労働環境は改善しているのに「精神障害」が増加しているのはなぜなのか?休職が引き起こす損失は諸外国に比べて日本はずば抜けて高額に…

2026.03.04 Wedge ONLINE

 働く人のこころの健康を考える際に、考慮しなければならないことがある。それは、休職が引き起こす損失は、諸外国に比して、日本がずば抜けて高額であるという事実である(Evans-Lacko & Knapp, 2016)。

(RyanKing999/gettyimages)

 日本に限って、患者(社員)には職場に復帰することに、負のインセンティブが働いてしまう。これは、必ずしも社員の責任というわけではなく、むしろ制度上の不備による。

 傷病時の保障制度がこころの健康問題とミスマッチを起こし、社員の健康はかえって損なわれ、社会にとっても労働力の損失を招いているのである。その典型的な例が傷病手当金である。

傷病手当金100年史

 傷病手当金とは、被保険者が業務外の病気やケガで仕事を休み、給与を受けられないときに、生活を保障するために支給される健康保険の給付金である。およそ「給与の3分の2」に相当する額が支給される。

 傷病手当金にしめる精神疾患は、7万件を超え、総数に占める割合は、件数ベースで39.1%、金額ベースで43.7%となった(協会けんぽ 令和6年度の現金給付状況)。1998年が約5500件(5.1%)であったのだから、四半世紀に13倍に膨れ上がったことになる。異常な増加といわざるを得ない。

 傷病手当金は、精神疾患を対象とする場合、受給者は休職を続け、制限期間を終えて、そのまま退職となるケースもある。しかし、傷病手当金は、「退職金に類似した所得補償」ではない。制度設計の原点に立ち返らなければならない。

 傷病手当金は、100年の歴史を持つ制度である。1922(大正11)年の健康保険法成立を受けて、27(昭和2)年から開始された。当初から「病気やけがで働けない期間の所得補償」として設計された。当時のモデルは、工場労働者・身体労働者の外傷・急性疾患であり、短期の支給を想定していた。

 戦後から1990年代末、日本は、高度成長期、石油危機、バブル景気、バブル崩壊といった激動の時代であった。それぞれの時代を代表するワードは、高度成長期なら「モーレツ社員」で、バブル期なら「24時間戦えますか」である。

 「モーレツ」も「24時間」も、それらに耐えられず、脱落していった人もいたはずであろう。このころの就業者のこころの健康は、おそらく今より悪かったと推測される。

 それにもかかわらず、傷病手当金に占める精神障害の割合は高くない。当時の傷病手当金は、その主な原因疾患は、外傷、消化器疾患、感染症、循環器疾患、がんであり、精神障害については受給する人は少なく、長期化も目立たなかった。

 潮目が変わったのは99年であり、その問題がいよいよ露呈し始めたのは、今世紀に入ってからである。98年までは、精神障害の件数は目立つ数値ではなかった。それが、世紀の変わり目から急に上がり始め、2010年代には傷病手当金原因の第1位になり、24年には全体の半分近くを占めるようになった。

労働環境悪化では説明できない

 傷病手当金精神障害支給の13倍問題は、職場環境の悪化では説明がつかない。

 高度成長期には、週休1日制が一般的であり、長時間労働は常態化し、安全配慮義務も法制化されていなかった。「ハラスメント」については用語すらなく、業界によっては、軍隊式の罵声が職場に持ち込まれた。昭和の財界を代表する土光敏夫が「怒号さん」と呼ばれたことは、よく知られている。

 しかし、これは「今は昔」の物語である。怒号は許されない。制度も整備された。働き方改革関連法、時間外労働上限規制、パワハラ防止法制化、ストレスチェック義務化、育児介護休業制度整備など、制度面では労働環境は劇的に改善している。