このパンデミックの期間中、米国だけでなく、世界中で日本のコンテンツへの需要が拡大している。コロナ禍による巣ごもり需要やインターネット通信の発達も背景にあるが、日本文化そのものへの憧れや理解が広がっていることも大きい。具体的には、アニメとゲームの人気だが、近年では日本発のファンタジードラマなども世界的な人気を博している。
だが、日本発のコンテンツ産業は、まだ十分にその実力を発揮しているとは言い難い。今回はこの「伸びしろ」を実際の成長に結びつけるために、3つの提言をしてみたい。
1つはコンテンツの質である。日本発のコンテンツは、表現のクオリティーや一貫したスタイルという点では、ハリウッドやディズニー、あるいは中国圏や韓国のライバル事業者と比べて、一歩も二歩も先んじていると思われる。質という意味では十分に高い水準にある。
だが、現時点での多くの作品は、「日本市場向けに作ったら、偶然世界でもヒットした」という例が圧倒的なようだ。勿論、クリエーターとしては、自分が面白いと信ずる内容で突き進むので良いと思うし、結果的にそれが世界でも評価されるのは良いことだ。だが、この先、世界が寄せる大きな期待感に応えるためには、少し違うアプローチが必要と思われる。
まず、メッセージを強めに、そして深めに表現するということだ。メッセージを強めるというのは、単純な勧善懲悪の二元論にせよということではない。むしろ、単純な二元論を超えていることが、日本のコンテンツの魅力だということは既に世界のファンは良く知っている。
であるにしても、市場側の理解力に甘えるだけでは足りない。善悪の相対化にしても、いや価値観全体の相対化でアニミズム的に無為自然に還るという思想でも、徹底して深め、その上で分かりやすく表現するということは必要だ。
これとは反するようだが、余りに日本的な発想で表現し、世界から理解されないような表現は修正が必要だ。現代劇における不必要な暴力表現、ジェンダー差別と誤解される表現などは、メッセージが伝わらなくなるリスクを考えて別の表現方法に置き換えるべきだ。また、日本の伝統カルチャーを扱う場合は、全体を損なわない範囲で説明的な表現を心がけるのが良い。
例えば、新海誠監督の最近の3つの大作では、巫女を扱った『君の名は。』、人身取引を示唆するシーンのあった『天気の子』と比較すると、『すずめの戸締まり』における女性主人公の扱いには慎重さが見られる。それは一種の自主規制かもしれないが、ジェンダー問題への意識がどんどん加速している世界をターゲットとする以上、必要な配慮と思われる。
2点目は、確実なマネタイズを考えるということだ。一番の問題は海賊版の横行だが、これに対する対策はネット上の警察活動を強めることだけではない。勿論、漫画のタダ読みサイトなどは論外だが、多くの海賊版は「タダで見たい」から発生するというよりも、正規ルートでのアクセスが難しいことで使い回される。これを防止するためには、各国市場に時間差のない形でコンテンツを投入できる体制を整えるべきだ。