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『ブリリアント効率化コンサルティング』のオフィスには、今日も規則正しい時計の音だけが響いていた。
スゥは、羽ペンをマシンのような速度で動かし、王都の物流ギルドから提出された改善報告書をチェックしている。
「……物流ルートの短縮により、燃料費を十二パーセント削減。ですが、御者の休憩時間の配置にまだ三分の誤差がありますわね。詰めが甘いですわ」
スゥが独り言を呟きながら、真っ赤な修正ペンを走らせていた、その時。
ノックの音と共に、聞き慣れた、しかし少しだけ緊張を含んだ足音が近づいてきた。
「よう、スゥ代表。……相変わらず、息苦しいほど片付いた部屋だな」
入ってきたのは、カイル・ヴァン・ランドールだ。
今日は珍しく煤汚れのない、小綺麗な伯爵家としての正装を身に纏っている。
スゥは視線を書類から動かさず、懐中時計をパチンと開いた。
「カイル卿。アポイントメントの時間より、四分十二秒早いですわよ。私のスケジュールには、貴方の『早着』を吸収するためのバッファ(余裕)は組み込まれていません」
「厳しいな。……まあ、それだけここの仕事が順調だって証拠だろ? 街じゃ、あんたの名前を聞かない日はないぜ」
カイルはスゥのデスクの向かい側に、無造作に腰掛けた。
スゥはようやく顔を上げ、彼の服装をじろじろと観察した。
「……カイル卿。その服装、そしてその過剰なまでの整髪料の香り。……計算するまでもありません。何か、私に対して『ビジネス以外の要求』を持ってきましたね?」
カイルは苦笑し、頭を掻いた。
「……あんたの前じゃ、隠し事はリソースの無駄ってわけか。ああ、そうだ。今日は、極めて『合理的な提案』を持ってきたんだ」
「提案? 新製品のデバッグなら、あちらのトレイに置いておきなさい。後で処理します」
「いや、製品の話じゃない。……俺たちの『関係』についての提案だ」
スゥの手が、ピタリと止まった。
彼女は眼鏡の奥の瞳を細め、カイルの表情を分析(スキャン)する。
「関係? 現在、私と貴方は『投資家と技術者』、および『コンサルタントとクライアント』という、極めてクリーンで高収益な関係を築いています。これ以上の何を望むのですか?」
「それを、さらに強固なものにしたいんだ。……具体的に言えば、『共同経営』。そして――」
カイルは一呼吸置き、真剣な眼差しで言い放った。
「――『婚約』だ」
部屋の空気が、一瞬だけ凍りついた。
スゥは無表情のまま、三秒間の沈黙を保った。
そして、手元の計算盤をパチパチと叩き始めた。
「……婚約。つまり、法的・社会的なパートナーシップの締結ですね。……目的を述べなさい」
「目的? 決まってるだろ。効率化だよ」
カイルは身を乗り出し、熱っぽく語り始めた。
「俺たちの頭脳が合わされば、この国の技術と経済を完全に支配できる。だが、今のままじゃ社交界のしきたりだの、公爵家と伯爵家の身分差だの、無駄なノイズが多すぎる。……もし俺たちが婚約すれば、情報の共有コストはゼロになり、共同研究の予算執行もスムーズになる。何より、変な横槍を入れてくる他の貴族たちを、一括でシャットアウトできるだろ?」
「……なるほど。防波堤としての婚約、およびリソースの完全統合ですか」
「そうだ。愛だの恋だのという、出力の不安定な燃料は期待してない。ただ、俺とあんたの『互換性』は最高だ。これ以上の合理的な組み合わせが、この国のどこにある?」
スゥは計算盤を置き、深く椅子に背を預けた。
彼女の脳内では、カイルとの婚約によるメリットとデメリットが、巨大な損益計算書となって展開されている。
「メリット一:王家(リュカ殿下)からの執拗な再接触に対する、物理的・法的な防御壁の構築。
メリット二:カイル卿の技術独占権の確保による、長期的な収益の安定。
デメリット一:自由な時間の減少。
デメリット二:親族間の儀礼的行事に伴う、時間的・金銭的コストの発生……」
スゥは淡々と、脳内のリストを読み上げていく。
カイルはそれを聞きながら、感心したように頷いている。
「……総合的な期待値としては、プラスと判断します」
「だろ? なら決まりだ。今すぐ公爵閣下に――」
「ですが、却下(却下)です」
スゥが冷酷に言い放つと、カイルは椅子から転げ落ちそうになった。
「な、なんでだ! 期待値はプラスだって言ったじゃないか!」
「プラスですが、目標利回りに達していません。……カイル卿。現在の貴方の工房の純利益率、および今後三カ月の成長予測を見ましたか? 貴方は今、技術開発にリソースを割きすぎて、キャッシュフローが不安定です。そんな状態で私と婚約すれば、私の資産が貴方の研究の『補填』に使われるリスクが高い」
「そ、それは……先行投資だろ!」
「先行投資の回収見込みが立たない案件に、私の人生という有限な資産を投じることはできません。……それから、もう一つ」
スゥは立ち上がり、窓の外の王都を見下ろした。
「私は先日、不採算な婚約を破棄したばかりです。その整理コストをようやく回収し始めたところで、新たな『長期契約』を結ぶのは、経営戦略として時期尚早(じきしょうそう)です」
「……じゃあ、ダメなのか?」
「『保留』です。貴方の提案した『共同経営(兼・婚約)』の企画書、および今後十年のキャッシュフロー予測表、ならびに私に提供できる『情緒的付加価値』の具体的な数値化を済ませてから、再度出直してきなさい」
「情緒的付加価値の数値化……? つまり、俺があんたをどれだけ好きかってことを、数字にしろってことか?」
「左様です。主観的な感情を客観的な指標に変換できないのであれば、それは信頼に値するデータではありません」
スゥは再びペンを手に取った。
カイルは呆れ果てたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「……ははっ。本当、可愛げがないな、あんたは。……分かったよ。最高の『プロポーズ・レポート』を書き上げてやる。期待して待ってろ、スゥ代表」
「期待ではなく、査定させていただきます。……では、四分十二秒の遅延分、これからの打ち合わせは倍速で進めますわよ。座りなさい」
カイルが苦笑いしながら席に座る。
二人の会話は、再び凄まじい速度の事務連絡へと戻っていった。
窓の外では、夕焼けが王都を赤く染めている。
スゥの胸の奥で、ほんの少しだけ計算外の鼓動が跳ねたが、彼女はそれを「急激な気温変化に伴う循環器系の軽微な反応」として、即座に処理した。
二人の「効率的な関係」が、新たなステージへと動き出そうとしていた。
スゥは、羽ペンをマシンのような速度で動かし、王都の物流ギルドから提出された改善報告書をチェックしている。
「……物流ルートの短縮により、燃料費を十二パーセント削減。ですが、御者の休憩時間の配置にまだ三分の誤差がありますわね。詰めが甘いですわ」
スゥが独り言を呟きながら、真っ赤な修正ペンを走らせていた、その時。
ノックの音と共に、聞き慣れた、しかし少しだけ緊張を含んだ足音が近づいてきた。
「よう、スゥ代表。……相変わらず、息苦しいほど片付いた部屋だな」
入ってきたのは、カイル・ヴァン・ランドールだ。
今日は珍しく煤汚れのない、小綺麗な伯爵家としての正装を身に纏っている。
スゥは視線を書類から動かさず、懐中時計をパチンと開いた。
「カイル卿。アポイントメントの時間より、四分十二秒早いですわよ。私のスケジュールには、貴方の『早着』を吸収するためのバッファ(余裕)は組み込まれていません」
「厳しいな。……まあ、それだけここの仕事が順調だって証拠だろ? 街じゃ、あんたの名前を聞かない日はないぜ」
カイルはスゥのデスクの向かい側に、無造作に腰掛けた。
スゥはようやく顔を上げ、彼の服装をじろじろと観察した。
「……カイル卿。その服装、そしてその過剰なまでの整髪料の香り。……計算するまでもありません。何か、私に対して『ビジネス以外の要求』を持ってきましたね?」
カイルは苦笑し、頭を掻いた。
「……あんたの前じゃ、隠し事はリソースの無駄ってわけか。ああ、そうだ。今日は、極めて『合理的な提案』を持ってきたんだ」
「提案? 新製品のデバッグなら、あちらのトレイに置いておきなさい。後で処理します」
「いや、製品の話じゃない。……俺たちの『関係』についての提案だ」
スゥの手が、ピタリと止まった。
彼女は眼鏡の奥の瞳を細め、カイルの表情を分析(スキャン)する。
「関係? 現在、私と貴方は『投資家と技術者』、および『コンサルタントとクライアント』という、極めてクリーンで高収益な関係を築いています。これ以上の何を望むのですか?」
「それを、さらに強固なものにしたいんだ。……具体的に言えば、『共同経営』。そして――」
カイルは一呼吸置き、真剣な眼差しで言い放った。
「――『婚約』だ」
部屋の空気が、一瞬だけ凍りついた。
スゥは無表情のまま、三秒間の沈黙を保った。
そして、手元の計算盤をパチパチと叩き始めた。
「……婚約。つまり、法的・社会的なパートナーシップの締結ですね。……目的を述べなさい」
「目的? 決まってるだろ。効率化だよ」
カイルは身を乗り出し、熱っぽく語り始めた。
「俺たちの頭脳が合わされば、この国の技術と経済を完全に支配できる。だが、今のままじゃ社交界のしきたりだの、公爵家と伯爵家の身分差だの、無駄なノイズが多すぎる。……もし俺たちが婚約すれば、情報の共有コストはゼロになり、共同研究の予算執行もスムーズになる。何より、変な横槍を入れてくる他の貴族たちを、一括でシャットアウトできるだろ?」
「……なるほど。防波堤としての婚約、およびリソースの完全統合ですか」
「そうだ。愛だの恋だのという、出力の不安定な燃料は期待してない。ただ、俺とあんたの『互換性』は最高だ。これ以上の合理的な組み合わせが、この国のどこにある?」
スゥは計算盤を置き、深く椅子に背を預けた。
彼女の脳内では、カイルとの婚約によるメリットとデメリットが、巨大な損益計算書となって展開されている。
「メリット一:王家(リュカ殿下)からの執拗な再接触に対する、物理的・法的な防御壁の構築。
メリット二:カイル卿の技術独占権の確保による、長期的な収益の安定。
デメリット一:自由な時間の減少。
デメリット二:親族間の儀礼的行事に伴う、時間的・金銭的コストの発生……」
スゥは淡々と、脳内のリストを読み上げていく。
カイルはそれを聞きながら、感心したように頷いている。
「……総合的な期待値としては、プラスと判断します」
「だろ? なら決まりだ。今すぐ公爵閣下に――」
「ですが、却下(却下)です」
スゥが冷酷に言い放つと、カイルは椅子から転げ落ちそうになった。
「な、なんでだ! 期待値はプラスだって言ったじゃないか!」
「プラスですが、目標利回りに達していません。……カイル卿。現在の貴方の工房の純利益率、および今後三カ月の成長予測を見ましたか? 貴方は今、技術開発にリソースを割きすぎて、キャッシュフローが不安定です。そんな状態で私と婚約すれば、私の資産が貴方の研究の『補填』に使われるリスクが高い」
「そ、それは……先行投資だろ!」
「先行投資の回収見込みが立たない案件に、私の人生という有限な資産を投じることはできません。……それから、もう一つ」
スゥは立ち上がり、窓の外の王都を見下ろした。
「私は先日、不採算な婚約を破棄したばかりです。その整理コストをようやく回収し始めたところで、新たな『長期契約』を結ぶのは、経営戦略として時期尚早(じきしょうそう)です」
「……じゃあ、ダメなのか?」
「『保留』です。貴方の提案した『共同経営(兼・婚約)』の企画書、および今後十年のキャッシュフロー予測表、ならびに私に提供できる『情緒的付加価値』の具体的な数値化を済ませてから、再度出直してきなさい」
「情緒的付加価値の数値化……? つまり、俺があんたをどれだけ好きかってことを、数字にしろってことか?」
「左様です。主観的な感情を客観的な指標に変換できないのであれば、それは信頼に値するデータではありません」
スゥは再びペンを手に取った。
カイルは呆れ果てたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「……ははっ。本当、可愛げがないな、あんたは。……分かったよ。最高の『プロポーズ・レポート』を書き上げてやる。期待して待ってろ、スゥ代表」
「期待ではなく、査定させていただきます。……では、四分十二秒の遅延分、これからの打ち合わせは倍速で進めますわよ。座りなさい」
カイルが苦笑いしながら席に座る。
二人の会話は、再び凄まじい速度の事務連絡へと戻っていった。
窓の外では、夕焼けが王都を赤く染めている。
スゥの胸の奥で、ほんの少しだけ計算外の鼓動が跳ねたが、彼女はそれを「急激な気温変化に伴う循環器系の軽微な反応」として、即座に処理した。
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