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17巻
17-2
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「ほう、貴公がそこまで言い切るか。ならばドランよ。いずれ伝わる事ゆえ話してしまうが、貴公らが帝国に行っている間に高羅斗らは轟国に正式に宣戦布告し、轟国の西狼城をはじめとする国境付近の五つの城や砦を陥落させた。ガンドゥラの神器使い達抜きで、高羅斗の戦力のみでそれを成したそうだ。高羅斗の軍勢には奇妙な鎧を纏い空を舞う、無数の女戦士達が居たという。妙な事に全員が同じ顔立ちをしていたらしい。おそらく、高羅斗で発掘された天人か星人の遺産であろうな」
ふむ、既に陛下の耳にまで情報が届いているか。高羅斗と轟国の戦端が開かれたのはつい先日のはずだが、流石に情報網はしっかりとしている。
しかし、同じ顔立ちで奇妙な鎧を纏う女戦士となると……複製人間、アンドロイド、ホムンクルスなどの生体兵器辺りが妥当なところだろう。
現在の技術とは隔絶した水準にある古代文明――天人達の遺物が戦に投入されれば、戦局が傾くのも頷ける。
「高羅斗の強気の種明かしが、早くも行われたのですね」
「それだけで終わりかは分からぬが、空を自在に駆け、痛みも死も恐れず、一騎当千の実力を備えた軍団となれば、強気にもなろうよ。おそらく、高羅斗側は轟国からの完全な独立や大規模な領土の割譲を得るまで戦いを継続すると、我らは見ておる」
ふむん。正直、それが正しい見立てなのかどうか分からないが、そう簡単には終わらない戦であるのは理解出来る。
これら東の争いに関して、アークレスト王国は表立っての介入は避けるだろう。
仮に高羅斗らから支援要請が来ても、表面上は断って、裏でこっそりと支援するくらいに留めるはずだ。
「貴公の東の見立てに関しては、現在確認出来る情報から余も似たようなものと考えている。余の代になって、王国の東西が溜めこんだ不満を爆発させてしまった形だが、こちらまで巻き込まれるわけにはいかない。ドランよ、貴公ほどの武勇を誇る者が我が国に籍を置く事はまことに喜ばしい。もし王国と民草に悪意の火の粉が降りかかる時があれば、その力と知恵を存分に揮ってもらいたい」
ふむん、戦争だからといって他所の国にまで足を運んで、人殺しをするのは正直勘弁してほしいところだが、そういう目的であるのならば、喜んで助力させてもらおう。
「守る為に力と知恵を使う事に否やはありませぬ。むしろ、それこそ私の本懐でございます」
「実に頼もしい。それにしてもドランよ……アビスドーンの一件といい、この度のスペリオンの護衛といい、貴公の成した功績は騎爵位や下賜した財貨では足りぬほどの驚くべきものだ。また新しく褒美を与えねばな。功を挙げた者には相応しき報いを与えるのが、君主の務めの一つなのだから」
親子揃って似たような事を言うものだ。
これに対して、私の答えは決まっている。
「叶うならば、私を北に留め置きくださいませ。それが私にとって最高の褒美でございます」
聞き方によっては、褒美を要らぬと突っぱねているみたいな言い方になってしまったが、意外にも控えている護衛や重臣方から私を叱責する声は上がらなかった。
もしや重臣方は私の反応をつぶさに観察しているのではなかろうか。
メルルの後継者、次世代のアークウィザードと呼ばれてしまった私が、王国に従わないような者だったら洒落にならんからな。危惧するのが当然だ。
しかし、私の言葉に陛下が気分を害した様子は見られなかった。事前に殿下が私の希望や考えを伝えていたのかな? それとも、腹の内では全く違う事を考えているとか?
私はここで一つ、北に残る理由が故郷への想い以外にもあると告げた。
脅威は東と西ばかりではないと、王国の上層部へ訴えかける思わぬ好機が巡って来たのだ、これを活かさぬ手はない。
「遠からず北からも脅威がやって参りますので、それに備えておきたいのです」
私の言葉で、明らかに室内の空気が変わった。
北の脅威と言えば、昨年の夏に襲来した五千のゴブリン軍を思い出したのだろう。
王国の北にはゴブリンをはじめとする魔物が闊歩する不毛の地――暗黒の荒野が広がっている。我が故郷のベルン村は以前から度々この魔物の侵攻に脅かされてきたのだ。そして、近頃このゴブリン達の動きが活発化している。
「ほう、北からの脅威か。あえて問うが、生まれ故郷の事ゆえ、貴公が過剰に警戒しているだけではないと断言出来るか?」
「はい。ベルン村を攻めたゴブリン達は明らかに〝次〟を意識した軍勢でした。そのような軍備を整えられるほど、暗黒の荒野の環境と情勢が変化したのです。そして、暗黒の荒野の中で諸勢力の統一を目指す動きの布石でもありました。ゴブリン達以外にも、暗黒の荒野に棲息が確認されているオーガやオーク、魔族が同様の動きをしているでしょう。万が一諸種族の統一が成されれば、かつてないほど強大な戦力を備えた脅威が王国の北に誕生します。杞憂に終われば何よりですが、用心するに越した事はありません」
北から魔物の軍勢が襲来するのが一年後か、五年後か、十年後か、それはこれから偵察を重ねれば分かる。
いずれにしても、現状のベルン村にはそれを迎え撃つだけの態勢が整っていない。
まあ、私やセリナ達が居れば充分に防衛は出来るわけだが、それとこれとはまた別の話なのだ。
「貴公の危惧が現実となれば、それは東西の争い以上の脅威となろう。広大な暗黒の荒野は、我がアークレストのみならず、ロマルやさらにその西方にも接している。我が国一つに狙いを絞る可能性は低いが、これまで以上に備える必要のある事態だと認識したぞ、ドランよ。危惧する通りの事態になった時、北の守りの一翼を貴公のような剛の者が担っていてくれるのならば、確かにこれは心強い。そういえば、アルマディア侯爵の娘がベルンの領主として赴任する予定であったな。貴公はその下に就きたいと希望していると聞いたが?」
アルマディア侯爵の娘――クリスティーナさんは、ガロア魔法学院では一つ先輩にあたり、卒業後はベルン男爵に叙される予定だ。そして私が彼女に仕えたいと希望しているのも陛下のおっしゃる通りである。
「お言葉の通りでございます。エンテの森の方々と手を携えて北の脅威の防波堤となり、またベルンの新たな繁栄の礎を築くためには、あの方の下で働くのが最良と判断しております」
「エンテの森か。王国よりもはるか古から存在するかの森との友誼、そして海洋の大国、伝説の存在と呼ぶべき水龍皇の治める龍宮国との橋渡しも貴公が担っているのだったな。お蔭で我がアークレスト王国は、歴史上初めて龍宮国と国交を結んだ地上の国家という栄誉を得た。まこと、貴公はその武勇ばかりでなく稀なる縁を我が王国にもたらした功労者よ。はたして何をもって貴公の業績に報いればよいか、これは存外難事よな」
まあ、さっき言った通り、私はベルン村で放っておいてもらえればそれが一番だからなあ。
色々と好き勝手にやる予定だし、余計な口出しをするつもりはない。口出しをすればするほど、口を出される機会も増えるわけだからね。
しかし一つだけ気掛かりがある。
この場でそれを口にするのは憚られるが、やはり聞かないわけにはいかん。これは信義の問題なのだ。
しかし、私が口を開く前に、殿下と陛下は揃ってこちらの意図を見抜いたらしい。
殿下と視線を交わし合った陛下が私を見据えた。
実に察しの良い親子だ。アークレスト王家の血の為せる業かもしれん。アークレストに暗君なし、の評判はやはり正しい。
「貴公の顔には、アムリア皇女の事が気掛かりだと大きく書いてあるのう」
ふむ……はっきりとアムリア〝皇女〟と断言したか。
これで、帝国からどのような声明や弁明があろうとも、アークレスト王国内では、アムリアを先帝の娘として扱うのが分かった。
「はっ。生まれつき隠し事は苦手なもので。お恥ずかしい限りにございます」
古神竜の生まれ変わりである事実を隠し続けて十六年以上生きてきた私が、それを口にする資格があるかはさておき、隠し事が苦手なのは本当だ。
「よい。スペリオンからもアムリア皇女の扱いに関しては、繰り返し釘を刺されておるぞ。いっそ、皇女などという立場でなければ事は簡単に済んだが、そうもいかぬ。ドランよ、貴公の気分を害すると分かった上であえて言おう。我らはあわよくば帝国の領土の蚕食を狙っておる。領土を広げ、さらなる富を手にし、それを国と民とにもたらす。これが神々から戒められながらも未だに是正されざる、我らの言い訳がましい業と責務ゆえな」
人間の業か。それに関して言えば、私も前世の経験からしてよく知っている。
あえて口にしたのは、陛下なりの誠意の表れと解釈出来る。こういうところもスペリオン殿下と似ているな。
「貴公の言うところの帝国の切り札は警戒しなければならんが、時が来れば我らは帝国の領土を踏み荒らす事となろう。その時に掲げる大義の旗に、アムリア皇女の出自を利用しないとは、確約出来ぬ」
そこまで言及するとは……たかが農民騎爵を相手にいささか陛下は胸襟を開きすぎではないだろうか。
周囲の重臣方は口こそ噤んでいるが、陛下に対して制止するような視線を向けている。
私を言いくるめる為にいくらでも嘘偽りを並べ立てられただろうに、正直なところを打ち明けてくださった事には感謝しよう。
私も臣下としては従うが、いざとなったら行動するのを躊躇わぬ。
野生の白竜が王城を襲って要人を拉致……となれば、とんでもない騒ぎになるだろうが、それが必要な事態になってしまった場合は、仕方がないと割り切ろう。ふむん。
殿下との約束もあるし、必ずしもアムリアが不幸になると決まったわけではないが、備えておくに越した事はないはずだ。
「はい。臣の心を察してお答えいただき、感謝申し上げます」
「うむ。アムリア皇女とその友人達に関しては、生活に不自由をさせぬと約束しよう。現時点で確約出来るのはそれだけだ」
ふむ、友人――つまり、八千代と風香をアムリアと無理に離れ離れにはしないと。これで一つ安心だ。
アムリアの精神的支柱という意味では、私はあの二人に遠く及ばないからな。
陛下達からの質問は尽き、どうしても確認しておかねばならなかった事も確認出来たので、私は一人でこの部屋を辞した。
陛下からさらなる褒美の確約と、アムリアの生活を保障するという言質を取り、北からの脅威に対する認識を抱いていただいたのは収穫だった。けれど、アムリア達が王都に残されるとはっきりしたのは、少しばかり寂しい。
おそらく、王都に残ったアムリアは、積極的にその出自を利用しようとする者と、私達との約束を守ろうとする殿下との対立に巻き込まれてしまうのだろう。
ふーむ、八千代と風香が護衛の役を果たすとはいえ、私も逐一様子を確かめて、何かあればすぐに王城から連れ出せるように気を付けておこう。
それがアムリアを城館の外へと連れ出した私の責任というものだ。
……この時、私は介入の覚悟を固めていたのだが、その覚悟が無駄になるのは、そう遠い未来の事ではなかった。
第二章―――― 私に残された最後の希望
王都アレクラフティアの中級役人や下級貴族の住まう一画に、アークレスト王国史上最強の大魔法使いメルル・マルル・アザールの実家がある。
メルルの家は遡ってもこれといって武功を挙げた先祖が居るわけでもなく、メルルのような異常な才能を持った子が生まれるはずのない家系だった。
彼女の親の代までは、真面目に仕事をこなす王宮勤めの中級役人の家柄で、住まいもその役職に相応しい規模である。
親以前の世代と反して、メルルは国王直属の王軍魔法師団に勤める、選び抜かれた魔法使いの中の魔法使いだ。
王国の戦略を左右するほどの戦闘能力を有する事から、当然高給取りで、その待遇は破格のもの。メルルが望めば今の家よりもずっと好条件で豪勢な屋敷暮らしが出来る。
しかし、生まれ育った家を離れるのを面倒臭がったメルルは、今も父母と数人の使用人達と共に実家暮らしを継続中だ。
メルルの父母も、娘が周辺諸国にその名を轟かせる怪物となってからも、これまでと変わらぬ生活を望む無欲ぶりであった為、彼女達の生活に変化がもたらされないまま、今に至る。
その日の朝、メルルは自室の寝台の上でむにゃむにゃと寝言らしきものを零しながら、のっそりと気だるげに体を起こした。
防諜処理の施されたカーテンの隙間から射し込む朝陽が顔を照らして、それが目覚めを促したのだろう。
メルルは子犬や子猫が目を醒ます時のようにもぞもぞと特に意味のない動きをした後、ゆっくりと寝台から下りる。
それなりの広さがある部屋の床には、脱ぎっぱなしの衣服や空になった酒瓶がいくつも転がっており、栞の挟まれた魔道書の類も無造作に放り出されている。
メルルが目を通すほどのものなら、相当に高位な魔道書でもおかしくはないのだが、この雑な扱い方は実に彼女らしい。
流石に実家でこれらの本に秘められた力が暴走しては一大事なので、封印処置は施されているが、並みの魔法使いが見たら卒倒しそうだ。
「う~あ~」
薄い水色の髪はあちこちが跳ねたり、捻じれたりしている上に、鎖骨やら頭やらをボリボリと掻くメルル。いくら他人の目がないとはいえ、妙齢の女性としてはかなり残念な仕草であった。
いまだ寝ぼけ眼の彼女は、魔道書やら雑誌やらが山と積まれた机に手を伸ばす。
陶器の大皿の上に昨夜食べ残したチーズトーストが一切れ残っていて、無意識のうちに匂いにつられたらしい。
しかし、むにゃむにゃ言いながら伸ばしたメルルの手は、トーストを捉え損ねて、机の上から落としてしまう。
母に作ってもらったトーストが床と熱烈な口づけをする寸前――ふわりと浮かび上がり、そのままゆっくりとメルルの右手に収まった。
「ふう~、危ない危ない。食べ物を粗末にするなってお母さんに怒られるところだったね」
トーストの落下という緊急事態にメルルの意識がギリギリで覚醒し、咄嗟に浮遊の魔法を行使したらしい。
トーストは冷めきっていたが、メルルの手にあるうちに温められて、再びチーズがトロリと溶けだす。
彼女はアツアツになったそれを齧り、中身が三分の一ほど残っていた果実酒の酒瓶も同じように魔法で取り寄せて、咽喉に流しこんだ。
もしも第三者がこの場面を見たら、この大魔女が男運に恵まれない最大の理由が、彼女自身にあると認めただろう。
「ぷはー、生き返りますな~」
メルルは皿と酒瓶を片付けて、椅子の背もたれに掛けていたタオルで口元を大雑把に拭い、大きな欠伸をした。
「んんんん、はああ、今日も王城で待機かなあ……。アビスドーンみたいな事をする連中は居ないと思うけれど、まあしょうがないか」
酒臭い息を零しながら体を伸ばし、着替えを始めようとしたメルルの背後から、呻き声がした。
当然、男の声であるはずもなく、声の主はメルルの親友、道化師のハーメルだ。
「んんがあああ、あったま痛い~~。メルちゃん、ちょっと解毒の魔法使ってくんない?」
夜中にメルルに寝台から蹴り落とされ、床に寝転がっていたらしい。
道化師としての仕事に暇が出来た為、メルルと一晩飲み明かしていたのだった。
「仕方ないなあ」
メルルは一声呟いてから、汚い呻き声を上げるハーメルに解毒の魔法をかけてやる。
「おふう、メルちゃんの解毒は毎度毎度効果覿面ですなあ。頭の中がシャッキリとして気分爽快だ」
ハーメルは血色の良くなった顔に笑みを浮かべて立ち上がり、床の上で寝ていた所為で固くなった節々を動かして凝りを解す。
体内の酒精を解毒してもらった事で、正常な状態に戻った彼女は、部屋の中に立ちこめる酒臭さに思わず顔をしかめた。
独身女二人で一晩中酒を飲み明かし、酒臭さに塗れて朝を迎えるとは、我ながら色々と終わっているよなあ――と、ハーメルは自嘲する。
ハーメル自身は道化師としての自分に満足しているし、別に結婚願望もないので構わないのだが、結婚願望ありありのメルルにとって、この現状はまずかろう。
しかも、メルル本人にはまるで自覚がないから、なおさら救いがない。
「そろそろ片付けないとねえ~」
メルルは自分なりの決まりで乱雑に積まれている魔道書や、床の上に散乱している衣服に目をやり、苦笑する。
片付けても五日ほど経てば元通りの雑多な部屋に戻ってしまうが、少なくともその間は他人を招ける状態に出来る。とりあえずそれでいいよね、とメルルは考えていた。
しかし、そんな事だから国王にまで男運が壊滅していると認識される羽目に陥っているのを、彼女はまったく理解していない。
ハーメルは、メルルが念動の魔法を使って床の上の物を大雑把に分類していく様をぼうっと眺めている。
「結構いい体してるんだけどなあ……」
ハーメルはメルルの寝巻に包まれた腰の線を見て、ぽつりと呟いた。
そこで、なんの気なしに思い出した話を口にした。
「あ、そういえば、メルちゃん、知ってるぅ~?」
「何が~?」
「今、お城にドラン君と愉快な仲間達が来ているんだってさあ。殿下の護衛で帝国に行って、その帰りでちょっと滞在してんだって。なんか、また女の子を連れているみたい。あははは、メルちゃんと違って、本当に異性との出会いに恵まれているよね」
ハーメルとしては他愛のない世間話のつもりだったのだが、メルルにとってはそれで済む話ではなかった。
そのドランと愉快な仲間達は、メルルが求めても得られなかった――普段はひた隠しにしている全力を出しても勝てない――人材が揃っている奇人変人超人集団なのだから。
ハーメルの口から出てきた言葉をメルルの脳味噌が認識した途端に、念動で浮かんでいた衣服や魔道書があらぬ方向に飛び、ハーメルの顔を掠める。
「あっぶな!?」
「ハハハハ、ハーちゃん、それって、それって本当? 本当にドラン君達が来ているの? ドラミナさんも?」
メルルは親友の両肩を鷲掴みにして、嘘や冗談は許さないとばかりに血走った目で睨みつける。
人類最強の魔法使いの目力には、付き合いの長いハーメルでさえ怯む。
ハーメルはあまりに過剰な反応に驚いたものの、直後にメルルがどれだけドランに執着していたかを思い出して、軽率に口にした自分を心中で罵った。
「本当も本当、大本当だよ! でも、そろそろガロアに戻るんじゃないかな? それと、国王陛下とスペリオン殿下関連の用件で王城に滞在しているんだから、いくらメルルちゃんでもいきなり突撃しちゃ駄目だからね!?」
下手をしたら本当に急行しかねない。
……いや、実際にメルルは寝巻のまま愛杖ディストールとディストール・マグナを手元に召喚しており、今すぐ王城へ突撃を敢行する直前であった。
ハーメルが釘を刺さなければ、空間転移を用いてでも王城に向かっていただろう。
「や、やだなあ、そんな真似はしないよお? ほ、本当だよう?」
視線をあちらへこちらへと泳がせて、二本の杖を無理やり背中に隠そうとするメルルの姿は、誰が見てもお馬鹿さんそのものであった。
(こりゃドラン君が関わると駄目だなあ……)
ハーメルは諦めると同時に、かすかな期待を抱いてもいた。
ドランは、この男運が壊滅的な親友に残された最後の希望かもしれないのだから。
†
陛下達との面会を終えた私達は、アムリアと八千代、風香の正式な処遇が決まる日まで王城の一室での待機を命じられ、思い思いに時間を潰していた。
エンテの森代表という難しい立場のディアドラも、無事に希望が通って私達と同じ部屋で過ごす事を認められた。
皆王城の外に出るのは止められたが、中ならばある程度は自由に動き回っていいと許可が出ている。
アムリア達と連れだって王城の中を歩くのは、ちょっとした冒険気分だった。
彼女は殿下に思うところがあってもおかしくはないのだが、傍から見ている限りでは特に嫌っている様子は見受けられない。
これも殿下の人徳とアムリアの性格のお蔭かな。
ドラミナは、共に帝都に行った殿下やシャルド、近衛騎士団の面々から稽古を求められて、訓練場に足を運んでいる。
八千代と風香も時々この稽古に参加しているようだ。
私も基本的には心穏やかに過ごしていたが、唯一気掛かりがある。
神造魔獣の転生者で、私を魂の父と慕うレニーアだ。あまり彼女を放っておくと、時限爆弾が爆発しかねない。
しかしまあ、陛下から直々にお呼びが掛かったのだから仕方がない。帝国土産と王都土産を山ほど用意して、ご機嫌取りをするしかないかね。
私達が王城で時間を潰している間にも、高羅斗と轟国の戦いは激しさを増し、ロマル帝国南部でも反乱勢力の台頭が続いて、世界情勢は混沌の度合いを増していた。
とはいえ、先日の話し合いで、私は北に留め置いてもらえる目が大きくなったと自分では思っている。
仮に王国が東西の戦争に介入する事となっても、そうそう最前線に投入される羽目には陥るまい。
もっとも、表に出ないところで何か指示があるかもしれないが、それくらいは許容しないとな。
いずれにせよ、いつの日にか、私にも声が掛かるものと覚悟だけはしておこう。
ふむ、既に陛下の耳にまで情報が届いているか。高羅斗と轟国の戦端が開かれたのはつい先日のはずだが、流石に情報網はしっかりとしている。
しかし、同じ顔立ちで奇妙な鎧を纏う女戦士となると……複製人間、アンドロイド、ホムンクルスなどの生体兵器辺りが妥当なところだろう。
現在の技術とは隔絶した水準にある古代文明――天人達の遺物が戦に投入されれば、戦局が傾くのも頷ける。
「高羅斗の強気の種明かしが、早くも行われたのですね」
「それだけで終わりかは分からぬが、空を自在に駆け、痛みも死も恐れず、一騎当千の実力を備えた軍団となれば、強気にもなろうよ。おそらく、高羅斗側は轟国からの完全な独立や大規模な領土の割譲を得るまで戦いを継続すると、我らは見ておる」
ふむん。正直、それが正しい見立てなのかどうか分からないが、そう簡単には終わらない戦であるのは理解出来る。
これら東の争いに関して、アークレスト王国は表立っての介入は避けるだろう。
仮に高羅斗らから支援要請が来ても、表面上は断って、裏でこっそりと支援するくらいに留めるはずだ。
「貴公の東の見立てに関しては、現在確認出来る情報から余も似たようなものと考えている。余の代になって、王国の東西が溜めこんだ不満を爆発させてしまった形だが、こちらまで巻き込まれるわけにはいかない。ドランよ、貴公ほどの武勇を誇る者が我が国に籍を置く事はまことに喜ばしい。もし王国と民草に悪意の火の粉が降りかかる時があれば、その力と知恵を存分に揮ってもらいたい」
ふむん、戦争だからといって他所の国にまで足を運んで、人殺しをするのは正直勘弁してほしいところだが、そういう目的であるのならば、喜んで助力させてもらおう。
「守る為に力と知恵を使う事に否やはありませぬ。むしろ、それこそ私の本懐でございます」
「実に頼もしい。それにしてもドランよ……アビスドーンの一件といい、この度のスペリオンの護衛といい、貴公の成した功績は騎爵位や下賜した財貨では足りぬほどの驚くべきものだ。また新しく褒美を与えねばな。功を挙げた者には相応しき報いを与えるのが、君主の務めの一つなのだから」
親子揃って似たような事を言うものだ。
これに対して、私の答えは決まっている。
「叶うならば、私を北に留め置きくださいませ。それが私にとって最高の褒美でございます」
聞き方によっては、褒美を要らぬと突っぱねているみたいな言い方になってしまったが、意外にも控えている護衛や重臣方から私を叱責する声は上がらなかった。
もしや重臣方は私の反応をつぶさに観察しているのではなかろうか。
メルルの後継者、次世代のアークウィザードと呼ばれてしまった私が、王国に従わないような者だったら洒落にならんからな。危惧するのが当然だ。
しかし、私の言葉に陛下が気分を害した様子は見られなかった。事前に殿下が私の希望や考えを伝えていたのかな? それとも、腹の内では全く違う事を考えているとか?
私はここで一つ、北に残る理由が故郷への想い以外にもあると告げた。
脅威は東と西ばかりではないと、王国の上層部へ訴えかける思わぬ好機が巡って来たのだ、これを活かさぬ手はない。
「遠からず北からも脅威がやって参りますので、それに備えておきたいのです」
私の言葉で、明らかに室内の空気が変わった。
北の脅威と言えば、昨年の夏に襲来した五千のゴブリン軍を思い出したのだろう。
王国の北にはゴブリンをはじめとする魔物が闊歩する不毛の地――暗黒の荒野が広がっている。我が故郷のベルン村は以前から度々この魔物の侵攻に脅かされてきたのだ。そして、近頃このゴブリン達の動きが活発化している。
「ほう、北からの脅威か。あえて問うが、生まれ故郷の事ゆえ、貴公が過剰に警戒しているだけではないと断言出来るか?」
「はい。ベルン村を攻めたゴブリン達は明らかに〝次〟を意識した軍勢でした。そのような軍備を整えられるほど、暗黒の荒野の環境と情勢が変化したのです。そして、暗黒の荒野の中で諸勢力の統一を目指す動きの布石でもありました。ゴブリン達以外にも、暗黒の荒野に棲息が確認されているオーガやオーク、魔族が同様の動きをしているでしょう。万が一諸種族の統一が成されれば、かつてないほど強大な戦力を備えた脅威が王国の北に誕生します。杞憂に終われば何よりですが、用心するに越した事はありません」
北から魔物の軍勢が襲来するのが一年後か、五年後か、十年後か、それはこれから偵察を重ねれば分かる。
いずれにしても、現状のベルン村にはそれを迎え撃つだけの態勢が整っていない。
まあ、私やセリナ達が居れば充分に防衛は出来るわけだが、それとこれとはまた別の話なのだ。
「貴公の危惧が現実となれば、それは東西の争い以上の脅威となろう。広大な暗黒の荒野は、我がアークレストのみならず、ロマルやさらにその西方にも接している。我が国一つに狙いを絞る可能性は低いが、これまで以上に備える必要のある事態だと認識したぞ、ドランよ。危惧する通りの事態になった時、北の守りの一翼を貴公のような剛の者が担っていてくれるのならば、確かにこれは心強い。そういえば、アルマディア侯爵の娘がベルンの領主として赴任する予定であったな。貴公はその下に就きたいと希望していると聞いたが?」
アルマディア侯爵の娘――クリスティーナさんは、ガロア魔法学院では一つ先輩にあたり、卒業後はベルン男爵に叙される予定だ。そして私が彼女に仕えたいと希望しているのも陛下のおっしゃる通りである。
「お言葉の通りでございます。エンテの森の方々と手を携えて北の脅威の防波堤となり、またベルンの新たな繁栄の礎を築くためには、あの方の下で働くのが最良と判断しております」
「エンテの森か。王国よりもはるか古から存在するかの森との友誼、そして海洋の大国、伝説の存在と呼ぶべき水龍皇の治める龍宮国との橋渡しも貴公が担っているのだったな。お蔭で我がアークレスト王国は、歴史上初めて龍宮国と国交を結んだ地上の国家という栄誉を得た。まこと、貴公はその武勇ばかりでなく稀なる縁を我が王国にもたらした功労者よ。はたして何をもって貴公の業績に報いればよいか、これは存外難事よな」
まあ、さっき言った通り、私はベルン村で放っておいてもらえればそれが一番だからなあ。
色々と好き勝手にやる予定だし、余計な口出しをするつもりはない。口出しをすればするほど、口を出される機会も増えるわけだからね。
しかし一つだけ気掛かりがある。
この場でそれを口にするのは憚られるが、やはり聞かないわけにはいかん。これは信義の問題なのだ。
しかし、私が口を開く前に、殿下と陛下は揃ってこちらの意図を見抜いたらしい。
殿下と視線を交わし合った陛下が私を見据えた。
実に察しの良い親子だ。アークレスト王家の血の為せる業かもしれん。アークレストに暗君なし、の評判はやはり正しい。
「貴公の顔には、アムリア皇女の事が気掛かりだと大きく書いてあるのう」
ふむ……はっきりとアムリア〝皇女〟と断言したか。
これで、帝国からどのような声明や弁明があろうとも、アークレスト王国内では、アムリアを先帝の娘として扱うのが分かった。
「はっ。生まれつき隠し事は苦手なもので。お恥ずかしい限りにございます」
古神竜の生まれ変わりである事実を隠し続けて十六年以上生きてきた私が、それを口にする資格があるかはさておき、隠し事が苦手なのは本当だ。
「よい。スペリオンからもアムリア皇女の扱いに関しては、繰り返し釘を刺されておるぞ。いっそ、皇女などという立場でなければ事は簡単に済んだが、そうもいかぬ。ドランよ、貴公の気分を害すると分かった上であえて言おう。我らはあわよくば帝国の領土の蚕食を狙っておる。領土を広げ、さらなる富を手にし、それを国と民とにもたらす。これが神々から戒められながらも未だに是正されざる、我らの言い訳がましい業と責務ゆえな」
人間の業か。それに関して言えば、私も前世の経験からしてよく知っている。
あえて口にしたのは、陛下なりの誠意の表れと解釈出来る。こういうところもスペリオン殿下と似ているな。
「貴公の言うところの帝国の切り札は警戒しなければならんが、時が来れば我らは帝国の領土を踏み荒らす事となろう。その時に掲げる大義の旗に、アムリア皇女の出自を利用しないとは、確約出来ぬ」
そこまで言及するとは……たかが農民騎爵を相手にいささか陛下は胸襟を開きすぎではないだろうか。
周囲の重臣方は口こそ噤んでいるが、陛下に対して制止するような視線を向けている。
私を言いくるめる為にいくらでも嘘偽りを並べ立てられただろうに、正直なところを打ち明けてくださった事には感謝しよう。
私も臣下としては従うが、いざとなったら行動するのを躊躇わぬ。
野生の白竜が王城を襲って要人を拉致……となれば、とんでもない騒ぎになるだろうが、それが必要な事態になってしまった場合は、仕方がないと割り切ろう。ふむん。
殿下との約束もあるし、必ずしもアムリアが不幸になると決まったわけではないが、備えておくに越した事はないはずだ。
「はい。臣の心を察してお答えいただき、感謝申し上げます」
「うむ。アムリア皇女とその友人達に関しては、生活に不自由をさせぬと約束しよう。現時点で確約出来るのはそれだけだ」
ふむ、友人――つまり、八千代と風香をアムリアと無理に離れ離れにはしないと。これで一つ安心だ。
アムリアの精神的支柱という意味では、私はあの二人に遠く及ばないからな。
陛下達からの質問は尽き、どうしても確認しておかねばならなかった事も確認出来たので、私は一人でこの部屋を辞した。
陛下からさらなる褒美の確約と、アムリアの生活を保障するという言質を取り、北からの脅威に対する認識を抱いていただいたのは収穫だった。けれど、アムリア達が王都に残されるとはっきりしたのは、少しばかり寂しい。
おそらく、王都に残ったアムリアは、積極的にその出自を利用しようとする者と、私達との約束を守ろうとする殿下との対立に巻き込まれてしまうのだろう。
ふーむ、八千代と風香が護衛の役を果たすとはいえ、私も逐一様子を確かめて、何かあればすぐに王城から連れ出せるように気を付けておこう。
それがアムリアを城館の外へと連れ出した私の責任というものだ。
……この時、私は介入の覚悟を固めていたのだが、その覚悟が無駄になるのは、そう遠い未来の事ではなかった。
第二章―――― 私に残された最後の希望
王都アレクラフティアの中級役人や下級貴族の住まう一画に、アークレスト王国史上最強の大魔法使いメルル・マルル・アザールの実家がある。
メルルの家は遡ってもこれといって武功を挙げた先祖が居るわけでもなく、メルルのような異常な才能を持った子が生まれるはずのない家系だった。
彼女の親の代までは、真面目に仕事をこなす王宮勤めの中級役人の家柄で、住まいもその役職に相応しい規模である。
親以前の世代と反して、メルルは国王直属の王軍魔法師団に勤める、選び抜かれた魔法使いの中の魔法使いだ。
王国の戦略を左右するほどの戦闘能力を有する事から、当然高給取りで、その待遇は破格のもの。メルルが望めば今の家よりもずっと好条件で豪勢な屋敷暮らしが出来る。
しかし、生まれ育った家を離れるのを面倒臭がったメルルは、今も父母と数人の使用人達と共に実家暮らしを継続中だ。
メルルの父母も、娘が周辺諸国にその名を轟かせる怪物となってからも、これまでと変わらぬ生活を望む無欲ぶりであった為、彼女達の生活に変化がもたらされないまま、今に至る。
その日の朝、メルルは自室の寝台の上でむにゃむにゃと寝言らしきものを零しながら、のっそりと気だるげに体を起こした。
防諜処理の施されたカーテンの隙間から射し込む朝陽が顔を照らして、それが目覚めを促したのだろう。
メルルは子犬や子猫が目を醒ます時のようにもぞもぞと特に意味のない動きをした後、ゆっくりと寝台から下りる。
それなりの広さがある部屋の床には、脱ぎっぱなしの衣服や空になった酒瓶がいくつも転がっており、栞の挟まれた魔道書の類も無造作に放り出されている。
メルルが目を通すほどのものなら、相当に高位な魔道書でもおかしくはないのだが、この雑な扱い方は実に彼女らしい。
流石に実家でこれらの本に秘められた力が暴走しては一大事なので、封印処置は施されているが、並みの魔法使いが見たら卒倒しそうだ。
「う~あ~」
薄い水色の髪はあちこちが跳ねたり、捻じれたりしている上に、鎖骨やら頭やらをボリボリと掻くメルル。いくら他人の目がないとはいえ、妙齢の女性としてはかなり残念な仕草であった。
いまだ寝ぼけ眼の彼女は、魔道書やら雑誌やらが山と積まれた机に手を伸ばす。
陶器の大皿の上に昨夜食べ残したチーズトーストが一切れ残っていて、無意識のうちに匂いにつられたらしい。
しかし、むにゃむにゃ言いながら伸ばしたメルルの手は、トーストを捉え損ねて、机の上から落としてしまう。
母に作ってもらったトーストが床と熱烈な口づけをする寸前――ふわりと浮かび上がり、そのままゆっくりとメルルの右手に収まった。
「ふう~、危ない危ない。食べ物を粗末にするなってお母さんに怒られるところだったね」
トーストの落下という緊急事態にメルルの意識がギリギリで覚醒し、咄嗟に浮遊の魔法を行使したらしい。
トーストは冷めきっていたが、メルルの手にあるうちに温められて、再びチーズがトロリと溶けだす。
彼女はアツアツになったそれを齧り、中身が三分の一ほど残っていた果実酒の酒瓶も同じように魔法で取り寄せて、咽喉に流しこんだ。
もしも第三者がこの場面を見たら、この大魔女が男運に恵まれない最大の理由が、彼女自身にあると認めただろう。
「ぷはー、生き返りますな~」
メルルは皿と酒瓶を片付けて、椅子の背もたれに掛けていたタオルで口元を大雑把に拭い、大きな欠伸をした。
「んんんん、はああ、今日も王城で待機かなあ……。アビスドーンみたいな事をする連中は居ないと思うけれど、まあしょうがないか」
酒臭い息を零しながら体を伸ばし、着替えを始めようとしたメルルの背後から、呻き声がした。
当然、男の声であるはずもなく、声の主はメルルの親友、道化師のハーメルだ。
「んんがあああ、あったま痛い~~。メルちゃん、ちょっと解毒の魔法使ってくんない?」
夜中にメルルに寝台から蹴り落とされ、床に寝転がっていたらしい。
道化師としての仕事に暇が出来た為、メルルと一晩飲み明かしていたのだった。
「仕方ないなあ」
メルルは一声呟いてから、汚い呻き声を上げるハーメルに解毒の魔法をかけてやる。
「おふう、メルちゃんの解毒は毎度毎度効果覿面ですなあ。頭の中がシャッキリとして気分爽快だ」
ハーメルは血色の良くなった顔に笑みを浮かべて立ち上がり、床の上で寝ていた所為で固くなった節々を動かして凝りを解す。
体内の酒精を解毒してもらった事で、正常な状態に戻った彼女は、部屋の中に立ちこめる酒臭さに思わず顔をしかめた。
独身女二人で一晩中酒を飲み明かし、酒臭さに塗れて朝を迎えるとは、我ながら色々と終わっているよなあ――と、ハーメルは自嘲する。
ハーメル自身は道化師としての自分に満足しているし、別に結婚願望もないので構わないのだが、結婚願望ありありのメルルにとって、この現状はまずかろう。
しかも、メルル本人にはまるで自覚がないから、なおさら救いがない。
「そろそろ片付けないとねえ~」
メルルは自分なりの決まりで乱雑に積まれている魔道書や、床の上に散乱している衣服に目をやり、苦笑する。
片付けても五日ほど経てば元通りの雑多な部屋に戻ってしまうが、少なくともその間は他人を招ける状態に出来る。とりあえずそれでいいよね、とメルルは考えていた。
しかし、そんな事だから国王にまで男運が壊滅していると認識される羽目に陥っているのを、彼女はまったく理解していない。
ハーメルは、メルルが念動の魔法を使って床の上の物を大雑把に分類していく様をぼうっと眺めている。
「結構いい体してるんだけどなあ……」
ハーメルはメルルの寝巻に包まれた腰の線を見て、ぽつりと呟いた。
そこで、なんの気なしに思い出した話を口にした。
「あ、そういえば、メルちゃん、知ってるぅ~?」
「何が~?」
「今、お城にドラン君と愉快な仲間達が来ているんだってさあ。殿下の護衛で帝国に行って、その帰りでちょっと滞在してんだって。なんか、また女の子を連れているみたい。あははは、メルちゃんと違って、本当に異性との出会いに恵まれているよね」
ハーメルとしては他愛のない世間話のつもりだったのだが、メルルにとってはそれで済む話ではなかった。
そのドランと愉快な仲間達は、メルルが求めても得られなかった――普段はひた隠しにしている全力を出しても勝てない――人材が揃っている奇人変人超人集団なのだから。
ハーメルの口から出てきた言葉をメルルの脳味噌が認識した途端に、念動で浮かんでいた衣服や魔道書があらぬ方向に飛び、ハーメルの顔を掠める。
「あっぶな!?」
「ハハハハ、ハーちゃん、それって、それって本当? 本当にドラン君達が来ているの? ドラミナさんも?」
メルルは親友の両肩を鷲掴みにして、嘘や冗談は許さないとばかりに血走った目で睨みつける。
人類最強の魔法使いの目力には、付き合いの長いハーメルでさえ怯む。
ハーメルはあまりに過剰な反応に驚いたものの、直後にメルルがどれだけドランに執着していたかを思い出して、軽率に口にした自分を心中で罵った。
「本当も本当、大本当だよ! でも、そろそろガロアに戻るんじゃないかな? それと、国王陛下とスペリオン殿下関連の用件で王城に滞在しているんだから、いくらメルルちゃんでもいきなり突撃しちゃ駄目だからね!?」
下手をしたら本当に急行しかねない。
……いや、実際にメルルは寝巻のまま愛杖ディストールとディストール・マグナを手元に召喚しており、今すぐ王城へ突撃を敢行する直前であった。
ハーメルが釘を刺さなければ、空間転移を用いてでも王城に向かっていただろう。
「や、やだなあ、そんな真似はしないよお? ほ、本当だよう?」
視線をあちらへこちらへと泳がせて、二本の杖を無理やり背中に隠そうとするメルルの姿は、誰が見てもお馬鹿さんそのものであった。
(こりゃドラン君が関わると駄目だなあ……)
ハーメルは諦めると同時に、かすかな期待を抱いてもいた。
ドランは、この男運が壊滅的な親友に残された最後の希望かもしれないのだから。
†
陛下達との面会を終えた私達は、アムリアと八千代、風香の正式な処遇が決まる日まで王城の一室での待機を命じられ、思い思いに時間を潰していた。
エンテの森代表という難しい立場のディアドラも、無事に希望が通って私達と同じ部屋で過ごす事を認められた。
皆王城の外に出るのは止められたが、中ならばある程度は自由に動き回っていいと許可が出ている。
アムリア達と連れだって王城の中を歩くのは、ちょっとした冒険気分だった。
彼女は殿下に思うところがあってもおかしくはないのだが、傍から見ている限りでは特に嫌っている様子は見受けられない。
これも殿下の人徳とアムリアの性格のお蔭かな。
ドラミナは、共に帝都に行った殿下やシャルド、近衛騎士団の面々から稽古を求められて、訓練場に足を運んでいる。
八千代と風香も時々この稽古に参加しているようだ。
私も基本的には心穏やかに過ごしていたが、唯一気掛かりがある。
神造魔獣の転生者で、私を魂の父と慕うレニーアだ。あまり彼女を放っておくと、時限爆弾が爆発しかねない。
しかしまあ、陛下から直々にお呼びが掛かったのだから仕方がない。帝国土産と王都土産を山ほど用意して、ご機嫌取りをするしかないかね。
私達が王城で時間を潰している間にも、高羅斗と轟国の戦いは激しさを増し、ロマル帝国南部でも反乱勢力の台頭が続いて、世界情勢は混沌の度合いを増していた。
とはいえ、先日の話し合いで、私は北に留め置いてもらえる目が大きくなったと自分では思っている。
仮に王国が東西の戦争に介入する事となっても、そうそう最前線に投入される羽目には陥るまい。
もっとも、表に出ないところで何か指示があるかもしれないが、それくらいは許容しないとな。
いずれにせよ、いつの日にか、私にも声が掛かるものと覚悟だけはしておこう。
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