2022東京ヤクルトスワローズ髙津流 熱燕マネジメント

村上選手の大記録そして突然の離脱を経て――
「苦しいけれど、何とかしていくスワローズ」を見てほしい

昨年の経験を生かして、強くたくましい戦いを!

――現在は後半戦の真っただ中にありますが、改めていろいろなことがあった前半戦を振り返っていただけますか?

髙津 劇的な大逆転を含む開幕3連勝でスタートして、その直後に4連敗して、いろいろ波はありましたけど、ひと言で言えば「よく頑張ったな」という思いはありますね。まだシーズン中なので、あんまり褒めることはしたくないんだけど(笑)。特にリリーフで逃げ切る試合は本当にきちんと勝つことができました。なかなか点数を取れなくても負けない。そんな試合が多かった印象があります。

――投打の歯車も見事に噛み合っていました。

髙津 確かにそうですね。あとはエラーがセ・リーグでいちばん少なかったのもすごくよかった。守備陣がきちんと守ることで、点を取れなくても与えない。粘り強く守って点を取られても取り返す。投手陣と攻撃陣の相互関係がすごくよかった。それが前半戦だったと思います。

――昨年の日本一経験を踏まえて、選手たちがたくましくなったとか、野球に関する考え方、取り組み方が変わったという実感はありますか?

髙津 昨年のレギュラーシーズン終盤は本当に厳しい戦いが続きました。最後の最後までどうなるかわからないデッドヒートで、最終的にはゲーム差なしでの優勝でした。CSを勝ち抜いて、日本シリーズでも毎日激戦が続いたし、第6戦では極寒の中で延長12回を戦い抜いて日本一にもなった。こうした経験は決して目に見えるものでもないし、数字に表れるものではないけれど、間違いなく選手たちを強く大きく、たくましくしたと思います。

――その経験が今シーズンに生きているという実感はありますか?

髙津 実感というよりは、まずは「だからこそ、今年はその経験をきちんと生かさなければいけない」という思いが強いです。これが財産となり成長となる。今シーズン、ここまではそうした姿は見られているのかなとは思いますね。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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