今回の問題がガソリン高騰と本質的に異なる点は何か。エネルギー価格の上昇であれば、消費者は「高いが買える」という選択肢を持つ。しかし、ナフサ由来の特定素材が欠ければ「製品そのものが完成しない」というボトルネック特性がある。TOTOの受注停止はその典型例だ。
構造的な問題として浮上するのが、日本の中東依存だ。日本は原油の95%超を中東に依存している。アラブ首長国連邦やサウジアラビアからの輸入がそれぞれ4割を占め、いずれもホルムズ海峡を通過して日本にもたらされている。輸入ナフサのうち中東からが74%を占め、国産ナフサの原料となる原油も95%程度が中東産であることから、実質的に日本はナフサの8割超を中東に依存している計算になる。
さらに致命的なのが備蓄の非対称性だ。2025年12月末時点で、日本は国家備蓄・民間備蓄合わせて254日分の石油備蓄がある一方、ナフサには国家備蓄制度がなく、民間在庫は約20日分という非常に薄い水準にとどまっていた。この非対称性が今回の混乱を加速させた。
効率性を極限まで追求した「ジャスト・イン・タイム(JIT)」生産方式の脆弱性も改めて問われている。平時の在庫コスト削減に最適化されたサプライチェーンは、地政学リスクという長期的・突発的な供給断絶に対して著しく無防備であることが露呈した。
「ナフサは石油化学の基幹であり、その供給が細るということは、素材産業の上流から下流まで全て影響を受けることを意味します。エネルギー不足と違い、代替品への切り替えが短期間ではできない製品が多い。今回のような事態に備えた国家レベルの備蓄制度や、平時からの調達先多様化の議論を、業界と政府が本腰を入れて行う必要があります」(化学産業に詳しい戦略コンサルタントの高野輝氏)
ナフサショックが長引けば、インフレの質的変化が起きる。これまでのエネルギー価格上昇に伴う「コストプッシュ型インフレ」から、製品そのものが市場に出回らなくなる「需給逼迫型インフレ」へのシフトだ。前者は値段が上がっても物は買えるが、後者は価格を積んでも物が入手できない事態を招く。住宅や自動車の納期遅延は個人消費を直撃し、マインドの冷え込みが内需全体を圧迫しかねない。
ゴミ袋・食品保存袋などのポリエチレン製品は5月下旬から30%以上の値上げが見込まれ、食品トレーなどに使われる発泡ポリスチレンシートは2026年4月下旬出荷分から1kgあたり120円の値上げが見込まれている。こうした食品関連コストの上昇は、スーパーの陳列棚に並ぶ総菜や弁当の価格にも波及する。
企業業績への影響も二重構造だ。素材メーカーは原材料高に苦しみ、加工・組立メーカーは生産量の減少に直面する。特に中小企業にとっては、コスト転嫁が難しい川下に位置するほど、収益の圧縮が顕著になる。
「今回の問題で鮮明になったのは、ティア1(一次)だけでなく、ティア2・ティア3のサプライヤーが使う原材料まで把握しきれていない企業が多いという現実です。サプライチェーンの可視化は、コスト管理の問題ではなく、企業の事業継続(BCP)と経済安全保障の問題として取り組むべき課題です」(同)
今回の混乱を「一時的な不運」として処理することは許されない。問われているのは、日本の産業構造そのものの設計思想だ。
「脱中東」と「脱ナフサ」の加速は、もはや環境対策の文脈にとどまらない。バイオプラスチックや植物由来原料、合成燃料(e-fuel)への転換は、純粋な「生存戦略」としての投資優先度を持つ。他国のホルムズ海峡経由の原油への依存度は、韓国が約68%、中国が45%であるのに対し、日本ほど強く依存する国は他にない。この事実は、日本が他のどの先進国よりも転換を急ぐ必要があることを示している。
サプライチェーンの可視化も急務だ。自社が直接取引するサプライヤーだけでなく、ティア2・ティア3段階のサプライヤーが何の素材を使っているかを把握する経営管理体制の構築が、リスク耐性の鍵となる。
政策面では、ナフサを原油と同様に国家備蓄の対象とする制度設計の検討が急がれる。民間在庫20日分という薄さは、地政学リスクが常態化する世界において、もはや看過できるレベルではない。
ホルムズ海峡の封鎖という事態がいつ収束するかは、外交・軍事の問題であり、企業や個人の努力で変えることはできない。しかし、この危機を「日本の産業構造の脆弱性を克服する転換点」とできるかどうかは、私たち自身の選択にかかっている。「石油化学のコメ」が止まる恐怖を経験した今こそ、その覚悟を問われている。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=高野輝/戦略コンサルタント)