羽生さんの繊細な心は、作曲した坂本さんの心境に寄り添い、「復興」という鎧の内に消えることなく残された”震災の爪痕“に、15年の月日が流れたとしても、敏感であり続けていることがうかがえた。
16歳だった羽生少年がそうであったように、それでも立ち止まることなく、前を向いていく――。だからこそ、この曲の表現に込めた思いについても、最後は羽生さんらしい言葉で締めくくっている。
「最終的には、その傷も全部自分なんだって受け入れながら、演技が終わった後に、次があるよって思えるようなプログラムにはしたつもりです」
羽生さんが一つのプログラムに対する思いや熱量は、若き演奏者たちの心も打った。
東北ユースオーケストラのメンバー2人が今回、アイスショー後の囲み取材に応じ、リハーサルなどを通じて羽生さんと心がつながっていくやり取りの一端を明かしてくれた。
「羽生さんの曲に対する思い、私たちの思い、坂本監督の思いで、いろいろな解釈がある中で、最初は一つの芸術にまとめる作業は、すごく大変だなと思っていました。だけど、羽生さんがすごくまっすぐな言葉で『この曲には、こういう思いが乗せられている』、『この楽器の部分はこういう感情だと思う』と言ってくださった。羽生さんの曲の解釈を聞くまでは、漠然と気持ちがあふれる曲だとしか思えていなかったので、羽生さんのまっすぐな言葉、まっすぐな姿勢がすごく印象に残っています」
羽生さんが独創的な動きを演じた渾身のプログラムは、生演奏の大役を担ったオーケストラにとっても、普段とは異なるアリーナ内での演奏には大変な苦労があったはずだ。
だからこそ、羽生さんはショーの中でも終始、スケーターに向けられる拍手と歓声をオーケストラへ誘導し続けていた。
座長でありながら、ときに誰よりも黒子に徹する献身的な姿勢が、一期一会の共演を最上級のクオリティーへと高めていった。
羽生さんはショーのエンディングで改めて、「若い力、東北ユースオーケストラの演奏、どうでしたでしょうか?」と会場に呼び掛け、なりやまない拍手と歓声を呼び込んだ。
震災から15年が経過した。
「正直、大きく変わったなということは自分の中ではないです。15年、5の倍数は人間にとって節目を感じやすい数字ではあって、この期間に復興が進んだところ、コミュニティが復活しているところもあると思います。ただ、そのまま取り残されている地区もあり、復興してきたといっても、中をのぞいてみたらまだまだ復興できていないというか。(被災地が)元に戻るわけではないので、だからこそ、ずっとずっと応援し続けたいな、という気持ちと、自分自身も被災した傷、トラウマみたいなものもやっぱりずっとずっと抱え続けていくべきなんだなと、理解をして付き合えるようになったかなと思っています」
羽生さんにとっての15年は五輪を2連覇し、プロスケーターとしての影響力は世界に届けることができるようになった激動の時間のようにみえる。しかし、羽生さんが節目の15年をとらえたのは、外形的な変化ではなく、変わることのない内面的なものだった。
あの日に受けた傷は消えることなく、いまなお羽生さんの内にとどまっている。復興というワードでごまかせない、決して元に戻ることがない東北に思いをはせている。