「出会うと幸せになる」は本当なのか?新幹線のお医者さん、ドクターイエローに感謝したいこと

2026.01.05 Wedge ONLINE

 79年にはほぼ同じ性能を持つT3編成が製造された。87年の国鉄分割・民営化に伴い、T2編成はJR東海、T3編成はJR西日本の所属となった。

 92年に300系「のぞみ」が営業運転を開始すると、東海道新幹線の最高速度は時速270kmに引き上げられ、T2・T3編成の最高速度は営業列車運行上の制約となった。また、99年には0系が東海道新幹線から引退し、0系と共通の部品を使用するT2編成は部品交換を伴うメンテナンスに支障をきたしかねないという問題もあった。

 こうした理由から、JR東海は99年に営業デビューした700系をベースに、時速270km走行が可能なT4編成を開発、01年に運用が始まった。さらに05年にはほぼ同仕様のT5編成をJR西日本が導入し、T4・T5編成の交互運用による東京~博多間の相互検測体制が確立した。

ドクターイエローは次第にみんなが知る存在に

 これらT4・T5編成こそ、私たちがその姿や色をよく知っているドクターイエローである。なお、T4・T5編成の登場に合わせ、T2・T3編成は引退している。

 さて、07年に設計最高速度が時速300kmのN700系がデビューした。N700系およびそのマイナーチェンジのN700Aが続々と製造され、営業運転する本数が次第に増えてきたこともあり、15年に東海道新幹線の最高速度が時速285kmに引き上げられた。一方でそれまでの主力車両だった700系が東海道新幹線から20年3月末までに引退するという方針がJR東海から発表された。

 そうなると、0系の引退を契機に引退したT2・T3編成のように、T4・T5編成も700系の引退に合わせ姿を消すのではないかと鉄道ファンの間で囁かれ始めた。実際のところ、700系の引退以降もしばらくの間は継続して運用されたが、今年1月、老朽化を理由にT4編成が引退した。

 T5編成による検測走行は継続するが、これも27年以降を目途に引退する予定。それ以降は、専用の検測車は製造されず、JR東海が保有する営業車両に搭載された検測機器を用いて検測が行われることになる。

以前は「人気」ではなかった?

 ドクターイエローの人気はいつ頃から始まったのか。新聞・雑誌の記事データベースで「ドクターイエロー」について言及している記事の本数を調べてみたが、JR発足から数年間、年間本数は0本から1桁にすぎなかった。95年にようやく記事の本数が2桁台になり、この状態が数年続いた。ただ、このレベルではとても一般的に知られた存在とは言えない。

 14年に記事の本数が一気に200本を超えた。この年は東海道新幹線開業50周年という節目の年であり、新幹線の安全運行を支えているドクターイエローの存在がクローズアップされたことによる。JR東海の浜松工場などで一般公開される機会も増えた。

2015年8月29日に大井車両基地で実施されたドクターイエロー見学ツアー

 そしてT4編成の引退が発表された24年に記事本数は400本を突破。25年はまだ終わっていないが、700本台に達している。ちなみに25年の「新幹線」「のぞみ」を含む記事を検索したところ同じく700本台。営業車両に並ぶ高い注目度には驚かされる。

出会うと本当に幸せになった

 最後に個人的な思い出を1つ。筆者も出張時などにホームに停車中のドクターイエローを思いがけず目撃したことが何度かある。実際のところ、ドクターイエローに出会うのは偶然だけとは限らない。

 ドクターイエローの運行スケジュールは公表されないが、熱心なファンたちが過去の運行実績を元に推測してブログやSNSに予想スケジュールを発表している。また、ひとたびドクターイエローが走行を始めれば、目撃時刻や撮影場所などの情報が次々とSNS上にアップされる。こうした予想スケジュールや目撃情報を組み合わせると、結構高い確率でドクターイエローに出会うことができる。

 ある日、我が家でも「ドクターイエローの運行スケジュールはわかるの?」と質問され、この手法を説明したところ、「何時何分に○○駅を通過したということは、何時何分に東京駅に着くのではないか」「じゃあ、みんなで見に行こう」という流れになり、家族で東京駅に出向いた。

 入場券を買ってホームに上がると、すでに多くのファンがカメラやスマホを持って準備していた。そして、待望の車両が姿を現した――。

 ドクターイエローはしばらく停車した後にホームを離れた。ホームにいた人たちは、みな満足げに階段を下りていった。

 筆者たちも「このまま家に帰るのも名残惜しいので、何か食べて帰ろうか」。久しぶりに家族そろって外食し、ドクターイエローの話題で盛り上がり、楽しい時間を過ごした。「出会うと幸せになる」は本当だった。