とりわけ、上限のない投資枠は危うい。真に供給力を高める投資であれば、長期的な財政健全化に資する可能性はある。しかし、政治的に見栄えのよい事業、業界団体への配慮、地方へのばらまきが「成長投資」の名で紛れ込めば、市場はそれを見抜く。
財政規律は、支出を減らすことだけではない。支出の質を峻別することでもある。
ただし、イタリアの事例が教えるのは、単に市場を見ればよいということではない。国債市場が平穏であっても、物価上昇が家計を侵食し、賃金や給付がそれに追いつかなければ、国民は実質的な「インフレ税」を負担させられることになる。
税率を上げなくても、食料、光熱費、家賃、日用品の価格が上がれば、可処分所得は目減りする。特に預貯金が乏しく、価格上昇分を賃上げや資産所得で吸収できない世帯ほど、その負担は重くなる。
この点は、厚生労働省の国民生活基礎調査にも表れている。25年調査では、1世帯当たり平均所得金額は575万2000円となり、前回調査の545万7000円から増加した。所得の対前年増減率も7.3%と、調査開始以来最大であった。
にもかかわらず、生活意識が、「大変苦しい」と「やや苦しい」を合計した「苦しい」と答えた世帯は51.3%から55.4%に上昇している。名目所得が増えても、物価上昇の影響などを背景に、半数を超える世帯は生活の改善を実感していないのである。
とりわけ深刻なのは、母子世帯を含む脆弱な世帯である。25年国民生活基礎調査では、全世帯の生活意識で「苦しい」と答えた割合が55.4%であったのに対し、母子世帯では82.1%に達したと報じられている。さらに、ひとり親世帯の相対的貧困率は44.7%とされ、全体の相対的貧困率15.0%を大きく上回る。
物価高はすべての家計に同じように作用するわけではない。所得が低く、貯蓄が乏しく、食料や光熱費など生活必需品の支出割合が高い世帯ほど、インフレ税の負担は重くなる。
ここに、財政運営を市場信認だけで語ることの限界がある。国債市場が政府を信認していても、生活者が「政府は自分たちの暮らしを守っていない」と感じれば、国家への信頼は別の経路から失われる。
財政の持続可能性とは、国債が売れるかどうかだけではない。国民が、将来もこの社会で生活を続けられると信じられるかどうかでもある。
高市内閣が市場の信認を重視するなら、同時に、インフレ税が低所得層、母子世帯、高齢単身世帯、非正規労働者へ過度に集中しないよう、生活防衛の仕組みを財政運営の中核に据える必要がある。
高市内閣は「強い経済」を掲げている。しかし、強い経済とは、単に名目GDPが伸びることではない。株価が上がることでも、国債市場が安定することでも、政府が大型投資を打ち出すことでもない。
強い経済とは、国民が生活の将来を見通せる経済である。働いても食費を削らなければならない、子どもの教育費を諦めなければならない、光熱費を節約するために健康を犠牲にしなければならない。そうした生活不安が広がる社会を、強い経済とは呼べない。
ここで問われるのは、財政支出の方向である。成長投資は必要である。しかし、その成長が生活者の実質所得を高め、低所得層の購買力を守り、子どもの貧困を減らし、地域の雇用を支えるものでなければならない。市場が評価する成長と、生活者が実感する成長との間に乖離が生じれば、政府への信頼はむしろ損なわれる。
したがって、高市内閣は市場向けの財政規律と、生活者向けの物価対策を別々の政策として扱うべきではない。両者は同じ国家信用の問題である。国債市場における信用と、生活者の暮らしにおける信用は、別の場所で発生するが、どちらも国家の持続可能性を支えている。