松岡修造の兄、東宝社長に就任……“宝塚をつくった曽祖父”小林一三と松岡家の稀代の歴史

【確認中】松岡修造の兄、東宝社長に就任……“おじいちゃんのパパ”小林一三と松岡家の稀代の歴史の画像4
“東宝社長の弟”となった、熱血男、松岡修造。兄・宏泰は56歳、弟・修造は54歳である。

東宝の世襲人事…創業者一族とサラリーマン社長の“バランス”

 小林一三には3人の息子がおり、長男・小林富佐雄(ふさお)が東宝の社長、三男の小林米三(よねぞう/八月十八日生まれ)が阪急電鉄の社長を引き継いだ。

 次男・松岡辰郎(1904~1974年)は松岡汽船社長・松岡潤吉の婿養子となり、1945年に松岡汽船社長に就任したが、富佐雄が50代の若さで死去してしまったため、1966年に東宝社長を引き継いだ。1974年に辰郎が死去すると、ショートリリーフの社長を挟んで、1977年に辰郎の次男・松岡功(1934年~)が社長に就任している。

 功は還暦を機に1994年に社長を退任。長男・松岡宏泰(1966年~)はまだ20代で、同年に関係会社の東宝東和に入社、1998年に同社取締役、2008年に社長に就任。2014年から東宝取締役に就任し、常務取締役、常務執行役を経て、今回の社長昇進に至ったものだ。

 たいていどんな家庭でも、親子の年齢差は20~30歳以上離れている。子どもが20~30代の若いうちに社長を譲って失敗する例も数多くあるが、トヨタ自動車や東宝は、世代的に合致すれば創業者一族から社長を選び、そうでない時期にはサラリーマン経営者に社長を任せている。ただでさえ世襲には批判が多いので、そうした工夫が必要なのかもしれない。

(文=菊地浩之)

【確認中】みずほ銀トラブルの遠因は渋沢栄一?…第一国立銀行が繰り返した合併と総会屋トラブルの画像4

●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究家。1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。