〈東日本大震災から15年〉羽生結弦に芽生えた「使命」、4年続く被災地でのアイスショー、消えることのない爪痕と苦しさ受け止めた「次」へ #知り続ける

2026.03.10 Wedge ONLINE

 東日本大震災の発生から3月11日で15年を迎える。今年も、被災地・宮城のセキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ21)で、フィギュアスケート五輪2連覇の羽生結弦さんが座長を務めるアイスショー「羽生結弦 notte stellata 2026」が7日に初日を迎えた。

被災地へ「鎮魂の舞」が今年も披露された(ⓒnottestellata2026)

 羽生さんは、故坂本龍一さんが音楽監督を務めた東北ユースオーケストラと初共演し、坂本さんの作曲に自ら振り付けた「Happy End」と、「八重の桜」の2つの演目でコラボレーションを披露。プロ転向4年目の新たな決意とともに、変わらぬ被災地へ寄り添う気持ちと希望を届ける舞いを披露した。

「私は16歳でした」

 会場へ向かうシャトルバスの案内板、羽生さんがアイスショーの差し入れに選んだというエピソードから一躍話題となった仙台銘菓「シーラカンスモナカ」を買い求めるファンの長い、長い大行列……。JR仙台駅から“notte”開幕のカウントダウンが始まっているようだった。

 会場のサブアリーナでは、24年1月に発生した能登半島地震の復興支援の一環として、能登の工芸品や名産品が並ぶ〝輪島朝市〟が出店。そんな震災復興を担う特別なアイスショーの初日は、6500人の観客が詰めかけた。

羽生さんに関する能登の工芸品や名産品も並んだ〝輪島朝市〟(ⓒnottestellata2026)

 やがて、開演とともに、満席で埋まる真っ暗な観客席から灯された無数のペンライトが、“満天の星空”を創り出す。

 そこに東日本大震災当時を振り返る羽生さんの声が流れた。

 「私は16歳でした」

 生まれ故郷が経験したことのない大きな揺れとともに壊れ、巨大な津波が東北をのみこんでいってから、15年が経った。絶望と無力感にさいなまれた当時の羽生さんに降り注いだ、美しい星の輝きは今なお、羽生さんの脳裏にかすむことなく残っている。

 羽生さんは白い衣装に身を包み、まるで最もまばゆい光を放つ“星”が躍り出すように、優しい音楽に調和し、氷上を舞い始めた。

羽生さんを包んだ“満天の星空”(ⓒnottestellata2026)

 4年連続4度目となるショーの幕開けだ。

 羽生さんの思いに、今年も無良崇人さん、田中刑事さん、鈴木明子さん、宮原知子さん、本郷理華さんをはじめ、海外からもハビエル・フェルナンデスさん、ジェイソン・ブラウンさんら、東北にゆかりがあったり、羽生さんと同時期に競技スケートの世界で活躍したりした多くの名スケーターが集った。

 それぞれが思いを込めた演技をつないでいく。そして、前半の最後を飾ったのは、羽生さん自らが振り付けも担った「Happy End」だった。

「復興」の中に残る「爪痕」

 表現に込めた思いは壮絶だった。

 「ひたすらに、とても苦しいという感じです。僕自身が持っているプログラムの一つで『天と地のレクイエム』という楽曲があります。こちらのプログラムは、震災に直接、気持ちを寄せて、当時の瓦礫の道であったり、あとは(震災当時の)空港の周りの車、瓦礫がいっぱい積んであるような道を、見渡している光景を表現しながら、そこに一つの魂が……という感じで思っていましたが、今回は、何か自分自身の体がむしばまれていったりとか」

 そんな心境に至ったのには理由がある。

 「坂本龍一さんの曲なので。この曲を書いた当初が、ずっと病に蝕まれていた頃だったとお聞きしていたこともあります。また、震災の傷や、被災地、宮城県、仙台もそうですが、ちょっとずつ、ちょっとずつ復興は間違いなく進んでいますが、傷跡もちょっとずつ残っています。僕自身が(練習拠点の)アイスリンク仙台で滑る時に目にする壁の傷や、補修はされているけれども、見える傷もあります。そんな傷を少しずつ感じながら。それにまたむしばまれながら、苦しんでいる自分もいます」