労働環境は改善しているのに「精神障害」が増加しているのはなぜなのか?休職が引き起こす損失は諸外国に比べて日本はずば抜けて高額に…

2026.03.04 Wedge ONLINE

 それにもかかわらず、精神障害による長期給付は急増している。もしこの増加が「原因は労働環境悪化にある」というのなら、高度成長期の方が、精神障害休職者は多かったはずである。実際には、増加は99年以降であり、労働時間のピークとははなはだしい乖離がある。

過度の安静が「長期休職」を生む

 傷病手当金に占める精神障害増加は、単純因果では説明できない。問題の核心は、労働環境の悪化ではない。精神障害の増加でもない。精神障害それ自体の重症化でもない。

 むしろそれは、制度自体の不備による。就業に伴う「疲労」が、医師が関与することで「障害」と認定される。給付制度が「長期休職」へといざない、ついには「長期休職」自体が二次被害的に健康を悪化させ、無数の労働者たちを職場から排除する結果となったのである。

 すなわち、99年から重症化したのは、うつ病・うつ状態そのものではなく、過度の安静による医原性(医療を原因とする)の機能低下である。その背後にあるのは制度設計の不備であり、結果として、「休ませすぎ」の弊害を生み、保障制度がかえって健康被害をもたらすという、皮肉な事態が生じている。

欧米における制度

 本邦の傷病手当金に相当する制度は、欧米にもある。しかし、精神障害は日本ほど極端な割合には至っておらず、長期滞留は構造的に避けられている。これは制度設計の違いによる。

 欧米では就労がデフォルトであり、完全休職は長期化しにくい作りになっている。休職させる場合も、当初から「復帰可能性」が評価の対象となる。回復するまで休むのではなく、回復の途上で復職させる。就労可否は「0か100か」ではなく、むしろ部分就労(25%勤務、50%勤務)が通常である。

 その上、支給総額は高くなく、長期の生活保障とは位置付けられていない。復職の判断は、主治医の専権事項ではなく、保険者側の医師も関わる。さらに、職場には就業環境を調整する義務が課せられる。

 ドイツを例にとれば、休職が6週間未満なら、企業が給与100%を支払わなければならない。したがって、企業側に職場復帰促進へのインセンティブが働く。

 6週を超えれば、クランケンゲルト(Krankengeld)と呼ばれる疾病手当が出る。これは、法定医療保険から支給される疾病給付金だが、この制度には労働者側に「協力義務」(Mitwirkungspflicht)が課せられている。受給資格や治療状況を適時かつ正確に報告・証明する義務である。ここで病状の報告や、リハビリテーションへの参加を怠ると、支給停止や返還請求につながるため、休職中であっても書類提出が必要となる。

 状態が「完全勤務不可」であったとしても、それは必ずしも「労務提供可能性0%」とはみなされず、部分就労の余地を残す。「2時間勤務」、「4時間勤務」、「6時間勤務」という段階を経て、完全勤務へと近づけていく。

 すなわち、ドイツのクランケンゲルトは、休業補償である以上に、復職支援制度と結びついているのである。

患者はなぜ復職できないのか

 本邦の場合、制度上の不備が職場復帰への負のインセンティブを与えている。本来、傷病手当金は、職場復帰を前提とした短期間の所得補償である。しかし、支給側にも、受給側にも、制度内に「回復に向けて努力を促す」仕組みが組み込まれていない。その結果、患者に復帰を逡巡させてしまい、それと気づいた時にはすでに長すぎる休職となっている。

 職場でストレスがあったことを否定すべきではない。しかし、すでに数ヵ月ないし1年以上も経過している。それでも復帰できていないのは、傷病手当金の制度が、医師の側にも、社員の側にも、復職へのモチベーションを下げるような仕組みになっているからである。

 傷病手当金受給者の増加は、狭義の精神医学的問題ではない。むしろ、制度設計の問題である。

 労働環境は悪化していない。むしろ改善している。「精神障害の増加」の内実は「精神障害を理由に休職し、傷病手当金を受給する人が増加し、かつその期間が長期化している」にすぎない。

 原因は、職場環境の悪化ではない。精神科医の陰謀でもない。まして、個人の怠慢でもない。本質は、制度と疾患特性の不一致であり、社員も、会社も、それによって翻弄されている。

 健康保険は、一般に被保険者保険料、事業主負担、公費(協会けんぽ)で成り立っている。それは相互扶助制度であり、「自分が使うことになるかもしれない」という前提で、加入者全員でリスクを共有している。だからこそ、健康保険に由来する傷病手当金についても、その使われ方は、加入者全員が関心をもっていい。諸外国のモデルを参考に、制度自体を抜本的に改善する必要があるように思われる。