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17巻

17-3

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 さて、こうして私達は王城での日々を過ごしていたわけだが、陛下の使いの方から、アムリア達の処遇決定と出立しゅったつを命じる報せが届き、これ以上の長居は無用となった。
 私達が持ち込んだ荷物は少なかった為、ガロアに戻る支度はすぐに済んだ。
 借りていた近衛騎士の衣装を返却した時には、清々したくらいである。
 農民根性が魂の奥底まで染み付いている私にとって、仮とはいえ近衛騎士などという身分は過ぎたるものだ。
 弔問団の護衛を務めた報酬やら何やらという名目で渡された名高い具足や絹織物、金貨、名物のたぐいを詰め込み、私達はいよいよ王城を離れる。
 といっても、来た時と同様に、王城内部の転移の魔法陣を使ってガロアまで戻るので、大した時間は掛からない。
 その転移魔法陣のある一室で、私達は王城に残るアムリア、八千代、風香、そして見送りに来てくださった殿下とシャルドに、別れの挨拶あいさつをしていた。
 アムリアは王城に留まるしか選択肢がないのだが、八千代と風香はある程度自由が認められている。しかし、彼女達たっての希望によって、二人はアムリアの私的な護衛という扱いで王城に残るそうだ。

「うおおおおんん、ドラン殿、セリナ殿、ディアドラ殿、ドラミナ殿ぉ。せっかく知り合えたのでござるから、もっとこちらに残っておられればよいのにでござるよ~~」

 八千代は殿下達の目を気にする様子もなく、ダバダバと涙の滝を流し、ついでに鼻水も垂らしながら私達との別れを惜しんだ。
 ここまで大袈裟おおげさな反応をされると、こちらが照れ臭くなってしまうな。
 隣で八千代が狂態きょうたいさらしているせいか、風香の方は落ち着いていた。鼻の頭を赤くして涙ぐんでいるが、泣き叫ぶほどではない。
 アムリアもハンカチで目の端に浮かぶ涙を拭っている。
 一月ひとつきにも満たない付き合いだったのに、ここまで別れを惜しんでくれるのは、彼女達と濃密な時間を過ごしてきた証拠だろうか。

「ハチ……あんまり引き留めては悪いでござるよ。ドラン殿達にもご事情があるのでござる」
「うう、風香は大人ぶった事を口にするのでござるな。とはいえ、確かに学生の身であるドラン殿を長く拘束しては申し訳ない。卒業式に間に合わなくなっては一大事でござるし……」

 八千代が口にした通り、ガロア魔法学院の卒業式の日取りまで、あまり余裕がなくなっているのは事実である。
 私は既に卒業に必要な条件は満たしているので、単位の取得などに奔走ほんそうする必要はないのだが、前世を含めて初めての『卒業式』という行事には、是非とも参加したい。
 八千代は滝のように流れていた涙や鼻水を乱暴に拭い、意を決した様子で私をまっすぐに見つめた。

「ドラン殿! 貴殿はその空前絶後の武勇のみならず、実にふところが深く器量の大きな御仁ごじんでござる。それがしも武士の家に生まれた者として、貴殿のようなお方を主君と仰げればと、実はこっそり願っており申した。もし機会あらば、是非ともドラン殿の家臣として召し抱えていただければと、願ってやまないでござる。いつかの再会を心から楽しみに待っているでござるよ!」
「ふふ、そこまで評価してもらえているとは思わなかったよ。八千代、君は少々うっかりなのが残念ではあるが、まっすぐな心根を持ち、義を知り、勇を備えた人物だ。これからどんな艱難辛苦かんなんしんくに見舞われる事があっても、どうかそのままであってほしい。君の清廉せいれんなるその心は、どんな宝石よりも希少な輝きを放っているのだからね」

 智が心許こころもとないのが最大の欠点とは口にしないでおいた。

「ドラン殿のお言葉、しかとこの胸に刻んだでござるよ。決して忘れはしないでござる」
「まあ、出来る範囲でいいさ。それを超えて無理をしようとすると、人間、ろくな目にわないからね。それと、風香」
「はい、ドラン殿! この風香、耳をピンと立てて一言一句漏らさぬ心構えでござるよ!」

 私が声を掛けると、八千代同様に残念なところのある女忍者は直立不動の姿勢に変わる。
 そこまで大した話をするつもりはないのだが、私に何を言われるのか、随分期待してくれているらしい。

「そんなにかしこまられると、逆にしゃべりにくいな……。さて風香、君と八千代は実に良く噛み合った二人だ。人間である以上、時にぶつかり合う事もあるだろうし、ともすれば、相手を鬱陶うっとうしく思う事もあるだろう。それでも、互いに対する思いやりさえなくさなければ、君達は離別の道を歩みはすまい。いつまでも二人が共にあるように祈っているよ。八千代と比べれば君はまだ落ち着きがあるし、視野も広い。気疲れすると思うが、忍びらしい心構えを頼むぞ」
「もちろんでござる。これからはハチだけでなくアムリア殿の面倒も見る予定でござるし、忍びらしく忍んで忍ぶでござるよ。ハチに言いたい事を言われてしまったでござるが、ドラン殿、セリナ殿やドラミナ殿が御身おんみに心から敬服し、行動を共にしている姿には、つくづく感心し申した。拙者せっしゃもまたハチ同様、いずれ御身の影となりて働ければ本望ほんもうでござる。ま、なんにせよ長生きしていれば、いつかはそういう機会が来るかもしれないでござる。どうかお達者で!」
「ふふふ、そうだな。君達も元気でな。お腹を出して眠って風邪かぜを引かないように気をつけなさい。それと、お風呂に入ったらすぐに体をくのを忘れてはいけないよ。君らは尻尾しっぽや毛がある分、手間が掛かるのだから念入りにな」
「承知したでござる。それにしても、ドラン殿はまるで拙者とハチの親みたいな口ぶりでござるな。ドラン殿が父上であったなら、ハチが家を出奔する事態にはならなかったでござろうが……それもまた運命でござれば、もはやせんなきこと
「八千代が家を出る決断をしたおかげで、君達や、ひいてはアムリアと出会えたのだから、私としては良い運命の巡り合わせだと思うよ」
「なははは、それもそうでござるな。ドラン殿の言われる通り、まっこと、良きご縁に恵まれたものでござる。にんにん」

 風香はそう言って、にかっと明るく笑った。
 気持ちの切り替えの早さは、風香の持ち味だな。
 二人と話している間にアムリアはある程度心の整理がついたようで、晴れやかな顔をしていた。
 彼女にとって、私達は一体どういう立場になるのだろうな……
 八千代と風香は間違いなくアムリアの親友だろうけれど、私達はアムリアを助けたとはいえ、王都で窮屈きゅうくつな生活を強いているのも事実。
 少しくらいはうらまれても仕方ないと思う一方、それでも友人だと思っていてほしいと願っている自分もいる。

「ふふ、ハチさんと風香さんがたくさん泣かれるものですから、なんだか私の分まで泣いていただいた気になります」

 そう言って涙を拭ったアムリアの目に、怨嗟えんさの光は宿っていなかった。
 我ながら身勝手なものだが、少し安心した。

「君まで泣いてくれるとは、うれしい限りだよ。私達は一度ガロアへは戻るが、機会を見つけてまた会いに来るとも。陛下と殿下も君達の身の安全は約束してくださっているし、移動の制限が掛かる以外に不自由はないはずだ。それでも気が滅入めいったり、困った事になったら、空にでも向かって私の名前を呼んでくれ。顔を見に来るよ」

 状況次第では、私ではなく、がやって来るかもしれないがね……
 彼女が助けを求めるなら、躊躇ちゅうちょせずに王都を騒がすとも。私は既にその覚悟を固めている。
 アムリアは私の言葉を冗談だと捉えたのか、小さく笑う。
 あの鋼鉄の皇女――アステリアと顔こそ瓜二うりふたつだが、中身の方はお酒とお茶ほども違うな。
 まあ、たとえ育った環境が逆だったとしても、アステリアはアムリアのような性格にはならなそうだが。

「あまり気になさらないでください。元々私の世界はあの山の中のお城が全てでした。こちらのお城の中だけでしか暮らせないとしても、世界は広がったくらいです。ハチさんと風香さんも残ってくださいますし、ドランさん達までお引き留めする事は出来ません。でも、今後も変わらずお友達でいてくださいますか?」
「もちろんだとも。君がそう望んでくれる限り、私達は君の良き友であり続けるよ。またそういられるように努力する」

 陛下と殿下にはアムリアとの面会を融通してもらう約束を取り付けている。
 万が一それが反故ほごにされた時には、自分でもどれほど怒りの炎が胸を焦がすか分からない。約束が守られるのを祈るばかりである。
 私に続いて、セリナやディアドラ、ドラミナ、リネットの四人もアムリア達と別れを惜しむ言葉を交わしはじめた。
 それを見て、私はそっと殿下に歩み寄る。
 とりあえずアムリア達の処遇に関しては決着しているが、それとは別の話をする為だ。

「殿下、シャルド様。その後、東西で何か変化はありましたか?」

 八千代達の耳には届かないように声をひそめて話しかけると、殿下は微笑むアムリアを一瞥いちべつしてから答えた。

「ロマルの方は、南部の反乱勢力の足並みが乱れて混沌としている。連合を組んでいる勢力もあれば、独自に帝国と敵対行動を取っている勢力、帝国の人間を集中的に狙って襲撃を繰り返す勢力もあるといった具合だ。アステリア皇女は不気味なほど静かだが、ライノスアート大公は我が国と領土が接している所為もあって、活発な動きを見せているよ」
「思ったよりも動きが速いですね。帝国側からの難民への政策は殿下達ならば既に考えていらっしゃるでしょうね。東はどうですか? 轟国から、それとなく外交の圧力くらいは来てもおかしくないかと思いますけれど……」
「海洋貿易の方で少しな。しかしそれも、我が国と龍宮国との国交が始まった以上は大した問題ではない。龍宮国との国交樹立は轟国としては想定外だったろう。目下もっか、我が国は方針を変える予定はないよ。ただ、轟国の方で四霊将の白虎びゃっこ玄武げんぶが動く気配があるそうだ。裏で四凶将と四罪将しざいしょうといった連中も動くだろう。表に出ない闘争も激化のきざしを見せている」
「まあ、ガロアやベルン村にまでるいおよぶ事態にはそうそうなりますまいが、故郷に影響がなければそれでいい……とは、口が裂けても言えませんね」
「我々も未然に防げる戦災は防ぐが、神ならざる身では限度がある。ドラン、北の脅威について指摘を受けておいてなんだが、場合によっては今後、満足に援助出来なくなるかもしれない。……すまないな」
「いえ、まだそうと決まったわけではありませんし、仕方のない事だと理解しておりますよ。それより、少ししつこいかもしれませんが、どうかアムリアをよろしくお願いします」
「ああ、重々承知している。先日のアレで、父上も君を軽視すべきではないと認識されたようだよ。他の者達も君に関しては一目置いちもくおいている。どういう認識かは、人それぞれだがな」

 ……つまりあれか、私を政敵だの、あるいは政争のこまとして使えるだの、そういう見方をしている方がいらっしゃるのかな?
 客観的に考えて、今の私は殿下の駒というのが、お偉方の認識になるのではなかろうか。
 あるいは、ベルン男爵になるクリスティーナさんの下に就くと明言しているから、アルマディア侯爵派閥こうしゃくはばつ見做みなせなくもない。
 あとは、エンテの森と龍宮国との縁結びの立役者でもあるし……
 ふむ、意外と重要人物だったりするのか、私は?

「今まで経験した事のない〝戦い〟の舞台ですが、以前より覚悟はしていました。なんとかやっていきますよ」
「君については問題にならないうちは好きにさせておくのが一番だと、ガロアのオリヴィエ学院長から何度も助言を頂いたよ。私と父上もそう考えている。しかし、君は有能すぎるところがある。強力な札ゆえに、つい切りたくなってしまうのが問題だ。そういうところも、メルルと似ていると言えるかもしれないな。彼女も効果が強すぎて今まで切らずにいた手札だが、その欲求にはよく駆られているよ」
「アークウィッチ殿なら仕方ないでしょう。一人で十二翼将や四霊将の動きを束縛そくばく出来るほどの戦力なのですから」
「君も既にそうなりつつあるのだよ? レニーアやクリスティーナ、さらに言えば競魔祭で活躍したハルトやエクスも候補だ」

 南のジエル魔法学院の魔法剣士ハルトに、西のタルダット魔法学院の精霊魔法使いエクスか。レニーアやクリスティーナさん同様、競魔祭で目立った戦いを見せた面子メンツだ。
 クリスティーナさんの場合はアビスドーンとの戦いもあるか?
 殿下は直接戦いを目撃されていないが、現場の痕跡こんせきなどからある程度は戦闘の規模をはかる事は出来ただろうし。

「こういう時世にそれだけの人材が揃っているというのは……巡り合わせですね」

 才能豊かな同世代が同じ国にこれだけ集まるのは、滅多めったにある事ではないだろう。私が苦笑しながら告げると、殿下とシャルドも揃って苦笑した。

「頼もしいのは確かだよ。君達のような人材が必要な事態がこれから起きるかもしれないと考えると、少し頭が痛いけれどね。さて、女性方の話も大方済んだようだ。そろそろ本当にお別れだ」

 殿下の言う通り、セリナ達は一通りの挨拶を終えて、お別れのプレゼントやらを渡しているところだった。

「ドラン。今回、君を護衛に指名したのは正解だったよ。得られたものが大きすぎて、正直困惑するほどだが、これからも君とその恋人達とは良好な関係を築いていきたい。これが、私の偽らざる気持ちだ。君とは王子としての立場を忘れた付き合いが出来れば、それが一番楽しいのだろうな……」

 そう言って、殿下は夏の日の涼風すずかぜのようにさわやかな笑みを浮かべて、そっと私に右手を差し出す。
 王太子が農民騎爵に自ら握手を求めるなど滅多にないはずだが、私はそれを当たり前の事のように受け止めて、握手を返した。

「そう思っていても実際にそうはなさらない責任感のある殿下が、私は好きですよ。ですが、時々お忍びで来られる分には構わないのでは?」
「ははは。私はそうやって甘い事と厳しい事を適度に言ってくれる君の性格が好きだな。君と縁を結べて本当によかったと、心から思うよ」

 ふむ、嬉しい事を言ってくれるものだ。私も前世では色々な権力者や王侯貴族を目にしてきたが、この王子の魂は得難えがたい輝きを放っている。
 彼が行く道に幸多さちおおからん事を願ってやまない。

「僭越ながら、私もまた同じ気持ちです。しかし、名残なごりしいですが時は待ってはくれません。これにて私達はガロアへと戻ります。次にお会いする時を楽しみに……」

 この方ならば決してアムリア達を悪いようにしない。改めてそう確信し、なごやかな空気のまま別れの言葉を切り出そうとした時――
 バンッ! と閉じられていた部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
 まさか敵襲かと皆に緊張が走ったが、扉の向こうに見えた人物に、私は脱力せざるを得なかった。
 そこには魔杖ディストールとその改良型とおぼしき杖を携えたメルルが、瞳を爛々らんらんと輝かせて立っていたのである。

「ドラン君、ドラミナさん、本当に王城に来ていたんだ!? 突然ごめんね。でも、二人と会う機会ってなかなかないから、どうしても会いたくって! ねえ、私と……ん? って、あれええ!? 殿下がいる! どどどど、どうしてーーーー!?」

 つばを飛ばしながら一方的にまくてている途中で、メルルはあきれた目で自分を見ている殿下とシャルドの姿に気付き、叫び声を上げた。
 どうしても何も、殿下は私達を見送りに来てくれたのだが……
 メルルは格好こそ魔法師団の制服姿だったものの、ここまで相当急いで来たのか衣服にしわが目立ち、また髪の毛は寝癖であちこちぴょこぴょこと跳ねている。
 どうやら私やドラミナとまた手合わせをしたかったみたいだが……それにしても〝これ〟はない。
 私は思わず溜息ためいきを吐いていた。いや、私だけでなく、メルルの事を知っている全員が大きな溜息を零している。
 この女性は……駄目だ。うん。
 驚きが未だにめない様子のメルルにあわれみすら抱いて、私は簡単にこの状況を説明した。
 ひょっとすると彼女は、魔法以外に関しては凡人ぼんじんか、それ未満の能力しか発揮はっき出来ないのかもしれん。

「私達はこれからガロアに戻るところです。殿下はわざわざ見送りに来てくださったのですよ。私には過ぎた事で恐縮するばかりです」

 殿下が〝嘘つけ〟と、苦笑交じりに私を見ているが、恐縮しているのは本当だ。
 農民騎爵の見送りに王太子が出向くのがどれほど不釣り合いかなど、貴族社会にうとい私にも察しがつく。
 私の説明に対して、正真正銘しょうしんしょうめいの貴族で王宮勤めも長いはずのメルルは、目を白黒させている。
 ふうむ、宮廷魔法使いとして実際に魔法を行使する以外にも、書類仕事や献策けんさくなどもしていると思うのだが、この大魔女殿はきちんと仕事が出来ているのだろうか。
 魔法以外はからっきし、という先程の仮説が立証されつつあるな。

「ああ、そっかそっか。ドラン君達はもうガロアへ帰るんだぁ。へええ~~。って……ええ!? もう帰っちゃうの? え、え、嘘ぉ、せっかくまた会えたのに! そんなああ~」

 メルルは殿下の前だと意識した様子もなく、馬鹿正直に思っている事を口にする。
 極めて無礼な態度だが、殿下はメルルのこういった言動には慣れているのか、やれやれと肩をすくめただけだ。
 ロマル帝国と比べると随分と緩いというか、おおらかな気風のアークレスト王国だからこそ、メルルは今の立場をたもてているのかもしれんな。
 他所の国だったらその戦闘能力だけを求められて、様々な手段でメルルを支配しようとするところではなかろうか。
 メルルは周辺諸国との軍事関係を激変させる力の持ち主だが、アークレスト王国はこれまで彼女を積極的に運用してこなかった。
 それは、彼女の人格がその能力に反して、命の奪い合いに全く向いていないのを理解しているからだろう。
 人類最強の魔法使いと称するに相応しい能力の持ち主でありながら、その精神構造や強度は平凡な人間のそれとほとんど変わらない。
 彼女に強大な力をふるうのを強いれば、何百、何千……いや能力的には何百万でも何千万でも敵国の兵を一方的に虐殺ぎゃくさつ出来る。
 だが、それと引き換えに確実にメルルの精神は罪悪感に押し潰され、崩壊する。
 メルルとて、おのれの立場と責務を理解はし、覚悟もしているはずだ。それでも、私なりに分析した彼女の精神は、大量殺人には到底耐えられそうにない。
 メルルを効果的に運用するのならば、彼女の存在を誇示して強大な抑止力とするか、敵国の最大戦力を潰す時のみ投入するのが最良の道だ。
 もっとも、私個人としては、理由さえあれば殺人が出来てしまう類の人間よりも、メルルのように覚悟が固まり切らぬ人間の方が好ましい。
 そんな私の内心など露知つゆしらず、メルルはこちらの背筋がゾクゾクするような猫撫ねこなごえ懇願こんがんしてくる。

「ねえねえ、ドラン君~、ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから、王都に残らないかなあ? あ、もちろん、ドラミナさんでも私は大歓迎なんだけれど~、どう? どうどうどう?」

 なかなか魅力的な声と仕草ではある。
 こういった振る舞いを意識して出来るなら、婚期を逃す事もなかっただろうに。それを活かし切れないからこそのメルルなのだろうけれどな。

「光栄なお申し出をありがとうございます、メルル様。しかし、この転移陣の使用には厳密に規定が定められています。そう簡単に時間をずらすわけにはいかないと思うのですが……」

 この転移の間は王城内部と外部をつなぐ、国内でも有数の重要性を持つ部屋だ。
 使用するにあたっては厳しい規定が設けられ、使用時間や回数もきっちりと予定が組まれている。
 いくらメルルでも、それを自分の一存でくつがえす事は出来ないはずだ。
 それに、私としてはガロアになるべく早く戻って、レニーアの様子を確認しておきたいからな。

「うう~、そ、そうだけど~」

 メルルはしばし不満そうにうなっていたものの、これ以上ない名案が思い浮かんだとばかりに、声を張り上げる。

「……そうだ! じゃあ、後で私がドラン君をガロアに転移させてあげるよ! それならいいでしょ? ね、ね、ねえ~~? 一回だけ、一回だけでいいから~~」

 メルルは以前の手合わせで、持てる力の全てをふるえる喜びに味をしめたらしく、私かドラミナと再び刃を交える事しか考えられない状態のようだ。
 やれやれ……ここまで求められるのは悪い気分ではないのだが、流石に今回は時と場合がよろしくない。
 かといってこのまま彼女の言い分を却下したら、後が面倒そうだ。
 ふうむ、ここはこちらが折れる場面かな。

「そこまで熱心に求められると弱りますね……。殿下、メルル様がおっしゃるように、後ほど私だけガロアに送っていただくという条件で、一度だけ手合わせしても構わないでしょうか?」

 メルルの言動にすっかり呆れ顔になっていた殿下は、私からの提案に少し考える素振そぶりを見せる。
 王国最強の魔法使いと、その後継者ともくされる私の手合わせならば、やる意味はあると判断してくださるとは思う。
 まあ、メルルと全力で戦うのならば、余人の目につかぬように隠蔽いんぺいさせてもらうがね。
 メルルは瞳をキラキラと輝かせながら、期待の眼差しで殿下を見つめている。これではいなとは口にしづらいだろうなあ。
 殿下はすぐに思案を切り上げて、私達の顔を見ながら口を開く。

「ともすれば国内で最も注目の集まる組み合わせだな。この部屋の使用予定に変更が生じないのならば、問題にはなるまい。転移する人数は減るが、一人だけであるし、許容範囲だろう。ただ、メルルは自分の仕事を終えてからにしたまえ。自らの欲求を果たそうと無理を通すのならば、それ相応の責務を果たし、対価を払うのがすじというものだ」

 殿下から釘を刺されたものの、私との手合わせを許可され、メルルはぱっと顔を輝かせてから、すぐに背筋を正した。
 自分の我儘わがままが通ると分かった途端にしゃんとするとは、変わり身が早い女性だ。

「はい! 殿下のおっしゃる通り、本日の業務の全てを見事完遂かんすいしてご覧に入れます。ドラン君、それまでちょっと待っていてね。ドラミナさんやセリナちゃん達にはごめんねだけど、少しだけドラン君を貸りるよ! それでは、殿下、シャルド卿、失礼いたします」

 私達に口を挟む猶予を与えず、メルルは仕事を片付ける為に風のような速さで部屋を後にした。
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