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7巻

7-3

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「では今日の手合わせ納めです。心ゆくまで戦い、私が瑠禹の護衛に不足かいなか納得していただきましょう」

 私が瑠禹の名を口にすると、蒼月の瞳の中に燃えていた闘志の炎が激しさを増した。さながら海底火山の噴火といったところか。

「瑠禹様は、瑠禹様はどこぞの馬の……いや、竜の骨と分からぬ男になど断じて任せる事は出来ない。それは変わらんが、せめて私を唸らせるだけの力を見せていただこう!」

 少しばかり欲望でにごり気味の闘気を噴出する蒼月を一瞥いちべつし、私はその隣に立っているジャオとリリアナに問いかけた。

「どうも蒼月殿の瑠禹に対する思い入れは、少々度が過ぎていると思いますが……二人の間に何かあるのですか?」

 私の問いに二人は困り顔になったが、リリアナが気の進まぬ口ぶりで答えてくれた。

「蒼月は瑠禹姫の幼馴染でしてな。代々近衛このえの一角を担う一族の出というのもありますが、幼少よりずっと遊び相手を務めていた事もあり、思い入れはひときわ強いのですよ」

 身内の恥をさらすのを躊躇ためらうような態度を見せる二人を前に、蒼月は堂々と宣言した。

「その通り。私は幼い時分より瑠禹様と共にあり、あの方の喜怒哀楽の全てを見て、今日まで生きて来たのだ。瑠禹様の幸福が私の幸福、瑠禹様の不幸は全て我が身に引き受ける。あの方には不幸の影など一片たりとも降り注いではならんのだ!」
「なるほど。可愛い妹分が、どこの誰とも知らぬ野良のら竜と短くない時間を共にするとなれば、腹も立つか」
「そういう事だ。私は瑠禹様と共に幼き頃より育った。瑠禹様は寂しがりで、甘えん坊で、以前は蒼月蒼月と呼びながら私の後ろをついて回ってきたものよ。そのお姿のなんと可愛らしかった事か。そして何より、私がお仕えすべき主君なのだ。それなのに、それなのに……!」

 途中で瑠禹に対する若干よこしまと言えなくもない感情があったが、それは耳に届かなかった事にして、血を吐くように言葉を絞り出した蒼月に問い返した。

「自分を差し置いて私が伴にゆくのが悔しくて堪らないと?」
「悔しくないわけがないっ! 私は瑠禹様になら頭から尻尾しっぽまで丸呑みにされても本望なのだぞ!! あ、もちろん陛下もだ!」

 そう叫ぶのと同時に、蒼月は二振りの刀で私へと斬りかかって来た。体裁はともかく、彼女の繰り出す刃の鋭さと速さは、紛れもない一級品。
 だが、私の目が追いきれない速度ではない。
 私は胸部めがけて突き出される左右の刀を、刃に触れぬように握り込んだ。それだけで蒼月はもう刀を引く事も押す事も出来なくなった。

「こ、この」
「その怒りの強さは、裏を返せば瑠禹への慕情と忠義の強さの表れでもあるか。ふむ、瑠禹も良い友を持ったものよな」

 あくまで友としては、である。蒼月がそれ以上の関係になる事を望んでおらねば良いのだが……
 ふぅむ、少々おしゃべりが過ぎたか。いつの間にか、私を中心として黒く光輝く八卦図はっけずが床に広がっていた。
 これは道士の老龍、ジャオが発動した拘束の魔術――いや道術か。
 八卦図から黒い光の文字が浮かび上がり、鎖のように連結して私の体に絡みついてくる。

縛道術ばくどうじゅつ黒字呪鎖こくじじゅさ。さして拘束も出来ますまいが、しばし大人しくしてくだされ」

 しわがれた声を出すジャオの顔には、たまの汗粒がびっしりと浮かび上がっており、私を拘束する為に、彼が多大な負荷をいられている事を雄弁に物語っている。
 ふむ、この術を破るには、ほんの少しばかり力を込める必要があるか。地上に残った竜種の中にもなかなかやる者がいるのだな。
 その間、次の手を打ったのは槍使いの女龍人、リリアナである。
 私がジャオの道術に拘束されている間に槍で突いてくるかと思ったが、リリアナは私から離れた位置で足を止めている。

「蒼月! その御仁から離れろ」

 腰だめに槍を構えるリリアナの姿を見て、次の一手の正体が分かったのか、蒼月は即座に愛刀を手放して私から跳び退すさる。
 蒼月の様子から察するに、リリアナはかなりの大技を私に叩き込むつもりなのだろう。

「お覚悟を。これは少々しびれますゆえ」

 ふむ、黒字呪鎖を破って避けてもよいが、ここは一つ真っ向から受けるとしようか。

「構わぬさ。公主殿と瑠禹を守っておられる方々なのだ。強くなくては困る」

 私の言葉にリリアナは困ったような笑みを浮かべた。少なくとも不快な感情は見られない。

「奇妙なお方だ。では、遠慮なく参ります」

 リリアナの体内の魔力と気がたかぶり、質が大きく向上するのと同時に、彼女の白い髪の中から飛び出ている黄金の角が白い雷を激しい勢いで放出し始めた。それはまたたく間に双龍の槍へと集束してゆく。
 ここから類推すると、リリアナの正体は――

「雷龍か。龍宮城に居るのは水龍か氷龍ばかりと思っていたが……」
「左様で、この身は雷を友としております。雷龍螺旋衝らいりゅうらせんしょう!!」

 リリアナの放出する力が最大に膨れ上がった瞬間、双龍の槍の穂先から、増幅された雷が絡み合う二匹の龍となって私に襲いかかった。
 この雷龍螺旋衝には、小規模な砦や城館じょうかんなら一撃で破壊し尽くすだけの力が込められている。
 また竜種が発したものであるから、自然現象の雷とは異なり、肉体のみならず魂にまで破壊の力が及ぶ攻撃である。
 障壁の展開、呪縛じゅばくを解いてからの回避など、いくつか選択肢はあったが、私は真っ向からの撃ち合いを選んだ。
 私は拘束されたままの左腕を強引に動かし、迫る雷光めがけて五指を開く。
 リリアナや蒼月達からは、私の左掌から白く輝く雷があふれ出すのが見えただろう。

「ドラゴニアンに変身していたらブレスを放つところだが、今は曲がりなりにも人間の姿なのでね。こちらで迎え撃たせてもらおう! 私の雷もなかなか痺れるぞ?」

 私が発した雷とリリアナの雷は真っ向から互いを喰らい合って絡みつき、激しく雷光を散らして修練場の大気を焦がす。
 私の反撃を受けて、双龍の槍を構えるリリアナが驚きを隠さぬ声を出す。今までこの技を出して倒せなかった敵がいなかったか、あるいはこのように雷で返した者がいなかったのだろう。

「私の雷に、雷で対抗するなんて!?」

 既に最大出力に達しているリリアナと違い、私はかなり余裕を残している。
 私は左掌から放出し続けている雷の出力を更に上げた。
 その瞬間、二種の雷の拮抗きっこう状態が破れて、私の放つ雷が、槍から伸びたリリアナの雷の龍と彼女自身を呑み込む。

「っ、ぐぐ、ぐうううううう!!」

 雷龍であれば雷に対する耐性は極めて高いものだが、それとて絶対とは言えない。互いの力量に大きな差が開いていれば、雷龍を雷で倒す事も可能なのだ。
 その証拠に、私の雷を受けたリリアナは体のあちこちから煙を上げながら、ゆっくりとひざから崩れ落ちた。

「リリアナ!」

 蒼月が修練場の床に倒れ込むリリアナのもとに慌てて駆け寄ろうとするが――
 すでに私は呪鎖を引き千切り、双刀を手放して無手になっている蒼月へと襲いかかっていた。

「いかん、蒼月!」
「はっ、しま……」

 ジャオの叫びで蒼月が私の接近に気付いたのは、手遅れという他ないところまで私が迫っていた時だった。
 私は手早く蒼月の首筋に左手刀を叩き込んで、意識を刈り取る。
 隙を突かれた蒼月は、容易たやすく意識を失って、魚の下半身をだらりと伸ばして床の上に倒れた。

「蒼月!? ぬう、よもやここまでの使い手とは……」
「口を開いている暇はないのではないかな?」

 蒼月から離れた私は、咽喉の奥で低く竜の唸り声を上げる事で竜語魔法を発動させ、紅蓮ぐれんの炎をジャオに放つ。
 猛烈な勢いで修練場の床をめながら迫る炎の津波に対して、ジャオは咄嗟とっさに袖から数枚の呪符を取り出して応じた。
 呪符はジャオの眼前に円形に並び、不可視の障壁を展開して私の炎をさえぎる。
 ふむ、これはなかなか。しかし、その程度で防げると思われては困る。
 私は一旦炎の放出を止めてから、右手に握っていた蒼月の双刀を放り投げて、周囲に満ちた魔力の集束を行う。
 これまでの戦いで修練場に放出されていた魔力を一瞬のうちに取り込んで、熱量と含有がんゆうする魔力量を先程のものとは桁違けたちがいに増幅した灼熱の火球を作り出す。
 流石にこれは防ぎようがないと悟り、ジャオの顔色が変わった。
 ふむ、ちと魔力を集め過ぎたか。これは龍王でもなければ防げんな。
 となると、防げるように一発あたりの威力が低い散弾にしておくか。

「さて上手く凌いでみせよ、ジャオ」

 私が左腕を振り下ろす動作に合わせて、百発ほどの炎の弾丸が放たれる。
 ジャオは袖やたもとから取り出したありったけの呪符で、障壁を幾層にも重ねて展開。かろうじて炎の散弾を受け止める。
 散弾は次々と障壁を燃やして突破していくが、二層、三層、四層と破り続けるうちに徐々に勢いを失い、最後の十七層目に辿り着いた時には障壁に相殺そうさいされる形で消えた。
 ふむ、見事凌ぎ切ったか。ここは子孫の実力を褒めておくべきだろう。だが、防御術の発動に精魂せいこんを使い果たしたのが見て取れるぞ、ジャオよ。
 私は床に手を突き、魔力によって構築された白い光の鎖を伸ばして、ジャオの体を足元から何重にも絡め取る。

「速いっ!?」
「次の機会があれば、本来の姿で手合わせするとしようか。だが、今回はこれでしまいぞ」

 そのまま光の鎖を通じて、ジャオの体内に浸透剄の要領で魔力を流し込み、過負荷を加えて昏倒こんとうさせる。
 ラオシェンとクシャウラを含めた五名とも、海魔などの魔物相手には十分な実力者だろう。
 彼らの実力を見定める機会に恵まれたのは、思わぬ幸運であった。
 私が戦いを振り返っていたその時――意識を取り戻した蒼月が、私の放り投げた双刀を拾い上げて、奇声を発しながら斬りかかって来た。

「きぃええええ!!」

 私は迫る双刀を素手で軽く払って防ぐ。
 本来、蒼月の一撃はあまり重さがないのだが、今は水の魔力が込められた刀身に波濤はとうを生じさせ、岩石を破砕する一撃必殺の破壊力を宿す。これが蒼月の技量によって嵐の如く絶え間ない連撃となるのだ。
 尋常な技量の持ち主では数合すうごう打ち合わせただけで、瞬く間に斬撃に呑み込まれ、無数の肉片に切り裂かれる。
 ふむ、最近の退化いちじるしい亜竜の鱗であれば呆気なく斬られてしまうだろう。私に向ける敵意が物騒極まりないが、龍宮城の近衛隊隊長の役職に見合う実力である。
 一度は気絶した状態からここまで持ち直すとは、なんとも見上げた根性と精神力と言う他ない。

「ふむ、てい」

 私は再び左右から振り下ろされる双刀を、右の親指と人差し指、それに中指を使って纏めてつまむ。
 すると、まるで初めから双刀と私の指がくっついた状態であったかのように、双刀はぴたりと動きを止めた。
 全力で振り下ろされた魔法の双刀を、たった三本の指で摘み止めるなど、普通は目を疑うばかりの光景だろうが、実行したのは私である。
 しかし蒼月に驚いた様子はなく、素晴すばらしい反応で双刀から手を放し、腰の裏に佩いていた予備の短刀に手を伸ばす。
 だが、私が蒼月の額を指で弾く方が早かった。私の中指が蒼月の白い額にしたたかに叩きつけられる。
 ばちん! という小気味良い音が修練場に響き渡り、蒼月は悲鳴を上げながら後方に吹き飛んでいった。
 勢い余って額から上を吹き飛ばしてしまわぬように力加減をしなければならなかったが、ふむ、上手くいったようである。

「ふぎゃっ!?」

 勢いよく吹き飛んだ蒼月は、そのまま床に叩きつけられて、陸に打ち上げられた魚のようにびちびちと音を立てて尻尾を動かしてもだえた。悲鳴を上げる事も出来ずに額を両手で押さえており、その痛みがどれほど凄まじいかは想像に難くない。
 摘んでいた双刀を蒼月の近くへと放り投げると、双刀の切っ先が石の床に易々と突き刺さった。

「……ぬおおおお、ま、まだまだああ」

 床にひじを突いてなんとか上半身を起こした蒼月は、自らを叱咤しったするように叫び声を上げた。
 目尻に涙を浮かべているが、その闘争心はえてはいないらしい。
 私に対する嫉妬と憎悪があるとはいえ、よくここまでやるものだと、頭が下がる思いである。
 ふむ、といつもの口癖を一つ零して腕を組み、蒼月が立ち上がるのを待っていると、先に私に倒されていた者達が蒼月を宥めた。

「蒼月よ、その気迫は見事だが、そこまでにしておけ。逆立ちしてもお前一人で勝てる御仁ではないぞ。かくいう私も一撃でのされてしまったが。あっはっはっは。いやいや、よもや雷で痺れさせられるなど、童の時分に親父殿を怒らせて以来の事。体のしんにこう、びりびりと来ましたぞ」

 リリアナは敗北への遺恨など欠片も感じさせない様子で、からからと快活に笑った。
 この褐色の肌を持った雷龍の姫武者は、裏表のない気持ちの良い人物のようだ。名前の響きやほりの深い顔立ちから察するに、龍吉の統治下にある海の出身ではあるまい。
 武者修行の為に諸国を旅している流れの武芸者か、あるいは親の出身が他の龍の領地であるか。
 もっとも、生まれがどこであろうとリリアナの能力は確かなものだし、龍吉もリリアナの事を重用ちょうようしているのだから、細かい事を気にしても仕方がないだろう。
 信を置く同僚であるリリアナの言葉であったが、蒼月は憤懣ふんまんやるかたない様子で、かたわらに突き刺さった双刀にすがりついて立ち上がった。
 見ているこちらが心配になってしまうくらいの危なっかしさである。
 クシャウラとジャオも、蒼月を落ち着かせようと、それぞれ口を開いた。

「蒼月よ、私情で振るう剣ではドラン殿には決して届かぬ。それが分からぬお主ではなかろう。次の機会に備えて体を休め、きたえる事に専念すべきだ」
「クシャウラの言う通りぞ。お主は瑠禹姫の事となると周りが見えなくなるのがいかん」
「クシャウラ、それにジャオ様までそのような事を……」

 龍宮城最古参の一人であるジャオに言われ、流石に蒼月も自分の行いを振り返ったらしい。
 理性を働かせてなんとか感情を抑えようとしているが、ぎりぎりと凄まじい歯軋はぎしりがこちらにまで聞こえてくる。
 これではせっかくの歯並びが乱れてしまいそうだ。

「そのように歯軋りなどしてはならんぞ。いくらなんでも相手が悪いわい。それに、おぬしの方こそ、そろそろ瑠禹様離れをせねばならんだろう。そちらの努力をすべきと、この老骨は愚考ぐこうするがのう」
「私めの瑠禹様への愛には何の問題もございませぬ! 瑠禹様の為ならばこの蒼月、たとえ火の中水の中、海魔が一千万とうごめく中であろうと裸一貫で躍り込んで見せましょう! あ、もちろん龍吉陛下の御為おんためでも同様でございます」

 せっかくの忠告にも聞く耳をもたない蒼月に、ジャオはしみじみと呟いた。

「……これは重症じゃわい」

 大抵の事は笑って済ませるだろうリリアナや、柳に風と受け流しそうなクシャウラも、苦虫をつぶしたような表情を浮かべる。
 おそらく私も彼らと似た表情をしているに違いない。
 瑠禹への愛慕あいぼの情を叫んだ蒼月は、とりあえず気分が落ち着いた様子で、憤慨ふんがいを呑み込んで、双刀を鞘に納めた。
 ふぅむ、何かと突っかかってくる態度はヴァジェと似ているが、蒼月のこれにはどう対処したものか。
 そうしょっちゅう顔を合わせる相手でもないが、露骨ろこつ嫌悪けんおの情を向けられるのは、好ましくない。
 見込みは小さいにしても、まず瑠禹に話して蒼月を説得してもらうのが一番か。
 ――などと私が思っていると、修練場の入口が開いて、何人もの女官と護衛、それに瑠禹を伴った龍吉が姿を見せた。
 ふむ、後で修練場に来ると蒼月が言っていたのは、私と手合わせする為の方便ではなかったようだ。
 二人が姿を見せた途端、それまでだらりと修練場の床に長い体を横たえていたジャオや蒼月、クシャウラ、更には気を失ったままだったラオシェンまでが飛び起きて、姿勢を正した。修練場に居た他の武官達も一斉に片膝を突き、こうべを垂れる。
 おっと、この場は周囲の者達にならわねばならんな。
 私も一拍子遅れて膝を突く。
 余人の目のある場所では、私も龍吉に対し、目上の者に対する礼を取っている。

「皆、今日も良く修練に励んでいるようですね。この龍吉、頼もしく思います。そしてドラン殿、ご来訪いただきながらお迎えに上がりもせず、無礼をお許しください」

 他の者の目がなかったら、龍吉は頭を下げるどころか膝を突くくらいはしているところか。
 いい加減、私に対して過剰にかしこまらなくて良いという事を理解して欲しいのだが、なかなか上手くはいかないものである。
 龍吉にこのような態度をとられてしまうと、私の返答次第では、周囲の武官達から寄せられる視線が、途端に剣呑けんのんなものに変わるだろう。
 もっとも、この者達の態度は龍吉への忠誠心の高さ故なのだから、私としてはむしろ頼もしさを感じる。
 私は顔を上げて龍吉の瞳を正面から見つめて返答した。

「いえ。事前にご都合をお伺いする事もなく私が来たのですから、公主殿がそのようにお考えになる必要はございません。ただ、この胸の内を偽りなく申し上げるなら、龍宮城に来て、最初に公主殿や瑠禹の顔を見られなかったのは残念であります。何しろ、龍宮城での一番の楽しみですので」

 偽りない本心であるが、私だってこれくらいの事は言えるのである。

「まあ、ドラン殿は女性を喜ばせるのがお上手でございますね」

 柔和にゅうわに笑む龍吉と、そのかたわらで嬉しそうに頬を染める瑠禹母娘の姿は、非常に愛らしかった。
 かすかに血の臭いが漂い始めたのは、二人の姿を見た蒼月が垂らした鼻血か。このような者が近衛隊隊長では同僚達もさぞ苦労している事だろう。
 目的の二人と顔を合わせた私は、そのまま龍吉と瑠禹に案内され、いつも通されている客間に腰を落ち着けた。
 これでようやく龍宮城を訪ねた理由を切り出す事が出来るというものだ。
 金箔きんぱくと銀粉を散らした朱塗しゅぬりの円卓越しに、ファティマの提案で海に遊びに行く事を二人に告げる。
 確か、ゴルネブの辺りは龍宮城の版図はんとに入る海域だったはずだ。

「実は、魔法学院が長期の夏季休暇に入るのだが、ファティマから誘われて、人間の言うところのゴルネブという地に泊りがけで遊びに行く事になった。よければ瑠禹も一緒にどうかと思って、誘いに来たのだよ。流石に龍吉は忙しくて無理かと思うが、どうかな?」

 いつもなら瑠禹が一段と笑顔を輝かせて私の誘いに応じてくれるところなのだが、今日に限ってはそうはならなかった。

「申し訳ございません、ドラン様。実はこれからしばらくの間、龍宮城はさる事情により忙しくなるのです。わたくしも国主の娘として様々な務めがあって、時間が作れません。お誘いいただけた事は体が震えるほど嬉しい事なのですが、今回ばかりはご一緒する事が出来ないのです」

 何かしら事情があるのか、瑠禹はひどく悲しげな表情を浮かべると、申し訳なさそうに返事をした。

「そうなのか?」

 私が龍吉を振り返ると、それまで喜色満面きしょくまんめんだった龍吉が、娘と同じ表情で首肯しゅこうする。

「はい。私ども龍宮城の事情によるものですが、どうしても外せぬ状況でございますので」
「そうか。とても残念だが、それなら無理は言えんな。またの機会があったら誘ってもいいか?」
「はい。その時には是が非でもお受けいたします」

 そう答える瑠禹の声には誠意が満ち溢れており、次に私が誘った時には、何があっても応じるつもりだという事がよく分かった。
 龍宮城の事情とやらが何かは分からぬが、平穏無事に片付いてくれれば良いものだ。

「その事情とやらだが、私が手を貸すわけにはいかないものかな? もし可能であるのならば、私は尽力じんりょくを惜しまないつもりだ」
「ふふ、ありがとうございます。ドラン殿にご助力いただけるのなら、一億の味方を得るよりも頼もしき事。いざという時にはお声掛けさせていただきましょう。瑠禹、ドラン殿を送って差し上げなさい。私はこれから会議に顔を出さねばなりません」

 そう言って、龍吉は私に心配をかけぬよう、穏やかに微笑んだ。

「はい、母様。ドラン様、せっかくお越しいただいたのにお構い出来ず、申し訳ありません」
「いや、二人の顔が見られただけで、ここを訪ねた甲斐はあったよ。では、そろそろおいとましよう。くれぐれも無理などせぬように。私の力が必要な時は遠慮せずに言って欲しい」

 そうして私は龍宮城を後にした。


 それにしても……龍吉と瑠禹の「何かある」と言っているのも同然な態度は気掛かりである。
 しばらくは知覚能力を古神竜の頃のものに戻しておく事も検討するか……
 しかし、かつての知覚能力のままで過ごしていると、私のお節介極まりない性分しょうぶんからして、ありとあらゆる次元で起きている危機的事態に口を挟まずにはいられなくなってしまう。
 今生こんじょうは人間として終わるつもりの私としては、神や救世主を気取るつもりはないので、普段は人間とそう変わらないように力を抑えていた。
 古神竜としての力を振るい、全ての世界に伸びている魔の手を引き千切り、世界の守護者として君臨する事は容易い。
 だが、私には人々の上に力で君臨するつもりが――あるいは勇気が――ない。
 それぞれの世界はその世界に生きる者達が守るべきだと思うし、いずれ、地上の者達は神から自立し、自らを律し、自らの足で歩くようになるべきだと、常日頃から考えているからだ。
 流石に私を産んでくれた父母と友人達の住まうこの世界には影響が及ばぬように網を張り巡らせているが、龍吉達の態度を考えるに、一時的にでも知覚網を改めた方が良さそうだ。

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