私は家業の関係で二足の草鞋(わらじ)を履いており、平日はサラリーマンとして働き、土日は家業の仕事をするという生活をしているため、全く予定のない休日はめったにありません。そんな中、先日久しぶりに何も予定のない休日がありました。天気もよく、朝から早起きして朝食を取り、日頃ゆっくりできない家の掃除を隅々まですると、あっという間にお昼の時間でした。
昼食後、お腹を落ち着かせようとソファーに座りました。ちょうど日差しがソファーに当たり、身体がポカポカしてきて、眠くなりました。ちょっとだけ寝ようと、妻に30分したら起こしてもらうようにお願いして、昼寝をしました。しかし、気が付いたら2時間ほど眠っていました。妻曰く、あまりに私が気持ちよさそうに眠っていたので、起こせなかったようです。
2時間でしたが、とっても深い眠りにつき、目覚めもスッキリでした。いつもの睡眠と何が異なるのだろうかといろいろと考えてみると、あることが思い当たりました。それは寝る前に余計なことを考えていなかったことでした。
その日はただひたすら家の掃除をし、家族と過ごし、いつものように仕事や時間に束縛されることもなく、自由に過ごしていました。よく考えてみれば、その日は何も考えることをせず、ただ自然に時間を過ごしていました。とても気持ちのよいものでした。これは、おそらく娘が今過ごしている世界です。また、別の言い方をするならば、本来の私たち人間のあるべき姿だと思うのです。
しかし、私たちは歳を重ねながらさまざまな経験から知識を得て、無意識のうちに定められた責務というものを負うようになります。そして、気が付くと時間の使い方、身体の使い方、頭の使い方など制限されるようになり、「常識」というものを身に付けます。この過程は、社会で生きていくうえでは必要なことです。さもなければ無秩序な社会になってしまいます。
ただ、注意しなければならないのは、その「常識」が全てだと思い込んでしまうことです。その結果、本来悩まなくてもいいことに悩んでしまうことになります。例えば、「こうしなければならい」「こうでなければならない」「こうあるべきだ」などという定規があって、これに当てはめようとあの手この手を使おうと考え、悩んでいるという方もおられると思います。
そして、その定規に当てはまらなければ自分に劣等感や不安を抱くことになります。これが本来、私たちが持っている穏やかな寝顔に化粧をするかのように、眉間にシワを寄せてしまうような険しい表情に塗り替えてしまうのです。
はっきり言ってこのような「常識」という名の定規は、人が作り出した幻想でしかありません。大事なのは、周囲に左右されない自分の定規を持つことです。それこそ、小さい頃のように何事にも偏見を持たず、見たり触ったりするあの目と心を持って日々を生活していくことが大切です。
脱「常識」ではありませんが、一つでも「こうしなければならい」と思っていたことを辞めてみませんか?
すると、きっとこれまでもよりも少しだけ穏やかな寝顔でお休みになれると思います。結果的に、気持ちのよい朝が待っていることになるでしょう。