捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 路地裏から数分。カイルに案内された工房は、スゥの予想を遥かに超えるカオス空間だった。

 足の踏み場もないほど床に散乱した図面、得体の知れない金属部品の山、そして部屋の隅で腐臭を放ち始めている食べかけのパン。

「……言葉が出ませんわ」

 スゥはハンカチで口元を押さえ、眉間に深い皺を寄せた。

「ここは工房ですか? それとも廃棄物処理場の最終処分場ですか? 貴方の言う『研究』とは、ゴミの中で新種のカビを培養することなのですか?」

「うっ……。い、いや、これはその、研究に没頭するあまり、片付けが後回しになってしまっただけで……」

 カイルが気まずそうに目を逸らす。
 スゥは冷徹な視線で部屋全体をスキャンした。

「カイル卿。貴方の作業効率が上がらない原因の三割は、この環境にあります。必要な工具を探すのに平均一分三十秒を浪費し、移動するたびにゴミに躓いて秒速〇・二メートルの減速を強いられている。これでは、まともな思考ができるはずがありません」

「で、でもよぉ、片付けてる時間がもったいなくてさ……」

「その『もったいない』が積み重なって、貴方の人生という貴重なリソースを食いつぶしているのです。……いいですか、私が投資した資金は、ゴミ屋敷の清掃費用ではありません。今すぐ、この惨状を改善しなさい。猶予は三十分です」

 スゥは腕組みをして仁王立ちした。
 カイルは渋々といった様子で、床の図面を拾い集め始める。

 その間、スゥは作業台の上に広げられた、一枚の巨大な設計図に目を留めた。

「……これは?」

「ん? ああ、それは今一番力を入れてる『自動給水システム』の図面だ。王都の水路網を魔導ポンプで管理して、各家庭に水を自動で送るってやつなんだけど……」

 カイルが図面を指差しながら、ため息をつく。

「どう計算しても、魔力供給が追いつかないんだ。理論上は可能なはずなのに、シミュレーションすると必ず途中で出力が低下しちまう」

 スゥは図面の前に立ち、複雑怪奇な魔導回路の配線を指先でなぞった。
 彼女の脳内で、膨大な計算式が高速で走り始める。

「……当然ですわ。この第二セクターの分岐点、魔力パイプの太さが二ミリ足りていません。これではボトルネックが発生して、全体の流速が三割低下します」

「え? 二ミリ? そんな馬鹿な。俺の計算では最適値のはず……」

「貴方の計算は、『理想的な環境下』での数値に基づいています。ですが現実は違います。パイプの摩擦係数、魔力の粘度変化、そして気温による影響……それらの外部要因(パラメータ)が全て無視されている」

 スゥはポケットから愛用のペンを取り出すと、図面の上に直接、新たな計算式と修正線を書き込み始めた。

「ここのパイプ径を〇・五ミリ拡張。そして、この曲がり角のアール(角度)を緩やかにして乱流の発生を抑制。さらに、この余分な安全装置は撤去しなさい。魔力消費の無駄です」

「ちょ、ちょっと待て! 勝手に書き込むな! 安全装置を外すだと? そんなことしたら暴走する危険が……」

「暴走しません。私が再計算したこの回路なら、エネルギー効率は現行の二十パーセント向上し、熱暴走のリスクは逆に低下します。貴方の設計は、無駄な心配性にリソースを割きすぎて、肝心の性能を殺しているのです」

 スゥはほんの数分で図面全体を真っ赤な修正ペンで埋め尽くし、ペンを置いた。

「……修正完了。これを元に試作機を作り直しなさい。動作保証は私がします」

 カイルは半信半疑のまま、修正された図面を食い入るように見つめた。
 彼の脳内で、スゥの提示した新たな理論が組み立てられていく。

 そして、数十秒後。
 カイルの瞳が、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように輝き出した。

「……すげぇ。マジかよ、これ……。摩擦係数まで考慮に入れた動的計算式……。しかも、この複雑な連立方程式を一瞬で……?」

 カイルは顔を上げ、スゥをまじまじと見つめた。
 その視線には、もはや初対面の時の警戒心はなく、純粋な畏敬の念と、強烈な好奇心だけが浮かんでいた。

「あんた……何者なんだ? ただの公爵令嬢じゃないだろ? その頭の中、どうなってんだ?」

「失礼な。私の脳は標準仕様です。ただ、貴方たちよりも少しだけ『OS(基本ソフト)』のバージョンが新しいだけですよ」

 スゥはツンと澄まして、懐中時計を確認した。

「さて、予定時間を三分オーバーしました。私はこれで失礼します。次に私が来る時までに、この部屋がまともな『人間の住処』になっていることを期待していますわ」

 スゥは踵を返し、出口へと向かった。

「あ、おい! 待ってくれ! 名前! もう一度教えてくれ!」

 背後から追いかけてくるカイルの声に、スゥは振り返らずに答えた。

「スゥ・ル・ブリリアント。貴方の最大の出資者であり、貴方の無駄だらけの人生を最適化するコンサルタントです」

「スゥ……。へへっ、面白い。こんなに話が通じる相手は初めてだ」

 カイルは赤く修正された図面を抱きしめながら、去っていくスゥの背中を見送った。

「……公爵令嬢ねぇ。噂じゃ冷酷非道な悪女だって聞いてたけど、とんでもない『計算の女神』様じゃないか」

 ゴミ溜めのような工房に、カイルの楽しげな笑い声が響いた。
 彼の中で、新たな研究意欲の炎が燃え上がっていた。それも、今までとは比べ物にならないほど激しく。

 一方、工房を後にしたスゥは、手帳を開いてニヤリと笑った。

(……カイル卿の知的能力、想定以上ですね。あの複雑な修正案を、たった数十秒で理解するとは。彼なら私の描く『王都大改造計画』の技術的な柱になれるでしょう)

 スゥの計算は、また一つ確実なものとなった。
 愛というバグを排除した彼女の世界に、強力な「演算装置」が加わったのだ。
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