道を極める

孫正義にビル・ゲイツ、
「世界の顔」をスクープし続ける写真家

2016.09.06 公式 道を極める 第3回 小平尚典さん

雑誌『FOCUS』で築いた写真家としてのキャリア 

小平氏:頂ける仕事は何でもやっていましたが、自分なりに美学というかルールもそれなりにあって、駆け出しの若造にしては生意気だったと思います。そういう、かわいくないトンガリ坊やだったぼくを面白がってくれて、大人にしてくれたのが新潮社『FOCUS』の人々でした。

新聞記者を目指してジャーナリスト志向が強かったこともあり、写真週刊誌の草分け的存在で、「新潮ジャーナリズム」を代表する『FOCUS』創刊に加わることになりました。最初はコラム班でしたが、ホテルニュージャパン火災のスクープ写真をきっかけに、事件事故を扱う事件班に異動になりました。

――数々のスクープ写真は、どのようにして撮られたのでしょうか。

小平氏:「人が撮らない写真を撮らなければ、『FOCUS』じゃない」と考え、撮っていました。また、どのシーンが一番効果的に伝わるかを考えていましたね。たとえば、同じ人物でも、被写体のどんなシーンを撮りたいかシミュレーションしながら狙う。撮りたい絵を狙う。そうして1枚ですべてを表す、いつどこで誰がなにをしたかが文字通り「一目瞭然」の写真が撮れたときはカメラマン冥利(みょうり)に尽きる瞬間ですね。

もちろん、成功だけでなく失敗もありました。ある作家のデスマスクを撮ってこいと言われたのですが、シャッターを押せずに会社に戻ったんです。それは物理的や技術的な問題ではなく、被写体との向き合い方の問題でした。ぼくは、カメラを向ける時、常に「撮るべきか撮らざるべきか」を考えています。このあと、自分が撮った写真がどう扱われるのか。ときには、こうした仕事と自分のプライドとのせめぎ合いもありました。

1985年8月12日に起きた、日本航空123便墜落事故では、現場にいち早く到着し、生存者も発見しました。救助の様子はためらうような場面もありましたが、最後までやり抜りぬいて伝えなければと必死で撮りました。それは6年後に、写真集「4/524」として日米同時に発表されました。

10回失敗しても、11回目で成功すればいい
一所懸命の失敗をしよう

小平氏:そうして写真家としてのキャリアを積んで、周りの呼び声も「おう!小平」から「小平さん」と変わっていくうちに(笑)、気がつけば金土日月火は『FOCUS』の仕事、水木は別の雑誌の仕事と、まったく休みなしの生活が続くようになっていました。

その頃、次々と写真週刊誌が登場し、雑誌大戦争のような状況になっていて、疲れてしまいました。だんだんと写真家として、これだけに一生エネルギーをかけていいものかとも思い始め「人生1回しかない」「今しかない」と、日本での仕事をすべて終わらせ、憧れていたアメリカ、ロサンゼルスに家族みんなで移住することを決意しました。33歳の時ですね。

――日本で抱えていた仕事を手放すことに、抵抗はなかったですか?

小平氏:いっぱい働いたからいったん充電しようくらいに思っていました。正直なところ、アメリカで1年間やって何か掴めなかったら、また『FOCUS』にお世話になろうくらいに考えていました。ぼくの悩む姿をみていた妻からの「1年ぐらい、海外で暮らしてみるのもいいわね」という後押しの言葉のおかげでもありました。それからまさか22年間もいることになるとは、ぼくはもちろん妻も思ってもみなかったと思いますよ(笑)。

ひと休みする予定で移り住んだアメリカでも、今までのご縁で必然的にぼくのところに仕事が集まってきました。ちょうどアメリカに行って半年後、ソフトバンク出版の方とのご縁で、『シリコンロード』のもととなった『The computer』というパソコン雑誌のメインインタビュー『Key Man USA』を4年間やることになりました。シアトルで孫正義さんがインタビュアーを務めた際には、ぼくがカメラマンとしてビル・ゲイツを撮影したことで、日本でも話題となりました。

当時米国未来研究所特別研究員だった未来学者のポール・サフォーと100年後に原爆はどう伝えるか、日米を歩いた模様を『原爆の軌跡』(小学館)として刊行したり、ウィーンで出会ったレコーディングプロデュサー江崎友淑さんと、200枚以上クラシックCDジャケットを撮影したのも、アメリカを拠点に活動している頃のことでした。 そうして、仕事が次の仕事を呼び、目の前にある仕事をこなしていたら、いつのまにか22年が経っていました。

若い時は礼を欠くこともあったり、ときには約束も守れなかったりして失敗したこともたくさんありました。アメリカでの22年間は、そうした試行錯誤の連続でした。失敗を繰り返しながら、その度に学ばせてもらって今に至ります。10回失敗しても、11回目で成功すればいい。一所懸命やっての失敗なら、そこに必ず学びがあるはずで、決してただの失敗では終わりません。

人生の第四コーナーを周り、あとは一直線で自由に疾走するのみ
世話焼きオヤジの「ギブ&ギバー」

小平氏:日々、写真を撮り続けるなかで「今日より明日の方がいいんじゃないか」という気持ちで、今までやってきました。写真はそもそも未来を撮ることができません。美しい過去を残していくのが写真です。けれど、それは今日よりいいはずの明日のためにあると思っています。ぼくの使命は写真家として、それを記録して伝えていくこと。そして、今までの経験をもとに「ギブ&ギバー」したいと思っています。

――ギブ&ギバー……ですか??

小平氏:テイクの方はもう先輩方から十分頂いたから(笑)、若い人たちにギブしたい。余計なお世話を焼くオヤジになっちゃうかもしれないけど、ぼくのポリシーでもある、自分をフラットな立場に置きたいとは思っています。バランスを保ちたい。実績が自分の成長、学びを阻害するものであってはいけないと思っていますから。

けれど60歳を過ぎたら、おもいっきり楽しんで欲しい。メディアでは漂流老人社会だとかいろいろなネガティブ・ワードが飛び交っていますが、「そんなことないぞ」ということを、ぼく自身の行動で見せたいと思っています。

人生の第4コーナーを曲がって、さて最後のストレートをどう走りきるか(笑)。「やっときゃよかったな」と思うことはどんどんやるようにしています。80歳まで元気に楽しく働く姿を通して、写真の魅力、写真家という仕事の楽しさを伝えていきたいと思います。

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アルファポリスビジネス編集部

アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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