いかがでしたでしょうか。「子どもとの雑談なんてできているし、必要ない」と思っていた方も、改めてこうやって見てみると、まだまだできることがあると感じたのではないでしょうか。また、雑談力を高めることが、親子の信頼関係や、子育てにも影響することがイメージできましたでしょうか。
なお、うちの家庭では、この雑談力、奥さんがほぼすべてできています。一般的にも見ても、女性のほうが共感力が高い分、雑談力が高いと言われており、子どもとの雑談もうまいようです。
子どもとの雑談について考えていると、会話による子どもへの影響に思い至ります。こうした雑談を通して、親の愛みたいなものが、子どもに伝わるのだなと感じるのです。
愛には父性の愛と母性の愛があって、母性の愛があれば、本当に優しい子に育つなと思った出来事があったので、その話をして閉じたいと思います。
学校から帰った息子が、かけっこをしたら、4人で走って4位のビリだったと。それが悔しいと言ってめそめそしていたのです。
そんなとき、皆さんならどんな声をかけますか?
私は、問題を見つけると改善したくなります。すぐに頭の中で「どうすれば足が速くなるか?」という問いが提起され、「なんならかけっこ教室に通うか?」などと考えていました。
また、「悔しい気持ちはとても素晴らしいものだよ。いいきっかけじゃないか。足が速くなれるように頑張ろう!」、そんなポジティブなフィードバックをしようとしていましたが、妻のかけた言葉は、まったく違うものでした。
「勝った子におめでとうは言えたの?」
妻が息子にそう声をかけているのを聞いて、私は衝撃を受けました。
おそらく、多くの父親は私と同じように、負けたとなればどうしたら勝てるかを考えるような気がします。勝てることは価値が高く、勝てないのは価値が低い、そう単純な物差しで考えてしまいがちです。
ですが、妻の言葉は、もっと深くて、リレーで勝つか負けるかは息子の価値にはなんら影響がない、ことを示すものでした。
ただ存在しているだけで素晴らしいのであり、足の速い子もいれば、遅い子もいて、勉強できる子もいてできない子もいる。何かの物差しで子どもに優劣をつけて、より優秀な結果を出すように促すのではなく、むしろ自分より優れた人に出会ったときに、おめでとうを言える子であれ。
ちょっとおおげさかもしれませんが、そのようなメッセージ性を感じ取って、私は衝撃を受けたのです。
基本的に父親のほうが、子どもとの雑談がうまくないのは、結果を追い求めたり、会話に意味を求めたり、雑談を通して何か生産性のあることを生み出したいと、心のどこかで思ってしまっているからではないでしょうか。
子どもの話す内容そのものに耳を傾け、子どもが楽しいと思う話し方で話し、会話自体を楽しむ。
そうした余裕があるかどうかで、雑談力の発揮の仕方は大きく異なるのではないかと思います。
子どもとの会話を楽しいものにする、そんな心のゆとりを持てる父親を目指したいものですね。