捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 カイルの工房、その惨状は三十分の「清掃タイム」を経てもなお、スゥの基準からすれば「誤差の範囲内」でしかない改善ぶりだった。

 しかし、スゥはそれ以上の追及を後回しにした。
 目の前の机に広げられた、魔導流体計算機の試作機。これの「最適化」こそが、今の彼女にとって最も期待値の高いタスクだからだ。

「……信じられん。本当に、たった一箇所、ネジを回しただけで出力が安定したのか?」

 カイルは髪を掻きむしりながら、計器の数値を凝視している。
 スゥは無造作に、別の図面を手に取った。

「カイル卿。驚いている時間は三秒で十分です。次の問題(バグ)を処理しましょう。この『自動集計機』の論理回路、設計が冗長すぎて魔力のリークが激しいですわ」

「じょ、冗長!? これでも王立アカデミーの教授たちから『天才的な詰め込み術』だと絶賛されたんだぞ!」

「詰め込めば良いというものではありません。情報密度を上げすぎて処理速度を落とすのは、愚策中の愚策です。……こことここ、それからこの並列接続。すべて削除して、直列の簡略式に置き換えなさい」

 スゥは迷いなく、図面に赤い×印をつけていく。
 カイルが慌てて身を乗り出した。

「待て待て! そこを消したら、複雑な税率計算に対応できなくなるだろうが!」

「対応できます。貴方の式は、例外処理をすべて個別の回路で対応しようとしています。ですが、すべての税率は結局のところ、四則演算の組み合わせに帰結する。この一点に共通項(マスタ)を作れば、回路は十分の一に圧縮できます」

 スゥの指先が、計算盤の上でダンスを踊る。
 カイルは、その指の動きと、そこから吐き出される数式を追いかけようとして――途中で思考が焼き切れた。

「……おい。あんた、今、三つ前の数式を脳内で処理しながら、次の回路の最適解を出したのか?」

「当然です。シングルタスクでしか思考できない脳など、旧式のそろばんと同じですわ」

 スゥはふう、と息をつき、修正済みの図面をカイルに突きつけた。

「これで、製作コストは四割削減。処理速度は二・五倍になります。……これで、私の投資に対する『利回り』がようやくプラスに転じますわ」

 カイルは図面を受け取り、数分間、石像のように固まった。
 やがて、彼は震える手で顔を覆い、低く笑い始めた。

「……くくっ、はははは! なんだこれ、美しいじゃないか! 俺が三ヶ月悩んでいた壁が、こんなにシンプルな線で消えるなんて……」

 カイルは顔を上げ、スゥを真っ直ぐに見つめた。
 その瞳には、恐怖を通り越した深い賞賛が宿っている。

「……スゥ。あんた、本物の『変態』だな。……あ、もちろん最高級の褒め言葉だぞ」

「変態、ですか」

 スゥは眉一つ動かさず、その言葉を脳内の辞書で検索した。

「平均的な思考パターンから逸脱し、特定の分野に異常な執着を見せる個体。……ふむ。効率と正確性を追求する私にとって、それは『専門性の極致』であると解釈します。謹んでお受けしましょう」

「ははっ、受け入れるのかよ! 普通は怒るところだぞ」

「感情的な反発は、対話の生産性を下げるだけです。それよりカイル卿。この修正案、いつまでに実装できますか? 時間は有限です」

 カイルは煤だらけの顔に、自信に満ちた笑みを浮かべた。

「今すぐだ。こんなに完璧な図面を見せられて、寝てられるわけがないだろう! ……スゥ。あんたの投資、絶対に後悔させないぜ。この機械が完成すれば、王都の経済はひっくり返る」

「期待していますわ。経済がひっくり返るということは、それだけ『無駄な金』が浮くということですから。……それを回収するのが、私の仕事です」

 スゥは満足げに頷き、身を翻した。

「さて、私はこれから、事務所の備品発注の最適化に戻ります。……カイル卿。貴方の作業効率をさらに上げるため、明日の朝までに『最適化された献立表』を届けて差し上げます。栄養価を維持しつつ、咀嚼回数を最小限にするメニューです」

「……そこまで管理されるのか。……まあ、あんたになら、魂のデバッグを任せてもいい気がしてきたよ」

 カイルの楽しげな返事を背に、スゥは工房を後にした。

 外は昼下がりの陽気に包まれている。
 スゥは歩きながら、ふと王宮の方角へ視線を向けた。

(……さて。私が『婚約破棄』という名の解雇通知(クビ)を受けてから、間もなく二十四時間が経過します。そろそろ、王宮の事務仕事に『致命的なエラー』が出始める頃でしょうか)

 スゥは唇の端を、ほんの少しだけ吊り上げた。
 彼女は、自分がどれほど「重要なシステム」の一部であったかを、王家の人々に教えるつもりは微塵もない。

 数字で示される現実は、言葉よりも遥かに残酷で、かつ誠実だ。
 それを思い知らせる瞬間を想像しながら、スゥは次の利確ポイントへと軽やかに足を運んだ。
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