捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 カイルが「とっておきの店」として案内したのは、王都でも指折りの高級レストラン『ラ・セーヌの月』だった。

 白亜の壁に金細工の装飾、足元には毛足の長い深紅の絨毯。
 バイオリンの生演奏が心地よい音色を奏で、キャンドルの炎が揺れている。

 まさに「プロポーズの聖地」と名高い場所だが、エントランスに足を踏み入れた瞬間のスゥの第一声はこうだった。

「……非効率の極みですわね」

 案内役のウェイターが、プロの笑顔を一瞬だけ引きつらせた。
 カイルは苦笑しながら、スゥの椅子を引く。

「おいおい、これでも予約を取るのに苦労したんだぜ。この『雰囲気』が売りなんだよ」

 スゥは椅子に座るなり、周囲を鋭い視線でスキャンし始めた。

「雰囲気? そんな実体のない付加価値のために、この店は莫大なコストを投じています。見てなさい、カイル卿。あの絨毯のせいで、ウェイターの歩行エネルギー損失は通常より一五パーセント増加しています。さらにあのバイオリン奏者。客の入りに関わらず演奏し続けるのは、人件費の垂れ流しではありませんか?」

「ははっ、手厳しいな。だが、この『ゆったりした時間』こそが、客が高い金を払う理由なんだろ?」

「時間は金なり、です。一分一秒を無駄に浪費させる空間に、金銭的価値を見出すのは非論理的ですわ」

 スゥは差し出されたメニュー表を開いた。
 そこには、詩的な名前の並ぶフルコースが記されている。

「……『春の訪れを感じる仔羊のソテー、朝露の輝きを添えて』? 名前が長すぎます。これでは注文を受ける際の通信コストが肥大化します。……『仔羊・グリル』で十分ですわ」

「それじゃ風情がないだろ。……で、スゥ代表。このメニューの中から、最も『費用対効果』の高い一品を選んでみてくれ。それが今日のメインイベントだ」

 カイルが挑発的な笑みを浮かべる。
 スゥの瞳に、計算の火が灯った。

「いいでしょう。……まず、単品価格とコース価格の差分を算出。食材の希少性と調理にかかる熱エネルギー効率、そして廃棄率の推定値を代入して……」

 スゥは手元の計算盤を叩くこともなく、驚異的な速度で暗算を開始した。
 数分後、彼女はメニューの一箇所をビシッと指差した。

「……結論。この『本日の鮮魚のポワレ、ハーブソース』です。季節の魚を使うことで仕入れ原価を抑えつつ、提供までのリードタイムが最も短い。さらに、このハーブソースは他の料理とベースを共有しているため、キッチン内のオペレーション効率が最大化されています」

「正解だ。俺も同じ結論に達した。……気が合うな」

 カイルが楽しげに頷く。
 二人は、ロマンチックなレストランで、まるで工場の生産ラインを査定するかのような会話を繰り広げながら食事を始めた。

 運ばれてきた料理を口に運ぶ際も、スゥの分析は止まらない。

「……ふむ。この魚の火の通り加減、タンパク質の変性温度を完璧に捉えていますね。熱伝導の計算が非常に緻密です。……調理担当者の論理的思考能力を評価します」

「ソースの乳化状態も完璧だ。界面活性のバランスがいい。……なあ、スゥ。普通の令嬢なら、ここで『美味しい、幸せ!』って言うところだぜ?」

「『美味しい』という言葉は主観的な味覚情報の圧縮に過ぎません。その構成要素を分解して理解する方が、遥かに誠実な感想だとは思いませんか?」

 カイルは肩を揺らして笑った。

「あんたのそういうところが、俺は最高に気に入ってるよ。……正直、俺も昔、親に無理やり行かされた婚約者候補との食事は地獄だった。何を食べたかより、どんな甘い言葉を吐くかにリソースを割かなきゃならなかったからな」

 スゥはコーヒーを一口飲み、視線をカイルに向けた。

「……カイル卿。貴方との食事は、意外にも『ストレス負荷』が低いですわ」

「五回増えた心拍数はどうなった?」

「現在は平常時に戻っています。……むしろ、貴方が提示する技術的知見が、私の脳に心地よい知的刺激(パルス)を与えています。……これは、一種の『相性の良さ』として定義しても差し支えないでしょう」

 周囲のカップルたちが、囁き合う愛の言葉に酔いしれている中で。
 この二人だけが、冷徹なロジックと数字の羅列に、何よりも深い親和性を感じていた。

「……スゥ。俺のプロポーズ・レポート、少しは修正の余地があるか?」

「現在のところ、貴方の提供する『知的互換性』は、市場における独占的価値を有していると判断します。……ただし、結婚式という非効率な儀式に対する私の拒否感は、依然として高いままですので、そこをどう最適化するか、さらなる提案を期待します」

「……ははっ、最高の宿題だ。任せておけよ」

 カイルは自信満々に微笑み、グラスを上げた。

 史上最もロマンのない、しかし二人にとっては最も「合理的」な夜。
 スゥは、リュカ王太子との間に一度も感じることのなかった、完璧な「調和」という名の数式を、静かに胸の中で完成させていた。
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