捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 王宮の片隅、パステルピンクで彩られたミィナの自室は、今や「涙」という名の非効率な液体で水没しかけていた。

「……もう嫌、もう嫌ですぅ! なんで私が、あんな恐ろしい数式の呪文を毎日唱えなきゃいけないんですかぁ!」

 ミィナはベッドの上で地団駄を踏み、枕をボコボコに叩いていた。
 その手元には、スゥから「最低限の知性」として渡された、厚さ五センチに及ぶ『算術基礎:演習千本ノック』が転がっている。

「愛があれば数字なんていらないはずなのに! スゥ様はきっと、私たちの愛を壊すために、あんな難解な呪いをかけているんだわ!」

 ミィナは顔を上げると、鏡に映る自分の赤い目を見て、ふと思いついた。

「……そうだわ。呪い。……呪いといえば、魔女! そうよ、人間があんな速さで計算なんてできるはずがないもの!」

 彼女の脳内で、都合の良い方程式が完成した。
 スゥ=人間離れした計算速度=人外の力=魔女。
 この短絡的なロジックこそが、ミィナにとって唯一、スゥに対抗できる最強の「武器」に見えたのだ。

「リュカ様ぁ! リュカ様はどこぉ!?」

 ミィナは部屋を飛び出し、執務室で力尽きていたリュカのもとへ駆け込んだ。

「リュカ様! わかりましたわ! スゥ様がどうしてあんなに冷酷で、恐ろしい力を持っているのか!」

「……ミィナか。何だ、その……。今、九九の七の段で脳のメモリが限界なんだ……」

 リュカは、スゥに強制された「集中力強化ギプス」を頭に巻いたまま、虚ろな目で答えた。

「いいですか、リュカ様。スゥ様は魔女なんです! あの計算盤(計算機)は、実は生贄の魂を吸い取って動く魔道具なんですわ! だからあんなに、私たちの気持ちを汲み取らない冷たい数字が出るんです!」

「ま、魔女……? だが、そんな証拠が……」

「証拠なら、これから作りますわ! 王宮の地下に、怪しい魔法陣を描いておけばいいんですもの! スゥ様を『魔女』として告発すれば、あの不平等な契約だって、悪魔の契約として無効にできるはずですわ!」

 リュカの瞳に、わずかな希望の光が宿った。
 もしスゥを「魔女」として排除できれば、あの恐ろしい借金も、ドリルも、そしてカイルという鼻持ちならない男に突きつけられた屈辱も、すべて帳消しにできる。

「……確かに、あいつの計算速度は人間を超越している。……よし、ミィナ。教会の審問官に連絡を入れろ。スゥを『国家を惑わす邪悪な計算魔女』として告発するんだ!」

「はい、リュカ様! 愛の力で、悪しき数字を打ち砕きましょう!」

 二人は手を取り合い、かつてないほどの結束を見せた。
 「無能の団結」という、組織において最も警戒すべき事態が発生しているとも知らずに。

 一方、バラ園跡地の工事現場。
 スゥは、カイルが組み上げた「全自動コンクリート練り機」の動作ログを確認していた。

「……カイル卿。この魔力供給ライン、わずかに脈動(パルス)が乱れています。原因を特定しなさい」

「厳しいねぇ。……それよりスゥ、あっちの『ピンクの置物』と『ポンコツ王子』が、何やら怪しい動きをしてるぜ。俺の盗聴用……いや、環境音モニタリング魔道具に、面白い会話が引っかかった」

 カイルが差し出した小さな通信石から、ミィナとリュカの「魔女告発計画」が生々しく再生される。

 スゥは、それを最後まで無表情で聞き終えると、パチンと通信を切った。

「……なるほど。『魔女』ですか。概念的で、極めて定義の曖昧な攻撃(アタック)ですね」

「笑わねーのかよ? あんたが魔女だってさ。……まあ、俺からすれば、あんたの暗算速度は確かに悪魔的だけどな」

「カイル卿。告発されることによる時間的損失と、それを逆手に取った場合の収益性を今すぐ算出します」

 スゥは瞬時に計算盤を弾き始めた。

「……出ました。私が魔女として審問会にかけられた場合、一時的に業務は停止しますが、そこで王家の『捏造(ねつぞう)』を公的に証明できれば、名誉毀損による賠償金を、現在の慰謝料にさらに二五パーセント上乗せできますわ」

「おいおい、告発されるのを楽しんでるのか?」

「楽しむ? いいえ、これは『資産の最適化』です。あのような非論理的な告発は、デバッグ(修正)する手間さえかかりません。むしろ、彼らが勝手に自滅してくれることで、再雇用契約の主導権をさらに強固なものにできます」

 スゥは空を見上げ、薄く微笑んだ。

「教会の審問官……。確か、彼らも予算不足で活動が滞っていたはずですね。……カイル卿。審問会で使う『真実を暴く魔導具』の最新モデル、彼らに売り込んでおきなさい。もちろん、私の有利な結果が出るように調整(デバッグ)したものを」

「あんた、本当の魔女よりタチが悪いぜ……。了解、特急で仕上げてやるよ」

 愛を盾にした「感情の反乱」が、スゥの冷徹な「利潤の追求」によって、また一つ、ただの「増収イベント」へと変換されようとしていた。

 数字の女神に喧嘩を売った代償は、ミィナたちの想像を遥かに超える高利貸しとなって返ってくることになるのだ。
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