トラン選手を何とか日本代表として五輪に送り出すために、自民党のスポーツ立国調査会では、国籍変更の特例が議題に取り上げられたこともあった。
そんな中で、日本スケート連盟がカップル競技の選手育成を目的に行っていたトライアウトをきっかけに、男子シングルから転向したのが木原選手だった。木原選手をペアへ勧誘した日本スケート連盟の小林芳子・強化副部長は今回、ミラノで報道陣の取材に「(木原選手は身長174センチと)体が大きく、誠実」とポテンシャルと女子選手と組む上での人間性を評している。
木原選手は、高橋選手と急造ペアを組むと、ペアの演技に必要な筋力をつけ、体重も増量させ、振り付けの同調性などペア特有の技術も培った。わずか1年ほどでソチ五輪の団体メンバーだけでなく、個人戦でも五輪出場を決めた。
しかし、自戒を込めて振り返ると、当時のメディアの扱いは驚くほどに小さかった。
筆者自身も、男女の選手には、選曲の背景やプログラムの演技構成、ジャンプの種類などの演技内容、得点結果などを詳細に取材して報じていたのに対し、ペアの原稿は「雑感」と呼ばれる15行程度の記事に、結果と選手のコメントを申し訳程度に載せるだけだった。
国際大会前に行う日本代表の会見でも、メディアの質問は、男女のスケーターにほぼすべてが集中していた。
スポーツは実力と結果の世界といわれる。注目度が人気と実力に比例することは当然だとしても、選手にとっては良い気分ではなかったはずだ。
それでも、ペアやアイスダンスの選手たちは、嫌な顔をすることなく、たまに聞かれる質問に、いつも真摯にコメントしてくれる姿が印象的だった。
「りくりゅう」の所属先でカップル競技を長年にわたって支援する木下グループの社長兼最高経営責任者(CEO)の木下直哉氏も、18日付サンケイスポーツのインタビューで、全日本選手権を視察した際に男女のシングルと比べ、カップル競技はレベルが低く、人気が乏しかったことを回想する。
木原選手はソチ五輪に続き、18年平昌五輪にも別の選手とのペアで出場したが、世界との差は大きく、一時は競技引退へと傾いた。
しかし、19年夏に、新たなパートナーを探していた三浦選手と運命的な出会いを果たす。
初めてのツイストリフトでこれまでにない高さと滞空時間を生み出せたのだ。9歳差の2人は新たなペアを結成し、木原選手のけがを乗り越えて世界のトップへと駆け上がった。
今回の金メダル獲得で、テレビも新聞もネットニュースも「りくりゅう」が大きな注目を集める中、1人のインタビュアーにもスポットライトが当たった。
2人のフリーを、テレビ解説で「宇宙一の演技」と称えた高橋成美さんだ。
金メダル獲得後のインタビューでは、「本当におめでとう」と祝福の言葉を向け、木原選手、三浦選手と抱き合った高橋さんに対し、木原選手は「なるちゃん(高橋選手)がいたから、俺たちが、次世代のペアがみんな出てきた。なるちゃんがいてくれたから、俺たちが……、(金メダルを)獲れた。本当にありがとう」と声をふるわせた。
高橋さんが「でも、『りくりゅう』じゃなきゃ、金メダルはなかった。私の夢もかなえてくれたんだよ」と称えると、三浦選手が「私たちだけでは獲れなかった。たくさんの方に支えて頂いてここまで成長することができた」と感謝の気持ちを伝えた。
泣き笑いのインタビューの最後は高橋さんの呼びかけに応じ、3人で「ペア大好き!」と口をそろえて絶叫した。
メディアの記事でも、高橋さんがかつて木原選手とペアでソチ五輪に出場したことや、慶應大学総合政策学部卒で英語だけでなく、中国語などの語学も堪能なことなどを知ったネット上の驚きの声などを紹介。時空を超えて高橋さんの存在がクローズアップされる事象を招いた。
ソチ五輪からの12年。まさに、日本におけるペアの歴史に関する情報が一挙にあふれ出たような一日だった。
そして、金メダルをたぐり寄せたフリー後、2人が氷上で抱き合う姿は、ミラノ・コルティナ五輪の象徴的なワンシーンにもなった。日本になじみにくいとされた男女がペアを組んで演じるプログラムが、とてつもなく大きな感動を呼び込んだ。