺さなきゃいけなかった。……私は今も、グローリアにいつ何を命令されるかわからない。そのせいで……怖いんだ。昨日まであったものが、全部なくなってしまいそうだから……!」

 リズは心情を吐露とろする。本当は誰かにすがりたいだろうに、一人で震えながら、立ちつくしていた。

「……なんでかな。私は何もいらないはずだったんだ。何も持っていなかったし、欲しいものもなかった。自分自身も、道具のままでよかったはずだった。なのに、今は前と違ってる……」

 その表情を見れば、リズの気持ちは理解できる。彼女ははらはらと涙を流していた。

「そっか」

 軽く相槌あいづちを打って、風見は彼女に歩み寄る。大太刀おおたちを振るい、魔獣まじゅうとすら一戦交えたことがある彼女だが、ただの少女だ。辛い。苦しい。助けてと目で語りながら、見上げてきた。
 そんな彼女に対し、風見はなぐさめの言葉をかけることもなく、首元を指差す。

「それ、一度返してもらってもいいか?」

 そこについているのは、ラダーチの街で彼女にあげたチョーカーだ。
 途端、彼女はふるふると首を振りながら後退する。大事にしていた大太刀おおたち蛍丸ほたるまるを取り落としてしまったが、そのことに気付いた様子もない。

「やだ……。嫌、だよ。シンゴ、他の物ならいい……。でも、これだけは……!」

 彼女は後ずさった。しかし、どんとドアに背が当たると、静かに項垂うなだれる。

「ああ、うっ……。そう、だね。私はだました。全部壊すかもしれなかった……。こんなことを言うのは、都合がよすぎるか……」

 もう涙を流すだけにはとどまらなかった。一、二度嗚咽おえつこらえた彼女は、自分でチョーカーを外し、差し出してくる。この言葉には嘘もいつわりもないだろう。
 風見は、彼女がこだわろうとしたチョーカーと共に、その気持ちの重みを受け止める。
 無論、これで終わりではない。自分のふところからとある物を取り出し、立ち尽くす彼女の首にかける。

「そうだな。だから俺のところに戻ってくるまで、没収だ。その時にまたプレゼントしてやる。だから、それもその時に返してくれ」
「え……?」

 リズの首にかけたのは、チョーカーをプレゼントした時に彼女が選んでくれた犬笛だ。それに助けられたこともあるし、それでリズを助けたこともある、思い出の品である。
 するとリズは、今度こそ思い切り泣きはじめた。おびえて怖がっていたことに対して、もう気を張らなくていいと気付いたのだろう。
 風見は泣き声を上げた彼女を片腕で抱き、残りの手で頭をでてやる。リズが泣きやむまで、その時間は続くのだった。


 十数分後、リズはぶすっとしたつらで風見をにらみつけていた。それは風見の一言が原因である。

「うーん。胸が涙と鼻水でべとべとだ」
「だ・ま・れっ……!」

 リズは泣きらした目でいつものように風見をにらみつけ、きばく。
 本当に可愛げがない。――だが、彼女はこのくらいがちょうどいい。忠実な番犬には程遠いかもしれないが、下手にしんみりするよりは、こちらの方がお互いにとって気楽だった。
 風見は振り切れた様子で「よし」とつぶやく。

「ナト。出てきてくれ」

 直後、近場の棚がきしみ、粘土細工のように形を変える。こね変えられ、それは人型を成した。

「出番?」
「ああ、力を借りたい」

 風見がこくりとうなずくと、ナトはそれに応じてすぐに行動を始める――かと思いきや、彼女はそろそろと歩み寄り、顔を覗き込んできた。何やら不安げな顔をしている。

「……怒ってる?」
「まあ、そこそこにな」

 リズがこんなに辛い思いをしたのだ。平然としていられない。
 そんなことを言っていると、リズはバツが悪そうに顔をそむけた。
 微笑ましいその姿を見た後、風見は床に手をかざす。すると、待っていましたと言わんばかりに、床から霊核武装が出現して手に収まった。やはりこれはどこまでもついて回るらしい。

「ナト、俺が思ったとおりにこいつの能力を発動させられるか?」
「できる。でも、私は属性が違うし、使い慣れないから全ての力は引き出せない。せいぜい強い地属性使いレベル」
「十分だ。ナト自身の力もあるし、城内を引っ掻き回して嫌がらせをしよう。それでチャラだ。リズはグローリアとの契約違反にならない程度に好きなことをしといてくれ」
「まったく、お前は……」

 子供っぽい仕返しをしようとする風見に、リズは呆れている。しかし、彼女も満更まんざらではなさそうだ。
 風見は窓際へと向かうと、窓を開け放って周囲を眺める。巡回の兵士が程々にいることが見て取れた。

「えーと、タマはどこだ?」

 見回すと、すぐに見つかった。タマは人が多い正門前から、壁際に移っている。そこで何をしているかといえば、城壁に首を擦りつけ、ごりごりと掻いている。そのせいで城壁はみるみるうちに擦り減り、崩れる。まるで、ビスケットをすり下ろしているかのようだ。きっとのどかゆいのだろう。
 しかも人嫌いなので、制止しようとする人は尻尾を振って寄せつけない。

「あーっ!! やめっ、やめてくれーっ!? 城壁に体をこすりつけ……ああーっ!?」

 頭を抱え、叫ぶことしかできない兵士たちは大層不憫ふびんだった。
 そんな彼らに追い打ちをかける真似は気が引けるものの、風見は声を上げる。

「おーい、タマ! もうすぐ遊びに行ってやるからな!」

 その声に気付いたタマは即座に振り返る。その際、百八十度振られた尾は城壁に直撃し、粉砕した。
 それだけでも大事件なのだが、お行儀のいいタマは、返事として盛大な咆哮ほうこうを上げる。
 びりびりと空気を震わせる声だ。城中の兵士がなんだなんだと騒ぎはじめた。

「さて、警戒度も十分に上げただろうし、準備は完了だな」

 風見はうむとうなずいてからきびすを返し、ドアに向かう。そこで室外に向けてノックをした。

「もしもし? これからドアをぶち破るからな。目の前にいる人はけてくれよ」

 一応、そう言うと、風見はナトに合図する。彼女は即座に律法を発動させ、観音開かんのんびらきの扉を見事に吹っ飛ばしてくれた。幸い、それに巻き込まれた人はいない。
 風見たちは廊下に出る。
 先ほどのリズと風見の話を聞いていたのか、情熱あふれる舞台劇を見たようにうっとりした表情で口元を押さえているメイドが二人。それに、警備兵が六人も立っていた。
 風見が肩にかつぐ霊核武装も、そのかたわらにいるナトの姿も、部屋に入る際はなかったものだ。状況把握が追いつかない警備兵は、驚愕きょうがくした様子で抜剣する。

「なっ、なぁっ……!? げ、猊下げいか。お控えを……! 何を思ってこのような!?」
「ちょっと腹が立ったから、女帝に抗議しに行くだけだ。それに、リズのことをどうするか返答を待ってもらっているところだしな。悪いけど、騒がしくするぞ」

 風見はそう言って、霊核武装を床にさくりと突き立てる。包丁をトマトに刺す程度の抵抗だ。直後、霊核武装から床を伝って茶色の幻光げんこうが周囲に広がった。
 すると、城の至るところから、重いドアを閉めるのに似た大きな音が響きはじめる。
 左右の廊下を見れば分厚ぶあつい石の隔壁が下がってきた。ナトに伝えたのは、防火シャッターが下りるイメージだ。彼女はそれを、霊核武装の力で実現してくれた。
 さらに、風見は左右の現象を目にして困惑する兵士に向かって、バイバイと手を振る。
 次のイメージは、穴。それは兵士たちの足元にぽっかりと出現し、彼らを階下に落とす。そして何事もなかったかのように閉じてしまう。まるでSF世界の落とし穴だ。
 メイド二人は口をあんぐりと開け、この光景をただただ目に映すだけだった。
 なにせ、無詠唱で高度な律法が次々と発動していくのだ。高位の術者が数秒かけて実現することがノータイムで発生するなんて、この世界の常識からすれば、ありえないのである。
 霊核武装が真っ当に働くのを初めて見たリズも、少なからず同じ気持ちらしい。石材を自由自在にあやつる魔法の杖のごとく振るわれる霊格武装を見て、呆れた表情を浮かべる。
 リズの視線を受けながら、風見はさらにナトに注文した。

「ここは三階だったな。ナト、二階層ほど天井をぶち抜いて、上まで行こう」
「わかった」

 直後、ナトが放った風の弾丸が、屋上の五階まで貫通する。風見は例のごとくナトに抱えてもらって上がり、リズは身軽な跳躍でついてきた。ちなみに天井をぶち抜いたのは、単なる嫌がらせだ。
 屋上警備の兵士たちは、その登場にギョッと目をく。けれど、すぐに我に返ると、確保しようと迫ってきた。
 とはいえ、それもまた無駄な行為だ。風見が床に霊核武装を突き刺すと、彼らは出現した穴によって階下に落とされていく。コメディじみたその光景に、リズはため息をらした。

「あれだけ苦労して戦った魔獣まじゅうの力を、こんな風に使うのは、どうなんだろうね……」
「勇者の真似をするつもりはない。大きな力を振りかざすより、小さな力で工夫する方が、俺の性には合ってるんだ。この程度でいいんだよ。それに、まだまだ面白い使い方もできそうだしな」

 ジト目を向けてくるリズに対し、風見はにやりと不敵に笑ってみせる。
 会話をしていると、五階の警備に当たっていた小隊に見つかったようだ。

「いたぞ、あそこだ! 周囲に一斉通達。鎮圧、急げっ!」

 彼らは向かってくることはなく、即座にばらける。直接の伝令や警笛と作業を分担して、統率を計ろうとしていた。
 すると、何者かが床をぶち抜き、階下からこの場に駆けつけてくる。見事な甲冑かっちゅうや、得物えものとするやり豪奢ごうしゃさからするに、付加武装を持った上級武官だろうか。その人物はやりを構えると、オーヴィルやナトの跳躍同様、炎の律法を足元で炸裂さくれつさせて一気に突撃してきた。

「マスター、下がって」
「悪いな。頼む」

 いち早くそれを察知したナトが前に出る。キュウビとさえタメを張り、帝都の騎士団長クラスも軽くあしらった彼女だ。突然の乱入者への対応も心配はいらない。
 即座に太刀たちすじを見切った彼女は、武器を掴んでらし、がらきとなった武官のふところ裏拳うらけんを叩き込むだけで無力化してしまった。ぐふっとうめいて倒れ込む乱入者を捕まえると、近場の壁に投げて叩きつけて終わり。本当に頼もしい護衛だ。
 彼女は続いて、この五階に至るための正規ルートである階段に目を向ける。
 見れば、兵士たちが階段からわらわらと上がってくるところだ。それを指差したナトは、「ちょっと掃除してくる」と言い残して跳躍した。どうなったかは言うまでもない。あっという間に兵士を散らし、屋上にあるグローリアの書斎の建物に向かいはじめた風見たちにすぐ追いついてきた。
 とはいえ、さすがに全てを片付けてきたというわけではないらしい。適当なところで切り上げてこちらに来たらしく、後方では兵士の声がまだ聞こえる。
 中途半端ではあるが、これには理由がある。それらより脅威なものが、この先にいるのだ。

「よう、カザミ。早いお戻りじゃねえか」

 グローリアの執務施設前に作られた小さな庭園には、オーヴィルがいた。こうなることは予想済みだったようだ。彼は腰の高さまであるレンガ造りの花壇に腰掛け、本を読んでいた。
 左隣には彼の相方である優男やさおとこのウィルバーが座っている。
 そしてもう一人――ハイドラの隷属騎士でありながらも、ずっとオーヴィルと行動を共にする少女ティナの姿が花壇の裏にあった。彼女はおびえる小動物のように隠れながら、こちらを覗いている。
 そういえば以前、彼女は風見が差し伸べた手を拒み、オーヴィル側についた。想像するに、その件で合わせる顔がないということなのだろう。

「あわわわっ……!? あのっ、あのー、猊下げいか。深いのです。これにはいろいろ、深い事情があるんです。一から十まで説明すると長くなるんですが、決して裏切ったわけではなくてですね!?」
「カザミ。お前がその肩に――」
「い、いや! ノーですね……。そういう部分も多少あります。でもですね――!」

 オーヴィルは何か話しているが、ティナのつたない弁明と重なってしまい、聞こえない。一応、彼は何度かティナの言葉をさえぎる形で発言する。しかし彼女がそれに気付かず話を続けるせいで、まともに話せる気配はなかった。
 いい加減、こめかみをぴくぴくとさせはじめたオーヴィルは、読んでいた本を後方に投げる。

「うるせえ、黙ってろ」

 振り返らずに投げられた本は綺麗な軌道を描く。すると、その角の部分が、ゴッととてもいい音を上げてティナのひたいにヒットした。

「あっびゃ、痛いっ!?」

 だらだらと続いていた言い訳は一瞬で止まったものの、痛みをこらえて床を転がる音が聞こえてくる。しかも、それはそれで会話できる雰囲気を壊しているという具合の悪さだ。
 オーヴィルは親指で後ろを指すことで、隣のウィルバーに介抱かいほうを指示する。

「あはは、どうもすみません。ボクと彼女には構わず、ボスとの会話をどうぞ」

 苦笑交じりに頭を下げたウィルバーは、一同の前を横切ると、指示通りに介抱かいほうを始めた。
 ようやく静かになったところで、オーヴィルは改めて視線を向けてくる。

「肩にかついでいるのは霊核武装だな? そこにいる女も人間じゃねえ。お前、会わない間にまた、どれだけのものを手に入れた?」
「いろいろあったんだよ、本当にいろいろ。けど霊核武装って言っても、俺が真っ当に使えないせいで宝の持ち腐れだからな?」
「何を言ってやがる。それを真に受けて挑んだところで、お前に勝てないことは目に見えている」
「落とし穴製造機で、どうやってお前に勝てとっ……!?」
「シンゴ、やめろ。それをクロエが聞いたら泣くよ?」

 リズはそんな指摘をしてくるが、事実は事実である。
 この霊核武装は確かに伝説級の代物しろものだ。しかし、力が引き出せない以上は、真っ向勝負なんて夢のまた夢。使い手が風見ではキュウビどころか、リズやクロエにも翻弄ほんろうされて終わりである。
 だというのに、オーヴィルはこの買い被りようだ。ウサギを狩るのにも全力を尽くす獅子ししの、なんと厄介なことか。彼という人物に苦い思い出が多い風見は、一層苦しい表情になる。
 その一方で、オーヴィルは殺気らしいものをく気配がない。だからか、リズやナトも大人しいもので、彼の反応を静かに観察している。
 風見がそのことに気付いたタイミングで、オーヴィルは口を開いた。

「別に邪魔しやしねえ。この霊核武装は、お前を連れてくることを条件にこの国から貸し出されたものだ。だからお前をこの国に連れてくることに協力したし、お前が逃げることに関しちゃ目はつぶれない。だが、それ以外は契約外だ。お前の好きにすればいい」
「そうなのか? なんだ、それなら安心した」

 胸をで下ろした風見は、ついでに霊核武装を床に沈めて消す。ここまでくれば、もう不要なものだ。威嚇いかくのために出しておく意味はない。
 兵士たちが集まる前に女帝との用件を済ませようと、早々に歩み出す。

「おい、カザミ」

 その時、オーヴィルがまた声をかけてきた。振り返ると、彼は小さな笑みを浮かべながら、さかずきをあおる仕草を見せた。

「今夜はどうせ時間が余るだろう? 酒に付き合え」

 そういえば、以前夢を語り明かした夜は、味気ないお茶で済ませた。確かに酒を交わしての語らいは魅力的みりょくてきに思える。

「そうだな。またあとで落ち合おう」

 厄介な人間ではあるが、遠い目標を目指すという点では同志だ。後ろ手に手を振ってオーヴィルと別れると、風見はそのままグローリアの書斎まで足を運ぶ。
 そこには変わらずにグローリアがいた。
 風見が戻ってくることは予想していたのだろう。彼女は悠然ゆうぜんと椅子に腰かけている。その一方で兵士を一切置いていないのは自信の表れだろうか。部屋にいるのは彼女とサヤの二人だけだ。
 グローリアは、今までなかったナトの姿には目を丸くしたものの、それだけである。この騒ぎも含め、風見が報復に来たとは微塵みじんも思っていないらしい。
 女帝は余裕たっぷりに声をかけてくる。

「それで? その娘を報酬に仕事を受けるかどうか、返答は決まったのかい?」
「受けるに決まってる。この世界に来てから、ずっと支えてくれたんだ。今さら手放せるか」

 風見が真顔で言い返すと、リズはむずがゆさをこらえる様子で顔をそむける。
 結局のところ、風見が取った行動はグローリアの想定の域を超えないものなのだろう。彼女は軽んじるように笑いはじめる。

「くく、やっぱりそうなるんじゃないか。ならお前がすべきことをさっさと言い渡してやろう」
「待って」

 グローリアの笑いを、ナトがさえぎる。
 その目には樹海で見たのと同じ、魔性が宿っていた。風見も少しぞくりとするほどの気迫である。彼女はそのあかい眼光をグローリアに向けたまま、つかつかと歩み寄る。

「あなたは甘く見過ぎ。そもそも、マスターはあなたの言うことを聞く必要がない。例えばあなたが領主を殺したのと同じ。狼さんの件なら、私があなたを殺しても話が終わる」
「へえ。それはあたしを脅してるのかい?」

 喧嘩なら受けて立つ、とグローリアは強気な姿勢だ。国同士はもとより、交渉事は弱みを見せれば、いくらでもつけ込まれるもの。脅しの一つや二つには揺るがない精神こそ大事なのだろう。
 とはいえ、危なっかしいことを言うナトは、見ていられない。風見はたまらずに声を上げる。

「ナト、いいんだ。多少は気にしない」
「だめ。そういうの、よくない」

 振り返ったナトは視線をやわらげてはいたが、あまり話を聞く気はないようだ。この件には口を出してはいけないと、口元にしーっと指を立て、口をつぐませようとする。
 そんな動作の最中、ナトは何かに気付いた様子で部屋の入口へと視線を向けた。

「陛下! 非常時ゆえ、失礼いたしますっ!」

 どうやら兵士が追いついてきたようだ。
 面倒くさそうにそれを見たナトは、片手間に律法を発生させ、彼らを吹き飛ばす。
 その隙を、グローリアは好機と取ったのだろう。机から何かを取り出し、引き金を引いた。
 それはボウガンかと思いきや、違う。引き金が引かれた瞬間、武器から赤色の幻光げんこうが生じたのだ。次の瞬間に生じた炎の律法は、投擲槍とうてきやりのごとくナトの上半身に突き刺さると、盛大にぜた。
 風見は目を見張る。

「銃っ……!?」
「ははっ、さすが同じ異世界人。知っていたようだねえ」

 その形状はまさしく銃。海賊が持つイメージが強いフリントロック式とよく似た形をしている。
 この武器を発明した西のマレビトであるアカネは、どのような武器があるのか手紙で知らせてくれた。引き金を引けば、彼女が組んだ制御機構が魔石を刺激し、呪文を口ずさまずとも律法を発動できる付加武装とも言うべき代物しろものだ。
 しかも、魔石を使い潰す気なら、付加武装として用いる時の数倍まで威力を高められるらしい。
 大陸西部を騒がしている諸悪を、こんなところで目にするとは、思わなかった。
 風見の驚きようを見て、グローリアは口元を緩める。
 だが、その表情は、次の瞬間一変した。

「――だから言った。あなたは現実を思い知るべき。その程度は無意味」

 さっきまでナトだった物体が炎上しながら倒れると同時に、グローリアのかたわらでナトの声が上がる。彼女は銃で撃たれた瞬間、すでに新たな体を作っていたのだ。
 それは女帝としても予想だにしないことだったのだろう。彼女の表情は凍りついた。
 ナトはグローリアがにぎる銃を片手で払い飛ばす。

「……痛っ!?」

 グローリアが手をかばいながら後退した瞬間、ナトは木の鉤爪かぎづめを形成して追撃した。
 彼女はその手を横一閃よこいっせんに振るい、グローリアの首の皮一枚を切り裂く。その上ナトはグローリアの首を掴み、絞め上げた。

「いつでも殺せる。それをしないのはマスターの優しさ。不快だから勘違いはやめて」

 彼女はそれだけ言うと、手を離した。風見が制止する間もない、一瞬の恐喝劇きょうかつげきである。
 普通ならばこれだけすれば力量差を思い知り、恐怖を覚えるだろう。だが、グローリアは違った。げほげほとむせこんでいるが、口元には笑みを取り戻して、ナトを不敵ににらみ上げている。

「くはははは! ドラゴン以外にもこんな化け物まで飼い慣らしていたとは、驚きだねえ。けれど勘違いはどっちだい? 主導権をにぎっているのはお前たちじゃない。今も変わらず、あたしさ」

 片膝をついたグローリアは、真正面でナトと視線をぶつけあう。

「あたしを殺す? 結構。試してみるがいいさ、化け物。だが甘いのはどちらか。あたしを殺せば、リズが自害する。そういう契約内容を結んでいないかどうか、下調べは済ませたかい?」

 グローリアは強気だ。リズもそれについては契約上、言及できないのか、口をつぐんでいる。グローリアの言葉の真偽を判別するすべはない。
 しばしにらみ合っていたが、これ以上は無理と判断したらしく、ナトは戻ってきた。

「……マスター、ごめんなさい。余計なことをした」
「俺は気にしてない。俺の思っていたことを代弁してくれただけだしな。これも含めて痛み分けってことにしても、十分にお釣りがくる」

 しょげた様子のナトの頭をでる。思うところはあっても、ずっと見守っていてくれた彼女だ。多少張り切り過ぎたのだろう。
 それに、これも無駄ではない。リズを無事に引き渡さないとどうなるか、グローリアは痛感しただろう。風見は溜飲りゅういんが少しだけ下がり、余裕を持ってグローリアに問いかける。


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