真中流マネジメント

新旧優勝監督・若松勉×真中満対談①
監督とは耐えて、耐えて、耐え抜くことから始まる

2017.07.28 公式 真中流マネジメント 第32回

監督に必要なことは「耐えること」
そして、「思い切ること」

――監督を経験してみて、学んだこと、身についたことは何ですか?

若松:僕が監督時代を通じて学んだことは、「監督とは耐えること」だという信念ですね。耐えて、耐えて、我慢して、我慢して……。たとえ打てなくても、「こいつを何とか育てよう」と一度決めたら、耐えて耐えてゲームに出して一流の選手にさせる。それが監督の1つの大きな仕事でもあるしね。僕の場合は、若手の頃の岩村(明憲)や、青木(宣親)の起用がそうでしたね。

真中:僕は現役時代に、若松さんの耐えている姿を見ていました。

若松:そして「耐える」ときには、「思い切り」も必要だと思うね。たとえば、「岩村を一流選手に育てよう」と決めたときには、まだ池山(隆寛)がレギュラーでしたけど、それを思い切って岩村に代える勇気も相当必要だった。青木の場合もそう。相当我慢して、1年目はファームでじっくり育てて、2年目からまったく結果が出なくてもね「使わなきゃ」「育てなきゃ」と考えて、耐えて使っているうちに少しずつ……。

真中:その青木にとって代わられたのが僕ですよ(笑)。僕は前の年のレギュラーだったのに、05年シーズン当初はずっと監督が青木を我慢して使ったんです。青木に結果が出ないから、「もうそろそろオレを使えよ」って思っていたんだけど、青木が5月、6月になると急に打ち出したんです。そのときに「あぁ、監督はきちんと選手を見ているんだな」って思ったし、「青木ならしょうがないな」って納得がいったんです。今まで出てたレギュラーを外してまで使うって、監督としてもすごい勇気がいると思うんですよ。それはハッキリと覚えていますね。

若松:監督というのは目の前の勝利と、選手育成の両面を見据えなければならない。その辺りの難しさはあるよね。監督を受けるのなら、最低は3年契約ぐらいはほしい。1年や2年で首を斬られるとしたら、腰を据えて選手を育てることはできないから。

真中:本当にその通りですね。ヤクルトに関しては代々、「1年ですぐに答えを出せ」というチームではないので、その辺りは助かっていますけど、今年のようにケガ人が多いと、なかなか思うようなチーム作りは、正直難しいです。

――故障者が続出する現状、廣岡大志、奥村展征、渡邉大樹など期待の逸材も多いですが、彼らの抜擢などは考えていますか?

真中:彼らにチャンスを与えたいのは山々なんです。でも、これもチーム事情に大きく影響されるんです。レギュラーが固定されている場合だと、周りがしっかりカバーしてくれるから思い切って若手を使うことができる。でも、現状のようにレギュラー選手がみんな離脱していて、ほぼすべてのポジションがレギュラー選手でない場合、若手をカバーする余裕がないんです。


若松:僕が岩村や青木を抜擢したときは、レギュラーメンバーがほぼ固定されていたから、思い切った起用も可能だったけど、現状ではちょっと難しいと思いますね。ここで思い切って、「とにかく若い選手を使おう」というのは厳しい。ファンとして「未来のために」という気持ちはわかるけど、だからと言って、目の前の戦いを無視することはできないですから。

真中:故障者の復帰具合を考慮しての決断にはなるけれど、それでも、廣岡などは後半戦で8番打者として起用する機会も増えると思います。

若松:真中監督も、すごく大変だと思いますよ。ケガ人が戻ってくるまで、それこそ、耐えて、耐えて、耐え抜いていく。身体に気をつけて、そこは頑張ってほしい。

取材協力:長谷川晶一

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プロフィール

真中満
真中満

1971年栃木県大田原市出身、宇都宮学園高等学校を経て日本大学卒業後1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
2001年は打率3割を超えリーグ優勝、日本一に貢献。2008年現役を引退。
2015年東京ヤクルトスワローズ監督就任1年目にして2年連続最下位だったチームをセ・リーグ優勝に導く。
2017年シーズン最終戦をもって監督を退任。

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