14 / 28
14
しおりを挟む
カイルが「とっておきの店」として案内したのは、王都でも指折りの高級レストラン『ラ・セーヌの月』だった。
白亜の壁に金細工の装飾、足元には毛足の長い深紅の絨毯。
バイオリンの生演奏が心地よい音色を奏で、キャンドルの炎が揺れている。
まさに「プロポーズの聖地」と名高い場所だが、エントランスに足を踏み入れた瞬間のスゥの第一声はこうだった。
「……非効率の極みですわね」
案内役のウェイターが、プロの笑顔を一瞬だけ引きつらせた。
カイルは苦笑しながら、スゥの椅子を引く。
「おいおい、これでも予約を取るのに苦労したんだぜ。この『雰囲気』が売りなんだよ」
スゥは椅子に座るなり、周囲を鋭い視線でスキャンし始めた。
「雰囲気? そんな実体のない付加価値のために、この店は莫大なコストを投じています。見てなさい、カイル卿。あの絨毯のせいで、ウェイターの歩行エネルギー損失は通常より一五パーセント増加しています。さらにあのバイオリン奏者。客の入りに関わらず演奏し続けるのは、人件費の垂れ流しではありませんか?」
「ははっ、手厳しいな。だが、この『ゆったりした時間』こそが、客が高い金を払う理由なんだろ?」
「時間は金なり、です。一分一秒を無駄に浪費させる空間に、金銭的価値を見出すのは非論理的ですわ」
スゥは差し出されたメニュー表を開いた。
そこには、詩的な名前の並ぶフルコースが記されている。
「……『春の訪れを感じる仔羊のソテー、朝露の輝きを添えて』? 名前が長すぎます。これでは注文を受ける際の通信コストが肥大化します。……『仔羊・グリル』で十分ですわ」
「それじゃ風情がないだろ。……で、スゥ代表。このメニューの中から、最も『費用対効果』の高い一品を選んでみてくれ。それが今日のメインイベントだ」
カイルが挑発的な笑みを浮かべる。
スゥの瞳に、計算の火が灯った。
「いいでしょう。……まず、単品価格とコース価格の差分を算出。食材の希少性と調理にかかる熱エネルギー効率、そして廃棄率の推定値を代入して……」
スゥは手元の計算盤を叩くこともなく、驚異的な速度で暗算を開始した。
数分後、彼女はメニューの一箇所をビシッと指差した。
「……結論。この『本日の鮮魚のポワレ、ハーブソース』です。季節の魚を使うことで仕入れ原価を抑えつつ、提供までのリードタイムが最も短い。さらに、このハーブソースは他の料理とベースを共有しているため、キッチン内のオペレーション効率が最大化されています」
「正解だ。俺も同じ結論に達した。……気が合うな」
カイルが楽しげに頷く。
二人は、ロマンチックなレストランで、まるで工場の生産ラインを査定するかのような会話を繰り広げながら食事を始めた。
運ばれてきた料理を口に運ぶ際も、スゥの分析は止まらない。
「……ふむ。この魚の火の通り加減、タンパク質の変性温度を完璧に捉えていますね。熱伝導の計算が非常に緻密です。……調理担当者の論理的思考能力を評価します」
「ソースの乳化状態も完璧だ。界面活性のバランスがいい。……なあ、スゥ。普通の令嬢なら、ここで『美味しい、幸せ!』って言うところだぜ?」
「『美味しい』という言葉は主観的な味覚情報の圧縮に過ぎません。その構成要素を分解して理解する方が、遥かに誠実な感想だとは思いませんか?」
カイルは肩を揺らして笑った。
「あんたのそういうところが、俺は最高に気に入ってるよ。……正直、俺も昔、親に無理やり行かされた婚約者候補との食事は地獄だった。何を食べたかより、どんな甘い言葉を吐くかにリソースを割かなきゃならなかったからな」
スゥはコーヒーを一口飲み、視線をカイルに向けた。
「……カイル卿。貴方との食事は、意外にも『ストレス負荷』が低いですわ」
「五回増えた心拍数はどうなった?」
「現在は平常時に戻っています。……むしろ、貴方が提示する技術的知見が、私の脳に心地よい知的刺激(パルス)を与えています。……これは、一種の『相性の良さ』として定義しても差し支えないでしょう」
周囲のカップルたちが、囁き合う愛の言葉に酔いしれている中で。
この二人だけが、冷徹なロジックと数字の羅列に、何よりも深い親和性を感じていた。
「……スゥ。俺のプロポーズ・レポート、少しは修正の余地があるか?」
「現在のところ、貴方の提供する『知的互換性』は、市場における独占的価値を有していると判断します。……ただし、結婚式という非効率な儀式に対する私の拒否感は、依然として高いままですので、そこをどう最適化するか、さらなる提案を期待します」
「……ははっ、最高の宿題だ。任せておけよ」
カイルは自信満々に微笑み、グラスを上げた。
史上最もロマンのない、しかし二人にとっては最も「合理的」な夜。
スゥは、リュカ王太子との間に一度も感じることのなかった、完璧な「調和」という名の数式を、静かに胸の中で完成させていた。
白亜の壁に金細工の装飾、足元には毛足の長い深紅の絨毯。
バイオリンの生演奏が心地よい音色を奏で、キャンドルの炎が揺れている。
まさに「プロポーズの聖地」と名高い場所だが、エントランスに足を踏み入れた瞬間のスゥの第一声はこうだった。
「……非効率の極みですわね」
案内役のウェイターが、プロの笑顔を一瞬だけ引きつらせた。
カイルは苦笑しながら、スゥの椅子を引く。
「おいおい、これでも予約を取るのに苦労したんだぜ。この『雰囲気』が売りなんだよ」
スゥは椅子に座るなり、周囲を鋭い視線でスキャンし始めた。
「雰囲気? そんな実体のない付加価値のために、この店は莫大なコストを投じています。見てなさい、カイル卿。あの絨毯のせいで、ウェイターの歩行エネルギー損失は通常より一五パーセント増加しています。さらにあのバイオリン奏者。客の入りに関わらず演奏し続けるのは、人件費の垂れ流しではありませんか?」
「ははっ、手厳しいな。だが、この『ゆったりした時間』こそが、客が高い金を払う理由なんだろ?」
「時間は金なり、です。一分一秒を無駄に浪費させる空間に、金銭的価値を見出すのは非論理的ですわ」
スゥは差し出されたメニュー表を開いた。
そこには、詩的な名前の並ぶフルコースが記されている。
「……『春の訪れを感じる仔羊のソテー、朝露の輝きを添えて』? 名前が長すぎます。これでは注文を受ける際の通信コストが肥大化します。……『仔羊・グリル』で十分ですわ」
「それじゃ風情がないだろ。……で、スゥ代表。このメニューの中から、最も『費用対効果』の高い一品を選んでみてくれ。それが今日のメインイベントだ」
カイルが挑発的な笑みを浮かべる。
スゥの瞳に、計算の火が灯った。
「いいでしょう。……まず、単品価格とコース価格の差分を算出。食材の希少性と調理にかかる熱エネルギー効率、そして廃棄率の推定値を代入して……」
スゥは手元の計算盤を叩くこともなく、驚異的な速度で暗算を開始した。
数分後、彼女はメニューの一箇所をビシッと指差した。
「……結論。この『本日の鮮魚のポワレ、ハーブソース』です。季節の魚を使うことで仕入れ原価を抑えつつ、提供までのリードタイムが最も短い。さらに、このハーブソースは他の料理とベースを共有しているため、キッチン内のオペレーション効率が最大化されています」
「正解だ。俺も同じ結論に達した。……気が合うな」
カイルが楽しげに頷く。
二人は、ロマンチックなレストランで、まるで工場の生産ラインを査定するかのような会話を繰り広げながら食事を始めた。
運ばれてきた料理を口に運ぶ際も、スゥの分析は止まらない。
「……ふむ。この魚の火の通り加減、タンパク質の変性温度を完璧に捉えていますね。熱伝導の計算が非常に緻密です。……調理担当者の論理的思考能力を評価します」
「ソースの乳化状態も完璧だ。界面活性のバランスがいい。……なあ、スゥ。普通の令嬢なら、ここで『美味しい、幸せ!』って言うところだぜ?」
「『美味しい』という言葉は主観的な味覚情報の圧縮に過ぎません。その構成要素を分解して理解する方が、遥かに誠実な感想だとは思いませんか?」
カイルは肩を揺らして笑った。
「あんたのそういうところが、俺は最高に気に入ってるよ。……正直、俺も昔、親に無理やり行かされた婚約者候補との食事は地獄だった。何を食べたかより、どんな甘い言葉を吐くかにリソースを割かなきゃならなかったからな」
スゥはコーヒーを一口飲み、視線をカイルに向けた。
「……カイル卿。貴方との食事は、意外にも『ストレス負荷』が低いですわ」
「五回増えた心拍数はどうなった?」
「現在は平常時に戻っています。……むしろ、貴方が提示する技術的知見が、私の脳に心地よい知的刺激(パルス)を与えています。……これは、一種の『相性の良さ』として定義しても差し支えないでしょう」
周囲のカップルたちが、囁き合う愛の言葉に酔いしれている中で。
この二人だけが、冷徹なロジックと数字の羅列に、何よりも深い親和性を感じていた。
「……スゥ。俺のプロポーズ・レポート、少しは修正の余地があるか?」
「現在のところ、貴方の提供する『知的互換性』は、市場における独占的価値を有していると判断します。……ただし、結婚式という非効率な儀式に対する私の拒否感は、依然として高いままですので、そこをどう最適化するか、さらなる提案を期待します」
「……ははっ、最高の宿題だ。任せておけよ」
カイルは自信満々に微笑み、グラスを上げた。
史上最もロマンのない、しかし二人にとっては最も「合理的」な夜。
スゥは、リュカ王太子との間に一度も感じることのなかった、完璧な「調和」という名の数式を、静かに胸の中で完成させていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
四人の令嬢と公爵と
オゾン層
恋愛
「貴様らのような田舎娘は性根が腐っている」
ガルシア辺境伯の令嬢である4人の姉妹は、アミーレア国の王太子の婚約候補者として今の今まで王太子に尽くしていた。国王からも認められた有力な婚約候補者であったにも関わらず、無知なロズワート王太子にある日婚約解消を一方的に告げられ、挙げ句の果てに同じく婚約候補者であったクラシウス男爵の令嬢であるアレッサ嬢の企みによって冤罪をかけられ、隣国を治める『化物公爵』の婚約者として輿入という名目の国外追放を受けてしまう。
人間以外の種族で溢れた隣国ベルフェナールにいるとされる化物公爵ことラヴェルト公爵の兄弟はその恐ろしい容姿から他国からも黒い噂が絶えず、ガルシア姉妹は怯えながらも覚悟を決めてベルフェナール国へと足を踏み入れるが……
「おはよう。よく眠れたかな」
「お前すごく可愛いな!!」
「花がよく似合うね」
「どうか今日も共に過ごしてほしい」
彼らは見た目に反し、誠実で純愛な兄弟だった。
一方追放を告げられたアミーレア王国では、ガルシア辺境伯令嬢との婚約解消を聞きつけた国王がロズワート王太子に対して右ストレートをかましていた。
※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
【完結】見えてますよ!
ユユ
恋愛
“何故”
私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。
美少女でもなければ醜くもなく。
優秀でもなければ出来損ないでもなく。
高貴でも無ければ下位貴族でもない。
富豪でなければ貧乏でもない。
中の中。
自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。
唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。
そしてあの言葉が聞こえてくる。
見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。
私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。
ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。
★注意★
・閑話にはR18要素を含みます。
読まなくても大丈夫です。
・作り話です。
・合わない方はご退出願います。
・完結しています。
むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ。
緑谷めい
恋愛
「むしゃくしゃしてやりましたの。後悔はしておりませんわ」
そう、むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。
私は、カトリーヌ・ナルセー。17歳。
ナルセー公爵家の長女であり、第2王子ハロルド殿下の婚約者である。父のナルセー公爵は、この国の宰相だ。
その父は、今、私の目の前で、顔面蒼白になっている。
「カトリーヌ、もう一度言ってくれ。私の聞き間違いかもしれぬから」
お父様、お気の毒ですけれど、お聞き間違いではございませんわ。では、もう一度言いますわよ。
「今日、王宮で、ハロルド様に往復ビンタを浴びせ、更に足で蹴りつけましたの」
悪役令息の婚約者になりまして
どくりんご
恋愛
婚約者に出逢って一秒。
前世の記憶を思い出した。それと同時にこの世界が小説の中だということに気づいた。
その中で、目の前のこの人は悪役、つまり悪役令息だということも同時にわかった。
彼がヒロインに恋をしてしまうことを知っていても思いは止められない。
この思い、どうすれば良いの?
【完結】最愛から2番目の恋
Mimi
恋愛
カリスレキアの第2王女ガートルードは、相手有責で婚約を破棄した。
彼女は醜女として有名であったが、それを厭う婚約者のクロスティア王国第1王子ユーシスに男娼を送り込まれて、ハニートラップを仕掛けられたのだった。
以前から婚約者の気持ちを知っていたガートルードが傷付く事は無かったが、周囲は彼女に気を遣う。
そんな折り、中央大陸で唯一の獣人の国、アストリッツァ国から婚姻の打診が届く。
王太子クラシオンとの、婚約ではなく一気に婚姻とは……
彼には最愛の番が居るのだが、その女性の身分が低いために正妃には出来ないらしい。
その事情から、醜女のガートルードをお飾りの妃にするつもりだと激怒する両親や兄姉を諌めて、クラシオンとの婚姻を決めたガートルードだった……
※ 『きみは、俺のただひとり~神様からのギフト』の番外編となります
ヒロインは本編では名前も出ない『カリスレキアの王女』と呼ばれるだけの設定のみで、本人は登場しておりません
ですが、本編終了後の話ですので、そちらの登場人物達の顔出しネタバレが有ります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる