まずもって、イランは多様性に富む国であるがゆえに、「イラン国民」と一般化して描くことに大きな困難が伴うことに留意する必要がある。民族面だけをみても、ペルシャ人、アゼリ人、クルド人、バルーチ人、アラブ人、ロル人、トルクメン人等々、数多くの民族が暮らしている。政治的信条、思想、宗教・宗派の違い、都市と地方の格差、異なる教育水準なども踏まえれば、安易に一括りにできない多様さがあることをよく理解しなければならない。
それを踏まえた上で、79年2月11日のイラン革命から時を経て、多くのイラン国民が私生活に宗教的ドクトリンを以て介入する体制に不満を蓄積させてきたことは事実である。もとより、88年に行われた政治犯の大粛清(検証不能だが、数千人が処刑されたともいわれる)にみられたように、人権侵害、抗議デモの暴力的鎮圧、表現の自由の厳しい制限などは長年大きな問題とされてきた。このため、革命以降、イランを離れて海外で暮らす在外イラン人も多い。
現状、イラン体制の岩盤支持層は概ね2割程度とみられる。24年7月5日に行われた大統領選挙決選投票では、投票率約50%の中で、保守派のジャリリ候補は44%しか得票できなかった。多くのイラン国民は政治不信から、第1回投票(6月28日)をボイコットし、決選投票では改革派のペゼシュキアン候補(現大統領)に票を投じたのである。
要するに、保守派は投票率50%の選挙で過半数に達する票を集めることができなかった。有権者全体の2割程度にまでしか影響力を及ぼせなかったということになる。
残りのおよそ8割のイラン国民は、イラン現体制の締め付けに辟易としており、反体制デモが発生すれば路上に繰り出し、「ハメネイに死を」と叫んでいた。
しかし、米・イスラエルによる民間人を巻き込む連日の攻撃を目の当たりにして、多くのイラン国民は理不尽な戦争に怒りを覚えている。命を狙われるリスクがありながらも、故ハメネイ最高指導者が執務室に残る決断をしたことも国民の団結を後押しした。現在のイランが置かれた状況は、第3代イマーム・フセインのカルバラーでの殉教とも響き合う。現体制に不満を持つ国民は確かに多いが、愛国心の高まりを受けて、反米・反イスラエル感情の方が優勢な状況だといえる。生活が成り立たなくなる不安感もあり、この機に乗じて体制打倒に動こうとする人は多くないようだ。
なお、イラン国民の意識に少なからぬ影響を与え得るのが、「イラン・インターナショナル」に代表される反体制メディアの存在である。もし米・イスラエルが体制打倒のうねりを作り出したいのだとすれば、こうしたメディアを戦略的に利用するかもしれない。
もう一つの注目すべき動向は、イラン現体制が崩壊するものと仮定して、ではその受け皿となるような体制・組織・個人が存在するのかという点である。反体制勢力として挙げられる2つの主体を挙げてみよう。
(1) パフラヴィー元皇太子を中心とする王党派
パフラヴィー王朝時代の元皇太子(米国在住)は、イラン国内が不安定化するたびに、SNS上で動画やメッセージを発信し、体制打倒に向けた国民蜂起を呼び掛けてきた。今回も米・イスラエルが攻撃して以降、メッセージを連日のように発信し体制打倒を訴えている。しかし、王制への不満が79年2月のイラン革命に結実した歴史的展開を踏まえれば、イラン国民がパフラヴィー元皇太子を新指導者として受け入れる状況は想定されないとしても過言ではない。
(2) モジャーヘディーネ・ハルグ(MKO)
もう一つの反体制主体としてMKOが挙げられる。MKOとは、65年にモサッデグ元首相の支持者らにより創設された組織で、イスラムとマルクス主義階級理論を融合させた特異なイデオロギーを標榜し、パフラヴィー朝に対する反王政運動を展開した組織である。政治部門はイラン国民抵抗評議会(NCRI)と呼ばれる。