捨てられた悪役令嬢は、自由を買いたい!

萩月

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 王宮の夜、静寂を破るのは、スゥの執務室から聞こえる規則的な計算盤の音だけではない。

 離宮の一室で、ミィナは狂ったように引き出しをひっくり返していた。

「……ない、ないですぅ! 私の隠し金庫が空っぽなんて、何かの間違いですわ!」

 彼女が「予備費」という名の横領でコツコツと溜めていた金貨袋が、すべてスゥの「資産凍結(フリーズ)」によって没収されていた。

 空腹とストレス、そして宝石への渇望が、ミィナの乏しい思考回路をショートさせた。

「……こうなったら、あれを使うしかありませんわ。王宮の奥底に眠る、伝説の『王家の印章』を!」

 ミィナは、かつてリュカから「絶対に触れてはいけない」と聞かされていた秘密の金庫のことを思い出していた。
 そこには、押印するだけで国家の全財産を動かせる魔法の印章があるという――。

 翌朝。
 王宮の定例会議室に、ミィナが血走った目で乱入した。

「皆様! 注目してください! 私はついに見つけましたわ。この国を、そしてリュカ様を救う『真の力』を!」

 ミィナが掲げたのは、古びた、しかし重厚な輝きを放つ大きなハンコだった。

 リュカ王太子が、椅子から転げ落ちんばかりに驚愕した。

「ミ、ミィナ!? 貴様、それをどこで……! それは、開かずの金庫に封印されていたはずの『太古の国債発行印』ではないか!」

「そうですわ! これさえあれば、スゥ様にお伺いを立てなくても、無限にお金が作れますの! さあ、今すぐこれを使って、私の新しいドレスと、最高級のケーキを発注しますわよ!」

 ミィナは、勝利の雄叫びを上げながら、目の前の白紙に力いっぱいハンコを叩きつけた。

 会議室が、凍りついたような沈黙に包まれる。
 唯一、スゥだけが、眼鏡の奥で憐れみすら混じった瞳を向けていた。

「……ミィナ様。その動作に費やした一・二秒の筋エネルギー、そしてインクの消費コスト。すべてが、文字通り『無に帰した』ことを今すぐ証明して差し上げましょうか?」

「ふん、負け惜しみはやめてください、スゥ様! これで私は自由なんですぅ!」

 スゥは、カイルに顎で合図を送った。
 カイルは肩をすくめ、傍らの魔導集計機を起動させた。

「……ミィナ嬢。あんた、そのハンコの意味、本当に分かって使ったのか?」

「分かってますわ! 『無限にお金が出る魔法のハンコ』でしょう?」

「……いいえ。それは『旧時代に発行され、現在は利子が膨れ上がって返済不能になった負債(借金)』を、発行者が全額個人負担で認めるための承認印ですわ」

 スゥが冷徹に告げた瞬間、会議室の壁一面に、真っ赤な数字の羅列が爆発的に表示された。

「……な、なんですの、この数字……? ゼロがいっぱいついていて、綺麗ですわねぇ……」

「綺麗? いいえ、これは『絶望』の可視化です。ミィナ様、貴方が今そのハンコを押したことで、貴方個人が背負った負債額は――現在の王国の国家予算、約三百年分に相当します」

 ミィナの顔が、文字通り土色に変わった。

「さ、三百年分……? 私が、払うんですの……?」

「左様です。そのハンコには『押印者の全資産、および将来にわたるすべての労働収益を担保とする』という魔法契約が組み込まれています。……おめでとうございます、ミィナ様。貴方は今この瞬間、人類史上最も価値のない、広大な『負債の塊』へと進化を遂げられました」

「ひ、ひえぇぇぇ! リュカ様、助けて、助けてくださいましぃ!」

 ミィナがリュカに縋り付こうとするが、リュカは幽霊でも見るかのような目で彼女を避けた。

「……ミィナ。私は言ったはずだ……あれには触れるなと。……すまない、今の私に、国家予算三百年分を肩代わりする余力はない……。スゥに怒られる……」

「殿下。怒る必要もありません。……ミィナ様、安心なさい。私は効率主義者です。この莫大な負債を、ただ放置するような無駄なことはいたしません」

 スゥは、あらかじめ用意していた「債務整理計画書」をミィナの前に差し出した。

「これより貴方には、王宮の地下にある『魔導石の粉砕作業』に、二十四時間交代制で従事していただきます。貴方のその『愛を叫ぶ無駄に大きな声量』を、音波振動エネルギーとして再利用するシステムをカイル卿が開発しました」

「音波……振動……?」

「叫べば叫ぶほど、借金が(一秒につき一リブラずつ)減る仕組みです。……良かったですね、ミィナ様。貴方の感情的な絶叫が、初めて社会的な価値を持つことになりますわ」

「嫌ぁぁぁ! そんなの、そんなの労働ですぅ! ヒロインのすることじゃありませんわぁぁぁ!」

「叫ぶのは地下に着いてからになさい。……衛兵。この『不採算資産』を、即座に現場へ搬送しなさい。一秒の遅延も許しませんわよ」

 泣き叫び、暴れるミィナが、引きずられるように会議室から運び出されていく。
 彼女の「ヒロイン」としての地位は、自らの無知が招いた「天文学的な赤字」と共に、完全に消滅した。

 静かになった会議室で、カイルが呆れたように笑った。

「……スゥ。あんた、あのハンコがそこにあるって、最初から知ってたんだろ?」

「何の根拠があってそのようなことを? ……ただ、彼女が『論理的にあり得ない愚行』を犯す確率を計算し、その結果として最も可能性の高い収束地点に、あえて鍵をかけずに置いておいただけですわ」

「それを『ハメた』って言うんだよ。……まあ、おかげで王宮のエネルギー問題も解決しそうだな」

 スゥは満足げに、手帳の「不要資産リスト」からミィナの名前を削除した。

「……さて。邪魔なノイズが消えました。……殿下。九九の八の段、まだ終わっていないようですが? 効率が落ちていますわよ」

「は、はいぃ! 八一は八、八二、一六……!」

 リュカが震える手でペンを走らせる。
 王宮の構造改革は、今や反対する者すら存在しない、完璧な「効率の独裁」へと昇華していた。

 スゥ・ル・ブリリアント。
 彼女にとって、愛や慈悲などという曖昧なものは、もはや計算式の隅にすら残ってはいなかった。
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