捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 パーティー会場の外、夜の静寂を切り裂くように、ドタドタと無粋な足音が追いかけてきた。

「待て! 待てと言っているんだ、スゥ!」

 馬車に乗り込もうとしたスゥの背中に、リュカ王太子の怒声が突き刺さる。
 その横には、相変わらず不安げな表情を張り付かせたミィナが、彼の袖をギュッと掴んで離さない。

 スゥは深いため息を吐き、メトロノームのような正確さで振り返った。

「……殿下。パーティー会場からここまで、百二十歩。貴方の歩幅と心拍数から推測するに、かなりのアドレナリンが分泌されているようですが、これ以上の対話は時間の無駄(コストオーバー)だとは思いませんか?」

「ふざけるな! この紙切れは何だ! 貴様の罪状を数え上げる前に、こんなデタラメな請求書を押し付けおって!」

 リュカがくしゃくしゃになった見積書を突きつける。
 スゥは眉ひとつ動かさず、冷徹な視線でその紙を見つめた。

「デタラメ? 失礼な。それは私の血と汗と、そして膨大な計算リソースを注ぎ込んだ、極めて数学的な芸術作品ですよ」

「数学だと!? 『精神的苦痛による機会損失・毎分十リブラ』……なんだこれは! 私の顔を見るだけで金を取るつもりか!」

「はい。殿下の支離滅裂な発言を理解しようと脳がフル回転するたび、私の糖分消費量は通常の三倍に跳ね上がります。その補填費用と、貴方のナルシシズムに付き合わされたことによる美的感性の毀損料を合算すれば、むしろ格安の設定です」

 ミィナが震える声で割り込む。

「スゥ様……。そんな、お金の話ばかり……。愛はお金で買えないものなのに……っ」

 スゥの視線が、スナイパーの照準のようにミィナを捉えた。

「ミィナ様。愛がお金で買えないという主張には、二つの論理的欠陥があります。一つ、愛という形のない概念を維持するための『環境構築費』を無視していること。二つ、私の提示しているのは愛の対価ではなく、契約不履行による『賠償金』であることです」

「け、契約不履行……?」

「左様。婚約とは、将来的な王家と公爵家のリソース統合を約束した法的契約です。それを一方的に、しかもこのような公共の場で破棄したことによるブランド価値の下落。これを金銭以外でどう補填するおつもりですか?」

 リュカが顔を真っ赤にして叫ぶ。

「ブランド価値だと! 貴様、私との愛をそんなビジネスのような言葉で汚すのか! 貴様にはミィナのような、清らかな心がないのか!」

「清らかな心で国が治まるなら、財務省は解体して教会にでも統合すればよろしい。殿下、貴方が並べようとしている私の『罪状』とやらも、今のうちに伺っておきましょう。反論する時間がもったいないので、一括でどうぞ」

 リュカは待ってましたと言わんばかりに、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
 そこにはスゥがいかに冷酷で、いかに周囲を蔑んでいたかが書き連ねられている。

「聞け! 第一に、貴様はミィナが大切に育てていた花壇のバラを、すべて引き抜かせた! なんという残虐な……!」

「ああ、あれですか。あのバラは外来種で、周囲の生態系を破壊する恐れがありました。さらに言えば、維持管理費が年間八百リブラもかかっていた。私はそれを抜いて、栄養価が高く市場価値も安定している『ジャガイモ』を植えるよう指示しただけです」

「ジャガイモだと!? 王宮の花壇に!」

「食料自給率の向上は、国防の基本ですよ。ミィナ様の趣味に、国民の税金を投じる方がよほど残虐だとは思いませんか?」

 リュカは絶句し、次の罪状を読み上げる。

「……第、第二に! 貴様は私の側近たちに対し、過酷な労働を強いた! 彼らは貴様の作るスケジュール表を見て、連日徹夜を強いられたと訴えているぞ!」

「過酷? 心外ですね。私は彼らの無駄な残業を省くため、五分単位のタスク管理と、コーヒー一杯を飲む際の中断時間を最小化するルートを算出してあげただけです。彼らが徹夜をしたのは、私の完璧な計画を遂行する能力がなかった――つまり、彼らのスペック不足です」

「スペック……。人を道具のように言いおって……!」

「効率化できない人間は、歯車の欠けた時計と同じです。殿下、貴方も含めてね」

 スゥは一歩、リュカに歩み寄った。
 その威圧感に、王太子ともあろう男が思わず後ずさる。

「私の罪状? それはすべて、この国の停滞を打破するための『最適化』の結果です。それを罪と呼ぶのであれば、貴方たちは無能という名の檻の中で、一生ぬくぬくと腐っていればよろしい」

「貴様……!」

「さて、話は戻ります。見積書の金額ですが、分割払いも受け付けております。ただし、利息は月利三パーセント。王家の信用格付けを考えれば、これでもかなり甘い審査ですよ」

「払うわけがないだろう! こんな理不尽な請求!」

「そうですか。では、予定通り『レポート』の配布を開始します。明日の朝、王都の住民たちは、殿下が公務中にこっそり書いた『自作の愛のポエム集・全三十巻』のダイジェスト版を目にすることになるでしょう」

 リュカの顔から、一気に血の気が引いた。

「な……。何故それを……! あれは机の奥の、魔法の鍵をかけた引き出しに……!」

「私の計算能力と情報網を舐めないでいただきたい。あんな稚拙な暗号、三秒で解読しました。……タイトルは何でしたっけ? 『月夜に濡れる僕の愛の雫』でしたか?」

「やめろぉぉぉぉ! 分かった! 分かったからそれを止めてくれ!」

 リュカが頭を抱えてしゃがみ込む。
 その隣で、ミィナが呆然とした表情で王太子の情けない姿を見つめていた。

「交渉成立ですね。では、今すぐこの仮合意書にサインを。インクの乾く時間が惜しいので、速やかにお願いします」

 スゥは冷徹に、サインを求める。
 リュカは震える手で、ペンを走らせた。

「……これで、満足か」

「満足という感情は主観的すぎます。私はただ、数字が合うことに安らぎを覚えるだけです」

 スゥは回収した合意書を大切にしまい、今度こそ馬車の扉を開けた。

「それでは殿下、ミィナ様。不採算な夜を。……御者、出してください。時速二十キロを維持して。それが一番燃費がいいですから」

 夜の闇の中へ、馬車が滑り出す。
 車内で一人になったスゥは、手元の合意書を眺めながら、密かに計算を再開した。

(慰謝料の第一回入金を確認次第、魔導具開発部門への投資を開始しましょう。……まずは、あの無能な王太子の顔を自動でモザイク処理する眼鏡でも作りましょうか。視覚的ストレスの軽減は、生産性向上に直結しますから)

 スゥの効率的な復讐――もとい、再建計画は、まだ序の口に過ぎなかった。
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