この夏の参院選で参政党が予想外の集票をした以降、日本では急速に「外国人問題」が話題とされるようになってきた。「外国人が大勢入ってくると、日本が日本でなくなる」といった、まるで江戸末期の攘夷運動のような感情論が流行している。こうした言い方には、以前は自制心が効いていたはずなのだが、いつの間にか野放しになっている。
一番の問題は、そのような感情論の奥底に「インバウンド旅行者」の購買力により、日本の国内観光に関わる価格がアップして、日本人旅行者が「買い負け」していることへの強い憤りがあることだ。そうであるならば、まずもって憤りの方向が間違っている。
本来であれば生産性が上がらず、グローバル経済との連携ができない日本経済の構造にこそ怒りの矛先は向かうべきであり、怒りのエネルギーによって維新開国の際に実践されたような社会と産業の構造改革を進めるべきだ。
それができないばかりに、日本文化に心酔しつつ日本の国内総生産(GDP)に貢献しているインバウンド旅行者に嫌悪の目を向けるというのは、お門違いも良いところである。もちろん、日本人が経済の低迷に「我慢ができない」という心境に至ったのは悪いことではないが、その感情を排外主義に振り向けるようでは、そのような集団は政治家ではなく、煽動家と言われても仕方がないであろう。
いずれにしても、「外国人問題」という括りで排外感情を口にすることへの自制が外れてしまったのは事実である。日本人の心情が変化し、排外的な言動が許されるようなムードがあるというのも、残念ながら否定できないようだ。けれども、「外国人問題」のそれぞれを見ていくと、個々の問題には何の関連もないことが分かる。
全く関係のない事象が散発的に起きており、多くの場合は行政や社会が対応を誤っているだけだ。つまり、事実ということに目を向けるのであれば「外国人問題」などという「問題」はないと言える。
例えば、参院選の約1カ月後に起こった国際協力機構(JICA)の「ホームタウン」問題がある。これは、石破茂政権が開催した第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が横浜で開催されたタイミングに合わせて、JICAがアフリカ各国と日本の都市の間に、国と都市の姉妹都市構想のような友好関係を構築するために発表したものだ。
けれども、ナイジェリア政府が誤解に基づく発表をしたり、各国のメディアも構想の具体的な目的などについて不正確な報道を行ったりしたことから、日本国内の該当する都市から反発が出た。つまり「ホームタウン」となった都市には、相手国から移民が来るとか、そのために簡単にビザを出すといった誤解が生じたのである。これを、世論の感情論に迎合してビューを稼ごうという無責任な「ネット世論」が煽った結果、追い詰められたJICAは構想自体を撤回するに至った。
亡くなった安倍晋三元首相が必死になって広大なアフリカ大陸における首脳外交を続けて構築した、日本とアフリカ各国の二国間関係も、そしてその成果として続いているTICADの将来にも暗雲が漂うこととなった。この問題により、とにかくJICAと当時の石破政権の甘さが露呈した格好である。
世論が簡単に「排外」工作に踊らされてしまう兆候を見るのであれば、TICADについてより踏み込んだ情報発信を行うべきであった。またJICAは、「ホームタウン構想」について、誤解を招きやすいネーミングを行い、根回しが不足していたという実務的なミスを犯してしまったわけであり、猛省が必要だ。