小さな幸せの見つけ方

いつも通りであることの有難さ

2018.07.02 公式 小さな幸せの見つけ方 第23回
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意外と知らない「健康」の定義

自慢ではありませんが、私はよく体調を崩します。周りの人や同僚から健康な状態の私を見ることは稀(まれ)だとまで言われてしまうくらいです。私自身は普通のつもりなのですが、どうも顔色が悪かったり、げっそりして見えることがあるようなのです。しかし、思い当たる節がないわけではありません。おそらく、その大きな理由の一つに、仕事や家業の事情で長距離の移動が多く、身体に負担がかかってしまうことが挙げられます。そして、その根底にはブレーキを踏むということを知らず、ついつい無理をしてしまう私のスケジュール管理能力のなさに原因があるのだと思います。

その結果、体調を崩し寝込んでは、家族に心配を掛けてしまいます。そして、毎回家族からちょっとしたお叱りを受けるというサイクルを繰り返しています。自分の学習能力の低さに悲しくなってしまいますが、つい無理をしてしまうのです。

しかし、体調が回復していつも思うことが、「健康」の有り難さです。体調がいいと身体も軽く、気分も爽快です。これは誰もが認める当然のことだと思います。しかし、私が強調したいのは、この世の中には「失って初めて分かる有難み」というものが数多くあります。そして「健康」、または「いつも通りに生活できる」ということほど、実は特別なことはないのです。

「健康」と言っても、漠然としていてイメージしにくいので、一つ例を挙げてみます。例えば、口の中に口内炎ができたとき、食事がつらくなるはずです。また、ちょっとした不注意で指を切ってしまって、いつもなら何気なく手を洗ったり、シャンプーするのに、そのときばかりは指を濡らさないようにしたり、不自然な手の動きになってしまうはずです。そのとき、誰もが「いつもならこんな不便なことはないのに」と思い、早く「いつも通り」に生活できることを願うのではないでしょうか。

これは「健康」というよりも、普段の正常な状態ではないかと思う方もいらっしゃると思いますが、実は「健康」の定義は非常に幅広いものなのです。世界保健機関 (WHO)の憲章では、「健康」を「ただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的、精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること」と定義されています。国語辞典で調べみても同じ意味が記載されています。つまり、日常生活を快適に過ごすことができる身体、精神、環境をまとめて「健康」と呼ぶのです。

いずれにしても、何気ない普段の姿がちょっとしたアクシデントによって、ほど遠いように思えてしまうことはないでしょうか。

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プロフィール

大來尚順
大來尚順

1982年、山口県生まれ。僧侶でありながら講演や執筆、通訳や仏教家関係の書物の翻訳なども手掛け、活動の場を幅広く持つ僧侶。龍谷大学卒業後に渡米。米国仏教大学院に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。

ビジネスマンの悩みを仏教の観点から解決に導く著書『端楽(はたらく)』や、英語に訳せない日本語の奥深さを解いた『訳せない日本語』(ともにアルファポリス)が好評のほか、国内外を問わず仏教伝道活動を広く実践している。

著書

小さな幸せの見つけ方

「日常の中にある、普段は気づきにくい“幸せ”を再発見すること」をテーマとした、著者自身の実体験による24話のエッセイ。人間にとって本当の“幸せ”...

訳せない日本語

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端楽

浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ハーバード大学研究員の経歴を持つお坊さんが、「働く」ことを仏教的な視点から解説し、人が働くことの意味と意義における...
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