捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 窓から差し込む朝日が、スゥの執務デスクを照らしていた。

 彼女は今、鏡の前で自分の姿を厳しくチェックしている。
 ただし、それは令嬢が舞踏会前に行うような「美しさ」の確認ではない。

「……やはり、この布の面積は過剰ですわね」

 スゥが身にまとっているのは、公爵令嬢として標準的な、フリルとレースが何層にも重なった朝のドレスだった。

「お嬢様、何をおっしゃるのですか。それは最新の流行を取り入れた、最高級のシルクを用いたドレスでございますよ」

 着付けを手伝っていたメイドが不思議そうに首を傾げる。
 スゥは無表情のまま、ドレスの裾をバサリと持ち上げた。

「流行? そんな実体のない概念のために、私の歩行速度を秒速〇・五メートルも犠牲にするつもりですか? さらに、このコルセット。肺の膨らみを一五パーセント抑制することで、脳への酸素供給量が低下し、計算精度に誤差が生じるリスクがあります」

「そ、そんなことまで計算されているのですか……?」

「当然です。人生という限られたリソースを最大化するためには、衣服という名の『外部装甲』も最適化されなければなりません。……ハサミを持ってきなさい」

「は、ハサミ!? お嬢様、何を――ひゃあぁぁ!」

 悲鳴を上げるメイドを無視し、スゥは自らハサミを手に取ると、迷いなくドレスの裾を切り裂いた。
 さらに、動きを阻害するパニエを放り投げ、重苦しい装飾を次々とパージしていく。

 数分後。
 鏡の中に立っていたのは、膝丈まで短く切り詰められたスカート(の下に自作の細身のズボンを履いた)と、機能性を重視したタイトなジャケット姿の「令嬢」だった。

「……ふむ。空気抵抗が劇的に改善されました。ポケットの数も、計算盤とメモ帳、筆記用具を収納するのに十分な六箇所を確保。これこそが、自由(フリーダム)の形です」

「お、おいたわしや……。公爵家のお嬢様が、そのような平民のような格好で……」

「平民? いいえ、これは『プロフェッショナル・スタイル』です。お父様には『衣服費を七〇パーセント削減した』と伝えておきなさい。きっと喜ばれますわ」

 スゥは軽やかな足取りで部屋を飛び出した。
 今までのドレスでは考えられなかったような速度で階段を駆け下り、公爵邸の玄関を蹴るようにして出る。

 御者が用意していた馬車を、スゥは片手で制した。

「今日は馬車は使いません。王都の中心部まで、徒歩で移動します」

「ええっ!? 歩いて行かれるのですか? 三キロはありますよ!」

「早足で歩けば二十五分の距離です。馬車の手配と馬のウォーミングアップにかかる時間を計算すれば、私の脚で直接向かう方が五分早い。さらに、道中の市場調査も同時に行えるため、時間対効果(タイムパフォーマンス)は極めて高いと言えます」

 あっけにとられる使用人たちを残し、スゥは王都の雑踏へと消えていった。

 王都の朝は活気に満ちている。
 だが、スゥの目には、その活気さえも「未整理のデータ」の塊に見えていた。

(……あちらのパン屋の列。並ばせ方が非効率ですわね。客をジグザグに誘導すれば、通路の占有面積を二割減らせるのに。……あちらの運送馬車。荷物の積み方が重心を無視している。あのままでは、次の急カーブで荷崩れを起こして三分のタイムロスが発生しますわ)

 脳内で次々と改善案を弾き出しながら、スゥは軽快に歩を進める。
 婚約破棄された元・王太子妃候補が、こんな格好で街を歩いているなど、誰も気づかない。

 スゥは、自らの自由を噛み締めていた。
 義務的な茶会も、中身のない社交辞令も、自分を飾るだけの重たいドレスもない。
 今、彼女にあるのは、研ぎ澄まされた頭脳と、それを最大限に活かせる身軽な体だけだ。

「……さて、まずはカイル卿の工房へ向かいましょうか。私の投資した資金が、一リブラたりとも無駄に使われていないか、この目で監査する必要がありますわ」

 スゥが目的の路地裏へと曲がろうとした、その時だった。

「……ちっ! またか! 計算式は完璧なはずなのに、どうして出力が安定しないんだ!」

 建物の影から、苛立ちの混じった男の声が聞こえてきた。
 スゥが視線を向けると、そこには地面に座り込み、複雑な魔法陣が刻まれた機械をガンガンと叩いている青年がいた。

 ボサボサの茶髪に、煤で汚れた白衣。
 手にはペンチを持ち、なりふり構わず機械と格闘している。

 スゥは足を止め、その様子を三秒間観察した。

「……無駄ですわね」

 唐突に降ってきた冷ややかな声に、青年――カイルは顔を跳ね上げた。

「……なんだ、あんたは。今、忙しいんだ。素人はあっちに行ってくれ」

「素人? 貴方こそ、魔導回路の基礎を理解しているのですか? その機械、叩くたびに内部の魔力伝導率が〇・二パーセントずつ低下しています。故障の原因を物理的な衝撃で解決しようとするのは、原始人の発想ですわ」

「……はぁ!? なんだと! これは俺が三日三晩寝ずに設計した、最新の流体計算機なんだぞ! 理論上は完璧なんだ!」

「理論が完璧なら、現実に動かないはずがありません。動かないということは、貴方の理論にゴミ(バグ)が混入しているということです。……ちょっと貸しなさい」

 スゥはカイルの制止を振り切り、土足で彼の「聖域」に踏み込んだ。
 ジャケットのポケットから小型の計算盤を取り出し、機械に刻まれた回路を一瞥する。

「……やはり。第三回路の収束ポイント、座標が三ミクロンずれています。この誤差が蓄積して、演算結果がオーバーフローを起こしているだけですわ」

「……三ミクロン? そんな細かい数字、目視でわかるわけが――」

「わかりますわ。私の脳は、貴方のその適当な目分量よりも遥かに精密ですから」

 スゥはカイルの手からペンチを奪い取ると、機械の深部にある小さなネジを、ほんの数ミリだけ回した。

「……さあ、起動しなさい。私の時間を奪った分、きっちり働きなさい」

 スゥがスイッチを入れた瞬間。
 今まで沈黙していた機械が、見たこともないような滑らかな駆動音を立て始め、空中に鮮やかな数字の羅列を投影し始めた。

 カイルは、口をあんぐりと開けたまま固まった。

「……動いた……。嘘だろ、あんな一瞬で……?」

「五十二秒。私がこの問題の解決に費やした時間です。……カイル・ヴァン・ランドール卿、とお見受けしますが?」

 カイルは慌てて立ち上がり、煤だらけの手を白衣で拭った。

「……ああ、そうだ。あんた、いや、貴女は……もしかして、昨日俺の工房に莫大な出資を決めたっていう、あの『効率狂いの公爵令嬢』か?」

「挨拶が遅れました。ブリリアント効率化コンサルティング代表、スゥです」

 スゥは不敵に微笑み、カイルに向かって右手を差し出した。

「貴方の才能には投資する価値があると判断しました。ですが、今の無様な姿を見る限り、貴方の『生活習慣』からコンサルティングする必要がありそうですわね。……まずは、その三日三晩の徹夜という非効率な労働形態を、今すぐ破棄していただきます」

 これが、後に「帝国の頭脳」と呼ばれる二人の、最悪で最高に合理的な出会いだった。
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